死の谷編 5
楊の言葉に、母親と妹が息をのむ音が聞こえた。
無法地帯?
人を殺しても何をしても罪に問われない?
「そ、それじゃ、村の秩序は誰が守っているっていうんです?」
「そりゃな、一応、警察みたいなもんはあるさ。といっても、組織的なもんじゃない。シェリフみたいなもんだわな。それと村の若い衆らから成り立つ自警団」
「なんだ、一応そういうのはあるんですね」
「安心しちゃならねぇぞ、小僧」
楊が嫌らしく口元を曲げる。
「シェリフはほぼ、村長の言いなりだ。ろくな役に立たんよ。シェリフといっても一人なんだ。村ぐるみで暴行されたら殺されちまう、結局は権力持ってる奴には頭が上がらんのさ」
「そ、それじゃ自警団は?」
「あんなもんそれこそ破落戸の集まりだ。棒だの鉄砲だので武装したい連中が徒党を組んでるのさ。村の集会場をわがもの顔で占領して、そこで酒飲んで騒いでやがる。文句を言う奴がいれば自警の名の下、叩き潰す。そういう奴らさね」
「なんてこった……」
それじゃぁ、正当かつ中立な武装組織は存在しないということじゃないか。
「そんな状態で、どうやって暮らせっていうの?」
それまで黙りこくっていた知美が口を開いた。
楊が笑う。
「そりゃもう、力を持ってるやつにゃ逆らわないってのに決まってるじゃないか。言うことを聞いて、生かしてもらうんだよ。さっきも言ったが、あんたら日本人はこの土地じゃ少数派だ。誰も助けちゃくれねぇ。生き残るには、頭を使わねぇとなぁ」
「頭を、使う……」
「そういうことよ。俺を利用しない手はないぜ?」
「え?」
「あんたらはラッキーなんだよ。この俺と知り合えてな。俺は中国人だが日本語が使える。つまり、あんたらのことを村に紹介し、それなりの仲介ができる。だろ?」
楊が圭太の母親に向かって言った。
母親は神妙な表情で頷いた。
「ありがとうございます」
「良いってことよ。馬車が村に着いたら、俺の小屋に来ると良い」
「は、はい」
そこで会話は途切れた。
楊の持っている図太切れのような布の鞄の中には、解体された例の野生動物が入っていた。
そのせいで馬車の中はひどく臭った。
しかし乗り合わせた乗客二人は何も言わなかった。
こういうことが日常茶飯事の生活を送っているのだろう。
やがて馬車は、村の最寄りの停留所に到着した。
といってもほとんど停留所の態を成してはいない。
先ほどと同じような榎と、こんもりとした盛り土があるだけだった。
「この盛り土は?」
「あぁ、そりゃ無縁仏だ」
「え?」
「適当にその辺でぶっ殺された奴らのお墓だよ。お墓。祟りがあったらかなわねぇからな。あとは見せしめだ。この村はこういうところだぜ、ってな。さぁ、ここが村だ」
楊の言葉に周囲を見渡す。
巨大な岩肌に囲まれた、ナイフの先のような部分。
そんな土地に、30軒ほどの家々が立ち並んでいた。
先ほどまでと全く変わらない、乾いた固い土。
そこに、申し訳程度の枯れかけた川がちょろちょろと流れていた。
谷という名称から想像していたものとは、まるで違っている。
これではストーン・キャニオンだ。
渓谷ではない。
赤茶けた、岩肌の牢獄だ。
「呆けているな、坊主」
気がつくと楊が圭太の顔を覗き込んでいた。
「こんな川でもなぁ、ないよりゃましなんだ。あるだけ有難いんだよ。それに、高い岩肌は、野生動物の襲撃から守ってもくれる」
「それは、そうかもしれないけど……」
「だがな」
楊が声のトーンを落とす。
「それでも、この谷は人が死にやがる。たくさん死にやがる。どうしようもないほどにな。だから俺たちは名づけたんだよ。この谷を。死の谷ってな」
「死の谷……」
「あぁ、そうさ。お前らはこれからここで生きるんだ」
言葉に、知美が震えているのが分かった。
だが震えだしたいのは圭太も同じだった。
彼は何か妹を勇気づける方法を知らなかった。
「ついてこいよ。俺の小屋へ案内してやる」
楊が歩き出す。
3人は、そのあとに従った。