クズ女の一日A(3)(終)
"中村恵"の一日はこれでおしまいです。
今日の体育は運動場で男子がサッカー、女子がテニスを行う。テニス班はラケットやボールを体育倉庫から持ってきて、各自好きなペアを組んで、一緒にテニスをする……。という流れだった。凛は雪子とペアになったので、恵は友人とまではいかなくても、休み時間なんかのときにたまーに会話をしている、言うならば知人レベルの女子と組むことになった。
特に会話もしないままラリーが続いていく。そろそろ、仕掛けの準備をしに行かねば。恵はわざと、返ってきた球を空振りした。ごめんごめん。相方にそう言うと継いで「ちょっとトイレ行ってきても良いかな?」と尋ねた。
相方がうなずいたのを確認してから恵は運動場から離れた。そして校舎に入って、誰もいない自分の教室にまで移動した。男子の机の上に、脱いだ制服がグチャグチャとした状態で置かれてあった。
恵は一目散に田口の席まで足を運び、彼のブレザーのポケットに手を突っ込んだ。よしこれは……。恵は中に入っている物を取り出した。中身は黄色い携帯だった。例のアニメキャラのストラップもついている。恵はすぐさま、そのストラップを外し、それを体操着のポケットに仕舞い込んだ。そして携帯を田口のブレザーのポケットに戻した。
続いて恵は自分の席にあるカバンから彫刻刀を出した。それを力強く握しめたまま、恵は教室から飛び出した。校舎を出て、運動場とは真逆の方向にある校門近くの駐輪場にまで赴く。生徒らの自転車がところ狭しと停められてある。目当ての自転車はすぐに見つかった。
「これだこれだ」
恵が近づいていったのは雪子の自転車が立ててある場所だった。雪子の顔とは違い、ピンクの可愛らしい自転車だ。恵はためらうことなく、持っている彫刻刀を自転車の後輪に刺した。当然、プシューと言った空気の漏れる音がする。そして同様のことを前輪にも行う。また、プシューと間抜けな音が聞こえてきた。
最後にくすねてきたストラップを、自転車の付近に捨てるように放り投げた。これで準備完了だ。恵は彫刻刀をポケットに入れ、運動場へと出戻った。
恵はその後、期待に胸を膨らませながらテニス、六時間目の授業を受けた。そしていよいよ待ちに待った放課後が訪れた。授業が終わって速攻で帰ったもの、教室に残って友達と雑談を楽しむもの、様々な生徒たちがいる。雪子はというと、伊藤と歩調を合わせながら廊下に出ていった。
妙にニコニコしている凛がこちらに近づいてきた。
「いやぁ、雪子と伊藤、これからどうなるのかなぁ。楽しみだなぁ」
なぜ彼女は、人の幸せをこんなにも楽しそうに見守ることが出来るのだろうか。恵はそのことが不思議でしょうがなかった。人の不幸を見て楽しくなるのならわかるのだが。
恵は一つの案を出した。
「なあ、ちょっと二人のあとつけてみない?」
「え?でも……」
困惑した表情を見せる凛。
「良いじゃん。校門前のところまでだからさ」
「うーん、そういうのはあんまり良くないような……」
「別に悪いことじゃないと思うんだ。凛だって雪子と伊藤の仲が良くなってくれれば良いって願っているだろ?」
「うん、まあね……」
「だったら二人がどんな感じで帰るのか、応援する立場としては確認する必要があると思うんだ」
「うーん、そうか……な?」
二人を追跡する理由があることを凛に認めさせた。もう一息だな。
「良く考えてみな?友人の雪子のことを思って尾行するんだぞ。これは悪行どころか善行に当たる行為じゃないのか?」
「そう……だね、うん。傍から見てて、ぎこちない雰囲気になってたりしてたら、なにか改善策を考えないといけないし」
はい、落ちた。凛は相変わらず押しに弱い。適当に屁理屈を並べれば、簡単に言うことを聞いてくれる。恵は凛のそういう部分をすごく気に入っていた。よく出来た操り人形だからだ。
「よし、じゃあ、行こうか」
「うん」
恵と凛は教室を出て、下駄箱に向かった。ちょうど雪子と伊藤が校舎に出ていくところが視界に映った。恵、凛は目を合わせると言葉を発することなく、二人を追従した。
そして例の駐輪場に到着した。雪子、伊藤がそれぞれ、自分の停めてある自転車の方向へと向かう。
「あんまり会話してないように見えるんだけどどうなんだろ?」
「さあ……」
話半分に恵は返答した。もう少しだ。もう少しであいつの悲壮に満ちた顔が拝める。恵は期待に胸を膨らませていた。
「ん?あれ……」
ギリギリ恵たちの位置からでも、雪子の当惑したような声が耳に入ってきた。伊藤が不思議に思ったのか雪子に駆け寄ってきた。
「どうしたんだろう?なんか様子が変だよ」
凛のつぶやき通り、二人は困り果てた顔つきをしていた。恵は「ちょっと行ってみよう」と提案し、凛とともに駐輪場へと足早に向かった。
「どうしたの?」
凛が声をかける。
「あ、凛ちゃん、恵ちゃん」
「いや、見てくれよこれ」
伊藤が雪子の自転車のタイヤを押しながら言う。当然ながらタイヤはへっこんだ。
凛が眉をひそめながら尋ねた。
「なにこれ、パンク?」
伊藤が目を細めながら答える。
「みたいだね、にしてもなんでこんな……。明らかになにかで刺した様なあとがあるし、だれかがいたずら目的でやったとしか」
「あ!これって」
恵はあたかも今気づいたかのように、田口のストラップに指をさした。
「なにそれ……?」
凛が、不思議そうにストラップを見つめた。心なしか少し、顔が引きづっているように思えた。伊藤がそれを拾い上げて雪子に顔を向けた。
「田中のやつ?」
雪子はかぶりを振った。だれもこのストラップの持ち主がわかっていないようだ。私が言い出すしかないか。恵はゆっくりと口を開いた。
「このストラップ、田口のじゃね?」
「え?」と雪子。
「ああ、なんか言われてみればこんなんつけてたような」と凛
「へえ、彼こう言うのが好きなのか」と伊藤。
恵の言葉に三者三様の反応を示してきた。田口がオタクってことは結構有名だと思っていたのだが、伊藤のリアクションを見る限りそうでもないようだ。まあ伊藤みたいな人間は、底辺の田口のことなんてこれぽっちも興味がないだろうから、それが原因かもしれない。
「私、見た記憶あるよ。絶対田口のやつ」
恵の主張を聞いた伊藤が顎をさすりながら質問する。
「彼、自転車登校だっけ?」
「うーん、徒歩だったような」
凛が自信なさげに返す。以前に恵と凛は、なんとはなしに窓を眺めているときに、田口が歩いて正門に入っていくところを見たことがある。間違いなくあいつは徒歩登校だ。
「じゃあ、なんで駐輪場にあるんだ?」
伊藤が不思議そうに首をかしげる。ここだ、このタイミングだ。恵は深刻そうな顔つきをしているように、見えるように表情筋を作りながら言った。
「もしかしてこれやったのって田口なんじゃ……」
恵の推測を耳にすると、三人とも息を呑んだ。自転車登校していないやつのストラップが駐輪場の自転車のそばにあって、その自転車は人為的にされたと思われるパンク状態だった。容疑者としてストラップの持ち主を真っ先に候補に挙げても、だれも否定出来まい。
「……。そうなのかな」
雪子がつぶやきを漏らす。
「えっと彼は今……?」
「教室で本読んでたよ」
伊藤の疑問に凛が答える。確かにあいつは放課後になっても席を立たず、休み時間同様、一人寂しく読書をしていた。
「じゃあ、ちょっと問いただしにいくか」
伊藤の発言に全員がうなずき、一同は教室に戻った。室内にいる生徒の数は、片手で数えられるほどだった。みな、ページを繰っている田口の姿に視線を送っている。伊藤が率先して彼の席にまで進み、手に持っているストラップを田口の眼前に見せつけてきた。
「これ、きみのかな?」
伊藤が田口に真剣な眼差しを向けている。田口はストラップと伊藤を交互に見つめながら、困惑しきった様子で告げてきた。
「そうだけど……」
なんでこの人が持っているの?と言いたげな面持ちで田口は携帯を取り出した。
「ここにつけてたはずなんだけど」
不思議そうに両目を細めながら、携帯をこっちに差し出してきた。
「駐輪場にあったよ。きみ、今日そこにいった?」
田口はブルブルと音がするぐらいの勢いで何度も首を横に振った。
「うーん、でもそうなると謎なんだよねー。なんできみの持ち物がパンクした田中の自転車のそばに落ちてあったんだろう?」
「パンク?」
田口が怪訝に満ちた目つきで、恵たちを見据えてきた。頼むからそのツラをこちらに向けないでくれ。恵はうんざりした気持ちになりながら、田口から顔を逸らした。
「ああ、パンク。それも明らかに人為的によるものなんだ」
伊藤の発言に田口はハッと目を見開いた。
「僕がそれをやったって言うんですか?」
田口の顔面がみるみる蒼白していく。テンパりすぎだろ、気持ち悪い。
「いや、別にそういうわけじゃないんだ。えっと取りあえずこれを返しとくよ」
伊藤は話題を逸らすために田口にストラップを返却した。「どうも……」とか細い声で告げ、田口はストラップを携帯に取りつけた。
「その……。まだなにか?」
「二つ、三つほど質問。良いかな?」
伊藤が指を三本ほど立て、問いかける。
「なんですか」
田口はビクビクしながら応じた。目も伊藤と合わせていない。
「今日、誰かにその携帯を貸したりとかしてないかな」
「貸してない」
田口が言下に答える。恵は面白くなったと思い、追及した。
「本当に貸してないの?」
「貸してない」
同じ言葉、同じ声のトーンで田口は返答した。まあ、この感じだと貸してないというのは本当だろう。
「じゃあ、次。きみ、最後に携帯を取り出したのっていつ?」
「今朝、家を出る前に少し、ネットサーフィンを、してた、だけで、それ以降、ずっとポケットに入れておいた、まま」
田口はまるで片言をしゃべる外人かのように、言葉を紡いでいった。今伊藤が、田口を怪しんでいるのは火を見るより明らかだ。いや、伊藤だけじゃない。凛も蔑んだ目で田口を見ている。雪子はまごまごしながらときどき、恵に視線を送ってきてる。
「じゃあ、最後に」
「もう良いでしょ!」
伊藤のセリフを最後まで聞かないまま、田口は声を荒げた。直後、なにも言わず、席を立ち、机の横にかけてあるカバンを強引に取り、勢いそのままに教室を出ていった。
「お、おいきみ」
伊藤が慌て気味にあとをおいかける。凛も駆け出している。恵も面白くなってきたな。と感じつつ、走り出した。
恵たちが廊下に繰り出すと、階段がある方へと曲がっていく、田口の姿が視認出来た。みな一斉にあとを追う。が、おりしも前方から、教室の扉を開けて、廊下に現れた男性がこちらを見てきた。
「ちょちょ!」
先頭を走っていた伊藤が思わずその人物とぶつかりそうになり、狼狽した声を上げながら、足に急ブレーキをかけた。凛や恵も伊藤に倣った。
「おう、おう。どうしたんだ、みんなして」
恵たちの眼前に登場したのは、二つほど隣のクラス、二年一組の担任教師である……。ええと名前なんだっけかな。恵は目の前にいる、人物の名を思い出せなかった。
「ああ、すみません、ちょっと急いでいまして」
伊藤が頭を軽く下げながら、謝罪の言葉を述べた。二言、三言、会話したあとその教師と別れ、下駄箱に向かう。が、そこに田口の姿はなかった。
「もう帰っちゃったのかな?」
凛の問いに、伊藤が田口の靴箱を覗きながら答える。
「そうみたいだね。彼の上履きが入れてあって外ぐつがないし」
ああ、もうあの教師のせいで田口を逃してしまった。とっ捕まえて、もっと追い詰めてやりたかったのに。恵は反射的に舌打ちをした。
追跡を諦めて、教室へ戻ると、雪子が直立不動の状態で恵らを待っていた。
「お、お帰り。どうだった?」
「振り切られちゃった。ごめんね雪子」
凛がすまなそうな表情を見せ、謝る。それに対し、雪子は首を横に振った。
「ううん、全然。それよりも私のために、みんなが必死になってくれた方が嬉しいよ」
「でもさ今日、雪子はどうやって帰るの?自転車がパンクしちゃってるし」
「パンクしてても押せば帰れるよ」
雪子がはにかみながら言う。
「いや、でも……」
「なんなら俺の自転車に乗っけてってやろうか」
伊藤の案は恵にとって想定外もいいところだった。おいおいふざけるな。せっかく雪子を困らせるため自転車をパンクさせたっていうのに、それでイケメンと二人乗りして帰るとか結果的に雪子が得することになるじゃねえか。
「え、いいよ別に……。私結構重いし……」
「そうか?別段太ってるようには見えないけど……。ああごめん、今のちょっとしたセクハラ発言になっちゃうかな」
「うんうん全然そんなことないよ」
心なしか雪子と伊藤が仲睦まじ気に会話をしている。ええい、鬱陶しい。雪子にそんな良い思いをさせるものか。
「二人乗りって軽い犯罪だよ」
恵の言葉は三人にとって目から鱗だったようで、みなキョトンとした顔を見せている。
「ああそっか、そっか。なんかマンガとかで普通に二人乗りしてるから失念していたけど法に触れる行為なんだよね」
凛が軽い口調で言った。伊藤は大きくうなずいた。
「ごめん、田中。俺馬鹿な発言しちゃったね」
「いや、そんなこと。伊藤くんは親切で提案してくれたんだろうし」
雪子が伊藤の目を注視してフォローする。言ったあと彼女は恥ずかし気に下を向き口を一文字に結んだ。男の目を見ただけでこんな状態になるとか本当に男に対しての免疫がないのな。
結局その後担任の教師に事情を説明すると、流石に可哀相に思ったのか通勤で使用している車に、雪子と雪子の自転車を乗っけて近くの自転車屋まで運ぶことになった。一人空しくパンクした自転車を押して帰る雪子の姿を想像していた恵にとっては、この教師の行動は余計なこと以外の何物でもなかった。まったく鬱陶しい親切心を働かせやがって。恵は自転車屋まで走り去る車を見つめながら小声で悪態をついた。
駐車場で三人だけになった恵らの周囲には静寂が訪れていた。そんな沈黙を破ったのは凛だった。
「私たちも帰ろっか?」
彼女の問いに恵も伊藤も同意した。これ以上学校にいる理由はない。早急に帰り支度をした。あわよくば伊藤と一緒に下校出来るかと思ったが、彼と恵の家は真逆の位置に存在しているので恵の希望は叶わなかった。校門前で伊藤と別れ、帰宅途中で凛とも別れた。
一人になった途端、恵の中でまた沸々と怒りが込み上げてきた。怒りの内容は無論雪子のことに関してだった。そして思い返してみると、今日は一日中あいつにイライラさせられっ放しだったことに気付く。恵が衝動的に行ったタイヤのパンクに関しても、一緒に下校するのを阻止するという目標は達成出来たものの、結果的に伊藤との仲を縮めてしまった気がした。
そう考えるとますますイラつきが募り出す。その対象は雪子に対してだけでなく、自分に対してもだった。次になにかを仕掛けるときはもっと時間をかけて策を講じなければ……。今回の一件で恵は思いつきによる策は愚策にしかならないということを痛感したのだ。なのでこれからムカつくやつに対して"制裁"を下すときは熟考した上で行動を起こさないといけない。
恵はそう結論付けたところで帰路途中にあるコンビニに入った。小腹が空いたのでなにか買っていこうと思ったのだ。一通り店の中をグルリと回ったところで、持ち合わせはいくらぐらいあっただろうかとサイフを取り出した。
……。思ったより少ないな。恵はサイフの中身が思いの外、寂しくなっていることを知ると、金を払うのが惜しくなってきた。なんとかしてタダで食品を手に入れる方法はないだろうか。
真っ先に思いついたのは万引きだったが、すぐにその考えを封殺した。バレたらシャレにならないし、そもそもさっき私は学んだではないか。思いつきによる策は愚策にしかならないと。もっとリスクの少なくかつ、確実にブツを入手する方法はないものか。
週刊誌を立ち読みながらあれこれ思案した結果、おそらくこれが一番手っ取り早いであろう策を見出した。
恵は一つの惣菜パンを手に取り、すぐさま購入した。そしてコンビニを出ると店前でパンの袋を開け、間髪入れず自分の髪を引っ張った。上手く一本だけ髪の毛を引っこ抜くことに成功したのを確認すると店内に踵を返した。
「すみません」
店員にそう声をかけて髪を見せつけた。
「袋の中に入ってたんですけど」
その一言だけで効果はてきめんだった。店員がバックヤードに入っていき、店長かチーフかと思われる人物が現れると現金の返却と新しい惣菜パンを用意してきてくれた。事実上ロハでパンをゲットしたことになる。
古典的だが、盗むよりもよっぽど危険性のない安全な方法である。今度から金に困ったらこういった行動をしてみるのが良いかもしれないな。
恵は登校時とは真逆の気持ち、上機嫌で家に帰宅した。この調子で改めて雪子の制裁内容も考えていこう。恵はそう思い、夕食の間も風呂に入っている間もそして布団に入って眠るときですら制裁の方法を長考していた。
その甲斐あってか、自分でも素晴らしいと思えるほどの名案が恵の中で浮かび上がってきた。よしよし、早速明日実行だ。今朝と違って明朝は良い目覚めが出来そうだ。非常にウキウキとした気持ちになりながら眠りにつき、こうして中村恵の一日は終わった。




