青年立つ 遷都 その二
新都造営のため長岡と奈良・平城京とを行き来する田村麻呂。つかの間の平和もやがて訪れる陰湿な謀略と陰謀に、次第に巻き込まれていく。時代に飲み込まれようとする坂上一族の運命は?そして田村麻呂の最大の危機も忍び足で迫ってきているのであった。
近衛将監として一年、平城京と長岡のあいだを何度も行き来した。田村麻呂はこの木津川沿いの道が好きだった。行き交う船は多く、人々の暮らしも生き生きとして、造営の苦労も忘れられた。
長岡は木津川、宇治川、桂川の三本の川が淀川に一つになる収束地で、水利が良い半面、治水が大きな問題となった。田村麻呂は兄、広人の知恵を借り、桂川へそそぐ小畑川を引き込む形で都を造営し、丘陵地帯の利を生かし都全体に水利を活用できるようにした。
「にいさんは起きてる?」
源じいに尋ねると、本を読んでいるという。
「にいさん、あがるよ」
縁側から声をかけると、広人が身じろぎをするのがわかった。
「長岡からもどったのかい?」
「ああ、さっき帰ってきたばかりだ」
「造営の方はどうだい」
「にいさんのおかげではかどってるよ。驚くほど水が湧いてくるので、家々にも井戸がつくれる。にいさんの言ったとおりだ」
「楽しそうだな」
「ああ、それに比べて都はなにか暗いし騒がしい」
「うん。遷都反対派の連中がいろいろ動き回っているのだろう」
「東大寺」
「それはきみが口にしてはいけない」
「親父は大丈夫なのかな」
「いまのお役だとまともに火の粉がふりかかりそうなので、いちどお役を離れるのもいいと言っておいたよ」
「親父は?」
「早いうちに手を打つそうだ」
「あにさまは、賢いなあ」
「ああ、ぼくも丈夫な脚があればなあ」
「田村帰ってきてるんでしょ?」
「おねえさま、俊宗さまよ、俊宗さま」
「ミコチ、さがしてくる」
「広人さまのとこなら遠慮するのよ」
「わかったー」
親父に会おうとして、途中でミコチに捕まった。
「スクネ、つかまえたー」
「まだその名で呼ぶか」
スクネは俺の幼名だ。そう呼ぶものはミコチ以外にはいない。
「おまえもさー、ちゃんとした名前つけてやらないとな」
「あたしはミコチでいい」
「嫁に行くとき、困るぞ」
「ミコチはスクネの嫁。ずっと決めている」
「おい、俺は何人嫁を養わねばならんのだ」
「テンコを含め、いまのところ四人」
「はあ」
「おい、大事なはなしがある」
道鏡が深刻な顔をして俺を呼んだ。
親父と長男の摂津磨呂、そして道鏡にスサノオがいた。
「スサノオ、久しぶりだな。なにしてたんだ」
「おお、毘沙門、じゃなかった田村麻呂、久しいな。俺はま、いろいろとな」
スサノオはなにか含んだ言い方をした。
「スサノオさまは蝦夷の地へ赴いていただいていた」
道鏡があっさりと言った。
「あー、俺が言おうと思ってたのに。せっかく鮭みやげに驚かそうと思ったのにー」
「やかましい」
なんで蝦夷の地になんぞと聞こうとした出鼻を兄の摂津磨呂がくじいた。
「光仁聖皇が御譲位される」
「マジか」
「マジだ」
「山部親王にだな」
「そのとおり」
「藤原式家がまた動いた」
「百川どのか」
「問題は早良親王を皇太子に指名した事だ」
「え、安殿親王ではなく?」
「まだ八歳という理由でな。まあ、寺社側の連中のご機嫌とりもあってな」
「東大寺の僧門ではなかったか。結婚もしていないだろ」
「それが肝だな、連中の」
「どっちの?」
「両方の、だ」
要するに、山部親王を聖皇にまつりあげ、その実の弟を皇太子にする。これには壮大な陰謀が張り巡らされていた。寺社の権力への接近を嫌う貴族たちが渡来人系の有力者と組み、さらに新興仏教勢力と結んだ。権益拡大を目論み権力中枢へ勢力拡大を模索する旧来寺社側は結束した。これは見方をかえれば新旧仏教による宗教戦争ともいえるのだ。
「スサノオが帰ってきてるんだってー?」
「これ、静かにせんか」
弟妹、それに嫁どもが群がってきた。親父が珍しく怒っている。
「そうかそうか、がははは、吾輩は人気者じゃのう。どれ、鮭見るか、ほらでかい魚だぞ」
「わーー」
スサノオが気を利かせて邪魔者を追っ払っていく。というより一緒に遊びたかっただけだ。息の詰まるような場だったからなあ。
「なあ、いいのか?あいつ一応神様なんだぜ」
「本人が好きでやってるんだ。かまわないだろう」道鏡はしれっと言った。
「それよりヤツの知らせの方がまずい」
「蝦夷、か」
「そうだ。やつら全部族が集まり出した。結集するのも時間の問題だ」
「そうなると」
「反乱だ。朝廷はヤバいかもしれん」
「陸奥は?」
「恐らく支えきれん」
「大敗したらどうなる」
「なに、次におまえが死地に放り込まれる番になるだけだ」
広間に行くとスサノオが小さな弟や妹たちの馬になっていた。なんでも双六で負けた罰ゲームらしい。
「ひー、待った待った。田村と話があるんだ、勘弁してくれ」
「えーつまんなーい」
「またあとで相手してやる」
「ほんとー。スサノオまってるからねー」
「人気だな」
「物珍しいだけだ。それよりお前はどうしている?剣の技は磨いているか」
「近頃いそがしくてね。ぜんぜんだ」
「それはいかん。近々争いが起きるぞ」
「蝦夷でか」
「それもそう、だが、ここでも、な」
「わかっている」
山部親王が皇位を継ぎ、桓武聖皇として即位した次の年、父、苅田麻呂は都の外へと追放となった。直接ではなくても、謀反の兆しが見えた氷上川継に連座したという理由でだ。これには大伴家持も同罪とされて仲良く追放となった。が、これは全くの茶番で、寺社側の息のかかったものが早良親王に集まりやすくするための策略なのだ。
そうして舞台は出来あがりつつあった。
俺はあいかわらず二人の嫁のあいだの壁を必死で乗り越えようとしていた。
「なかなか殿はわたしのところにきてくださりませんね」
うらめしそうに高子が俺に言う。
「ちょっとあんた、努力ってもんが足りてないのと違う?気合い入れなさいよ、男なんだから」
鈴鹿も忌々しげに俺に苦情を言ってくる。
しかし日に日に妨害の力は強く、巧妙になってきているのだ。
この前はほんとに黄泉の国に飛ばされ、スサノオの母、イザナミ本人にも会ってしまった。
それならば俺にも考えがある。順番を守らなければよいだけなのだ。俺が順番をちゃんと守っているから、あいつらは待ち構えて俺を妨害できるのだ。なれば逆手にとって、鈴鹿の順を高子にすればいいわけだ。そうなれば無防備だもの。もう目的に一直線。なんでもっと早く気がつかなかったのだろう。
次は地獄辺りに飛ばそうと待ち構えているに違いない鈴鹿の部屋をやりすごして、俺は高子の部屋に向かった。案の定、部屋は薄暗く、しかも結界も張られていない。しめた。やった、やった俺の勝利。もう高鳴る胸を抑えつつ、慎重に戸を開けると、そこには天姫が弓を構えて立っているではないか。
あの弓は『大悲の弓』。天姫は矢をつがえず、弦を引き絞っていた。
「あー、いや、あれ?まちがえちゃったーかな?なんて」
「そうくるのはお見通し、ですわ。にいさん」
びしっと弓の弦が鳴ったと思ったら、強烈な衝撃波が来た。
ギャーー――っ
俺の立っていた廊下もろとも屋敷の外に吹き飛ばされた。吹き飛ばされているそのとき、スローモーションのようにうつる景色の中、申し訳なさそうに部屋の隅に座っている高子が見えた。
そんなふうに俺がこいつらと遊んでいるとき、事件は起きた。
新都造営の最高責任者である藤原種継が暗殺されてしまったのだ。
俺は事件の知らせを受けると、すぐさま現場に急行するべく馬の用意をしていた。そこに朝廷の使いといって武装集団およそ五十人が屋敷前に現れた。
「藤原式家である。帝の使いとして参った。坂上田村麻呂はおるか」
「百川さんか、何の用だ」
「田村麻呂殿か。まあぶっちゃけ、ここから出るなと言いに来た」
「なんでだ。俺の上司が殺されたんだ。行かねばなるまい」
「種継はそなたの直接の上司ではあるまい。無用なあらだてを起こすことはない。おとなしく屋敷にこもっておれ」
俺の私兵は五十人、もういきり立っている。こいつらを蹴散らすのは簡単だ。
「頼む」藤原百川はなぜか深々と頭を下げた。
俺は面くらい、しかし納得もできないでいた。
「もう、それくらいにして、おふたかたも収めましょう」広人が原じいの肩につかまり出てきた。
「あにさまっ、なぜ。無茶はやめてくれ」
「いいんだ、俊宗。それより引いておくれ。わたしと茶でも飲もう」
言ったそばから咳をし始めた。なにが茶だよ。なにやってるんだよ。
「わかった。引く」
「ありがたい。引いてくれなければどうしようかと思った」連れてきている兵たちも安堵したようだ。
「ころく、馬を返してくれ」
「はい、あにさま」
「なにがあるのか聞きませんが、少なくとも俺とあんたのいのちはあの、広人にいさんが救ったと思います」
「うわさに高い御兄弟ですな。感謝申し上げます。いずれ、また」
広人を自室へ連れていくと、青い顔に笑みを浮かべて言った。
「これでいい。へたにお前が犯人を見つけ出したら、彼らの計画は水の泡だ。そうすれば彼らはこちらに牙を剥いてくるだろう。われら一門皆殺しになる。まあ、お前と鈴鹿、天姫ぐらいは生き残るかな。あ、ミコチもいたな。いやむしろ皆殺しになるのは彼らか。はは」
「彼らって」
「帝、だよ」
「それって」
「なにもしないお前が、都を救ったのかもな」
いいえ。この都、いやこの国を救ったのはあなたですよ、にいさん。
すぐに犯人が捕まり、共謀した人間がつぎからつぎへと捕まっていく。そうして遂に首謀者としてなんと聖皇の実の弟である早良親王が捕まったのだ。
矢継ぎ早に犯人といわれたものたちは死刑または流罪にされ、早良親王も幽閉された。彼は身に覚えのないことを理由に食を絶ち抗議した。十日後、淡路島へ流罪のため護送する船のなかで息絶えた。
道鏡は思うところあってか、しばらく口をきかなかった。朝廷と寺社との確執は、あるいは道鏡がそうなっていてもおかしくはないし、じっさいすんでのところでそうなるところを田村麻呂の父に救われたのだ。
そんななか、長岡京への遷都がはじまった。
すっかり父も何事もなかったように復職し、ただ、一緒に追放処分を受けた大伴家持はすでに亡くなっていて、一族から犯人も主犯格として出てしまったため、ついに連座は免れようもなく、これによりすでに完成していた『万葉集』もしばらく日の目を見ることはなかった。
「やれやれ都なんざ、居るとこじゃねえなあ」
スサノオがあきれたように言い放ち、ふたたびどこかへ消えていった。
俺はスサノオがどこへ行ったか、薄々は気がついていた。
俺らも遷都にしたがって長岡京へ屋敷を構えたが、京自体が規模が小さいため、屋敷も小さくせざるを得なかった。まあ、そんなでもあいかわらず嫁たちとの攻防は続き、先日は銀河系の端まで飛ばされて、さすがにそのときは帰るのに三日かかった。ミコチには一晩で帰れるところにしてくれと叱った。
そんなある夜、胸騒ぎを覚えた俺は、嫁たちと遊ぶのは控え、『大悲の弓』を傍に携え、まんじりともしないでいた。
いやな風がおどろおどろしい音をたてて吹き殴っている。家人はみな恐れ、あの鈴鹿さえも青い顔をしていた。
「鈴鹿、心配か?」
「なにかわからないけど、なにかいやなものが、来る」
「うん。なんだろう」
鈴鹿は愛刀の『血吸』を引き寄せ緊張していた。天姫やミコチはどうしたことかふるえていた。こんなことは初めてだ。俺は不安が増し、胸の鼓動も速くなっていった。
「田村麻呂さまっ」
源じいが叫んでいた。
「広人さまのご容体が」
俺は慌てた。広人にいさんが、なんで?どうしたんだ?
「にいさんっ」
部屋でにいさんはすでに冷たくなっていた。え、うそだろ?なぜ?なんで?
事実をなかなか受け入れられない俺を、鈴鹿はそっと抱きしめてくれていた。
「悲しいのに、涙が出ない。俺はどうしたんだ?」
「あんまり辛いせいよ。我慢しないで、泣いちゃいなさいよ」
鈴鹿は優しく言ってくれるのを、俺は遠いところの声のような気がして、それは現実と夢がごっちゃになっているような感覚だ。
鋭い雷鳴が轟くと、すさまじい風が吹いた。
「あれっ、広人さまが?」
源じいの叫びにわれにかえると、広人が青白く光り出していた。
やがてふわりと宙に浮かぶと、ゆらゆらと空へ登っていく。
「おのれ妖怪の仕業かっ」
俺は弓を構えると、強く引き絞った。
「わたしを撃つか、田村麻呂。この兄を」
「きさま、だれだ。兄をかえせっ」
「ふふふ、わたしはおまえの兄だよ」
「うそをつくな、この化け物。兄を置いてさっさと立ち去れ」
「化け物とはひどいな。これでももとは親王なんだがな」
「き、きさまは」
「そうだよ、早良だよ。おまえの兄のからだをいただく。おまえの兄だって、世を恨んで死んだのだ。同じ恨みを抱く者同士、もはや一心同体となって、この恨みこの世にはらしてくれよう」
「おまえと兄をいっしょにするな。返せっ兄を返せ」
「また会おう、田村麻呂よ」
「あにうえーーーっ」
風が収まると、あたりはなにごともなかったように静まり返っていた。ただ、宮中の方には、青白い妖しい光が薄ぼんやりと漂っているのが見えた。
俺らは家人と手分けし、三日三晩、兄の体を求め捜し歩いた。が、ついに兄は見つからなかった。
それから宮中に夜な夜な亡霊が出ると噂され、目撃したものはいかにもあれは早良親王の怨霊だったと証言した。俺は怨霊と戦うことを決意した。兄を取り戻すために。
ついに早良親王の怨霊が田村麻呂の前に姿を現す。しかも最愛の兄、広人のからだを乗っ取ると言うおぞましさに田村麻呂の心は凍りつく。はたして彼は怨霊を鎮め、兄の体を取り戻せるのか。そしてはるか東国では蝦夷の反乱に、危機はさらに続く。