その2 〜 夜の女神さま 〜
ええ、今回は……、ブラック要素は控えめ……かな。
うちの店長はブラックだ。なにを隠そう、ことあるごとにお客さまを神格化してしまうのだ。
〜 夜の女神さま 〜
「おい、新人」
「なんですか」
ある日の夜、店長は私に言った。
「ちょっと眠くなってきたから、寝てもいいか」
「なんですか、いきなり。店長が眠っちゃったら私……」
「悲しむな、死ぬわけじゃない」
「いえ、そうではなくて……」
「まったく、俺がいないとお前は……、困ったもんだぜ」
半分、夢のなかだ。
「あの、私、はたらきはじめたばかりですし、特に夜のシフトは……」
「俺はもうダメだ、夜が眠りを抱いてやってきたのだから」
「は?」
「さっき入ってきた黒い服の貴婦人がいるだろう」
「ええ、シェフの自信作、『冥府の番犬もビックリ! ミッドナイト仕立てのザクロチック・ブラマンジェー』をご注文されたかたですね」
「ああ、そうだ」
店長はすでにうっとりとしていて、歌でも歌うようなしゃべり方をする。けれど、それはとうてい私をうっとりさせるような声質ではなかった。
そのダミ声で、店長はつづけた。
「あの貴婦人の香水、あれが俺にはダメなんだ。ほら、みるみる眠気が……」
「たしかに、ザ・ヨルって感じの香りではありますけど……、店長っ」
「大丈夫だ、お前は、女神の魔力に対抗するためのスペシャルドリンクを飲んだだろう」
「もしかして、まかないと一緒に出たコーヒーのことですか」
「インスタントのな」
「インスタント……って、やっぱり」
「たとえこの俺が目を閉じようと……、お前だけは……、夜の女神の思い通りには……、さ、せ、な、い……」
残り1パーセント。口もとに笑みを浮かべる店長は、完全に夢のなかへと消えていってしまう。そうなる前に……
「わかりました、店長。夜が過ぎ去り朝の光が見えたら、かならず助けにまいります」
―― 私はか弱いバイトの身。店長にはお望みどおり、黒い毛布を巻いておこう。
ニュクスは、ギリシャ神話における「夜」の神格化ですね。
ちなみに「眠り」は彼女の子ヒュプノス、「夢」はこれまたニュクスの子、オネイロスです。