第四話 赤咲と少女たちの些細な誤解 その4
三十分後。
赤咲はファミレスにて、陽菜と向かい合っていた。
陽菜は電話で話したよりは、少しばかり落ち着いている。
電話の時よりも話しやすい雰囲気になっているので、赤咲も少しだけ余裕を持って話し出す。
「それでさ。えっと……恭子とのキスだけど……あれは本当に誤解なんだ」
「そう。じゃあ……私と桜ちゃんが見たあのキスは幻か何かなのかしらね」
「! 桜も見てたのか!」
陽菜の言葉に、赤咲の表情が変化する。
かなりの焦りを見せる表情へと変わったのだ。
「そうよ。桜ちゃん……もう凄く落ち込んでたわ。恭子と付き合ってるなんて知らなかったって、見てるこっちが気の毒になるぐらい悲しそうに……泣きそうな顔してた」
「……マジか。よりにもよって桜に見られるなんて……」
最悪の状況に赤咲は頭を抱えてしまう。
「桜ちゃんが、あんたの事を好きなの、分かってるんでしょ。それにあんたも付き合うとは言わないまでも、私たちの中で特に桜とは親密な雰囲気は作ってる。もう桜ちゃんとあんたは内輪ではほとんど公認カップルっていってもいい状態だったのよ。それなのに、どうして恭子とキスしたの」
「おいおい。公認カップルって……」
そこまで話が進んでいるとは、赤咲も初耳だった。
自分が桜の事を気にしている事も、桜が自分に特別な好意を寄せている事も知ってはいた。
その上で、今はまだはっきりとした形での交際は早いと考えて保留していたつもりだった。
それが公認カップルとは、赤咲にとってそこまで話が進んでいたという事実は素直に驚きでしかなかった。
「なにを驚いてるの。私から見たら、もう初々しいカップルって感じよ。とてもじゃないけど、割り込む気なんて起きないぐらい」
「割り込む気って……」
「あっ!」
そこで陽菜は顔を逸らす。
そして失言を誤魔化すように、軽く二回ほど咳払いをしてから向き合う。
「とにかく! 桜は傷ついたの。大体どうして恭子といきなりキスするなんて事になったの? そんなそぶりなんて、全く見せなかったじゃない。私も桜ちゃんも寝耳に豆鉄砲食らったって感じよ」
それを言うなら、『寝耳に水』か、『鳩が豆鉄砲を食らった』だろ。
赤咲はそのように突っ込もうとしたが、それは思いとどまる。
とてもじゃないが、そういうボケに突っ込むという雰囲気じゃなかった。
シリアスな雰囲気の中で、素の間違いに突っ込むほど、野暮な事は無いからだ。
「だからさ。恭子がドラマでキスするからだよ。何度も言うけど、恋愛感情からじゃない。それは誓う。恭子の芝居に付き合って、そのまま勢いでしたってだけだ」
「そう。まあ恭子がスペシャルドラマで主演するのは知ったから、それは本当ってことにしてあげる……でもね! 練習でキスはおかしいわよ。フリだけでもいいじゃない。どうして練習で、本当にキスするなんて事態になったの。それをはっきりしなさい。幾ら勢いといっても、それでキスするなんて普通じゃないわよ」
陽菜の詰問は続く。
しかし、その疑問は最もだった。
そして、その理由も赤咲は知っている。
出来れば黙っているつもりだったが、ここまで皆に知られて話がこじれるようであれば告げるしかないだろう。
「恭子は……ファーストキスだからだよ」
しかし陽菜は納得できずに、更にキツイ表情になって食い下がる。
「はあ! ファーストキスなら尚更ありえないわよ。勢いでファーストキスなんて、絶対にありえない!」
「だからだよ。恭子はファーストキスだって言ってたよ。そして、相手がドラマの共演者というのは嫌だともな。もう分かるだろ。恭子が俺にキスした理由は」
赤咲がそこまで言って、ようやく陽菜の疑問も氷解していく。
だが、それは新しい衝撃と陽菜に与える事にもなった。
先ほどとは違う、困惑を含んだ表情へと変化していく。
「ちょっ! ちょっと待ちなさい。恭子が……でもそれなら…………えっ!? 待ってよ。つまり……」
「もういいだろ。これ以上、恭子のいないところで恭子の話をするのは……な」
「……分かったわよ。でも……恭子がまさか……」
「それじゃ俺は桜のところに行くよ。場所は分かるよな」
「えっ、ええ。今日はまだ自分の家にいるはずよ」
「そっか。じゃあな」
赤咲は立ち上がり、ファミレスを出て行く。
陽菜は新しい事実に驚きながら、ただ椅子に座り呆然としているだけだった。
桜の家は先ほど赤咲が陽菜と話していたファミレスとは、かなり距離があった。
電車を乗り継いで、約四十分。
ようやく、桜の自宅へと辿り着く。
ある程度に高級感のあるマンションの最上階。
そこに桜の部屋がある。
赤咲は真っ直ぐにマンションに入り、桜の部屋の前に立った。
呼び鈴を鳴らして、桜が出てくるのを待つ。
「はい……えっ斬耶? どうしてここに……」
「話がある。中に入れてくれないか」
「……分かった」
しばらくして、扉が開く。
赤咲は桜の家へと入っていき応接間へと通され、ソファへと腰を下ろす。
しばらくして、桜が二人分の紅茶のカップを持ってきて、赤咲の対面に座り自然と向かい合う形となる。
「あのさ。……恭子のことだけど……」
どうやって切り出すものか迷い、いきなりストレートに本題へと切り込んだ。
しかし恭子の名前を出した途端、桜の表情がこわばるのを感じ取り、自責の念が赤咲を襲う。
「あのさ。えっと……なんていえばいいのかな? ……それじゃ…………」
何を話すべきか、半端に話し出すも考えがまとまらずに言いよどむ。
「いいよ斬耶。桜……覚悟は出来てるから」
だが桜はその間に覚悟を決めたかのような凛とした瞳で赤咲を見つめるのだった。
「えっ? でも桜……」
「別に本当に付き合ってたんじゃないんだし、遠慮することは無いんだよ。斬耶は好きな人と付き合えばさ。桜が勝手に落ち込んだだけなんだから、そんなことで斬耶が心を痛める必要なんて全く無いよ」
「……桜」
赤咲は言葉が出なかった。
恭子の事は誤解だということを告げるつもりでここに来たはずだったのだ。
しかし、桜は赤咲と恭子が恋仲であると完全に誤解してしまっている。
ここで誤解を解いてしまえば、問題は全て解決するだろう。
けれど問題はそう単純でも無い。
―参ったな。桜も意を決して言ってるんだろうし、あっさり誤解だったというわけにも……―
桜にとって、恭子と赤咲の関係を認めるのは一大決心だったと思う。
それをただの誤解といってしまうのは、桜をピエロみたいに感じさせるようでとても言い辛いものだ。
だけどいつまでも誤解させるままでもいけない。
赤咲も覚悟を決めて、事実を伝えようとする。
「あのさ……恭子のことなんだけど……キスしたのは本当なんだ」
「うん。知ってたよ……でもいいよ。分かってるから」
「待てっ! 聞いてくれ! キスは本当だけど、あれは芝居のキスなんだよ。恭子さ。キスが初めてで、ファーストキスはドラマの共演者じゃ嫌だからって言うからそれで俺に……でも別に恭子は俺が好きってわけじゃないんだ。ただ、周囲の異性じゃ俺が一番マシってだけでさ。それに俺も恭子に特別な感情を持ってるわけじゃない。いきなりキスされたときはビックリしたけど、でもそれは恋愛感情じゃないんだ!」
赤咲は真剣な表情で真実を告げる。
真摯な瞳で強く桜を見つめる。
「……本当?」
「俺が桜に嘘をつくわけないじゃねーか」
桜が目に潤いを見せ始め、その桜の頭にそっと手を載せ赤咲は優しく呟いた。
その赤咲の手に桜も手を重ね、嬉しそうな表情を見せた。
「うん。そうだよね」
「ああ。それでさ。あと……まだ続きがあるんだ」
「えっ?」
「いやさ。俺はさ。俺にも当然好きな奴はいるわけで……」
ここまで来たらと赤咲は勢い任せに、想いを告げようとする。
しかし上手く続きの言葉が出ない。
一連の流れから、恐らくこの想いを告げれば、それは成就する可能性がとても高い。
躊躇う必要などは無いはずだ。
けれどそれでも赤咲の口から次の言葉が出てこない。
―あれ? 俺なんで緊張してるんだ? 馬鹿じゃね。純情漫画の主人公じゃねーんだし、さっさといえばいいじゃねーか。きっと間違いなく伝わるはずだ―
赤咲自身も頭では分かっている。
けれど上手く言葉に出せないでいる。
「…………」
「どうしたの斬耶? 顔が赤いよ」
一度溜息をついた赤咲の額に、桜が心配そうに手で触れる。
熱を測っているのだろうが、それが赤咲に体温を更に上げる。
「ちょっと斬耶。熱いけど大丈夫? 熱があるんじゃ……」
「いや大丈夫だ。それよりっ!」
赤咲は桜の手を取り、顔を近づける。
「……斬耶、顔が近いよ」
「実は……俺が一番好きなのは、さ……」
桜、お前なんだ! と言いかけて、しかしそれは最後まで言い切れない。
言えなかったわけではない。
言いかけたところで突然、部屋の呼び鈴の音が鳴り響いたのだった。
突然の来訪者に赤咲の告白は中断せざるを得なかった。
―……誰だよ。タイミング悪いなあ―
内心では毒づくも、呼び出し画面の方を見に行く桜を笑顔で見送る。
すると少し離れた位置にいる赤咲にも届くような大きな声が聞こえた。
声は赤咲も桜も聞きなれたような、明るい声だった。
「はふー、サクラ。ワタシデース。トラベラー番組からバックトゥしましたデスよ。御土産もたくさん買って来ましたから、開けてクダサイデス。プリーズオープンザドア! デース。サクラ」
海外帰りだったからだろう。
ミリアはいつも以上に絶好調だった。
「あっ、えっと……」
桜が無言で振り返る。
恐らく赤咲に、入れてもいいかと確認を取っているのだろう。
赤咲は無言で、けれど笑顔で頷いてミリアを入れるように促す。
すると、桜は振り返り、ミリアへと返事を返す。
「うん。じゃあ開けるね」
「はふー。サンキューデス。サクラ」
返事をして、しばらくするとミリアが現れる。
ミリアは両手にいっぱいの荷物を持っていた。
「はふー。サクラ! いっぱいお土産デスよ……えっ!? キリヤもいますデスー! サクラとキリヤ、ミリアがいないうちに熱愛発覚デスー!」
「そっ、そんなんじゃないよ! ねえ斬耶」
「えっ? あっ、ああ。俺はただ、新曲の事で桜に話があっただけで……」
桜が慌てた様子で否定し、それに釣られて赤咲も続く。
しかし言い終えてから、失策に気付く。
―あっ……さっき勢いで『いや、今日から付き合おうと思ってる。こんなタイミングで悪いけど……俺と付き合ってくれないか』といえばよかったな。でも今更遅いし……はぁ、後の祭りか―
悔やんでしまうが、遅すぎた。
赤咲も気持ちを切り替えて、桜と一緒にミリアのお土産を見ることにした。
「そうデスか。ではでは……レッツショータイムデスーッ! これがミリアのお土産デース。さあ、サクラもキリヤも遠慮しないで貰ってクダサーイ」
ミリアは両手いっぱいの荷物を降ろし、中を見せる。
そこには様々な国のお土産があった。
「へえ。色々とあるな」
「うん。凄い凄い。桜も見たことが無いのばっかり……」
赤咲も桜も、その品々には目を見張る。
「サプライズしたデス? ベリーグッドな物ばかりデスよ」
「ああ、凄いな」
「うん。何だか良さそうなのばっかり」
ミリアの自慢げな言葉に二人共、素直に頷く。
「これは……香水? あっパリのだ。桜これ欲しかったんだ」
「へえ……ベルギーチョコの詰め合わせか。美味しそうだな」
「イギリスの紅茶がある。これ、桜の好きなブランドのだ。ありがとうミリア」
「イタリアのサングラスか……これはいい。デザインのセンスが素晴らしいな」
と、二人共ミリアのお土産に非常に満足していた。
その後、デンマーク産のチーズケーキを三人で食べて、しばらく談笑した後にその場は解散となった。
赤咲はミリアから貰った御土産を持ちながら帰り道を歩く。
「結局、告白し損ねちゃったな」
少し残念そうに、そんな一言を呟いたのだった。
次回から最終章突入です。
どうぞご期待ください