スミス
“スミス”アタシがそう呼ばれるようになったのはリエドとその仲間と出会ってからだ。
それより前は名前なんてなくて、“ガキ”とか“嬢ちゃん”って呼ばれていた、気がする。正直に言うとあんまり記憶がはっきりしない。
“スミス”無骨で女の子っぽくないあだ名で気に入らなかった記憶がある。
抗議の声をあげると、リエドが『“オン”ならどうだ?』っていって仕方なく了承した。
それからアタシは“オン”になった。
はっきりと思い出せるのはそれからの記憶で、アタシは名前をもらって初めて人生が始まったのだろう。
過去の事はあまり気にならなかった。不思議と今を楽しもうって気でいっぱいだった。
昔、嫌なことがあったのかも。
ともかく、新しい人生を始めたアタシは自分のいるべき場所を探し始めた。
その場所はきっと安心と幸せに溢れているに違いない。
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頭が痛い。
それも割れるように。まるで空手家が重ねた瓦をたたき割るように頭皮、頭蓋骨、脳、それぞれが痛みを発しているようだ。まぁ感覚だけど。
痛みを認識したら意識がはっきりしてきた。
「……ですから、公園で気絶していたので保護したんです! 誘拐じゃありませんってば!」
声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。
「……警官さん……?」
痛みをこらえながら、重い瞼を持ち上げて声の主に問いかける。
アタシはソファーに寝せられていて、周りには書類の積まれたデスクが点在している。
デスク二つほど向こうに声の主の姿が見える。誰かと話しているようだが、警官と重なり姿は見えない。
「ああ! キミ、目が覚めたんだね!」
あの人の良い笑顔を浮かべながらアタシの方へ向かってくる。
「あの、助けていただいてありがとうございます!」
精一杯の笑顔を込める。
「ああ、無事でよかった! キミ公園で倒れてたからね。それよりちょっと来て!」
手を取られてデスクの奥に連れられる。
そこには気だるそうにした肩ほどまでの黒髪の女の人がいた。
「おはよう、よく眠れたかな?」
「あっはい。えっとアタシ、オンっていいます。このたびは助けていただきありがとうございます」
「これはどうもご丁寧に。私は交番所長のオクヤマ。コイツに変な事されなかった?」
警官を指さしながら問うその顔にはイタズラ心が浮かんでいた。
「いいえ、警官さんはアタシを守ってくれました」
隣で警官はうんうん頷いている。けど少し思案する様子もある。
「守ったなんて大げさだな、僕はキミが倒れているのを見て保護しただけさ」
「え……」
おかしい。命を懸けてかばってくれたことを覚えていないかの素振りだ。
もしや頭を打っていたし記憶が曖昧なのかもしれない。
だとしても感謝の気持ちは変わらないけど。
「それと、まだ名乗ってなかったね。僕はマサヒロ、よろしくねオンちゃん」
思案していると彼が丁寧に名乗った。
マサヒロ、たぶん『正』しいという文字が入っているに違いない。印象通りの名前だ。
「自己紹介も終わったところでマサヒロ、キミはパトロールに戻りなさい」
「ええ! まだ噂の犯人は見つけていませんから、オンちゃんをお願いします!」
それならアタシも! と、言いかけたところで肩をつつかれ遮られる。
振り向くとオクヤマが表情を変えず小さく呟いた。
「スミス」と。
「それじゃあ、いってきます所長!」
勢いよく交番を出ていくマサヒロ。ついていきそびれた。
今はそれより、
「なぜ……その名前を……?」
「……とりあえず場所、変えようか。ついてきて」
なおも表情を変えず奥の部屋に促すオクヤマ。
『スミス』という名前はリエドと仲間たちしか知らないはず。
とにかく放って帰る訳にもいかない。
ここは彼の上司ということで信頼してみよう。
それども、もし彼女が危険人物だというなら戦う覚悟がいるだろう。心だけは臨戦態勢でいこう。
案内された部屋にはテーブルと一対のソファーが置かれた応接室。壁にはスチール製の棚に多くのファイルが収まっている。
「……オクヤマさん、素直に聞きます。アナタは敵ですか、味方ですか?」
「それは……見方によるな。私個人であればキミに味方したいと思っている」
「じゃあ警察官としては、敵……かもしれないと」
慎重に言葉を選ぶ、こっちに敵対の意志はまだない。
「正体不明の2人組、一方は大人の男、もう一方は小さな女の子。その2人組は同時期に発生し始めた、これまた正体不明の銃弾『ミューテ―ション』を使う輩を次々と潰し始めた。なんて噂が数年前から流れている」
「どこの情報ですかソレ……」
「ヒ・ミ・ツ」微塵も表情を変えず言葉のリズムで指を軽く唇に当てる。うさんくさい。
「でだ、私はこの2人組になんとか接触できないか、と思った訳だ。調査は足で稼げとの先人の言葉を受けて私は過去の現場を洗ったが、成果はなかった。そこで一つ策を立てた」
人差し指を立て彼女は続ける。
「話は簡単、『ミューテ―ション』を持つ者を追跡したのさ。方法は企業秘密ね」
またも唇に人差し指を立てる。
「すると先日、この町の下水道に例の危険人物が逃げ込み、2人組が姿を現した。という訳さ」
方法は謎、でも情報は正確。事前に危険があると分かっていながら対策をしないのはおかしい、けど。
まず彼女の真意を知るべきだ。
「それで、アナタの目的は……」
「小さな女の子を連れて戦う男の話はどうにも違和感があった。どんな事情があっても子供はこの事件に関わるべきじゃない、それが理由さ。腐っても私は警察官だからね」
……この人はマサヒロの上司だ。きっと正義の心を持ち、その心のままに行動する善人だ。
顔も名前も知らないアタシの事を案じてくれるのは素直にうれしい。
「ま、すぐに片付く話じゃないことは分かってるさ。詳しい事情は知らないけれど、キミ自身の事や、相棒君以外にもきっと仲間がいるだろうし、話をつけるには多くの段階が必要だ。今日がその一歩になると嬉しいよ」
言葉と微笑みを残し彼女は、お茶を淹れるよ、とさっきの部屋に戻っていく。
静寂が部屋を支配する。
彼女はアタシを子供ではなく一人前の人間として接してくれた。問答無用で保護、と言わないことがその証拠だろう。アタシの思いを考え、尊重して、事情を話した。
正直、謎が多くて完全に信頼することはまだできないけれど、これからの話くらいは聞いてみたいとそう思う。
……ついでにマサヒロの真意を知りたいし。
一応の結論が出て、オクヤマを手伝おうと扉に手をかけた瞬間だった。
隣の部屋からガラスの割れる音、次いで派手に物が散らかる轟音が鳴り響いた。




