チャンス
扉の向こうの騒音を受けてアタシは反射的に部屋に踏み込んだ。
無秩序だ。
元から整然ではなかった空間ではあるものの、先ほどは各々のスペースにはきちんとした境界があった。しかし今では書類は床に落ち、いくつかのデスクがひっくり返っている。
秩序を欠いた光景は襲撃者の存在を確かにさせた。
「オクヤマさん!」
障害物をかきわけて進みつつ声をかけるが返事はない。
辺りに倒れている姿も見えないから無事だとは思うけれど…
ふと交番の入口付近に気配を感じる。
「オン……」
逆光に大きな人影が浮かんでいる。
そして低く響く聞き覚えのある声。
「リエド……! なんでここに......ううん、それより何をしてるの!」
「捕まったお前を取り戻しに来た。帰るぞ」
リエドはいつもと変わらない調子だ。
目的のためなら手段は選ばず、周りの被害も顧みない。
それでいて痕跡は残さないのだから相棒としても驚きだ。
「相変わらずメチャクチャするんだから……って何!?」
突如リエドの巨体がゆらめいた、その表情は険しい。
次第にその顔は紅潮していく。
「だれか……いる……な!」
「いきなり無茶なコトしてくれるじゃないか、キミ」
息も絶え絶えの言葉に答える声、
「オクヤマさん!?」
声をかけるとリエドの背後が陽炎のようにゆらめく。
姿を現したのはオクヤマだ。
「ああ心配ない無事さ、私はね」
「いま……姿が消えて……」
「ああそれも心配ない。私の能力、背負った業さ」
「オクヤマさん『チップ』を……」
「……ずいぶん余裕だな」
体勢を整えたリエドは片手で煩わしく拘束者を投げ飛ばす。
オクヤマは机の散乱する部屋の端に突っ込み書類をまき散らして小さくうめいた。
「……行くぞオン」
調子を戻したリエドに声をかけられる。
有無を言わさぬ響きだ。けど……
「駄目、まだやることがあるの」
まだオクヤマの真意を確かめていない。
部屋の隅、オクヤマのいるであろう場所に近づく。
「……キミの相棒はどうやら話が通じないらしい。悔しいけどキミを助けることはできないみたいだね……」
どうやら無事だ。
が、その表情は苦し気で額からは血が滴り頬をつたい、肩で息をしていて足元もおぼつかない、とても戦える状態ではないだろう。
そのあり様で彼女の覚悟は十分理解できた。
「助けようとしてくれたこと、感謝しています。でもアタシは帰ります」
「キミが心から決めた事なら文句はないよ。けど脅迫されて……」
「これはアタシの意志です! なんだかんだリエドは相棒で、なにより“やるべき”事がありますから」
「そうか……それならいいんだ、私が心配することはないのだろう」
オクヤマはこちらを正面から見据えて、ゆっくり告げる。意志の固さを確かめるような視線に妙に緊張する。
言葉はそこで途切れず続いた。
「だけれども、私にも信念がある、いかなる理由があろうとも、子供は子供らしくあるべきだ。そう思わないかい?」
最後の言葉はリエドに向けてだ。
「フン、もういいだろ。行くぞオン」
リエドは背を向け交番の外へ出る。
「オクヤマさん……」
「もう行くといい、この場は引くよ。悪いけど諦める気はないけれどね」
手を振り帰るようにこちらを促す。その表情はいつも通りだ。
アタシは軽く礼を一つしてリエドの後を追い交番を後にした。
外はまだ明るい、5月であることを考えても夕方くらいだろうか。
交番の正面は道路を挟んで軽い草原の坂になっていて、下る先は河原になっている。なんてことはない普通の景色だ。
リエドは交番から右側の道路を歩いている、早く追いかけなくちゃ。
視線を道路に向ける最中、ふと屋根のある休憩所が目に入った。正確にはそこにいる人影が目についた。
(あれは、警官の制服?)
濃い紺色の腰丈の服、それと同色のズボン。ついさっき見た通りの出で立ち、間違いなくあの交番の関係者だ。
(……マサヒロに伝言を頼むくらい構わないよね。それに本人かもだし)
心の中で免罪符を発行。
心なしか駆けよる足が弾む。
□□□
休憩所は正方形の屋根に3、4人が休めるほどのベンチが4辺に並ぶ小規模な物だ。
近くによると声をかけるより速く屋根の下の警察官は振り向いた。マサヒロだ。
けどその表情は優しいものではなく、どこか苦しそうにも見えた。残り距離は3メートルほど、苦しさの満ちる切れ切れの声が彼の口から漏れた。
「オンちゃん……に……」
続く言葉が聞こえる前にマサヒロはレンガの床に背中から倒れ伏した。
「ちゃんと言えよ、『逃げろ』ってな」
聞き覚えのある粗野な声。思い出したくもない、最悪だ。
マサヒロの倒れ、後ろにいた男が姿を現す。場所の雰囲気から大きく浮いたローブ姿、足元には鱗がびっしりのトカゲの尻尾がのぞく。ざらざらと床を撫でて挑発している。
「トカゲ男……!」
「一部始終は見せてもらったぜ、ヤツは遠く離れ、ここにはお人よしのガキと大人だ。分かってるよな……今度こそついて来い」
「それはっ!」
「うぐっ!」
トカゲが転がる彼の肩をその尾で打つ。鈍い音と遅れてうめきが聞こえる。
「交渉の余地もないか。いいわ! アンタに付いていく」
「へぇ、抵抗もなしか。健気なもんだな、けどな!」
トカゲの尾が先ほどより大きく振りかぶられると、ふと姿を消す。一瞬間を置き破裂音が響き、マサヒロは柱を倒さんばかりの勢いで激突する。放り出されたマサヒロはピクリとも動かない。
目は動作を認識する。けれど体が反応する前に仕打ちは済んでいた。
「そんなっ!」
我ながら情けない声をあげた。
「ケッ……悪いな、コイツはなんでか会うたびイライラさせる」
「ついて行くって言ったのに! 最低……っ!」
「まぁ、死んじゃいねぇだろう。これ以上問答しても無駄だな、行くぞ」
抵抗しても無駄だ、悟ったアタシはトカゲに捕まり脇に抱えられる。
トカゲは川を正面に向き直り姿勢を低くする。次いで大きな鼓動が聞こえて、脚と尾を隆起させた。次の瞬間にもあの大跳躍は始まるだろう時、微かな声を聴いた。
「オンちゃ……かならず………たすけ……」
生きていた! あれだけの仕打ちでも。
抱えられて姿は見えない。でも声だけで十分だ。
それに……
跳躍が始まる。
ごう、と鳴り響く風の音。空気の壁の重圧に耐えていると、それが次第に浮遊感に変わる。下を見れば落ちたら死ぬ高さ、思わずトカゲとは逆の左側を見る。
そこには黒い鳥が見えた。カラスだ。
視線を嫌がるようにカラスは川の向こうの路地に下降していく。
カラスのその瞳は貪欲に餌を求めているように見えた。確か雑食なんだっけ……
アタシ達、人間にはゴミに見えるものも彼らには宝だ。
今のアタシの状況、これはチャンスなのかもしれない。
アタシはこれからトカゲのアジトに運ばれる。けど、リエドは新装備を整えて万全の態勢。それに時間を稼げば支援も期待できる。
これはチャンスだ、間違いない。
顔をトカゲのローブ頭部に向ける、暗闇からは爬虫類を思わせる瞳がのぞく。
「ふん、口は減っても、その目は諦めたって風じゃねぇな」
「……どうでしょうね?」
「やっぱ口も減ってねぇな。ま、気力が無くちゃこっちも困る」
「?」
それきりトカゲは口を閉じた。
長い浮遊感の中、アタシは一つの決意を抱き、考えを巡らせた。




