第五話 キリング ノット アート その4
そして翌朝。
マリア5のメンバーは仕事のために、今は病院にはいない。
赤咲も仕事の連絡があり一度事務所に出向いてから、再び病院へと戻っている。
病院に着くと、桜は既に目覚めているらしく、面会謝絶でも無いので赤咲はすぐに病室へと通される。
「あっ、斬耶」
病室に入ると、元気な桜の声が耳に入る。
その様子には赤咲もすっかり安心してしまう。
「よっ桜。無事でよかったよ」
赤咲も、いつものような明るい口調で話しかける。
「そういえば両親は? 昨日の夜はいたし、てっきり先に面会してると思ったんだけど」
「うん。さっきまでいたんだけどね。着替えを取りに戻るとかで帰っちゃった」
「そっか」
桜のベッド脇にある椅子に赤咲は座る。
桜は手術直後ということでまだ体を寝かせているので、自然と赤咲は桜を見下ろす形になる。
「退院には時間掛かりそう?」
「ううん。内臓とかは傷ついてなかったから、一週間ぐらいで退院出来るみたいだよ」
「そうなんだ。昨日の様子だと、かなりやばそうだったから心配したけど……大事じゃないならいいな。安心したよ」
「うん。傷痕も目立たないみたいだから、アイドル活動も続けられるみたい」
「そっか。それは何よりだな」
言いながら赤咲は桜の頭を優しく撫でる。すると桜も目を細めてくすぐったそうな笑みを零す。
「くすぐったいよ」
「そっか。なら止めようか」
「ううん。続けて」
「了解」
赤咲は続けて桜の頭を優しく撫で続ける。
しばらくの間、桜はその気持ち良い時間に身を委ねる。
「ありがとう斬耶。それから……ごめんね斬耶」
「おいおいどうしたんだよ桜。なにを謝ってるんだ?」
突然の桜の謝罪に赤咲は不思議な疑問を感じ取った。
「えっとね。せっかくのプロモーションビデオだけど……撮影にはちょっと間に合いそうにないから。さすがに海で泳いだり激しい運動するのは、一ヶ月は控えないと駄目だって」
「ああ、そういうことか。それなら別に構わないよ。撮影は延期してもらえそうだから」
「えっ? そんなこと……」
赤咲のそっけない言葉に、今度は桜が疑問を覚えた。急なスケジュール変更が出来るほど、余裕のあるスケジュールでは無いからだ。
「まあ普通だったらかなり難しかったんだけどね。事情が事情だからさ。社長が各方面に取り合ってくれてる。さすがにメインボーカルの桜が不在だとプロモ撮影も無理だしね」
「そっか。けど……いろんな人に迷惑かけちゃってるね。ドラマの方も大変な事になると思うし……」
「ドラマ……そういえば、連ドラって最終回はまだ撮影が終わってなかったんだっけ?」
「うん。もうすぐ撮り終わる予定だったんだけど……共演者やスタッフの人たちにも申し訳ないよ」
気落ちし、いたたまれないような表情を桜が見せる。
その桜の様子に、赤咲は優しく桜の手を握る。
「桜が悪いわけじゃないよ。誰も桜を責めたりなんてしないさ」
「そうかな?」
「ああ。むしろ心配してるぐらいさ。だから落ち込んでるより、もっと元気な様子を見せたほうが皆も安心すると思うよ」
ゆっくりと諭すような口調で赤咲は桜に語りかけた。
すると桜も落ち着いてくる。
「ありがとう斬耶。何だか楽になった気がする」
そして満面の笑顔を赤咲へと向ける。すると今度は赤咲の方が動揺してしまう。
「っ? 礼なんていいさ。当然のことだよ」
ようやく素に戻り、照れて顔が赤くなる。
そしてそれを隠すために、思わず赤咲は視線を逸らし、話も逸らそうとする。
「そんなことよりさ。えっと……桜、昨日一体なにがあったんだよ? 部屋の中で待ってるって言ってたのに」
―って、俺普通に何聞いてるんだ? こんなこと聞くべきじゃないだろ―
言ってから赤咲は気付いた。昨日の今日で事件を聞くなど、無神経にも程がある。
だが、そんな赤咲をよそに桜は特に動揺した様子は見せない。
「えっ? 昨日でしょ。たしか……せっかくだから、少しでも早く斬耶を迎えようと外で待ってたんだよ。そうしたらね。突然後ろから男の人の、『桜ちゃん見つけた!』って声が聞こえたんだ。それでファンの人かなって思って振り向いたら、変な奇声みたいなのを上げて、桜を刺しちゃったんだ」
「刺しちゃったって……何だか軽いな」
想像以上に落ち着いて事件を語る桜に、赤咲は拍子抜けしてしまった。
「まあね。意外と刺された被害者ってパニックになるか、そうじゃないなら回りの人以上に冷静かの、どっちかだと思うよ。それにさ。桜の場合、痛いって思う前に意識が遠ざかっちゃったからね。でもあの時は本当に死んだと思ったよ。けど……なんだったんだろうねあれ。ストーカーかもしれないけど、桜、全く見に覚えが無いんだよね。どうしてだろ?」
「ストーカーってそういうもんじゃない? 特にアイドルなら、見ず知らずの他人からも変な感情を持たれることもあるしね。実害が来るまでは気付かないのが普通だと思うよ」
「でも、いきなり刺すまでエスカレートするかな? 普通ここまでする前に無言電話とか、怖い手紙とかありそうじゃない? もしくは部屋に忍び込んでるとかさ」
「部屋に忍び込むのはドラマだと多いけど、実際はかなり難しいよ。桜の部屋はセキュリティがしっかりしてるから、家族でも本人に連絡無しに部屋に入るのは不可能なはずだからね」
「そっか。じゃあ、あれは普通にストーカーだったのかな」
「多分そう思うけど……でもそれは警察にはもう話したの?」
「うん。でもね。凄いんだよ。朝、目覚めたらいきなり警察が事件のことを聞いてくるんだからね。本当にビックリだったよ。あれ、もしも気の弱い子なら泣き出してるよ。絶対にデリカシーとか欠如してるよ」
「まあ警察は被害者のケアじゃなくて、事件の犯人捜しの方が仕事だからね。刑事ドラマみたいな人情溢れる熱血刑事は期待しない方がいいよ」
「うん。あれは本当にそう思った」
「まあでも、それならすぐに犯人は見つかると思うから、心配しないでゆっくりと回復に努めた方がいいよ」
「うん。そうだね。一日でも早く復帰したいし」
「そうだよ。俺も皆も桜を待ってるから」
「期待して待っててね」
「ああ、そうするよ。じゃあ俺はこれで」
話のキリがいいところで赤咲が立ち上がる。
あまり桜に負担を掛けないために、長時間の会話は控えた方が良いという配慮だった。
―告白も完治するまでお預けだな―
そんなことを思いながら部屋を出て行こうとする。
「あっ、斬耶……」
「ん? どうした」
そして部屋を出る直前。
背中から桜の言葉が耳に届く。
「えっと……上手くいえないけど……斬耶も気をつけて」
「俺が? 俺はアイドルじゃないし、顔出しもしてないよ」
「そうだけど……何だか嫌な予感がするの」
「嫌な予感?」
「うん。何となくだけど……とにかく気をつけたほうがいいような……」
桜の言葉は、具体性は無いが、不思議と赤咲の心に深く残る何かがあった。
―桜の勘か。気をつけるべきだな―
「そうか。……分かったよ。いつもよりはちゃんと注意して帰ることにするよ」
「約束だよ」
「ああ。俺が桜との約束を破るわけが無いだろ」
「……そうだよね」
「何だよ! 今の間は?」
「あはは。ごめんごめん」
「しょうがないな。じゃあ俺ももう帰るから、バイバイ」
「うん。バイバイ」
桜の声を背に受け、赤咲は病室から退室していった。
更新です。
この物語も終幕でと近づいています。
最後までお付き合いください。