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1.sic infit (そして、物語は始まる)(1)

「偉大なる王よ、シンとアックの名に懸けて申し上げます」


 王の丘の祭壇前は、城下に住む多くの民で埋め尽くされていた。俺の立つ場所から見渡す限り、人の海が続いている。男も女も、老人も子供も、皆一様に右手の人差し指を額の前に掲げ、じっと祭壇を見上げていた。


 群衆の中から、長い白鬚をたくわえた老人が進み出て、高らかに口上を述べた。シンとアックというのは何なのかはよくわからないが、この地で信仰されている神の名であるらしい。人差し指を掲げるのは、天の神への祈りを表している。隣にいるロカが、そう語った。


 老人は、大きな動作でひざまずくと、祭壇に向かって祈りをささげた。王の丘の頂上、太陽の祭壇の中央には、大きな岩が半ば土に埋まるような格好で鎮座している。光を受けると、網目のような模様が浮き出る、不思議な岩だ。ロカは、遠い昔に空から飛来した岩なのだと言った。俺の言葉で言えば、「隕石」にあたるものなのかもしれない。彼らにとっては神聖なる石のようで、一年に一度、王の生誕を祝う日のみ、こうして王の丘に集い、祭壇の下から岩に祈りを捧げることを許されている。らしい。


 祭壇の上には、玉座がある。左右後方から太陽に照らされた王の姿は、彼らの文化をまだろくに知らない俺でさえ、とてつもなく神々しいもののように思えた。

「民の長、バルバよ、申せ!」

王の横に立つ男が、老人に向かって仰々しく言葉を返した。マイクも拡声器もないのに、声が驚くほどよく通る。俺とは、発声法が根本的に違うように感じる。


「神よ、運命の子をお選びください!」


 老人の声とともに、一人の若者が進み出て、祭壇に続く石の階段の前にひざまずいた。どうも、老人の口上も含めて、これは祭祀のプログラムの一つらしい。初めの若者に続いて、数名の若者が列を作った。


「行ってこい」


 ロカが俺の背中を軽く叩く。軽くとはいえ、岩のように硬いロカの拳に小突かれると、内臓にまで衝撃が伝わってきそうなほど痛い。

 俺は少し咳き込みながら恐る恐る前に出て、若者たちの列に加わった。最初に前に出た若者は、階段下で兵士たちのボディチェックを受けると、一礼して階段に足を掛けた。そのまま、神聖なる岩に向かって、ゆっくりと歩みを進める。


 階段下から見上げると、大岩の様子がよく見て取れた。禍々しい黄色の網目模様は、太陽の光を受けて、中の石が輝くことで浮かび上がっているようだ。岩の上部には、何かが突き立っている。


 剣だ。


 俺は、汗のにじむ手のひらを服に擦りつけた。ロカから話は聞いていたが、これほど厳かな雰囲気の中で執り行われる儀式だとは夢にも思っていなかった。


 ――運命の子の儀式。


 神聖なる大岩には、かつて王の丘に降臨したという、神の御使いが残したとされる剣が刺さっている。「運命の子の儀式」とは、十八歳になり、成年を迎えた若者が、年に一回のこの日に神の剣に触れる儀式なのだという。言ってしまえば、成人式のようなものだ。兵士として徴用可能な成人となったことを皆に示し、命を賭して王国を守るという誓いを、王の前で立てるのだ。


 誓いの際、若者たちは剣を引き抜く動作をする。岩に刺さった神の剣は、この地に祭壇が築かれてから今まで、引き抜かれたことが一度もないという。この剣を引き抜く者こそ、神の御使いの生まれ変わりである「運命の子」だ。「運命の子」は、神の剣を携えて悪魔と戦い、王国に平和をもたらす存在とされている。

 かつては、運命の子を探すための儀式だったそうだが、結局剣を引き抜く者は一人も現れず、今では、兵士となることができる年齢の若者が、王へ謁見し、忠誠を誓う儀式へと様変わりしている。


 最初の一人が王の前に進んでからは、流れ作業のように儀式が進んだ。剣は、生半可な力ではびくともしないらしい。何人か、体格のいいものが顔を真っ赤にしながら引き抜こうと試みたが、剣は微動だにしなかった。王の側近に促され、すごすごと元来た階段を戻る。


 俺の番は、ほどなく回ってきた。階段のふもとで、兵士二人に体を探られる。何も持っていないと判明すると、目で「行け」と合図された。白く、ざらざらとした石の階段を上ると、目の前には、怪しい輝きを放つ石に突き立つ、一振りの剣が見えた。やや小ぶりながら、幅広の刀身を持つ、両刃の直剣だ。中央には、不思議な曲線で構成された、文字のようなものが彫られている。


 心臓が、少しずつ拍動を早める。俺の一人前の若者が、野太い両腕に力を込めて剣を引き抜こうとする。大柄で、見るからに力自慢という若者だったが、やはり剣は抜けなかった。


「次、黒い目のお前」


 階段の下にいた兵士よりも豪華な鎧を纏った男が、俺に向かって声をかけた。俺のような、黒髪、黒い瞳をした人間は珍しいらしい。ブルーやグレーの瞳に、赤毛、くすんだ金髪、というのが、この地方の人間の、一般的な容姿だ。

 目の前に座る、王も同じだった。長い金髪に、やや緑がかったブルーの瞳。胸元まで伸びた顎ひげ。節くれだった大きな手には、宝石をあしらった、きらびやかな杖が握られている。年は老人と言っていい年齢だと思われるが、肩幅は俺よりもずっと広く、若い頃はきっと勇猛な戦士であっただろうと思われた。


 王が、俺を真っ直ぐに見る。ロカに教えられた通り、王の前で片膝をつき、左手を広げて心臓の辺りに当て、右手の人差し指を立てて額に当てる。神の子である、王への忠誠を表すのだそうだ。王はゆっくりと頷くと、さあ、と言うように、岩に向かって手を差し伸べた。

 真っ直ぐに突き立った剣に、手を置く。岩の中に閉じ込められた、黄色いガラス質の石が、光を増したように思えた。剣の柄を両手で握る。巻きつけられた革紐が、俺の両手に吸い付いてくるような感覚があった。

 両足を少し開いて、両腕に力を込めた。だが、熊のような体格の若者たちが、ことごとく抜けなかった剣だ。ろくに運動もしたことがなく、腕力とは縁遠い俺の腕では、引き抜くことなど不可能だ。


 だが。


 ほんの少しだけ、剣が動いた気がした。無表情に、「次のもの」と列を捌いていた兵士が、訝しそうに俺を見た。


 おっ、と、思わず口から声が漏れた。手応えがある。剣は、ゆっくりと動いている。横にした指一本分ほど、刃がずれた。俺の次に控えていた若者が、剣が動いていることに気づいたのか、悲鳴にも近い叫び声を上げた。


 石の屋根に覆われた祭壇に控えていた兵士や神官たちが、一斉に声を上げた。祭壇の騒ぎが徐々に階段で待つ若者たちの列に伝わり、ふもとに集まった民衆のところまで届いていったようだった。俺が力を入れると、まるで地鳴りのような歓声が聞こえてきた。あまりの音量に、祭壇に置いてある調度品が、びりびりと震え出している。


 剣は、俺の力に応じるように、ゆっくり、ゆっくりと動き、誰にも見せたことのない剣先を見せ始めた。興奮のあまり、祭壇上に兵士が集まり出す。俺を取り囲むように人の壁ができる。皆が一斉に、オー、という低い声を上げ始めた。彼らが神に祈るときには、狼の遠吠えのような、独特の声を出す。声は波紋のように広がっていって、集まった大勢の民も呼応する。気がつけば、すさまじい音量の声に、俺は囲まれていた。世界の底から噴き上がってくるような合唱は、俺の非力な腕に力を与えた。

 

 重てえ、んだ、よ!


 腹の底から声を出しながら、最後の力を振り絞る。その時を待っていたかのように、剣は、しゃりん、という高い金属音を響かせて、岩から抜けた。思った以上に重い。俺は抜いた勢いでひっくり返りそうになったが、数人の兵士がすぐさま俺の背中を支えてくれた。


 固いものと金属が擦れ合って、音叉のように刀身が、わいん、と響く。周囲を見ると、居合わせた全員が俺を見て、目を丸くしながら固まっていた。ただ一人、王を除いては。


「運命の子よ!」


 突然、物静かに座っていた王が、思い切り声を張った。呼吸法が違うのか、声帯の作りが違うのか、とても人間の生声とは思えない、腹の底に響き渡るような声量だ。


「参れ!」


 足があまり動かない王が、側近の手を借りながら立ち上がり、祭壇の外に俺をいざなった。階段のふもとには、聖域とされる階段の手前ぎりぎりまで、人が押し寄せている。目を凝らすと、ロカの姿があった。相変わらず眉間にしわを寄せ、じっとこちらを見つめている。


「剣を」


 王が、今度は俺にだけ聞こえるくらいの声で呟いた。王は自分の胸元に手を置き、切っ先を向けろ、と言っているようだった。そんなことをして、周りを取り囲む兵士たちが怒り狂うのではないかと気が気ではなかったが、言われたとおりに、剣を王に向ける。王は、俺の前にひざまずき、両手を差し出して剣に触れ、自らの頭上に押し抱いた。そして、剣に覆いかぶさるように顔を寄せると、刀身にキスをした。


「掲げろ」

「え、あ」

「掲げるのだ、剣を」


 俺は、固唾をのんで見守る民衆の前に立ち、自分の頭上に剣を振り上げた。その瞬間、火山が噴火したのかと思うほどの轟音が、王の丘を揺らした。眼下に広がる人の海が、生き物のようにうねる。男たちの吠える声、女たちが、神にささげる、合唱の声。喜んでいる。俺の持つ剣が、彼らにとってどれほどの希望だというのだろう。


 祭壇に近づいていた若者たちが、剣に触れることもできないまま、階段を降りていく。だが、誰一人、俺に文句を言う者はいなかった。みな、俺の体に触れ、人差し指を額に掲げて、祭壇を去っていく。


「運命の子は、降りた!」


 王は立ち上がり、杖を振り上げて、またよく響く声で叫んだ。


「我らの神、シンとアックの名に懸けて、我らを魔物の檻より解き放つ運命の子とともに、我らは立ち上がらなければならない! 狼煙を上げよ! 男たちよ、剣を取れ! 女たちよ、勝利の歌を歌え!」


 兵士たちは剣を突き上げ、雄たけびを上げる。あらゆる人々の歓喜が、俺の掲げた剣に吸い寄せられているような気がした。


 ちょっと待ってくれよ、王サマ。


 俺は、剣をおろし、王に向き直る。先ほどまでの興奮が嘘であったかのように、王はいつもの強張った表情に戻り、氷のような目で俺を見た。


 いったい俺を、どうするつもりなんだ、あんたは。


 胸の中で王に呼びかけるが、もちろん答えはなかった。今この場で剣を捨てて、逃げ去ろうとしたらどうなるだろう。俺は生まれてこの方、こんな物騒なものを持ったことなどない。剣を振る腕力もなければ、剣の振り方も知らない。剣を持って進む勇気もないし、そもそも、剣など見たこともなかった。あたりまえだ。なぜなら――。


 俺が、運命の子? バカげている。


 熱狂の渦の中で、俺と王だけが、冷えたまなざしてお互いを見ていた。

 もう一人、この光景を冷えた目で見ているものがいるだろう。

 

 なあ、ロカ。あんただ。


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