死の谷編 6
その建物は、小屋という言葉にふさわしかった。
素人がどうにかこうにか建てたという様子の代物で、不恰好に組み上げられた板はところどころ割れ、建物そのものも傾いていた。
「4人も入ると狭いが、仕方ねぇよな」
楊が立てつけの悪い扉を開ける。
中は澱んだ空気の匂いがした。
「さてと、あんたら、これからどうするかだな。なんか目的があって異世界に来たのかい?」
圭太たちは顔を見合わせた。
そして頼りなげに首を振った。
目的も何もない。
あるとすれば、現実の理不尽から逃れたいだけだった。
しかし、その逃れた先は現実よりもさらに薄暗い。
「無目的か。たいていの人間がそうだわな。ここにやってくる奴らってのは、人生に失敗しちまった奴ばっかりだ。とりあえず、『生きる』ってことが目的でいいんだろう?」
圭太たちは頷く。
「よし、よし、上出来だ。そんじゃぁ、ま、今日のところはゆっくりとして、明日から何をするか考えるがいいさ」
※※※
翌日。
おかしな匂いで圭太は目を覚ました。
なんだ……これは。
昨日嗅いだ何かの匂いに似ているような……。
「う、んん……」
起き上がり、眼をこする。
両隣で寝ていた母親と妹はいなかった。
後ろ手に人の気配を感じて振り返ると、楊がいた。
彼は床に四つん這いになり、何かの作業をしていた。
異臭は、楊の方向からしている。
圭太は思い出した。
この匂いは。
昨日の、野生動物を解体した時と似ている。
となれば、彼はまた動物を解体しているのだろう。
昨日の行為から察するに、楊は猟師のようなことをして生計を立てているのだと思われる。
「よぉ。起きたのか」
楊が振り返った。
その手は血に汚れていた。
圭太は思わず顔をそむけた。
「お、おはようございます」
おずおずと言葉を紡ぐ。
口を開けると、解体された動物が放つ悪臭を吸い込みそうで吐き気がした。
こんな、小屋の中で解体などしないでほしいと思った。
これからずっと、こんなことに耐えていかねばならないのか。
「見てみろよ、これ」
圭太は首を振った。
バラバラにされた動物など見たくもない。
だが、楊は声を荒げた。
「見ろっつってんだろ」
強い語気。
気圧されて、圭太はおずおずと楊のそばへと歩む。
人を殺しても罪に問われない。
楊に逆らって、何かをされたら……。
そう考えると、いくら気味が悪いとはいえ、従うしかなかった。
「これ、皮を剥いだところなんだぜ」
楊が指し示したものは、腕だった。
腕。
人間の。
「え?」
「細いよなぁ。女の腕ってのは。肌もすべすべししててよぉ。たまんねぇよな」
楊の手元には、バラバラに切り分けられた人間の体があった。
腕。
脚。
腰。
胸。
そして、頭。
胸や腹はすでに引き裂かれ、中身、つまり臓物が切り分けられている。
そして顔は。
その顔は、圭太の母親、恵のものだった。
「どうだ? お前の母親の体。まだ若いよなぁ。すごく興奮したぜ。なぁ。なぁ。どんな気持ちだ?」
「楊……さん……なん、で?」
「言っただろ? 俺、若い頃に出稼ぎで日本の工場で働いてたってさ。そん時、こっぴどく扱われたんだわ。日本人に。工場長のおっさんには特になぁ。殴る蹴るの扱いよ。んで、ずっといつか日本人に復讐したいと思っててなぁ」
嬉しそうにほくそ笑む。
「お前も寝てるうちに殺してやろうかと思ったけど、止めといたわ。こうやって、母親解体されてんの、見せてやりたいもんなぁ」
圭太は喉に、熱いものがこみ上げるのを感じる。
吐瀉物だった。
「ん、うぐっ」
その場にしゃがみ込み、床にゲロをぶちまける。
「なにしてんだ、こら!」
そんな圭太を楊が蹴り上げた。
「床汚してんじゃねぇぞ、クソガキ!」
連続して何発もの蹴りが浴びせかけられる。
圭太は動けなかった。
「おらっ!」
髪をつかまれ、引きずり回される。
「ご対面だ!」
「ふぎっ!」
床に顔を叩きつけられた。
その目の前に、母親の首が転がっていた。
生気ない瞳が、目前にある。
「う、ふぐぅぅぅ……」
圭太は泣いた。
とめどなく泣いた。
そんな様子を楊が楽しそうに眺めていた。
その時。
空気を裂くような音が聞こえた。
続いて、楊が背中の上に倒れこんできた。
血。
血が噴き出している。
楊の首から上が吹き飛んでいた。