第一話 殺戮と作曲のある日常風景 その1
赤咲斬耶の朝は普通の高校生と同じように、普通に始まる。
朝七時半に起きて、通学の為の準備を行う。
「ふわぁ。眠いな」
赤咲は目をこする。若干の寝不足気味であるようだ。
「連休を利用して、張り切りすぎたのが不味かったか。でも……あの悲鳴と表情。あれはインスピレーションの鮮度を大事にしないと勿体無いよな。……とりあえず濃いコーヒーを入れて頭を覚醒させるかな」
ポットから熱いコーヒーをマグカップへと注ぐ。
そしてそれをブラックのまま、一気に飲み干す。
熱い刺激とカフェインの脳を活発にさせる作用が働き、一気に脳が覚醒する。
「ん。頭も冴えてきたし大丈夫!」
調子が戻って来ると素早く制服へと着替えて学校へと向かう。
家から学校までの距離はそれほど遠く無い。
歩いて十五分。走れば時間は十分と掛からないだろう。
途中にコンビニで朝食のおにぎりとお茶を購入して、それを素早く食べ終えると学校は間近に迫っている。
「おはよっ、斬耶」
「隆か。おはよう」
すると、後ろから明るい声。
赤咲のクラスメイトの大野隆。
大野は明るい性格もあって、クラスにも友人が多い。
「斬耶さ。数学の宿題やってきたか。実は俺忘れちまってさ。頼むから見せてくれねー?」
「またかよ。これで今月に入って三度目だぜ。そろそろ自分でもやれよ」
お約束のようなやり取りである。
大野がじゃれ付くように肩に手を回しながら赤咲へ宿題を見せるのを頼む。
そしてこの後のやり取りもお約束である。
「いやさ。分かってるんだけどよ、いざやるぞっ! ってなると、どうにもやる気が出ないんだよ。わかんないかなそういう気持ち」
「まあ気持ちは分からなくもないけどさ」
「だろ」
大野は交渉が上手い。
決して論理立てて話を展開するというわけではないが、その話し方と表情が相手を不思議と納得させてしまう。
―もしかしたら、将来大物になるのはこういつやつなのかもな―
そんなことを赤咲は思ってしまう。
その後も赤咲と大野は他愛も無い話を続け、やがて学校へと着く。
教室に入り、隆に宿題のノートを渡す。
「ありがとな斬耶。昼は奢るから」
「購買じゃなくて学食な」
「ああ、もちろん」
それだけ言うと大野は自分の席に座り、ノートを書き写すことに専念する。
―まだ時間はあるか。さてこれからどうしようかな―
赤咲が持て余してしまった時間をどうするか考えようとした所で、前方から一人の女子が声を掛ける。
「また宿題を写させてあげていますの。いい加減自分でやるように言ってあげませんと、彼のためにもなりませんわよ」
彼女は綾瀬川結。
その容姿は説明すると、顔立ちは北欧系を思わせる美人。
髪は眩しいばかりの金色のストレートロングヘア。
母方の祖母がスウェーデンの出身らしいので、その血を色濃く受け継いだのだろう。
その上、両親は超がつく一流企業を経営しているので生粋のお嬢様でもある。
その容姿と家柄であるなら本来は男子から凄くモテテいても違和感は無いが、逆にあまりに凄すぎるために男子生徒からは高嶺の花のように扱われている。
「なんだ。見てたんだ」
「ええ、偶然耳に入ったので」
しかし、赤咲はその容姿に気おされる事もなく、平然と言葉を返す。
そのために赤咲が綾瀬川と言葉を交わす頻度は決して少ないものではない。
「そうは言っても、あいつも陸上部で忙しいんだろうし、しょうがないかなって思うんだ。大会も近いみたいだから、今は特別さ」
「あいかわらず甘いですわね。赤咲は」
「そういうなって。それに俺はもしもお前が同じように宿題を忘れたなら、別に見せてやらなくはないぞ。確か来月だろ。ピアノのコンクール」
「あら、覚えてましたの」
綾瀬川は意外そうな表情を見せた。
だが赤咲は意識せずに優しい言葉を返す。
「ああ。だってお前のピアノは結構好きだから」
「……そっそう。じゃあその時はお願いね」
「ああ。任せておけ」
その時の綾瀬川の表情は少し赤くなっていたが、赤咲は特に気には止めなかった。
その後しばらくして、宿題を写し終えた大野からノートを返してもらい、しばらく話しこんでいると、始業のベルが鳴り授業が始まる。
授業は特に難しい物ではなく、赤咲は順調に午前の授業を消化していった。
そして、昼となる。
「さて、学食行こうぜ。隆」
「ああ。行こうか」
赤咲は隆を誘って二人で学食へと向かう。
「さてと、何にしようかな」
「おいおい。あまり高いものは勘弁してくれよ」
「ああ。一応は財布事情も考慮に入れてやって……じゃあきつねそばにするよ」
「オッケ。じゃあ俺はかけうどんで」
注文が決まると、食券を購入して注文した物を受け取り、席に座る。
二人で食事をするのは今では普通の事となっている。
「そうだ。斬耶。今度マリア5の新曲が出るらしいぜ。俺ファンなんだけど、今度コンサートもあるらしいから、一緒に行こうぜ」
「ああごめん。俺、そういうアイドルのコンサートってあまり好きじゃないんだ。なんと言うか……ああいった独特の雰囲気はさ」
赤咲は複雑な表情を見せて断る。
「そっか。残念」
「悪いな」
大野は残念そうな表情を見せていたが、赤咲は内心では少しばかり焦っていた。
なぜなら先ほどのマリア5とは、現在赤咲がペンネームを使って音楽プロデュースを担当しているアイドルグループだからである。
新曲というのは、恐らくは昨夜徹夜して作った曲になる。
だが、赤咲はそれを決して公言しない。
学校内でその事を知っているのは、教職員のごく一部だけだ。
赤咲は高校にいる間だけは、音楽の作る作曲家でもオブジェを作る創作家でもない、普通の高校生でいる事を決めていたからだ。
決して作曲家というのがばれて、皆の目が変わることを恐れているわけではない。
だが、せっかくの高校生という人生で三年しかない充実した面白い期間を、大人気アイドルのプロデューサーという特殊な状況へと変化させてしまうのはあまりに勿体無い。
そういう特殊な状態への大きな変化は、最後の半年程度なら面白いかもしれないが、今はまだ時期尚早である。
その為に赤咲は、自分の正体がバレタのかとほんの僅かに驚いた。
「まあいいや。でも斬耶ってアイドルのコンサート苦手なんだ。知らなかった」
「ああ。まあな」
けれど、幸いにも全く気付いてはいなかった。
大野は赤咲の心中など全く知らずに、目の前のうどんを再び食べ始めた。
―……そっか。隆はマリア5が好きなんだ。俺の音楽を聞いてる奴がこんな近くにいるっ
てのは何だか変な感じだな―
赤咲も落ち着くと、そんな事を思いながらソバを食べ続ける。
その後も二人は雑談をしながら食事を続け、昼食休憩は終わった。
午後の授業も特に何事も起こらない平和な物だった。
赤咲は授業と帰りのホームルームを終えると隆に別れを告げて、すぐに教室を出る。
今日は新曲の打ち合わせがあるので、あまりノンビリしている余裕は無かった。
打ち合わせの事務所は、学校から電車を利用して三十分はかかる。
その為に急いで赤咲は事務所へと向かった。
本編1話投稿です。