死の谷編 4
楊がすべての行為を終えるころには夕刻に近づいていた。
「さて、そろそろ帰るか。あんたらも来るだろう?」
圭太たちは頷いた。
頷くよりほかにどうすることもできなかった。
この広大な大地で置いていかれても、どこに行けばいいのかもわからない。
楊が言うには、乗合馬車のようなものの駅があるらしかった。
そこまでは歩いて10分もかからない。
完全に方向を把握して楊が歩いていく。
道も何もない、ただの乾いた土の上にいて、どうして方向が分かるのか不思議だった。
「ここが駅だ」
楊がそう言った場所には、榎が一本あるだけだった。
「これが、駅ですか?」
母親が不安げにつぶやく、
「この木が目印だ。榎は常緑樹だからな。間違えないで済む」
そう言っていると、馬車がやってきた。
楊の言葉は嘘ではなかったらしい。
「うわっ。こんなの初めて乗るよ」
少しうれしそうに知美が言った。
「馬鹿」
呟く圭太に、
「馬鹿じゃないもん」
と知美が舌を出した。
「さ、さっさと乗ってくれ」
楊に促されて、ステップに足をかける。
馬車の中には、2人の先客がいた。
1人は30代ぐらいの男性で、1人は老婦人だった。
二人ともアジア系に見えた。
「お邪魔します」
圭太が日本語でそう言うと、二人がおかしな顔をした。
「??」
座ろうとすると、老婦人が立ち上がって何かを怒鳴った。
楊があわてて彼女に何かを言い、ようやく席に座り直させる。
「申し訳ない。この人、日本人が嫌いみたいでね」
楊が振り向いて言った。
「あんたらと乗り合わせるなんて冗談じゃないというんだ。ただ、何とか説得したよ」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げて、席に座る。
30代ぐらいの男性も、ひどく冷たい目でこちらを睨んでいた。
「どうしてこんなに嫌われてるんです? 中国人はみんなこうなんですか?」
「そういうわけじゃないんだが、ここに於いては概ねそうだな」
楊がやれやれという様子で言った。
「さっきも言ったが、この土地は中国人が多い。そこに少数混じってるのがあんたら日本人やらなんやらだ。言葉の壁がそのまま、身分の壁になっちまってな。ここじゃ日本人は差別を受けている。ほとんど奴隷みたいにこき使われてる。だから、馬車で乗り合わせるなんて鼻持ちならないってわけさ」
「身分? 何をそんな封建的な」
「おいおい、ここは無政府状態だぜ? 地球にいた頃の法律も、倫理観も、何も制限はない。すべてがリセットされてるんだ。奴隷も殺人もレイプも何でもありだ」
圭太はぎょっとした。
所謂、地球における法律のようなものが通用しない?
「それじゃここに於いては人を殺しても罪に問われないのですか?」
「あぁ。問われないね。相手と状況にもよるが。ただし、殺された人間の家族が報復に出るのも自由だ。結果的には殺し返されるってこともあるがね」