死の谷編 8
「そうだな。異端扱いされている。一部は実際、迫害されてもいる」
「一部?」
「例えばこの私が、迫害を受けると思うか?」
圭太は、女の放った一撃を思い出した。
銃を撃ったのかどうしたのかわからないが。
楊の頭を一発で吹き飛ばしたのだ。
そんなことができる人間が、力の上で迫害を受けるとは思えなかった。
「とはいえ、溶け込むことができないのは事実だ。私は中国語はろくに理解できないからな。ガイドブックも教師もない状態で、言葉の壁はひどく高い」
「日本人コミュニティというものがあるのか?」
「ないよ」
女はあっさりと答える。
「ない?」
「ああ。コミュニティを持てるほどの組織力も何もない。バラバラだ。あるものは中国人のコミュニティに奴隷同然の状態でこき使われている。あるものは路上で物乞いをしている。あるもの……例えば私なんかは、こうやって独自に生活をしているな」
「その違いは?」
「単純に力だよ」
女が笑う。
「ボウヤの母親や妹みたいに、非力で運が悪い者は淘汰される。私は力があったから、こうして独立して生きていられるのさ」
「そうだ! 妹! 知美は? 知美はどうなったんだ!?」
女がため息をついた。
「まさか。楊の奴に」
「さぁな。殺されてはいないんじゃないか。母親と違って死体は見つからなかった。この村では人身売買も平気で行われている。幼い娘なら、どこかに売られたのかもしれんな」
「そ、そんな……」
「歳は幾つだ?」
「お、俺の一つ下。13歳だ」
女が悲しげに眼を細めた。
「そうか。哀れだな。あの場で殺されてはいないと思うが、もはやどうなっているかわからん。君の妹なら、君に似て可愛らしいのだろうな」
女がふっと笑う。
「だが、まぁどうなったとて知ったことではないな。残念ながら私は少女には興味がない」
その物言いにひどく腹が立った。
圭太は叫んだ。
「ふ、ふざけないでくれ!」
「ふざけてなどいないさ。それがこの世界の根本的なルールなんだ」
「ルール?」
「そうさ。この世界は、欲望に忠実なんだ。欲望で動いている。社会が単純であればあるほど、欲望が原理になりやすい。君の母親は殺された。それは楊の欲望通りだった。君の妹はどこかに売られた。金が欲しいという楊の欲望、少女が欲しいというどこかの誰かの欲望と合致したんだろう。そして君は助かった。それは私の欲望と合致したからだ」
「あなたの欲望?」
「さっきから何度も言っている。私は美しい少年が好きなのさ」
食えない女だ、と思った。
冗談なのか本気なのかちっともわからない。
妹のことが気がかりだった。
一体、どこへ連れ去られてしまったのか。
「人身売買と言ったな」
「ああ。言ったよ」
「そういう密売をしている人間を知っているのか?」
「知ってはいるな」
「教えてくれ」
「教えてもらってどうする?」
「どうするって……その」
あ、ははは。
女が盛大に笑う。
「いいなぁ。いいぞ、君。実に少年らしくていいじゃないか! ボウヤ、私をキュンキュンさせたくてわざとやっているのかい?」
「ば、馬鹿にしないでくれ!」
「馬鹿にしているのは君の方だよ」
「え?」
「そうだろう? 情報提供をして、私に何の得がある? ん? 私が何か得をするのか? どうなんだ?」
女がずい、と身を乗り出してきた。
圭太は思わずしどろもどろになる。
「いや、その、それは」
「得どころかマイナスしかないぞ? 私は他人の情報を売った女というそしりを受ける。君は人身売買者を知ってどうするつもりだった? 抗議に行くのか? 行けばなおさら私に迷惑がかかるぞ。そもそも、言ったところでまったくの無駄だ。ボウヤ相手に取り合うはずもない。そうだろう? そう思うと答えられなかっただろう? そもそも、本当に行く気だったのか?」
圭太は何一つ答えることができなかった。