青年立つ 遷都 その一
鈴鹿山の戦いから七年。田村麻呂はたくましく成長していた(自称)。
家族もみな結束をさらに強め、楽しい日々を送っている。いよいよ近衛の将としての出仕が近づき、否が応でも身が引き締まる田村麻呂だった。
「こおらー、まちなさいよー」
「あねうえ、やめて」
「なにを寝言を、やーっ」
「ギャーーーっ」
「なにやってるのー」
「あ、俊にいちゃん、テンコねえさまががいじめるんです」
「がんばれー」
「ひどい」
「天姫、あまり無茶するな。ころくももう限界じゃないか」
「はーい俊宗にいさん。でもおとこならもうちょっと強くなんなきゃ、ねー」
「ひーーー」
鈴鹿山から凱旋した日。あれから七年がたっていた。
テンコは正式にうちの養女となり、名を天姫と改めて、同じく養子となったころくを毎日鍛えている。
テンコ、いや天姫も自然と人間の成長に合わせることを覚え、いまでは立派な十八歳の娘だ。
「ころくも来年元服だなー。それまでにころされるなよー」
「ひどーい、俊にいちゃん」
俺には兄弟がたくさんいて、家では字で呼ぶことが多い。俺は俊宗といい、あらたまった席以外で田村麻呂とは家人からほとんど呼ばれることはない。
あの日からしばらくして、俺が十八になった吉日。鈴鹿と高子と婚姻、つまり後世では倫理的にも法律的にもアウトな重婚をした、いやさせられた。ま、それはいい。
問題なのは結婚したら「あれ」をしないといけないのだろ?俺だってガキの頃からさんざん俊哲と御影堂の裏でこっそりそういう関係の本を読み漁っていたのだ。知識満載の俺に不都合などあってたまるものか。
しかし不都合はむこうのほうにあった。相手はお二人なのだ。まずどちらが先か揉めた。おれはどっちでもいいのだが、そういう態度が火に油を注いだ。それは寝起きの悪い熊を起こしてしまって、怒ったそいつが蜂の巣を叩き落として無数の蜂が襲い掛かってきて、あせって俺と熊とで逃げ込んだ先が軍の核施設で、警備兵と銃撃戦になった挙句、バカな熊が核ミサイルのコントロールパネルを破壊してしまって、制御不能になったそれはいきなりカウントダウンをおっぱじめる、というレベルで事態は悪化した。
事態をより複雑化かつ深刻化させたのはふたりにそれぞれ味方がついた、ということに原因がある。天姫とミコチがそれぞれの嫁に組し、強力な陣営となり対立した。鈴鹿側にはミコチが、高子側には天姫という具合にタッグを組み、しかもそれはかなり強力な力をそれぞれ有しているのだ。もっとも最初はふたりの嫁は渋ったらしいが、妹たちの強い推進力とお互いのライバル心が微妙に絡んで、しかもだんだん面白がっていくという、俺に、いや男にとって最悪のシチュエーションが出来上がってしまった。
とりあえずジャンケンで順番を決め、俺はその夜、いそいそと鈴鹿の部屋に向かおうとすると、俺の部屋の戸が開かない。んなもん紙と木で出来てるんだから容易にぶち破れる。そう思ったのだがビクともしない。強力な結界が張られていたのだ。もはや神となった天姫には、いかに毘沙門の守護があってもおいそれと破れない力がある。結局、結界を破ったころには朝になっていた。
つぎの夜、結界に注意し、幾重もの防御方陣を組んだ俺は、今度は慎重に高子のいる部屋に向かった。もう泥棒みたいに忍び足でそっと高子の戸を開けると、いきなり異空間に飛ばされていた。ミコチは空間をあやつる。ふつうの人間なら死んでいる。よっぽど霊力のあるやつでも千年は出られないような重異空間だ。それはその空間をぬけてもまた次の異空間が広がるいやらしさなのだ。俺はやっとのことでその重異空間を脱出すると、朝になっていた。
これをずっと繰り返してきた。だから二人とも、清い乙女のままだ。
「おはようございます、だんなさま。今朝のご機嫌は、いかがです」ふたりが笑いながらあいさつした。
「うん、夕べはなんか未来の日の本の、東京銀座というところにでてさ、なんかすごい人だかりにかこまれちゃって、みんな手に小さな板かかげて俺にかざしやがんの。それがいちいち光りやがるから驚いたけど、あれって宗教的ななにかだったと思う」
「それはたのしそうね、ねえおねえさま」
「ほんと、あんたの間抜け面にも効き目があるといいわね」
「おねえさま、それは言い過ぎ」
「うふふ」「ふはは」
ふたりはとても仲がいい。
「おい田村、今日はなにしてあそぶ?」
「おねえさま、俊宗さまですよ、おうちでは」
「なんで。田村でいいじゃん。田村は田村なんだから」
「そうですけど」
「ははは。いいよなんでも。それより今日は兄さまのところに行こうかと」
「そうですか」「ちぇー」二人は少ししんみりとした。
俺は次男だが兄貴はふたりいる。ひとりは「坂上石津麻呂」で小さいころから剣術の相手をしていた長男だ。もうひとりは、生まれたときから病弱でろくに外にも出られない色の驚くほど白い、しかし勉学の才は素晴らしく、健康であれば学者やいずれは高僧にでもなれたと親父は嘆くほど賢い「広人」という二つ上の兄だ。
広人は病弱の故、坂上の相続順位から外され、事実上籍はあるがいない存在として扱われた。俺はそんなアニキでも兄上と慕い、勉学を教わり、おしゃべりをし、具合の悪そうなときは背中をさすったりもした。家のものは病がうつるということで誰も近づかなかったが、おれはかまわずしょっちゅう出入りし、家族はそれを止めなかった。ただ源じいは俺と一緒に世話をしてくれ、そんな兄上は俺と源じいが唯一の家族だったと思う。
「広人にいさん、起きてる?」
「ああ、起きているよ。でも、田村どの、にいさんはやめとくれ」
「なんでよ。にいさんはにいさんなんだから。にいさんこそ田村どのなんて言うのやめてよ」
鈴鹿と同じようなことを言ってるな、俺。
俺は薬湯とアケビの実を広げ、まず薄紫に熟れたアケビの実を、うやうやしくその兄の白い手に渡した。
「源じいが奈良の山で採ってきた。途中、山犬に襲われ大変だったそうだ」
「ははは。見てみたかったな、それは」
「見れるさ。春の奈良の桜も、秋のアケビの実も」
「だといいな。ふふふ」
俺はこんな会話が苦手だったが、広人が楽しそうにしているのを見ると、いつまでも居てやりたくなった。
「遷都が間近だそうだな。お前はどうするんだ」
「近々、出仕する。内勅がでた」
「ほう、どこへ」
「近衛府の見習いだ。ははは」
「ほお、うちの格からすると将監だな」
「なんでも知ってやがる」
「ふふふふ」「はははは」
近衛府は現聖皇直属で、護衛や宮中の様々な仕事をする。現在の帝、光仁聖皇の親衛隊ということで将監は尉官クラス、今でいう中隊長あたりか。
「帝も病が重いと聞く」
「うん。遷都も間近だし、中止という案も出ているそうだ」
「お前の初仕事は?」
「その遷都の造営だ」
「長岡のか」
「うん。藪と大岩の多いところで、難儀していると聞く。よかったら知恵を貸してくれ」
「お前のためならなんでも」
薬湯を飲んで少し顔色が出てきたところで、俺は部屋を辞した。疲れさせてはいけないからだ。広人とはもっと話していたかったが、彼の病気はそうさせてくれないのだ。
「待ってたのだ。双六をするのだ」ミコチが手をつかむ。
双六は近頃都で女子供に人気のあそびで、盤上のマスの駒をサイコロなどで進めていき、順位を競うゲームだが、坂上家のはそれをさらに進化させていた。
「あなたはやく」「ちょっと、グズグズしてないで駒を選びなさいよ」
「選ぶって、一個しか残ってないじゃん」
「いちいちウルサイわねー。はいこれ」
俺は何枚かの札を渡された。ゲーム中、そのイベントごとに発生するアトラクションに対し、金銭がかかわってくる場合、これがその対価代わりというわけだ。
「今度は負けねえ」
「ふふ、ほえずらかかせてあげるわ」
「あねさま、顔こわい」
ころくが怯えている。いつも俺ところくはふたりの嫁にいいカモにされている。
「いきまーす」天姫が勢いよく矢盤をまわす。サイコロではないのだ。
「きゃーいきなり六よ」
天姫は駒を六マス進めると、そこに書いてある歌を読み上げる。字と歌が学べる優れモノなのだ。これはあの天才、広人が作ったのだ。
「うたかたの ゆめにまいらせ もののふの こいてつかえる なつのよのみや 八十貫」
どうやら武士として就職し、八十貫の給料貰うらしい。うらやましい。
ころく、鈴鹿、高子、ミコチがそれぞれ進む中、俺はどこにも就職できず、フリーターとして進まなければなくなった。後世、人〇ゲームとして現代に伝わっていくこの遊技は、意外とシビアに書かれており、俺は結局ビリでゴールに到達、何千万貫の借財を背負っていた。なんでや。
ころくと俺は罰で洛中に菓子を買いに行かされた。パシリだ。
「なあ、ころく。楽しいか?」
「はいあにさま。すごく幸せです。あのころに比べたらもう、ぜんぜん。家族もいっぱいできたし」
「そうか」
ころくは鈴鹿山で魔物の一味として働かされ、虐められもしていた。樽海にたまたま捕まった縁で、俺たちの家族になった。いまも天姫と鈴鹿にいじめられている気もするのだが、ころくにとってそれは幸せなことであるのかもしれない。ころくが嬉しそうに「家族」といったとき、俺は兄の広人の顔を思い浮かべた。
「なあ、帰ったら相撲でもするか」
「ほんとですか。やったーっ」
飛び上がって喜ぶころく。ちかごろ出仕も近づき、準備でなかなか遊んでやれなかった。
嫁や妹たちも遊びたがっていたが、そういう時はなぜか遠慮した。ほかの俺の弟や妹たちと仲良く遊んでくれている。高子以外人間ではないのに、人間以上に俺や俺の家族に愛情を注いでくれる。俺も他の家族もそれ以上に愛情を注ぐ、強い絆があった。もちろんその中に広人も入っている。
「たーむらくん、あっそびましょー」
玄関の方で声がした。
「あーとーでー」
「なんで」
俊哲の声だ。百済王俊哲、おれとともに近衛府に出仕することになった、古き友。
「なんで、お前が答えるんだ、ミコチ」
「のへへへへ」
縁側でころくと汗を拭いていた俺は、俊哲に庭に回るよう促した。
「えー?」
「天姫もいるぞ」
「え、じゃ、じゃあ」
しばらくして、俊哲の悲鳴。
「ぎゃーーーっ」
「天姫、行ってあげなさい」
「はーい、おにいさま」
庭に回るまでには数々の罠が仕掛けてある。この屋敷を設計したどこかの馬鹿が、ご丁寧に庭も含めて難攻不落にしていた。
俺は撤去を提案したが、たまにイノシシだの鹿だのがかかり我が家の食卓を彩るので、全員に却下された。もっともこんな罠にかかるのはよそから来たものかあるいは獣か、それところくと俺だけなので、家族の安全面から言えばあったほうがいいらしい。なんで。
「もーこの家はひどいなー」
尻に着いた土を払い落しながら、それでも天姫に助けられてうれしそうな俊哲。顔が赤いぞ、コラっ。
「テンコちゃん、ありがとー」
「もう兄さまと同じ将監さまなんですから、もっとしっかりしなければ、帝のお役には立ちませんよ。それから私はテンコじゃなく、天姫なんですから。ちゃんとそう呼んでください」
「うーん、テンコちゃんはテンコちゃんなんだから。もう僕ずうっとそう呼んできたしー」
なーんかどっかで同じセリフ聞いたな。
それでも俊哲の持ってきた甘い菓子のみやげに目を輝かす天姫とともに、わらわらとみんなが群がりくる。はしたないぞ、君たち。
「声がしたと思ったらやはり俊哲か、まあ上がれ」
「あ、道鏡さまおひさです」
「汚い家だけど、あがんなよー」
「あこりゃ千手さまも。そんじゃ、失礼して」
汚い家は余計だ、千手。道鏡もだが、どうしておまえもまだいる?衆生を救わんでいいのか?
「えー、だって分身いっぱいいるから問題ないのよー」
このあいださらっと言いやがった。もうなんか、色々なものにとり憑かれている気がする。
「まあ心配するな。いざとなったら私が祓ってやる」
そういって豪語している道鏡、あんたが一番とり憑いてんの、うちに。
樽海とうちの兵士数人が大きなイノシシを担いで来た。どうやら庭でバーベキューをおっぱじめるらしい。源じいがもう火を起こしてやがる。ほかの兵もやってきて、「御大将」「御大将」と口々に叫びやがる。いまでは数も五十人以上に増え、都ではちょっとした勢力になっている。
俺が出仕する近衛舎人は四百人前後の兵を擁しているが、こいつらはクーデターを起こしてもそうは失敗はしないツワモノばかりだ。もっとも俺や鈴鹿ならひとりでも容易いが、俺はともかく鈴鹿はいまの暮らしを守ることが第一で、俺がいないときは練兵と称して近隣の野盗などを退治しまくっているのだ。
おかげで俺よりも鈴鹿御前の名は都中に轟いている。
道鏡は親父とならび、話をしていたようだが、ぴたりと話を止めると、俺と俊哲に深刻そうな顔を向けた。
「どうやら帝が位をお譲りになるらしい」
時代が動き始めていた。
遷都が近づくとともに次第に強まる謀略、陰謀。田村麻呂波乱の青春の幕開けとなった。
果たして田村麻呂はおのれの運命とどう向き合うのか。家族は守れるのか。
暗雲が立ち込めてきた時代に、田村麻呂は敢然と立ち向かう。