その4「自意識過剰」
15年ほど前。ヨシダさんが某県の山あいにある小さな街で暮らしていた頃のお話。
夏。ことのほか暑いその日。ようやく仕事を終えたヨシダさんは借りていたアパートに帰りました。 木造のボロアパートは蒸し暑くてうだるようでした。昼間の熱気が ぼわん と残っていて、それが開け放した窓から少し冷えた夜と入れ替わりに出て行くような。
お風呂に入ってサッパリして出てくると部屋に引いた黒電話が鳴りました。 同僚から飲み会のお誘いです。ヨシダさんはお酒に滅法強く、それは入社時の歓迎会でも遺憾なく発揮されました。 以来よく誘われるので、その日もお迎えの同僚にホイホイついていった、と。
誘ってくれたのはアベさん(仮名)という人で、ヨシダさんと同い年。やはり大酒飲みで男気があるので、みんなから慕われていました。 そんなアベさんはヨシダさんの事も他所者扱いせず可愛がってくれていたとか。 僕との電話でもアベさんの色んな逸話を聞かせてくれました。それはさておき、アベさんの運転でお店に着くと既に他のメンバーが揃っていました。が、座っているのは男ばかり。しかも片側に横一列。ははーん。
いわゆる 合コン でした。15年前、まだまだ景気の良かった時代。ヨシダさん曰く
「タクシー運転手も十分モテた」
とのこと。
しばらくして、女性陣が到着し面子が揃いました。 男性と女性、それぞれ五名。ヨシダさんは長身瘦躯の男前で僕が見てもモテそうな感じ。現に年下にモテるタイプで、その日もAさんという女の子を無事に(?)引っ掛けました。
酔っ払ったAさんはなんというか、構ってチャンタイプだったそうです。話の流れでヨシダさんの「体験談」などを少し触る程度に話したのがいけなかった、とヨシダさんは言いました。
「自称・見えちゃう子。だった」
それがヨシダさんのAさんに対する印象だったそうです。ただし
「顔はソコソコ可愛いくて実に良いケツをしてた」
というオマケつき。
それは兎も角、ヨシダさんの場合は好き好んで色んなものが見えるわけではなく、その切っ掛けから何から不幸のどん底、絶望の真っただ中で身に付いてしまった哀しい後遺症のようなものだと、ヨシダさんに打ち明けられた僕は思っています。
だけど自称・見えちゃう子というのは違う。見えることを武器に自分中心に会話を進めたい、他人より違った所をアピールしたい。そういう人物と言うか性格と言うか魂胆と言うか、つまり浅はかな部分が見え隠れする。ヨシダさんはそういう考えの持ち主でした。が、少なくとも自分に気のある女性をわざわざ興ざめさせる事もあるまい、と、Aさんの話に付き合っていました。
いい感じに酔っ払ったAさんとヨシダさんは解散して飲み直したあと、近くのホテルにしけ込みました。6階建ての建物は少し古いものの小奇麗で、フロントで部屋を決めたらエレベーターで上がっていくタイプ。部屋の写真が並んだ大きなパネルを右手に、T字の廊下が左右に分かれています。右手がエレベーター、左手は従業員用の出入り口のようです。Aさんがハッとヨシダさんに寄り添います。
ヨシダさんが
「オイ、どうしたんだ?」
と聞いても、Aさんは
「ううん。なんでもない」
と言って、そのまま腕を組んで歩き出しました。
エレベーターで4階の部屋に入り、ヨシダさんはAさんのシャワーが終るのを待っていました。しばらくすると浴室のドアが開く音がして、Aさんが出てきました。そして
「キャァッ! 」
ヨシダさんはバタバタと洗面所に駆けつけます。
「……」
顔面蒼白のAさん。
「どうしたんだ!?」
「に、にん、人形が居る」
「はぁっ? 何も居ないぞ」
「見えない? 今いたの! 足元に! 女の子の、人形!」
「そうか」
このとき、ヨシダさんには何の気配も雰囲気も感じられなかったそうです。そんなものが跋扈しているのなら、部屋はおろかホテルに入る前から何かしら感じていてもおかしくは無いというのに。そんなわけで、ヨシダさんは青ざめたAさんの肩を抱いて、そのまま彼女の濡れた髪の毛を胸元に感じる事にしました。
真っ最中。
ヨシダさんはお腹の上にいるAさんを見上げていました。 光る汗がこめかみを伝っていく。 Aさんがぎゅっと閉じていた目を薄く、ふと開きました。その瞬間……ハッ!! と、 何かに怯えたように、ヨシダさんに覆い被さる様にして震え出します。
(一体どうしたっていうんだ?)
ココまで怯えているのだから、よほど何かがあるのだろう。
相変わらず何の気配も感じないヨシダさんでしたが、このままでは埒があかない。怯えきった表情のAさんを何とか引っぺがすとシャワーも浴びずに(一応聞きましたが、Aさんは絶対イヤ! と言ってそそくさと身支度を整えたそうです)服を着せ、チェックアウトする事にしました。
部屋のドアを開ける、廊下に出る、角を曲がってエレベーターホールに立つ。この間ずっとAさんは怯えっぱなしでした。
そしてエレベーターの扉横にある観葉植物を見て、Aさんはまた飛び上がるぐらい驚き、声にならない声で
「あ、あ、あし、足が」
とだけ言いました。
リン。
短い音がして、エレベーターの到着を告げました。小箱に入って、ボタンを押して、ドアが閉まる。漸く肩の力が少しだけ抜けたAさんに、ヨシダさんは尋ねます。
「なんの足が見えたんだ?」
「さっきからついてくるの。」
「人形が?」
「うん、女の子の人形なんだけど」
「そうか。ごめんな、気付かなかった」
「ううん。あたしこそごめんなさい」
赤く濡れた目にうっすら涙を溜めて、Aさんは小さく首を振りました。ヨシダさんはこの日初めて、ちょっとAさんが可愛いと思ったそうです。
リン。
短い音。ドアが開く。廊下に出る、出る……? 出れない。
ドアの前にボロボロの人形が倒れていてコチラを見ている。
ヨシダさんにも見えました。ぼさぼさで薄汚れた金髪、煤だらけでひび割れた顔、青い瞳も黒ずんだ色になり、ひらひらのドレスはあちこちが引き裂けています。
二人は悲鳴を上げて、ドアを閉めました。
「あれか?」
Aさんは無言で頷きました。
一瞬の静寂のち、そしてヨシダさんは意を決してドアを開ける。すると。
もう、何もいませんでした。 薄っすらと湿っぽい赤いじゅうたんがフロントまで敷いてあるだけ。最後の最後までヨシダさんが何も感じることが出来なかった、数少ないケースでした。