フロム
「………それで君は気がつかなかったワケ? フハハハハハハ!」
「……ああ」
アジトの一室、ハカセの研究スペースで不愉快な笑い声が響く。
地下の部屋であり、柔軟運動もできないほどの散らかり具合であることも助けて、声は反響して逃げ場なく俺を攻め立てる。
「ま、それは置いといて! てことはだ、オンちゃんは今トカゲくんのアジトにいるワケだね」
「ああ、すぐに取り戻す」
オンを攫われたのは完全に俺の油断だ。言い訳はしない、早急に取り戻すだけだ。
「それにしても……ククッ……キミがミスをねぇ……プククッ。まぁ人には間違いはある、キミはおおかた奥さんがらみのことかなぁ?」
何が面白いのか必死に笑いを堪えている。
「……謝罪はしない、借りは行動で返す」
「へぇ、リエドらしいじゃん?」
階段を下る音と共に男2人のむさくるしい空間に不相応な声。若さ、青春の期待感を形にしたようなのびやかで元気な声、サンゴだ。
「ハーイ、リエド! 元気? サンゴちゃんだよ!」
「ボチボチだ」
「にゃはは、暗い暗い! そんなんじゃ運気も大事な人も逃げちゃうよ?」
……鋭いな。
「ありゃ? サンゴ、マズいコト言った?」
「フフフ、まさにジャストミートさ真芯で捉えたね! なぁリエド!」
「……本題に入ろう。サンゴ」
「はいはーい、失言は情報で返すねー」
サンゴは軽く咳払いすると、表情を真剣なものにさせる。そそくさと制服と揃いの学校指定のカバンから数枚の用紙を取り出し手渡される。表紙には右端が丸く欠けたハートの紋様がプリントされている。
ハカセといいコイツといい、いつも調子が軽い。が、どちらも腕だけは信用できる。
「はじめにおさらいしよっか。今回の事件は案の定『ミューテ―ション』、縮めて『ミュート』が絡んでるよ」
「ああ、例のトカゲがそうだろう」
「昨日交戦した対象のことだね、彼は『ミュート』を使っている、それもかなりの頻度で。『変異』が起こるくらいにね」
『ミュート』は使うほど体に変異が定着する。ヤツを例にするならトカゲの尾だろう。
一度目の使用であれば、見た目には何の『変異』が現れず身体能力向上がせいぜいだ。これまで出会ったミューテーション事件犯はこの状態がほとんどだ。
「『ミューテ―ション』謎の銃弾と呼ばれて、撃たれちゃった対象は発砲者の意志で変化しちゃう。それがサンゴ達の追う目標」
「……いまさらだな」
「おさらいって言ったでしょ! ぅぅん……それでね、今回ってかなり異例の事態なわけ」
「確かにあそこまで『変異』したヤツは珍しい」
「そう! こんなケースは去年の秋遭遇した、『百合ヶ丘』の件以来だ! 捗るぞ!」
かぶりを振って横やりを入れてくるハカセ。百合ヶ丘......ある姉妹の事件だ。
確かにあの姉妹は変異の行きつく先の一つだろう。
2人は仲の良い善良な姉妹だった。ことの発端も善意によるものだから、結末は余計に胸糞悪く、思い出したくもない。
「今は“あの時”に似てる、まぁその時はサンゴいなかったんだけど......データを見る限り同じかそれ以上にヤバーい感じ」
「もう少ぉ―し放置すれば素敵なデータが取れそうなんだけど、オンちゃんが攫われてるからねぇ……」
「時間が惜しい、本題に入ってくれ」
「はいはーい! じゃ、資料の五ページを見て」
サンゴは手振りをしてページをめくるよう促す。
そのページには古めかしい本のコピーとそれを補足するサンゴの文章がつづられていた。
古本に羅列する文字には英字が用いられている。
「ほーこれはドイツ語だね、かなりの年代物だ。それにずいぶんとファンタジーな内容だな年心をくすぐられる! なぁリエド!」
「……」
「サンゴ、ドイツ語読めないから解読に苦労したよー......コホン、この本は15世紀中ごろから終わりの頃に刷られたもので、グーテンベルクって人が旅人に恩を返すために作った……らしいよ」
「情報源は例の友人かい? 大した知識だねぇ」
「そう……悔しいけどアイツの手柄。彼女ナシ、遊びの誘いもオールキャンセルのホント青春とは程遠いヤツだけど、やたら物知りなんだよねー」
「……」
「う、睨まないでよ」
睨んでるつもりはなかったが、話が早く済むならそれに越したことはない。
サンゴは睨みの返しとばかりに今日一番の笑顔を向けて続けた。
「ときにリエド、龍人ってご存知?」
□□□
「あー……あー!」
気がつくと真っ暗やみの中にアタシはいた。
声の反響からかなり小さな部屋にいるようだ。
「……それでアイツを捕まえたわけだ。案外甘いんだな」
「イチかバチかだったが、ちゃんと血のかよった人間らしいな。おかげで無傷で手に入った」
部屋の外からは話し声が聞こえる。アタシのことを話してる、こんなモテモテ勘弁してよ。
ぐぐもっていて良く聞こえないけど、声の主は男の二人組だ。
先の会話以降、声が途絶えたけど近くにいるだろう。
つまり部屋から出れたとしても逃げる間もなく捕まるのが目に見えてるわけだ。
(明かりくらい点いてくれないかな……)
手探りで部屋を調べてみようと思いたつ。
足元を探る、カーペットが敷かれここが洋室であることが分かる。そこから移動して付近を探るとすぐに壁にぶつかる。
右に方向転換すると今度は机にぶつかる。イスもセットの木製で高さは普通の学習机ほどだ。机上にはノートを鉛筆など、特筆するものはない。
反対側に這いずるも収穫はナシ。
最後に声の聞こえた方を探ると軽い金属の扉を見つけた。ノブをひねるも、当然鍵が閉まっている。
手の打ちようなしと判断して一度机を調べようと振り返ると、右側から風の抜けるような音が聞こえる。
恐る恐る近づくと指先に弾力のある冷たい何かが触れる。
「うわぁっ!?」
予想だにしない感触に思わず声が出る。
気味が悪い感情を抑えて掌を押し当てると、微かに風の音が乱れた。
掌の中の物体は丸みを帯びていて先にいくほど細まっていく。このさわり心地、どこかで覚えがある。
必死に思い起こそうと感触の記憶をひっくり返していると、遅れて思いが通じたかは分からないけど頭上のライトが点灯する。
突然の出来事に視界が眩む。
徐々に視界が明らかになると目の前には奇妙な黒髪の少女の姿が映った。年の頃はアタシと同じくらいに見える。
その顔は紅潮していて恥ずかしさ半分、怯え半分といった感じ。
奇妙なのは、その姿がメイド服であることと、何よりも肌の大部分を覆うトカゲのような鱗、そしてスカートから先細りの尾が覗いていたことだ。




