その3「丑の刻参り」
こんな蒸し暑い夜でなあ、あん時も。 遅くまで仕事しててさ。
あの神社の前を通ったのが夜中の1時過ぎ、いやもっと遅かったかもしれない。あの当時はよ、まだ夜道に街灯なんてのも少ねえのよ。まあー豊橋の街中育ちのオマエにはわからんかな。とにかく、夜中ったらもう真っ暗。だからかなあ、よ~く見えたんだよ。ロウソクの光。クルマ乗ってんだろ?したらよ、左側に神社がある、んで奥に向かって森がぶわ~っと広がってる。神社のちょうど目の前、鳥居越しにず~っと向こうを見ると、ちろちろ、ちろちろって。オレンジっつうか、赤黒いというか。 小さい火が揺れてんだ。なんだあれ?って車停めて窓開けたら、コレ、ホントだぜ。
カーーン、カーーーン、カーーン!
釘打ってんだよあれ、たぶん。そう思ってさ。丑の刻参りってヤツだな。俺がガキの頃に山奥の施設にいたって言ったよな。あの時世話になったばあちゃんがそのまたばあちゃんに聞いたことがあったんだと。真夜中、藁で編んだ人形に呪いたい奴の体の一部、まあ大概は髪の毛か爪かまあそんなもんを入れて、神社の木に打ち付ける。呪いっても元はちゃんとした呪術、まじないだからな。カミサマやら生贄やら、そういうのが居ないとダメなんだとよ。ロウソクもその辺のロウソクじゃダメ。さらにクギよ。あの木に打つ釘も、その辺のクギじゃダメなんだとよ。
まあーそんなもんをイソイソ揃え出した時点でもう呪われてるよなそいつ。バカちげえよ。クギなんか打つ本人が、だよ。
でな、人に見られちゃダメなんだ。クギ打った人形もなるべく人に見えない様な場所に打ち付けて、誰かに見つからなければ、それだけ呪力が上がるんだとさ。まあそれはいいや。とにかく見つかると双方ロクな事にならねえってことで。車をスーーっと音もなく発進させたよ。あん時は、タクシーやっててよかったな~って思ったな。芸は身を助ける、ちょっと違うか。
だけどよ、好奇心には勝てねえんだなあ、これが。そうその通り、次の日朝イチで見に行った。したらあったよ。結構高い所にクギで滅多打ちにされた藁人形。いや~初めて見たけど気分のいいモンじゃねえな。ばあちゃんが言うにゃあよ、呪いをかける時はまず脚、次に腕、そんでアタマだったかな? とにかく一箇所ずつ順番に打つんだよ。段々体の真ん中に行くように、そんで必ず満月の夜にな。けどよ、後でわかるんだけど俺が初めてあれを見ちまったときは満月じゃなかったんだよ。 どーしてだろうと思ったけど答えは簡単だった。クギのサビ具合だよ。全部バラバラなんだ。新しいのから古いのまである。 クギもロウソクも、ばあちゃんが言うような「ちゃんとした」品物じゃなかった。リアルな話、ほび~らの値札の付いた袋、落ちてたもん。何年も前の話だけど、まだあんのかなその店。案外呪われちまってたりしてな。
それはともかく、つまりあの女は毎晩毎晩、狂ったように釘を打ちに来てんだろうなってことでよ、その日の晩も俺、見に行ったんだよ。 神社。真夜中にさ。そしたらいたいた。いるんだよ。今度は少し遠くに車停めてさ。近くで見てやろうと思って。
神社の周りに建物はほとんど無かった。農家の納屋と、消防団の倉庫、あと屋根つきのバス停があったな。んなとこ夜中に、人を呪いたくて仕方ない、怨念で心がいっぱいになった女がしたした歩いて来るんだぜ。 薄気味わりいよな。田舎の夜ってのは案外色んな音がすんだよ。虫の鳴き声、犬の遠吠え、ガサガサ木が揺れてな。その色んな音に混じってクギの打つ音まで聞こえてくるんだもんよ。参ったよ。
カーーン、カーーン、カーーン……。
鳥居をくぐるともう蒸し暑さより背筋の寒気が酷くてな。ゾクーって手なんか震えてくるし。でも、足が戻らねえんだ。踏み出したままゆっくり、ゆっっくり、森の方へ向かっちまう。足音を立てないように、ゆっくり、ゆっっくり進むんだ。そうしたら、
カーン、カーン、カーン、カーン、カーン
釘を打つペースがだんだん早くなってる。ろうそくの炎がちろちろ、ちろちろ揺れてる。 白装束の女だったよ。長い髪が背中まで伸びて、それを振り乱して、夢中で釘を打ってたんだ。そんで、さらに近づこうとした時だよ。
「ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ」
小声で女が何か言ってる。 ずーーっと
「ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ」
なんだ?って、思わず耳を澄ましちまった。 そしたら…なんて言ってたと思う?
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる 殺してやる殺してやる」
ふー、ふー、って息を吐きながら、ずっと
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる 」
カン! カン! カン! カン! カン! カン! カン! カン!
もう釘を打つのも滅茶苦茶。やたらめったら金槌を振り回してさ。 さすがに限界だったよ。これ以上はダメだ! って思った時、足に力が入ったのか
バキ!
って、何か踏んづけちまった。 思わず下向いたら、なんか白いものが目に入った。目が慣れてきたのか、うっすら見えたんだ。 骨だったよ。たぶん、あの女が殺した生贄のだろうな。
で、ハッ! と気が付いて顔を上げたら女がこっち向いてた。その時、雲がすーっと切れたんだ。青白い光が差してさ、満月だったんだ。その夜。
女の顔は真っ赤だった。顔だけじゃない。口からダラダラ血が垂れてて、目も真っ赤に充血してた。顔中に憎悪が染みついて、表情どころか心までゆがみきった顔ってのは、ああいうのを言うんだろうな。ありゃもう人間の顔じゃなかった。心が畜生になっちまったのさ。
「フキキキキキィィィ!!」
意味不明な短い叫び声をあげながら、金槌を思いっきり振り回してきた。 目が完全にイッてたよ。もう理性も何も無い。無我夢中の一発を肩の辺りにもらった。 痩せこけて骨と皮みてえな女だったけど、物凄い力だった。 なんとか押さえつけて、おい! 落ち着け! わかるか!? おい! って肩を揺すった。 だけどまた女は
「ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ」
口から泡吹きながら、言葉にもならねえ恨み言を唱えてる。もう日本語でも、いや人間の言葉じゃなかったなありゃあ。バシンと一発ビンタくれてみたけど、手のひらにベットリ血がついただけだったよ。女の頬は肉がぜんぜん無くて、頬骨を直接ぶっ叩いたみたいだった。 怒鳴り声を上げたり、大立ち回りしてたんで、神社の神主さんが懐中電灯でガサガサやってきた。そんで女を見て、気の毒そうな顔をしてこう言った。
「のまれてしまったんだな。呪われた方も気の毒だが、この子は助からんよ」
って。
そのまま、すぐに神主さんに御祓いをしてもらったんだけどさ。女の方はぐったりして起きあがらねえ。神主さんが言うにはこの子は若い上に、非常によこしまな動機で呪術を使った。そのうえ手順も滅茶苦茶でただただ恨み辛みを吐き続けてた。そもそも呪いというのは一方通行ではない。かならず何らかの形で自分に跳ね返ってくる。信じられねえけど、その女、まだ17だったんだと! 嫉妬に狂ったくたばりぞこないのババアみたいな風貌だったんだぜ? それが、めちゃくちゃな呪いのせいで精力を吸い取られて、魂が魔境に堕ちちまったんだ。結果、彼女と魔境は魂で繋がってしまった。だから呪いをかけ続けるしかなくなった。そうしないと、魂で繋がった魔境からどんどん生命エネルギーが吸い取られてく。呪いのエネルギーを身体に通していないと、命を保つ事さえ出来なくなってたんだ。もうこうなったら、熟練した能力者であっても完全に元の状態には戻せないんだそうな。
「気の毒だが、このまま死を待つしかないだろうな」
神主さんは深いため息をつきながら、一応って感じでナニゴトかゴニョゴニョ唱え出したよ。
ケラケラ……ケラケラケラ。ヒヒヒイ、イヒヒ。
その間もずっと、女は震えながら笑ってた。白目剥いてな。