第四話 赤咲と少女たちの些細な誤解 その2
赤咲が喫茶店についたのは、待ち合わせ時間の一分前だった。
―ギリギリだな。えっと、恭子は……―
ついて早々、赤咲は喫茶店の中を見渡して恭子の姿を探す。
時間にはしっかりしているので、遅刻の可能性は無い。
けれど人気アイドルである恭子は当然といえば当然なのだが、ある程度の変装はしている。
だから探すのは一苦労である。
―えっと……あれか―
何度か喫茶店内を見渡し、ようやく当たりをつける。
隅の席で、サングラスを掛けて椅子に座りながら赤咲のほうを見つめる小柄な少女。
間違いなく、呼び出した張本人である。
赤咲はまっすぐに、そのサングラスの少女の元へと歩く。
「あら遅かったわね」
冷たい言葉をぶつけられる。
時間には間に合ったと、主張しようとおもったが、店内の時計を見てそれを思い留まることにした。
「……悪かったよ」
赤咲は苦笑いを浮かべて時計を見る。
店内の時計は、待ち合わせ時間を二分以上過ぎていたのだった。
「……はあ、何で声を掛けないんだよ」
赤咲は溜息交じりのボヤキを何度か恭子へとぶつける。
「だって何度も私を探して店内をキョロキョロするあなたの姿が、あまりにも面白かったから。迷子の子供のようで可愛かったわよ」
しかし恭子は毒交じりの言葉で赤咲を煙に巻く。
「あのなあ。こっちはお前が呼び出したから……」
「その点に関しては感謝してるわ。だからお詫びに私が奢ってあげる」
「いや、流石にそこまでは言わないけどさ。割り勘でいいよ」
丁寧に断りを入れる。さすがに即決で了承してしまうのは、情けない気がしたからだ。
「ふふ、人の好意は素直に受け取っておくものよ」
しかし恭子は大人っぽい微笑で赤咲を見つめてくる。
「……そっか。なら頼むわ」
少し迷うが赤咲は同意に至る。
こういうときに、奢るかどうかで水掛け論などは無意味なので、二度目の言葉には同意する方が利口なのだ。
「じゃ……このベイクドチーズケーキとエスプレッソダブルのセットにするよ」
「私は生チョコレートケーキに、カプチーノにするわ」
そして赤咲はメニューを見ると、すぐに注文をする。
恭子も既に決まっていたのか、赤咲と一緒に注文を済ませる。
「あら。エスプレッソのダブルって珍しいわね」
「ああ、せっかくの奢りなら普段はしないことに挑戦しないとな」
エスプレッソダブルはコーヒーの中では値段は高めである。
しかし、エスプレッソでは量が少なくケーキとセットにするには物足りないものだ。
だから普段は、ブレンドかアメリカンを注文することが多い。
ケーキとセットでエスプレッソのダブルの注文は、ちょっとした贅沢なのだ。
「ふふ。苦いのが好きな男って渋い魅力があるわね」
「そうかな? 俺は渋いとか言われるのが嬉しい歳じゃないけどな」
赤咲は恭子の意外な言葉に苦笑いで返す。
「大丈夫よ。別に渋いと言っても、老けてるって意味じゃなくて、落ち着いてるって意味だから」
「そうか。なら良いんだけど」
赤咲はほっとした様子で水を一口飲む。
「……ところで、用ってなんだ?」
話が切れたところで本題へと移る。
「あら。気が早いわね」
「別に気が早いってわけじゃないけど、気にはなってるよ」
「そう……実はね」
「ああ」
赤咲は表情を引き締め、真面目な顔つきへとかわる。
恭子もおふざけモードから、真剣モードへと変化を見せる。
「実はドラマで主演が決まったのだけど……演技の相談にのってほしいわ」
「……演技の相談!?」
恭子の相談内容。
それは赤咲にとっても、あまり詳しくは無い、演劇についてのことだった。
「ドラマって……俺は別に演劇の経験は全くといっていいほど無いんだが」
赤咲は驚きつつ、自身の演技の無さを恭子へと伝える。しかし、恭子は小さく頷く。
「それは分かってる。相談といっても、演技指導を求めているわけじゃないわ」
「なら、なにを求めてるんだ? 俺に出来ることなんて見当もつかないけど」
恭子の淡々とした話方に赤咲も食い気味になって、恭子に顔を近づける。
「脚本を読むのにつきあってほしいわ」
「それだけ」
「ええ」
顔を至近距離まで近づけて、密談のような形で話し合うが、聞いてみたらどうとでもないことだった。
「ならいいけど」
別に否定する事もないので赤咲は頷いき同意する。
話を聞いてみれば、拍子抜けだ。
てっきり、専門的なことについてまで指導を求められると早とちりをしてしまったが、ようは本読みの相手をするだけである。
赤咲は安堵の笑みを見せる。
「うん。斬耶なら同意してくれると信じてたわ」
恭子も安心したような表情を見せた。
「ああ、それなら問題無いよ。ところでどんなドラマなんだ?」
「探偵物よ」
「へえ」
「タイトルは毒舌美少女名探偵ルキアの事件簿」
淡々と話しているが、ここで赤咲は噴出しそうになるのをこらえる。
「毒舌美少女名探偵って……えらくタイトルを盛ったな」
「そうね。特に美少女ってところがね。もちろん私は自分の顔には自信を持ってはいるし、美少女の名には相応しいと思ってはいるけど、それでも堂々と美少女という冠をつけられるのにはさすがに抵抗があるわ」
照れているようなそぶりは見せるが、表情からは自信しか感じられなかった。
そして赤咲はその様子に安心するのだった。
「いや。それだけ自信があるのなら、問題は無いと思うよ。むしろお前よりこの役に相応しいやつはいないだろ」
「そうかしら」
「ああ、保証するよ」
恭子の態度は赤咲にとってはとても心強く感じる。
自信家で、歯に衣着せぬ言い回し。
普段はきつい事も平気で言っている。
むしろこの役は恭子には最高のはまり役のようにも感じていた。
「それで一体どういう内容なんだ」
「そうね。じゃあこれを読んで」
「ああ」
恭子からドラマの脚本を受け取る。
「結構厚いな」
「そうね。でも二時間ドラマだから、これぐらいは当然じゃない」
「それもそうか」
ドラマは二時間のスペシャル物であるようだった。
赤咲は、その分厚い脚本へと目を走らせる。
毒舌美少女名探偵ルキアの事件簿。
不思議な現象が起こるというので調査して欲しいという依頼によって、とある陸の孤島の洋館に向かうことになった名探偵ルキアとその相棒でアメリカ生まれの好青年ジェレミー。
洋館には、いかにも怪しげな館の主人とその家族。
家族構成は館の主人以外にその妻と、息子と娘。そして娘の夫。
そしてまだ幼い娘夫婦の一人娘。
さらに若いメイドが二人に、ベテランの執事が一人。
主人公とその相棒以外では9人の登場人物にて、話は展開していく。
ルキアとジェレミーは洋館へと入るが、何と誰も依頼していないという。
ならば帰ろうとなるが、もう時間も遅いとのことで、二人は客室を借りて、一晩を過ごす事になる。
そして突如として起こる殺人事件。
被害者は館の主人で、何と密室にて殺されたようである。
パニックを起こした主人の妻は洋館を飛び出して、逃げようとする。
追いかけるルキアとジェレミー。そして、他の登場人物たち。
だが、洋館と外界を繋ぐ唯一のつり橋は何者かの手によって落とされていた。
救助を呼ぼうにも、道の途中で大規模な土砂崩れが起こってしまい、復旧には五日以上も掛かる。
救助が来るまでの五日間、ルキアたちは殺人犯と同じ洋館で過ごす事になる。
「何というか……凄いテンプレな始まりだな」
まだ序盤であるが、そこまでを読んだ赤咲の第一印象はそんなものだ。
時折、毒舌めいた台詞をルキアが吐いたり、陽気なジェレミーがアメリカンジョークを挟んで、場を笑わせてはいる。
しかし、肝心のミステリーといえば、もはや使い古された感もあるような閉鎖的な場所で起こる謎の密室殺人事件。
恐らくは意外性などで攻めるのでなく、主演 永瀬恭子 というのをウリにしたアイドルのドラマという意味合いが強いのだろう。
恭子の相手役であるジェレミーにも、外国人っぽい雰囲気を持つ今が旬の人気男性アイドルが起用されている事からも、その予想は間違いじゃないだろう。
「それでどこを付き合えばいいんだ。まさか最初から最後までじゃないよな」
「……そうね。じゃあ最後の方を読んで。私が付き合ってほしいところはもっと最後の方……そうね。犯人を明かした後のエピローグの方からでいいわ」
「そっか」
そういわれ、赤咲はすぐに脚本のページをめくる。
事件が終わりを告げ、数日。
あの凄惨な事件はもう思い出したくも無いという様子のルキアとジェレミー。
しかし、事件がきっかけで二人の距離も急接近したようである。
ただの相棒でなく異性としてジェレミーを意識してしまうルキア。
そして遂にルキアは思い切ってジェレミーへと、想いを告げようとする。
場所は、いつも二人で話をしている喫茶店。
そこで遂にルキアは、ジェレミーへと想いを告げようと……
「えっと……まさかルキアとジェレミーの喫茶店でのシーンか?」
「そうよ。だから、貴方をここに呼んだの。気分も出るし、練習にはうってつけでしょ」
赤咲は複雑そうな顔をするが、恭子の方は何も意識していないという表情である。
その表情を前にしては赤咲も何もいえない。
「まあそうだけど」
「なら始めるわよ」
「って、今すぐ!? 人が見てるぞ」
「大丈夫よ。他人のことなんて、本人が思ってるより回りは気にしないものよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「ならさっさと始めるわよ。さあ、脚本をちゃんと見て」
「ああ。それでどこから……」
「喫茶店で対面に向かい合って、ジェレミーに最初に話しかける所からよ」
「……ああ、ここから」
「ええ、じゃあ始めるわよ」
「いつでもいいよ」
赤咲が言うと、恭子は役者の顔になる。
既にスイッチが入ったようである。
「『急に呼び出してごめんなさい』」
「『別にどうってことは無いぜ、ルキア。しかしどうしたってんだよ。いくらなんでも暗すぎるぜ! さすがにあの惨劇のあとじゃ、無理もないかもしれねーけどな。明るく笑ってさっさと忘れちまうのが一番ってもんだ』」
「『ふふ、確かにそうね。忘れる事が一番……』」
「『おいおい、しんみりは無しで行こうぜ。そっだ。せっかくだし、ここのスーパーメガ盛りハイパーデラックスパフェでも食えよ! こういうときは腹いっぱいにウマイモンを食うのが、一番なんだぜ』」
「『ふふっ、ジェレミーは相変わらず明るいわね』」
「『まあ、明るいのが俺の取り柄だしな……ってそれじゃ俺がまるで明るいだけの奴みてーだな』」
「『なに自分で言って、自分でボケてるのよ。馬鹿みたい』」
「『ハハハ! ご希望なら、本場仕込のアメリカンジョークでもっと笑わしてやるぜ!』」
「『……そうね。今度機会があればお願いするわ』」
「『今度ってなんだよ。今からでも俺は全然オッケーだぜ』」
「『いえ、今日はもっと真面目な話があるの。私……本当はっ!』」
そこで、突然ルキアの携帯から、メールの着信音が鳴る。
「『……出ろよ。話は後でいいぜ』」
「『でも……』」
「『今の着信音は仕事用だろ。急ぎの依頼ならヤバイじゃねーか』」
「『分かった』」
携帯を開き、メールの内容を読む。
文面は、誘拐事件の調査依頼だった。
「『ジェレミー……あのっ!』」
「『事件だろ。行こうぜ』」
「『でも……』」
「『話ならいつでも出来るだろ。それに……俺はいつでもルキアの傍にいるからよ』」
「『えっ!? それって……』」
「『ああもうっ! わかんねーならいいよ。行こうぜ!』」
照れ隠しに、そっけない態度を取りながら、勢い良く立ち上がるジェレミー。
だが、そのジェレミーと同時にルキアは立ち上がる。
「『待ってジェレミー』」
「『なんだっ! ……えっ!』」
背伸びをして、ジェレミーの頭の後ろに手を回し、抱きつくようにしながら、そっと唇を重ねるルキア。
「『ちょっ! お前……』」
「『ふふっ、これが私の返事』」
「『えっ……じゃあ』」
「『いつまでも一緒よ、ジェレミー!』」
ジェレミーを強く抱きしめるルキア。
そして、それに応えるように抱きしめ返すジェレミー。
二人は優しく、暫らく抱き合い、そして
「『それじゃ……行きましょうか』」
「『あっ、ああ』」
「『私たちが本当の意味でパートナーになってからの初仕事よ。絶対に成功させなくちゃね』」
「『そうだな。俺たちの絆でどんな事件も解決だ!』」
「『さあ、いくわよジェレミー!』」
ルキアはジェレミーと共に、喫茶店を飛び出し、新たなる事件へと向かっていった。
そして、喫茶店を出てから数分後。
芝居を終えた赤咲は恭子をジッと見つめている。
「おいっ!」
「なに?」
赤咲の鋭さを持った言葉に、恭子は何食わぬ顔で返す。
しかし赤咲もこれだけは言わないわけにはいかないいうふうに、恭子に対して視線を曲げはしない。
「思いっきり人が見てたよな! 周りの人は皆視線バリバリにこっちを見てたぞ。もうなんていうか……生暖かい? っていうか、バカップルというか、痛いカップルを見てる目でさ。ふざけんなよ! 何が回りは意外と気にしないだ。そりゃ普通にしゃべってる分にはいちいち聞き耳なんて立てないだろうさ。そう思って同意した俺も悪かったよ。ああ悪かった。だけどな。いきなりキスって、それはないだろ。脚本を読んだときも、適当に動いて、キスっぽい真似はするかも? とは思ったけど、ガチでしたよな。思いっきり、唇重ねてさ。もうビックリだよ。サプライズ過ぎて胸がドッキドキしてる。ってか、まだ胸の鼓動が収まらないよ。これがどういう意味のドキドキか全く理解出来て無いけど、頼むからいきなりキスはマジで止めろ。マジで頼むから」
赤咲は一気にまくし立てるように言う。
しかし、恭子はクスッと笑っただけだった。
「なに笑ってんだよ」
「いやね。斬耶……ちょっとキャラが変わってない?」
「……あっ」
「ふふふ。そんな長い台詞をのべつ幕なしにしゃべり続けるなんて、ちょっと斬耶のイメージじゃないなって思ったの。それともそれが本性? 男性に使って正しい表現かは分からないけど、今までは猫を被ってたのかしら」
恭子の指摘でようやく赤咲は自身が少しおかしくなっていたことに気付く。
「あっ……そうだな。ちょっと興奮してたな。けどな……いきなりキスは絶対に駄目だ」
「どうして? 変装ならちゃんと決まってたから、スキャンダルな写真を取られる心配は無いわよ」
「そうじゃない。えっと……なんていったらいいんだ……ああもうっ! 変に気取った言い回しは苦手だから真っ直ぐ言うけどな。いきなり男にキスなんて止めろ」
「どういう意味?」
「そのまんまだよ。俺ならあくまでも、練習に熱が入っただけって納得するし、本番でも現場で相手役にする分には問題ないけど、それ以外でしたら……勘違いする男だっているかもしれねーだろが」
「ふっ」
赤咲が顔を少し赤くしながら言うも、恭子は少し笑顔を浮かべただけでスルーしてしまう。
その反応には、赤咲も少しばかり引っかかりを感じてしまう。
「なにを笑ってるんだよ?」
「ちょっとね……まさか貴方。私が勢いに任せてキスしただけって思ってるの?」
「違うのか?」
「鈍いわね。『貴方』だから、唇を重ねる本当のキスをしたのよ。あれは演技じゃないわ。私は、『ルキア』じゃない『恭子』として、『ジェレミー』じゃない『斬耶』にキスしたのよ。この意味わかるわよね」
「えっ?」
―おいおい、それってまさか……―
「ああ、安心して。別に愛の告白というわけじゃないわ。少なくとも、今はまだそこまでの感情は持って無い。ただの男友達よりは、かなり上のカテゴリーにランク付けされているというだけの話よ。暫定では、私の周囲の異性ではトップ。でも、恋人にしたいまでは行かない。そんな微妙な立ち位置ね」
「何だか凄く半端だな。でもそれならキスまでする理由にはならないだろ」
「充分になるわ」
「どうして?」
「ファーストキスだから」
「なっ!」
恭子は淡々と、特別に感情を大きく動かしたそぶりも見せずに言葉を紡いでいる。
そして、その言葉に一々翻弄されるのが赤咲。
いつものような余裕を持った雰囲気とは違う一面を見せている。
「それなら余計に、大事にすべきだろ。大事に相手を探して……あっ」
そこで赤咲もようやく、恭子の真意を察した。
「そうよ。だから貴方を選んだの。仕事だし、いいドラマを作るためなら私はキスシーンぐらいなら受け入れるつもり。でもファーストキスがドラマの撮影だなんて、あまりに味気ないでしょ。だから、私の周囲の男性では群を抜いて好感の持てる人。貴方を選んだの」
「そっか……そう考えると光栄だな。お前の初めての……こういうとおかしな意味になっちまいそうだけど、初めての男になれたのは」
「そうよ。喜びなさい。誇っていいわよ」
「そうさせてもらうよ」
全てを理解した赤咲と、全てを話した恭子。
ようやく全てを理解し、この日は自然に解散となった。
今回は少し長めでしたがどうでしょうか。
これからクライマックスに向けて話は盛り上げていくので最後までついてきてください