おじいちゃんと散歩
お寺の後ろにある、急な階段を登ったところに我が家のお墓はある。そこから見えるのは、一面のたんぼと、あんまり車が通っていない道路。セミの鳴き声はちょうどいいBGMになっている。
お盆の墓参りなので、お供え物は団子だ。団子粉を水で溶いて、丸めて、蒸したお団子。砂糖が入ってないのに、ほのかに甘い。お供えした後、その場で全部食べる。それが楽しみだった。
おじいちゃんは、散歩が日課だった。毎日毎日、行き30分帰り30分の1時間の散歩を欠かさなかった。
ある冬の日、おじいちゃんは高熱を出し、寝込んでしまった。急だったので、何か原因があるのではとお医者さんに聞かれたおじいちゃんは、『数日前に散歩中に転んだ』と、渋々という感じで告白した。転んで打った太ももが熱をもち、それが体に広がったということらしい。おじいちゃんは恥ずかしかったのか、転んだことを誰にも言わなかった。そのせいで症状が進行し、熱は下がらず、一週間後、おじいちゃんはあっけなく逝ってしまった。
おじいちゃんの訃報を受け、大阪に住んでいた私たちは、岩手県のお父さんの実家に向かった。小学6年生だった私にとって、初めての『人が亡くなる』という体験で、まったく実感がなく、涙は出なかった。
新幹線に乗って、しばらくした時、ふいにおじいちゃんとたった一度だけ一緒に散歩したことを思い出した。
おじいちゃんの家は、山の中腹にあった。お隣の家が歩いて10分くらいかかるような、そんな所だ。鳥の声がする山道を、2人でぽつぽつと歩いた。折り返し地点に着くと、そこには石がピラミッド状に積み重なっていた。おじいちゃんは私に、石を一つ置いて、と言った。大役をまかされたような気がして嬉しく、誇らしい気持ちで石を置いた。そして、同じ道を帰った。ただそれだけだった。
散歩のことを思い出し、『あーおじいちゃん、死んじゃったんだなぁ』とやっと実感がわいてきた。新幹線の車内、もうすぐ富士山が見えるという頃、私はぽろぽろと涙をこぼした。隣のお母さんがすっとハンカチを渡してくれて、頭を抱きしめてくれた。
おじいちゃんは、シベリア抑留を経験していた。満州で警察官をしていたおじいちゃんは終戦時に捉えられ、6年間も旧ソ連で重労働を課せられた。毎日毎日あらゆる労働をさせられた。寒さでどんどんと仲間が死んでいった。次は自分か、という不安に怯えながら、おじいちゃんは必死に耐えた。そんな苦しい日々の中で、たった一ついい思い出があった。4年目の春のことだった。
収容所近くの畑で、現地の人たちと一緒に働くことがあった。そこにとても美しい顔だちの若い女性がいた。彼女は“ナターシャ”と呼ばれていた。おじいちゃんはいつのまにか目で追うようになっていた。おじいちゃんは、ナターシャをもっと見ていたかったが、あんまりじっと見ていると監視官に怒られるので、チラ見して、残像を脳に閉じ込めた。そして、会えない時は、脳の中のナターシャを見つめた。次の年の春も、同じ畑でナターシャに再会した。おじいちゃんはまた見つめた。監視官に見つからないようにできる限りさりげなく、そして、すさんでやせ細った精神に栄養を与えるように見つめた。一度も言葉を交わすことはなかった。でも、ナターシャのおかげでおじいちゃんはつらい日々を乗り越えることができた。そして、その次の年、春が来る前に、日本に帰れることとなった。最後にひと目、会いたかったが、それは叶わなかった……。
おじいちゃんからこの話を聞いた直後、私は疑問をぶつけた。
「あれ? おじいちゃんその時、おばあちゃんと結婚してたんちゃうの? ってか、私のお父さんも生まれてたよな?」
と聞くと、おじいちゃんは笑って、そうだ、と認めた。
「んだども、好きになったもんはしょうがね」
「まあそうやんね。過酷な生活してたんやから、好きな人の一人や二人いてないと、やってられんよね」
おじいちゃんは、また笑った。
「そのおかげで、おじいちゃんは日本へ帰ってこれたんやし。おばあちゃんもお父さんたちも安心して暮らせて、お父さんは無事成長してお母さんと出会って、結婚して、私と妹も生まれて・・・ちょ待って。ナターシャおらんかったら、私ら姉妹、生まれてないやん!」
「んだな。わしがシベリアで死んでた」
「マジ? うわぁ、ナターシャに感謝やなぁ」
笑っていたおじいちゃんが、
「なあ、梨多」
と、私の名前を呼んで、もう一つ秘密を教えてやるべ、と言った。
「おめえの名前、わしが付けたべ? そこにナターシャをしのばせたんだ」
「え?」
ナターシャから、ナとシをくっつけて、ナシ→なし→梨、そして、タ→多にして、梨多という名前にしたのだという。私は春生まれだ。春に喜びをくれた女性の名前をつけたかったんだ、とおじいちゃんは言った。
「ロマンティックはいいけどさー、私、梨多って名前で、けっこうからかわれてんで。『梨が多いって、何? 梨好きなん?』とか『男みたいやな』とか」
ふくれっつらで言うと、おじいちゃんは、すまねぇかった、とまた笑った。そして私は、おじいちゃんに気になっていたことを聞いた。
「でもさ、その話、なんで私らが生きてるときに教えてくれへんかったん?」
お墓の前では、お坊さんがお経をあげている。初盆だから、豪勢な法要をしてくれたのかぁ悪いなぁ、と思いながら、私はお墓の側面に新しく刻まれた名前を見た。
長峰 梨多 享年三十八才
そう。私だ。
もちろん、『長峰 五郎』というおじいちゃんの名前も刻まれている。おじいちゃんが亡くなったのは、私が小6の時、25年前だ。
天国のおじいちゃんは、25年後に死んだ孫の私を、三途の川の入り口に迎えに来てくれたのだ。ナターシャの話は、その三途の川べりを歩きながら聞いたのだ。そして、話の最後に、私はあの問いを投げかけた。
「でもさ、その話、なんで私らが生きてるときに教えてくれへんかったん?」
うーんと唸って考えているおじいちゃんに、私は続けた。
「ほら、私が小学生の時、一回だけおじいちゃんと散歩したやん。あんときにでも話してくれたらよかったのに。おじいちゃん一言も話さへんから、沈黙でマジつらかってんで」
「小学生にナターシャの話はできねえべ」
おじいちゃんと私は顔を見合わせて笑った。
「他に誰が知ってるん? ナターシャのこと」
「誰にも言ってね。梨多が初めてだ」
「わー! これって『あの世にまで持っていく話』ってやつ?」
「まあ、そうだ」
「わー『リアルあの世まで持っていく話』聞けたぁ~すごいなぁ~」
大きな声で笑うおじいちゃん。
「おじいちゃんがこんなに笑うの、初めて見た」
そうだべか? と笑顔のおじいちゃんを見て、私は、安心した。
「こっちの世界も、いいところなんやね」
「もちろんだべさ」
と言うおじいちゃん。
「よかったー」
死んだ直後で、あの世は怖いところかも……とビビっていた私は、あの時、心の底からほっとしたんだっけ。
私は今年の春に死んだ。今の私はとっくにあの世の住人だけど、“初盆”だし、主役だし、と、お墓にやってきた。長い闘病生活で、すごくつらかったけど、家族とちゃんとお別れできたから、よかったなーって思ってる。それは家族も同じなのかも。だってみんなすっきりした顔をしているから。
お経が終わって、お坊さんが帰ると、みんなでお供えした団子を食べ始めた。あー私にも一個! と思ったが、食べられないことを思い出した。あー食べたかったなぁ・・・。
「あの子、大丈夫やろか?」
お母さんがふいに言った。
「何が?」
と、お父さんが聞き返す。団子に口の水分持っていかれたのか、ペットボトルのお茶を飲んだ。
「いや、梨多って方向音痴やったやろ? だから、あの世で道、間違えてへんやろか思て。心配やわぁ」
「北と南を間違える天才やったからな、梨多は」
うわぁやめてや。恥ずかしいなぁ。でもお母さんお父さん、安心して。おじいちゃんが三途の川に迎えにきてくれたから。しかも、おじいちゃんの秘密の恋の話聞けたんやで~。あーみんなにも言いたいわー。
「それ言う? 方向音痴は、誰に似たんだべか? 梨多ちゃんは、お義姉さんのDNAを受け継いたんだべ」
そう言いのけたのは、お父さんの妹だ。叔母さん、ナイスツッコミ! お父さんもすかさず、お母さんにツッコむ。
「そうや。梨多の心配する前に、自分が死んだときの心配せい」
「そやな!」
あははは……って、いやいやお墓の前で爆笑する家族って、どうよ? すっきりしてるとはいえ、初盆ですよ! 初盆! みなさーん、忘れてませんかー。
「ま、その時は、迎えに来てくれるわ。三途の川まで、梨多とおじいちゃんが」
と、言うと、うっすら涙を浮かべるお母さん。私は聞こえない声で、答えた。
『お母さん、私が迎えに行くから、安心して! でも、おじいちゃんはムリやねん』
そう。おじいちゃんは迎えに行けない。ここにもおじいちゃんは来ていない。おじいちゃんはもうあの世にはいない。なぜかというと・・・。
団子を食べ終え、みんなが墓地の階段を降りているとき、お母さんのケータイ電話が鳴った。私の妹からだ。
「はい! え? 産まれた? 母子ともに健康! よかった~」
私の妹は、臨月だったので初盆の法要に来られなかった。そして今日、無事出産した。
「え? 男の子? そう!」
女の子が続いていた妹の3人目の子供は、待望の男の子だった。そう、おじいちゃんがいなかった理由は、妹のお腹にいたから。そう、おじいちゃんは妹の子供として、輪廻転生した。本当、信じられない。神様も粋なことしはるわ。
おじいちゃん、いってらっしゃい。今の日本は平和だよ。戦争のない人生、楽しんでね。 それから、あなたのお母さんで、私の妹を、よろしくお願いね。頼んだで!
おわり
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
私のおじいちゃんは、シベリア抑留の経験者でした。いつか、シベリア抑留のことを物語に書きたいと思っていて、それがやっと実現したのがこの短編です。
おじいちゃんに『ナターシャ』的な人がいたかはわかりませんが、最悪の状態でも何か一つでも希望があれば、生き抜く力になるのではと、このエピソードを考えました。
実際、おじいちゃんは、シベリアでのことをほとんど語りませんでした。よほどつらい体験だったのでしょう。それでも必死に生き伸びて、日本に戻ってきてくれたから、孫である私はこの世に生まれることができたんだと思っています。感謝しかないです。
今の日本は、確かに戦争のない平和な国だけど、もっと愛があふれるように祈りながら、今日も物語を書いていきます。
本当にありがとうございました。
毎月、4日と18日頃に短編小説を投稿していきますので、ぜひ、また読んでいただけると嬉しいです!