第一部
1
「颯ちゃん! こっ、こっち、おいなぁ~(来いよ)!」
颯太は涼のうわずった声に、はっと振り返った。
二人がいる本山八幡神社の境内には、早春の柔らかい日差しが溢れ、春の到来に浮かれた鳥たちの喧しい鳴き声がこだましている。
細面の顔にうっすらと汗を浮かべた颯太は、落ち枝で足元の玉石を払いながら、神社の拝殿脇に静々とある神輿庫にゆっくりと近づいていく。颯太には、涼が神輿庫の前でいつになく興奮しているのが、その小刻みに震える背中で分かった。
春の日差しに満たされた境内だが、神輿庫の周辺だけは紙垂が巻かれた樹齢数百年の大杉や楓の巨木に遮られ、風が吹くたびに樹間から射す光の帯がチラチラと照らすだけ。
颯太は落ち枝を肩にもたせ掛け、涼の横に立った。
涼は丸顔にサッと線で引いたような垂れ気味の目を上目遣いにして、颯太の顔を覗き込む。そして、いい悪戯を思いついた時のような茶目っ気たっぷりの笑みを口元に浮かべ、手を掛けていた神輿庫の扉を蝶番がきしむ音と共に開いた。
総檜造りの神輿庫は普段、南京錠で厳重に鍵が掛けられ、細かい格子状の枠型からは中の様子は窺えない造りになっている。しかし、この日はなぜか、涼が扉をガチャガチャと押したり引いたりしているうちに、錠が自然に外れてしまったのだった。
神輿庫から流れ出る冷たい空気が二人の体を包み、ツンとくる檜の香りが鼻を衝く。同時に、光の帯がそよぐ風に揺られて、その形と指し示す場所を変え、神輿庫内の方々を照らし出す。光に照らされ浮かび上がる埃の舞いの向こうには、静かに、そして、威風堂々と台座に鎮座している神輿があった。
颯太と涼はその荘厳さに息を呑み、心許ない光を受けキラキラと輝く擬宝珠と透明感のある漆の光沢に自然と目を奪われた。
「すっげー! みこしや・・・」
颯太の感嘆の声が神輿庫内でこだまする。
涼と颯太の好奇と驚喜の視線は、神輿の頂でひときわと輝く物体へとゆっくりと移っていく。
神輿の頂には、金色に輝く鳳凰像が据えられている。
光の帯が微細な風に乗り、まず鳳凰の鋭いくちばしを、そして、白く輝く眼を射したとき、その鋭利な両の眼は赤くギラリと一閃し、面妖な輝きを辺りに放った。
二人はその見たこともない眼の輝きに、一瞬にしていすくめられ、呆けたように口をあんぐりと開けたまま、ゆっくりと後ずさった。
その時、一陣の南風が吹き、開け放たれたままの扉が蝶番を軋ませ、突然の闖入者を拒むかのように閉じていく。
扉が木枠を激しく打ち付け、強く重い音が境内中に響いた。
「あっ!」
二人は同時に驚きの声を上げ、そろって尻餅をついた。
一瞬の出来事に二人はしばし呆然としながらも、誰かに見咎められたのではないか? と周囲を見回した。
そして、互いに目配せをし、誰もいないことを確認し合うとすばやく立ち上がり、境内に敷き詰められた玉石をはね散らしながら、ところどころに苔のこびりついた赤黒い鳥居の下を潜り、石段を一気に駆け下りていった。
2
鹿股博明は人でごった返す新宿駅の九番線ホームで、川上淳司の到着を待ちながら、二年前の春の光景を思い返していた。
場所は、東京の下町、浅草。
時刻は午後三時を五分ほど過ぎた頃のこと・・・。
細かな雨が降る中を、舟渡御の祭列が駒形橋に到着した。
舟渡御とは、浅草寺、浅草神社の建立に係わる祭礼で、三社祭を愛する人々にとっては、一生に一度は経験したい憧れの行事である。三社祭の起源でもあり、その由来は、飛鳥時代、遣唐使が始めて海を渡った年、六三〇年の二年前にまで遡る。
六二八年、檜前浜成・竹成の兄弟が、三月一八日の早朝に隅田川で漁をしていると、一体の仏像が投網に掛かった。二人がその仏像を豪族土師中知に見せたところ、仏像が観音様であることがわかり、土師中知は自宅の屋敷を改築し寺として、その観音様を祀った。そして、自分も出家をして、生涯をその礼拝供養に捧げたという。その寺が現在の浅草寺である。
その後、浅草寺の元を築いたとして浜成、竹成、中知を祀る神社が建てられた。それが浅草神社である。
江戸時代に入り、浅草寺本尊示現会は、観音様が御示現された日(三月一八日)に併せ、浜成、竹成、中知三人の御霊の乗った宮神輿を舟に載せ、ゆかりの隅田川を渡御する祭礼を行った。それが「舟渡御」の起源だと言われている。
時代は巡り、この祭礼は途絶え、昭和三三年に浅草寺本堂の再建を祝して行われたのを最後に行われてこなかったが、山王祭、神田祭、深川八幡祭などと並び、古くから江戸っ子に愛されてきた三社祭の斎行七〇〇年年祭としてこの日、舟渡御が半世紀ぶりの復活を果たしたのだ。
鹿股は胸中でホッと息をつき、隅田川の川岸で渡御の様子をいっしょに追っていた舟渡御再興委員会の事務長の様子を伺った。
事務長は目の前の光景に感極まり、細かく肩を震わせていたが、それはほんの一瞬のことで、その顔にゆっくりと安堵の色が広がっていくのを鹿股は見逃さなかった。
「ごくろうさまでした。立派な祭礼でした」
鹿股は興奮をグッと胸の内に押さえ込み、事務長に手を差し出した。
鹿股の隣では、祭りの様子をビデオに収めていた新入社員の川上が興奮し上気した顔を事務長に向けて、鹿股の言葉にしきりに頷いている。
三人の周りには、この歴史的な祭礼の復活をひと目見ようと多くの見物客が集まり、ごった返していた。陸に上がった宮神輿に向けて歓声を上げたり、拍手で迎えたりと、それぞれのやり方で舟渡御の無事の帰還を祝っている。
「いろいろお世話になりました。皆さんの協力がなかったら、ここまでたどり着けなかったかもしれない・・・。本当にありがとうございました」
事務長は鹿股の手を握り返し、そう答えた。これまでの苦労が再び脳裏に蘇ったのか、その言葉尻りがかすかに震えていた。
なにせ五四年振りの復活である。当時は、現代のように気軽に誰でもイベントを記録し保存できる時代ではない。そのため、参考になるような資料に乏しく、再興には途方もない時間と労力を要した。
少ないスナップ写真を参考にしたり、当時を知る人たちに話を聞いて回ったり、また、浅草寺や美術館に所蔵されている錦絵などを当って、暗中模索の中から舟渡御の様子を想像し、ひとつの形に収斂していく・・・。
宮神輿を載せる台舟の形状は?
台舟を飾る旗はどんなものか?
装飾物はどんなものがあり、どこに飾ればいいのか?
と、次から次に難問が立ち上がってくる。
舟渡御の概要や様子が分かれば、それでワッショイ! というわけにはいかない。神輿が舟に乗り、隅田川を渡るのだ。役所、警察、消防といった公的組織も引き込まなければならないし、五四年の歳月は、祭りの形式・様式だけでなく、人々の祭りに対する意識や取り巻く社会状況も変えている。
舟渡御のためだけに、四方の幹線道路を通行止めにしていいのか?
今更舟渡御を再現する意味はあるのか?
資金はどう工面するのか?
それらをクリアにしていかなければ、祭りは文字通り「絵に描いた餅」に終わってしまう。
その壁を一つひとつ突き崩していったのは、ひとえに浅草っ子の「祭り」に対する情熱と誇り、そして、使命感だ。代々祭りを受け継いできた者たちの、「この伝統を後世に伝える!」という強い気持ちが、地域の人々を動かし、この舟渡御を実現させたのだ。
事務長は表情を晴れやかなものに変え、「五月二〇日が三社祭の本番です。また忙しくなって、ほんと参っちゃいますよ。でもね、鹿股さん。こればっかりはやめられねぇんだなあ」と、しわがれた江戸弁で鹿股と川上に言った。
事務長の頭はすでに三社祭本番に切り替わっていて、その晴れやかな表情の中に、浅草の「お祭りっ子」の矜持と喜びが溢れているのを、鹿股は見て取った・・・。
―あれかもう二年が経ったのか。早いものだな・・・。
「すみません。お待たせしました」
川上が背中に仕事道具の詰まったリックを、両手にはたくさんの紙袋を掲げ、鹿股の前に現れた。童顔で一六〇cm弱の身長に少しダブついたスーツを着ている川上の姿は、端から見ると、高校生の家出と間違われ補導されてもおかしくない。鹿股はその姿を見とめ、フッと微苦笑を浮かべた。
鹿股と川上は、新宿二〇時発の特急あずさに乗り込んだ。二人はこの日、埼玉県の大宮で行われた市民まつりに、主催者の一員として参加していた。
鹿股が社長を務める株式会社re-festaは、長野県松本市に社を構え、舟渡御のような古に行われていた祭りの蘇生や、これから新たに祭りを興そうという市町村や実行委員会へのコンサルティング業、また、祭りへの協賛企業を募るなどの広告代理店的な仕事を主な事業としている。
伝統文化を見直し、地域の活性化に繋げようとする地方自治体や、都市部から流出した人たちによってできた新興住宅街を抱える市町村、長引く不況でスポンサー集めに苦慮する祭りの実行委員など、クライアントは引きを切らず、経営は左団扇というわけではないが、鹿股を含め社員五人を食わせていくだけの売り上げは、十分確保できていた。
「それにしても、ずいぶんと荷物が増えたなあ?」
鹿股は座席に着くと、メタルフレーのメガネの汚れを拭い、網棚の上に撮影用の機材を載せている川上にそう訊いた。
川上は照れ笑いを浮かべ答えた。
「おみやげ、買いすぎちゃって・・・」
川上は鹿股の大学時代の友人、川上雄一の甥にあたる。
就活に失敗し、地元福岡の大学を卒業した後も、バイトをしながらプラプラしている甥を見かねた叔父の雄一が、鹿股に相談したのをきっかけに、二年半前からリ・フェスタで営業部員として働くようになった。
子供のいない雄一と甥・淳司とは、小倉祇園太鼓の太鼓打ちとしての深い師弟関係もあり、親子以上の深い絆で結びついている。そんな訳もあり、川上は半ば強制的に「師匠命令」により、縁もゆかりもない松本に送り込まれたことになる。
「これ御徒町の『うさぎや』さんのどら焼きなんです。買ってきちゃいました」
川上は席に着くなり、満面の笑みを浮かべ、足元の紙袋からどら焼きを数個取り出した。そして、包装紙を貴重品でも扱うかのように丁寧にはがし、狐色でまん丸の物体を目の前に恭しく掲げ、舐めるようにほおばった。
川上は、「僕ははやりのスイーツ男子なんです!」と胸を張るが、甘い物ならグラニュー糖でもなんでもOKというこだわりのなさに、会社内では「ただの節操のない甘い物好き」としか認識されず、ブームが下火になるとともにまったく相手にされなくなった。普段はさっぱりとした性格なのだが、甘い物のこととなるとやたらと「ウンチク」を語りたがるクセがあり、当然、酒は一滴も飲めない。
鹿股はそんな川上を横目に、缶コーヒーのプルトップを開けた。そして、鼻に纏わりついてくる甘い香りを肴に、半分ほどあおった。ひと仕事終えた開放感が、ここ数ヶ月の疲れをゆっくりと洗い流していく。
「それで、その『うさぎさん』ってのは、有名な店なの?」
「『うさぎさん』じゃないです。『うさぎや』さんです!」
川上は鹿股の方に身を乗り出し、皮がどうだ、餡がどうのと、いちいち指でその箇所を指し示し、「うさぎや」のどら焼きがいかにおいしいかを、微に入り細に入り語りだした。
鹿股はその口上を聞き流し、窓外に視線をやり、再び缶を傾けた。すっかり夜の帳が下りた窓の外には、家々の灯りが星くずのように燈っている。
視線の先を走り抜けていく在来線は、思い思いの休日を過ごした人たちで満員だ。これから人っ子一人いない寒々とした家に帰るのかと思うと、鹿股の口から短いため息がもれた。
「それで、川上くん。雄一の具合はどうなんだ?」
雄一は昨年の一〇月、勤め先である銀行の職場内で倒れ入院して以来、福岡県北九州市の小倉にある総合病院に通院していた。
鹿股は雄一が入院してすぐの時期に見舞い行き、高校、大学とラグビーで鍛えた雄一の体躯がひと回り以上も小さくなったのを見て、「厭な病気でなければいいが・・・」と、心配しながら病室を出たことを思い出していた。
川上は口の中のどら焼きを、ウーロン茶で胃に流し込んだ。
「ええ。もうだいぶ快復しているようです。すっかり痩せちゃいましたし、以前のような油ギッシュな感じはすっかりなくなりましたけど・・・。退院したら小倉で家庭菜園でもやりながら、ノンビリするそうです」
「仕事はどうするつもりなんだ?」
「詳しくはまだ決めてないようですが、もう朝から晩までアクセクするのはうんざりなようです」
鹿股は銀行内での足の引っ張り合いを、イヤというほど雄一から聞かされてきている。それに「銀行はもうたくさんだ!」という雄一の気持ちは、以前、同じ境遇にいた鹿股にも十分に理解できた。
「そうか。まずは体を元に戻すことが先決だな。仕事なんて後からどうにでもなる。なんだったらうちの会社で働いたっていいんだ」
「ということは、雄一おじさんが、僕の後輩になるっていうことですよね?」
川上はあっけらかんとした口調でそう言い、そうなったときのことを頭の中でシミュレーションしているのか、しきりに首をひねり、「それはまずい」などと独り言を呟いている。
特急あずさは藍色の空に真っ黒な稜線を描く山々を抜け、長野県内に入った。
松本駅で下車すると、冷たい空気が鹿股と川上の体を包んだ。
時間は夜の一〇時を過ぎている。
「ふう~、やっぱこっちは寒いっすねぇ」
川上はそう言って、手に息を吹きかけた。
鹿股は薄手のコートの襟元を合わせ、「ああ。久しぶりのこの寒さは体に堪えるな」と、川上の言葉に細かく相づちを打った。
三月中旬の信州は、まだ春の空気には染まりきっていない。松本市のある中信地域でも、あちらこちらにまだアイスバーン化した根雪が残っている。
鹿股がこの松本市に会社を構えて、早四年の歳月が過ぎた。鹿股自身、春が遅い地域の季節のリズムにも、ようやく体が馴染みつつある。
会社の立ち上げ当初は、全国の祭りめぐりに忙しく、季節の移ろいに目を向けている余裕などなかったが、会社が軌道に乗ってきたのを境に、日々の移ろいを敏感に察するようになっていた。
鹿股は駅前の駐車場に停めておいた社用車で、まず川上を駅から数分の所にあるアパートに送り、その足で事務所に向かった。
松本駅から篠ノ井線に並行して走る国道一九号線に出て、塩尻方面に五キロ強。篠ノ井線の平井駅を越え、長丘町の交差点を右に折れる。七〇メートルほど進むと左手の奥まったところに、鉄筋二階建てのオフホワイトの建物が見えてくる。そこがリ・フェスタの社屋だ。以前は、小規模の輸入雑貨会社の所有の建物だったが、長引く不況で倒産し、土地つきで売りに出ていたのを、鹿股が購入したのだった。
鹿股の乗る車が社屋前の駐車スペースに滑り込んだ。鹿股はふっとひとつ息を付き、社屋を見上げた。
「あれ? こんな時間に誰だろう・・・」
日曜の夜更け。誰もいるはずのない二階の事務所に明かりが灯っている。
鹿股は撮影機材などの荷物をそのままに、足早に事務所に向かった。階段を上がり、事務所のドアの前に立ち、ゆっくりと音を立てないよう、中の様子を伺いながらドアノブをひねる。
開き放たれたドアの向こうには、鹿股にとって見慣れた後ろ姿があった。
「ああ~、伸さんですか・・・。お疲れ様です! どうしました? こんな遅くに・・・」
輿が突然の呼びかけに背中をビクンとひとつ震わせ、振り向いた。
「ああ、社長。お疲れ様です。ええ、ちょっと売上伝票の整理や例の和歌山の件の下調べをしていましたら、遅くなってしまいまして・・・」
輿は柔和な笑みを浮かべ、鹿股の元にやってきた。
伸さんこと、輿伸一はリ・フェスタでは最古参の社員で、鹿股にとっては懐刀といえる存在だ。主に経理の仕事を任せているが、日本全国の祭りや神事にも詳しく、鹿股が松本市でリ・フェスタを立ち上げた当初、祭りの全国行脚を行ったときにも同行した。
出会いは、鹿股が三七歳、輿が四七歳のとき。
鹿股がリ・フェスタの前身となる会社を東京で起こし、その最初の仕事が、松本の市民祭り「松本ぼんぼん」のスポンサー探しだった。祭り専門のコンサルティング会社ということで、事務局長だった輿の目に留まり、仕事を依頼されたのだ。
そこで仕事を通してお互いに気が合い、鹿股が輿をヘッドハンティングする形で、リ・フェスタに迎えられた。鹿股は、病気がちの母親を抱え東京に出ることを逡巡していた輿のために、事務所を東京から松本に移転させたほど、輿の知識と経験を高く評価していた。
「それで、そちらはどうでした?」
「ええ、盛況でしたよ。運営局長も大変喜んでくださいましたしね。舟渡御の仕事を成功させてから、リ・フェスタの名前もだいぶ世間に浸透してきたかな、と感じました」
「そうですか。それはよかった。会社を始めて四年・・・。ようやく全国的にも名前が知られてきたようですね」
「ええ、これも伸さんをはじめ、みんなのおかげです。でも、これからですよ。これを機に、もっともっと多くの方に我々の会社の存在を知ってもらわねば・・・」
輿は「おっしゃる通り」と言い残し、給湯室に行き、冷蔵庫から缶ビール二本とつまみを持って戻ってきた。
「こちらに戻ってくると思っていましたので、用意しておきました。大宮での仕事の成功を祝って乾杯といきましょう!」
「いいですね! でも私は歩いて帰れますが、伸さん、帰りはどうされるんですか? 車も下にありませんでしたし、こんな時間じゃ電車も・・・」
「何を小さいことを言ってるんですか! 私はタクシーでもウチの奴でも呼びますから、心配ご無用!」
二人の手元の缶から気泡がはじける音がした。
「それじゃ、社長! リ・フェスタの将来と従業員全員の健康を祈って乾杯!」
「乾杯!」
二人は互いに、会社設立当初のことを想い浮かべながら、よく冷えた缶を打ち合わせた。
3
鹿股と輿が二人だけの酒宴を始めたのと同じ頃、和歌山県の南西部に位置する小さな島でも、あるささやかな酒宴がピークを迎えようとしていた。
その小さな島、本山とは、紀伊半島の和歌山県有田郡広川町からフェリーで紀伊水道を四〇分ほど南西に行ったところにある、面積三〇平方㎞、人口八〇〇人ほどの島だ。
「涼のやつ、神社で神輿見つけてからずっと興奮しててな・・・。この一週間、神輿の話ばっかりしちゃる」
西尾豊はそう言って、静かに雨宮大和のお猪口に酒を注いだ。
「ウチの颯太も 『パパ、何であんなとこに神輿があるんよか?』って、毎日やかましくってかなわな・・・」
二人は互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
豊と大和は、大和の家で久しぶりに杯を傾け合っていた。
豊が、「明日は会社の創立記念日やし、久しぶりに一杯やらんか?」と声を掛け、大和がいい地酒が手に入ったからと、夕食後に自分の家に誘ったのだった。昔に比べ、日焼けの薄れてきた二人の顔が、今夜は酒に赤く染まっている。
西尾家も雨宮家も代々、本山で漁師を営んできた。大和と豊は、この島で生まれ育った生粋の「島っ子」で、高校を卒業後、何の迷いもなく家業の漁師を継いだ。しかし、今は家業であった漁業はすでに廃業し、二人とも和歌山市内の建築会社で作業員として働いている。
大和たちが漁師を生業としていた頃は、漁の後には決まって近隣の漁師仲間を誘って酒盛りになったものだが、サラリーマンになってからは、そんな機会は自然と少なくなり、家と会社を車で行き来するだけの単調な生活が続いている。
大和は「毎日がずいぶん味気なくなったなあ」と感じてはいるが、「これがサラリーマンちゅうものだ!」と割り切ってしまえば、生活も規則的だし、気持ちの面でもずいぶんと余裕ができ、こんな生活もそれほど悪くはないな、と思い始めていた。何せ毎日の水揚げ量に一喜一憂する必要はもうないのだ。月々の手当は月末の決まった日に銀行に振り込まれるのだから。転職当初は、ライフスタイルが大きく変わることを不安がっていた妻の圭子も、「生活が楽になった」と今では喜んでいるほどだ。
男二人とその家族の人生は数年で激変したが、島の状況はどの地方の島嶼部とも変わらず、悲惨なまま何の変化もない。
「平成の大合併」で広川町に合併されてから、行き届かない行政サービスに業を煮やし、特に高齢者を抱える家庭は、先を争うようにして島を出て行った。
就学年齢の子供の減少も著しく、小学生は四年生の颯太と涼、それに颯太の姉で小学六年生の聡美のほか六名がいるだけ。彼らが通う本山小学校は、最後の生徒になる颯太と涼が再来年の三月に卒業した後、廃校になることが既に決まっている。
中学生も二年生になる西尾家の長男、純一を含む四名と、高校生六名が島で生活しているのみ。純一たち中学生は、フェリーで広川町の町立中学校に通い、高校生もフェリーで広川町に出て、そこから和歌山県内の高校へと散らばっていく。
難儀な生活を強いられているのは、子供たちばかりではない。
島内の商店はほとんどが閉店しているため、島民の大半は今ではちょっとした日用品を揃えるにも、フェリーで広川町まで出なければならないという、不便な生活を強いられているのだ。
まだ時代が昭和といわれていた頃には、県内でも有数の水揚げを誇る漁港としてならしていた本山も、平成に入ってからは極端に漁獲量が減っていき、その減少に比例するように漁業を廃業する家が増えていった。
年々少なくなる漁業による収入に、子供の養育費など支出は増える一方。住民の高齢化と跡継ぎ不足のため、息子たちの代までこの本山がいっぱしの漁村である可能性は低い・・・。
二人にとって家業であった漁業の廃業は、四〇歳まであと五年という歳での一大決心だった。父親から受け継いだ舟を捨てることに若干の躊躇はあったが、決断を引き延ばしていれば状況が改善するわけでもない。逆に、決断を先送りにすることは、つまり、現実に目を背け続けることは、将来の可能性を閉ざしてしまう結果になりかねない。三〇代中盤なら、まだ十分やり直しは可能だ。
二人は五年前、この日と同じように大和の家で杯を傾けながら、互いに漁師廃業を決心したのだった。当時、両親がすでに他界していた大和は、廃業に対する周囲の大きな反対はなかった。しかし、豊は、父親の強硬な反対をねじ伏せての廃業だった。
ほどよく酔いの回った二人に、優しい沈黙が流れた。
豊が幾分酒臭くなった息を吐きながら、突然、居住まいを正した。
大和は何事かと、口元に持っていきかけたおちょこを止めた。
「なんや。改まって。知っていると思うが金ならないで! 無い袖は振れんぞ!」
大和は真っ赤になった豊の顔を覗き込んだ。
豊は岩のようなゴツい手を膝に置き、元漁師らしいいかり肩を前後左右にユラユラと揺らしている。
「どうしたんや。なにか話したいことがあるなら、遠慮せんと言ってみ!」
逡巡していた豊がまなじりを決し、口元を引き締めた。
「ダイちゃん、俺はこの島、離れよう思うんや。去年オヤジが死んでから、ずっと頭の中で考えちゃったんよ。ただ、四〇年間この島に住み続けてきて、なかなか踏ん切りがつかんかった。それでカミサンに思い切って相談してみたんよ。そしたら、カミサンも同じこと考えちゃってな・・・。オヤジが生きてたら、『お前ら、漁師捨てて、この島も捨てるんか!』って言われるのがオチやし、カミサンもずっと胸の奥にしまってきたそうや」
大和は豊の話を聞いて、一瞬息を呑んだが、すぐに気を取り直した。
「そうか・・・。そんで、なんで島を離れるちゅうことになったんや? サラリーマン生活もようやれ安定してきたとこやろ」
豊は少し言いにくそうに口ごもった。
「遠慮せんでもええ。俺とオマエの仲やろ。言いにくいことでも、はっきり言わなぁわからん。それに今日は、それを言うつもりで来たんやろ?」
豊はウンウンと頷き、ゆっくりと話し出した。
「長男の純一のこれからのことや。進学のことを考えるとな、やっぱりでかい町に越しておいた方がええんやないかって・・・。もちろん、ここからでも高校に通えんことはない。けど、こんな辺鄙な島から通っていたら、いじめにあったり、田舎モン扱いされたりちゅうことも考えられるやろ? 最近の子供は、よう分からんから・・・。俺たちにできることは、まずそうならんよう環境を整えてやることや。そう思ったんよ。けどな・・・」
豊は大きなため息をひとつ吐いた。
「颯ちゃんが、この島で独りきりなることを考えると、かわいそうでな・・・」
豊はそこで口を閉じ、ユラユラと揺れている体を止めて、目の前にある酒をグッと飲み干した。豊にはまだ言い足りないことがあるらしく、膝の上に置いた手をしきりと揉んでいる。
大和は、豊のカラになったおちょこに酒を注いだ。
「まあ、ホウちゃんの家族がいらんようになると、ウチも寂しくなるけど、カミサンと相談してそう決めたんなら、そうすべきやろ。颯太ことは気にせんでええ。逆に颯太のことを心配してもうて、感謝したいぐらいや」
大和はおちょこの酒を飲み干した。
「それで、仕事や住まいはどうするんや?」
「仕事は、姉貴のダンナが大阪の鶴橋にある教科書の取次店に勤めてて、そこに一人分空きがあるんでどうや? って言うてくれてな。家は八尾に手ごろな物件を見つけた。八尾からなら鶴橋まで十分電車で通えるしな」
「大阪の八尾か・・・。それでいつ引っ越すつもりなんや? もうメドくらい立ててるんやろ?」
「来年の三月くらいには、と思ってんねんけど・・・」
「こっちの家はどうするん?」
「二束三文にしかならんだろうけど、売ってしまうつもりや」
「大阪の姉やんには、その話は済ませとるのか?」
「ああ。まあ。家の件はええんよ。そがなことはええんよ・・・」
歯切れの悪い豊の物言いに、大和はすこしイラついた口調で言った。
「何をそがに考えこんどるんじゃ! それじゃ、引越しの前祝いや。ホウちゃん、おちょこ持て!」
豊は突然、意を決したように和卓から身を乗り出し、大和の顔を正面から見据えた。
大和は豊のその迫力に押されて、少し身を引いた。
「どうしたんや? なんか悪いこと言うたか?」
豊は大和の目をじっと見詰めた。
「ダイちゃん、もう祭り・・・、やらんのか?」
大和は豊からの唐突な問いに戸惑った。
「祭り・・・って、なんのことや?」
「本山八幡祭りや・・・」
酒で火照った体が急速に冷めていくのを、大和は感じた。
豊は和卓に身を乗り出したまま、話し続けた。
「この島を出る前に一度だけでも、純一や涼にあの祭を見せてやりたいんや。この島がまだ賑やかだった頃の俺たちの祭りを! なあ、ダイちゃん。ダイちゃんにこんなお願いできる立場やないってことは、十分わかっちょる。でも、祭りはダイちゃんがいないと始まらないんや!」
大和は憮然とした顔で、ゆっくりとおちょこを和卓に置いた。
本山八幡祭りとは、同じ和歌山県で行われる印南祭(和歌山県日高郡印南町の山口八幡神社で行われる、全国的にも有名な秋祭り)にその流れをくむ本山伝統の祭りで、操業の安全と豊漁、子孫繁栄が祈願される。
その起源は、山口八幡神社から本山八幡神社に分霊が勧請されたとほぼ同時期に、印南町の一部の人々が本山に移り住み、祭りの様式を伝えたのが始まりと言われ、それまで行われていた島の祭りと同化し、長い年月を経て、本山八幡祭りとして現代に伝わってきた。旧暦では八月、新暦に入ってからは、三月第三日曜日に行われる慣わしとなっていた。
大和も豊も、子供の頃は囃子手として、一八歳からは神輿の担ぎ手である「輿舁き」として、祭りに参加し、人に対する礼儀や島で生きる術を学んできた。島では、祭りが大人になるためのひとつの通過儀礼であり、大人であることを証明する儀式でもあった。
たいした娯楽もない本山では、祭りは最大で最高の行事であり、大和も豊も物心がついた頃には、「祭りのために今日を生きる」という、「祭り人」的な生き方を自然と選んでいた。
この祭りを本山八幡神社の宮司と共に取り仕切るのが、「頭屋」である雨宮家の当主だ。
「頭屋」とは、祭りの神事や行事を世話する「人」や「家」のことを指し、島に印南祭の祭典や儀式のあり方を伝えるのに中心的な役割を果たしたのが、雨宮家の祖先であったことから、雨宮家当主が代々その役割を担う慣わしとなった。
雨宮家の当主は、祭りのひと月前から「物忌み」に入る。
本山八幡祭りの「物忌み」で頭屋は祭りまでの約一ヶ月間、一人潔斎部屋に籠もり、飲食や行動を慎み心身の清浄を保ち、祭りに神霊を迎えるための準備をする。物忌の期間、雨宮家の玄関先には、「オハケ」といわれる御幣が飾られ、それが島全体に祭りが始まったことを示す合図となる。
つまり、雨宮家の当主が「物忌み」に入らなければ、この祭りは始まらないのだ。
全国各地で行われるどんな祭りでも、それぞれに独特の儀式や祭礼が執り行われるが、本山伝統の祭りでも、他の地域の祭りと同様、独特な儀式が存在する。
祭りの前日、神社では「祭典」と「宵宮」の儀式が行われ、祭り当日は「神霊入りの儀式」の後に、宮司が掲げる御幣を先頭に、禊を済ませた氏子たちによる「エッサ(〝神様を〟運ぶ)、オイナァー(〝みんな〟こっちへ来い!)」という掛け声と共に、神輿の渡御が始まる。輿舁きによって担がれた神輿は、村に数箇所ある御旅所を回る。ここまでは、よその祭りでもよく見られる光景だ。
本山八幡祭り独特の儀式は、神輿渡御の終盤にある。
渡御の終盤、輿舁きに担われた神輿は、冬の名残がまだ色濃く残る冷たい海に入り、水しぶきを上げながら海の中を練り歩く。浜では、数々の大漁旗が打ち振られ、輿曳たちの勇気と根性を歓声と共に鼓舞する。
その海入りのとき、神輿正面に設置された鳥居から上の部分を絶対に海水に浸けてはならない、という決まりがある。「宮入り」「神霊返しの儀式」のときに、海水に浸かったかどうかが宮司によって確認され、「浸からなければ豊漁」「浸かっていれば不漁」と漁の吉凶が占われる。海水に浸かってしまった神輿は解体され燃やされ、新しい神輿は、氏子たちの寄進によって再度建造される。
よって、神輿を海水に浸からせるということは、「不漁」を意味し、なおかつ、新しい神輿の建造費も賄わなければならなくなることをも意味しているのだ。氏子全員が「どんなときでも力を合わせ助け合う」、その気持ちを忘れたときに「災い」がもたらされるという戒めとしての意味があると伝えられている。
この壮大で男気に溢れた本山八幡祭りは、長年に渡って島の氏子たちを魅了してきた。しかし、その祭りは、ここ一〇年開かれていない・・・。
大和は頬を引きつらせ、苦笑した。
「ホウちゃん、今更、なに言ってるんや。俺はもう祭りはたくさんなんよ。いくらホウちゃんの頼みでも聞けることと、聞けんことがあるわ」
「ダイちゃんの気持ちも分かる。ひと月以上の辛い物忌みをして祭りに臨んでも、島の現状がこれじゃ、祭りをやる意味がない・・・」
豊は呟くように言った。
「それに・・・、オヤジさんのことも・・・、祭りを避けている理由なんやろ?」
大和の父親も当然、本山八幡祭りの頭屋として祭りを取り仕切ってきた。
その父親は一五年前、漁船同士の衝突事故で命を落とした。操業の安全を祈る本山八幡祭りの頭屋の家で起こった海難事故だった。
父親の「海」での死は、大和の頭屋としての振る舞いに甚大な影響を与えた。何しろ祭りが始まって以来、頭屋の主人が海で亡くなることなどなかったのだから・・・。
この事故を期に、祭りへの求心力はだんだんと低下していき、年長者の中には、まだ二十代半ばになったばかりの若い大和が頭屋として振舞うことに嫌悪感を匂わす者も出てきて、それまでの「どんなときでも力を合わせ助け合う」という氏子同士の繋がりも、徐々に希薄になっていった。悪いことは重なり、ちょうど漁業の衰退と、それに伴う人口の流出が始まった時期でもあった。
ただ、事故後の二、三年は大和を頭屋として、惰性で祭りは続いた。しかし、そんな環境に置かれ、大和は自分自身の中で本山八幡祭りを開催する意味を見出せなくなり、頭屋として祭りを取り仕切ることをやめてしまった。本山八幡神社の宮司や、豊の父親から再三再度の説得にも応じなかった。
それ以来、「物忌み」に入ったことを意味する「オハケ」が、雨宮家の玄関口に立てられたことはない・・・。
「ホウちゃんに何が分かる! それに、俺もホウちゃんもう漁師やない。そんな人間が頭屋になって祭りを仕切ったって、また島中のあざけりの対象になるだけや! それに誰があの神輿を担ぐ? 囃子はどないする? 神楽舞は誰がやるんや? ジジイ、ババアばっかりのこんな島じゃ、どうにもならんやろ!」
豊はひたすら頭を下げ、大和に懇願した。
「ダイちゃん、もう一度考えてみてや。俺は、涼たちに一度だけでもあの祭りを見せてやりたいんや。今日返事をしてくれとは言わん! お願いや! 一度考えてくれ!」
二人の間に、気まずい空気が流れた。
時間は、午前二時を過ぎている。
二人のいる居間に潮の香りを含んだ風が流れ込んできた。
海からの潮の香りが黒岩啓の鼻腔を突いた。
黒岩は寝付けずに悶々とした気分のままベッドから起き上がり、薄く開いたままのガラス窓を閉めた。
本山出張所に勤める黒岩は、長野県松本市という縁もゆかりもない土地への出張を翌日に控えていた。朝八時一一分和歌山駅発の南海特急に乗るためには、最低でも五時三〇分に家を出なければならない。
日付はとっくに、「今日」に変わっていた。
上司である主任の岸本三郎から、この「奇妙な仕事」を指示されたのが、先週の金曜日のこと。黒岩はその日の夕方の出来事を思い浮かべ、小さく嘆息した。
金曜日、午後四時過ぎ。
黒岩は長い一日を終えようとしていた。
この日、黒岩がやった仕事といえば、和歌山市内での就職が決定した高校生の転出届けを受理したくらいで、日がな一日、デスクに座り、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
四時上がりのパートの女性職員が帰宅し、黒岩も早々に帰宅の準備を始めたとき、短躯で丸々とした体つきで、いつ何時でも赤ら顔で眠むたげな表情をしている岸本が、音もなく黒岩が座るデスクに近づいてきた。
岸本がもったいぶった口調で言った。
「黒岩くん。黒岩くんに、ちとお願いしたいことがあってな」
「はい。なんでしょう?」
黒岩は「どこそこの爺さんの様子を見てきてくれ」くらいの「お願い」だと高を括っていたが、岸本の様子が、いつもとはちょっと違う気がした。
「黒岩くんは本山八幡祭りって、知っとるよな?」
黒岩は黒縁のメガネの鞘を中指で押し上げ、懐かしげな顔を浮かべ答えた。
「ええ。小さい頃、よく父と一緒に沿道から見物しました。懐かしいなぁ~。それで、その祭りが、どないしたんですか?」
岸本は小首を傾げた。
「それが、俺も詳しいことは分からんのやけど、西尾のホウちゃんいるやろ? そのホウちゃんがこの前、この出張所に来てな。『本山八幡祭りを来年復活させる』言うて、俺に『お前らも準備しとけ!』って・・・。もちろん、酒が入っての冗談やと思うとったら、どうやら本気らしいんや。ただ、あの祭りは、俺らとホウちゃんが『ほなやりまっせ!』と言ったところで始まらん祭りやろ?」
岸本は何のことかわからずポカンとしている黒岩を見て、呆れ顔で天を仰いだ。
「黒岩くん! もう役所の職員になって三年も経つんやから、祭りは楽しむだけのものじゃないことを理解せんとあかんで! 祭りは島の歴史でもあり、財産でもあるんや! もっと勉強せなあかん! まったく・・・」
岸本はわざとらしい大きなため息をついた。
「黒岩くんも、雨宮大和、知っとるやろ? あの祭りはな、ダイちゃんの家、つまり雨宮家が『頭屋』言うて、代々祭りを仕切る役割にあるや。だから、当主のダイちゃんが、『ほな、はじめるで!』的なことをせな、祭りは始まらんことになってんねん。ここまではいいな?」
それから岸本は本山八幡祭りの概要と、その祭りがなぜ一〇年以上に渡って開催されてこなかったのかを黒岩に説明した。
黒岩が中学生の頃、それまで年中行事だった祭りが突然、パタリと行われなくなった。当時は、「まあ、そがなもんやろ・・・」くらいにしか思っていなかったが、その経緯を聞くと平穏無事だけが自慢のこの島にも、人々の葛藤の歴史があったのだ、と改めて思い直した。
岸本が続ける。
「ホウちゃんの家、来年、引っ越すらしいんや。それで、涼くん、言ったかな? その涼くんに、ぜひあの祭りを見せたい言うねん。上のお兄ちゃんはうる覚えやけど、参加したことを覚えているそうやけどな・・・。まあ、俺もホウちゃんには世話になったから、最後にその望みはかなえてやりたいっちゅうのもあって、相談に乗ってやっとるんやけど・・・」
黒岩は、数十年前、岸本が女性問題でややこしい状態に陥ったとき、高校時代からの友人である西尾豊に仲介に入ってもらい、事なきを得たというウワサを人伝いに聞いていた。
「でも、さっきの説明によると、雨宮さんが動かなければ、祭りはどうにもならんわけでしょ?」
「それはホウちゃんが力ずくでも何とかするそうや。でもな、祭りの式次第ちゅうんかな、そんなんは、その辺のジジイに聞けば、何とかなるやろうけど、今の本山には祭りを行うマンパワーがない。それに、祭りを開催する知恵、人を集める労力、そして、金もない。ようするに、ないない尽くしや。
俺もこの出張所に来て、八年経っとるが、来たときには、もう祭りはやってなかったし、祭りの開催に関与したことある前任者も、もうこの島にはおらんそうや。八方手を尽くしてみたけど、何の手掛かりもない。ダイちゃんに尋ねるわけにはいかんし、ホウちゃんは、『それを調べるのが、役所の仕事や! なんで税金払っとると思ってるんや!』って、訳のわからんこと言うし・・・」
岸本は一瞬、うんざりといった表情をしたが、すぐに得意顔へと表情を変えた。
「そこでや! 俺はネットでこんな会社を見つけた。株式会社リ・フェスタ。長野県の松本市にある会社で、古い祭りや伝統行事の再生をしたり、スポンサー探しを受け持ってくれたりするそうや。
そこで、黒岩くん、若いキミにこの会社に行って、ちょっと話を聞いてきてもらいたいんや・・・。まあ、毎日毎日、変化のない仕事ばかりじゃ飽きるやろ? だから、気分転換のつもりで、あまり硬くならず、ラク~な気持ちで行ってきてくれればいいから、なっ?」
その仕事と「若いこと」の間にどんな関係あるのか、黒岩には皆目分からなかったが、話がややこしくなるので、口をついて出そうになった疑問をグッと飲み込んだ。
「それで、出張はいつですか?」
「月曜日の二時に予約を入れといた」
「週明けですか? それはまた急な話ですね・・・。まあ、行くのはいいですけど・・・。で、雨宮さんは、このことは知ってるんですか?」
岸本は何食わぬ顔で、平然と答えた。
「知らんよ・・・、たぶん」
黒岩は、腑に落ちないといった表情で反論した。
「雨宮さんには『そういうことですんで、行ってきます』くらいのことは、言っておいたほうがいいのとちゃいますか? だって、それが筋やないですか? この場合・・・」
「もお~、黒岩くんもわからんやっちゃなぁ~。ダイちゃんは、祭りの開催を断固拒否しとるんや。そ・や・か・ら、まず周りを固めんねん。出張所やそのリ・フェスタちゅう会社の連中が動いてみぃ! ダイちゃんだって、その努力は無駄にできんやろ? そんなウラがあるわけや。要するにリ・フェスタの連中を『ダシ』に使うわけやな。『ダシ』に!」
岸本の道理を弁えた風なモノの言い方に、黒岩は少し鼻白んだ。
黒岩は、「関西人はダシが欠かせんですからね」と冗談のひとつでも言おうと思ったが、話が複雑になり、なおかつ、話があさっての方向に反れる可能性があると思い、また言葉を飲み込んだ。岸本に「ダシ」についてのウンチクなど語られたら、帰りが何時になるか分かったものではない。
「わかりました。それで、私は何をしてくればいいでしょう?」
黒岩は傍らにあった手帳を開いた。
「そうやな。とにかく一度、向こうさんに島に足を運んでもらうよう、お願いしてみてくれ。なるべく早いうちにな! 細かいことは、みんな揃って打ち合わせしよ。
あっ、それと神輿やな! 神輿! 神取山の八幡神社にある神輿が使えるのかどうか・・・。その辺も見てもらわなアカンな。場合によっては修理、イヤ、新造せなアカンかもしれんしな。なにせ、一〇年眠りっぱなしや。その点も聞いといてな。神輿の状態も見てほしいって。それじゃ、よろしく頼むで」
岸本は首尾よくことが進んだことに満足の体で、黒岩の背中をポンとひとつ叩き、自分の席に戻って行った。
そして、その途中で思い出したように付け足した。
「そや、松本の駅に着いたら、会社のほうに連絡くれ、言うてたわ。駅まで迎えに来てくれるらしいで。電話番号は・・・」
黒岩は岸本の言った電話番号をメモし、手帳を閉じた。
「はあ。分かりました。月曜の朝一で松本に向かうようにします。向うの方には、一度御足労いただけるようお願いしときます」
黒岩が大学を卒業し、この出張所に勤めて三年。
仕事らしい仕事といえば、転出届けの受理などの事務仕事と年に一度の防災訓練の誘導係りくらいなもの。無為な三年を過ごし、ようやく来年四月に、広川町役場に「栄転」することになっている。業務上の「キズ」を作らずに、新たな職場に乗り込みたい、というのが黒岩の本音だ。
―なんでこんなやっかいな仕事が・・・。
「西尾の提案だ」と岸本は言っていたが、きっと本人もノリノリのはずだ。何事も「ミザル、イワザル、キカザル」をモットーに仕事をしている岸本が、こんなことに口を挟むわけがない。西尾をそれこそ「ダシ」に使い、住民の要望ということで派手な企画立ち上げて、自分もついでに楽しんでしまおうという安易な企みに違いない、と黒岩は見ていた。
どちらにしろ、上司の命令だから従わざるを得ない。それに、たかが祭りひとつのことで岸本に睨まれて、あることないこと広川町役場の職員に吹き込まれでもしたら、来年度以降の仕事に影響してしまう・・・。
投げやりな気持ちが、ゆっくりと体を弛緩させていくのを黒岩は感じた。
―まあ、どう転んでも俺には関係ないか・・・。
まどろみが心身を包み始めたとき、まったく別の不安がふっと脳裏に湧きあがってきた。
―沙耶ちゃん、最近LINEの返信、遅いな・・・。どうしたんやろ・・・。
幼なじみの大川沙耶のほっこりとした笑顔が黒岩の脳裏に浮かんできて、ようやく訪れそうになった眠気は、いっぺんに吹き飛んでしまった。
―そういえば中学二年の時、沙耶ちゃんの友達と一緒にあの祭りを見に行ったよな・・・。考えてみればあれが初デートだったよな・・・。
沙耶は和歌山市内の美容学校を卒業後、国家試験に合格し、広川町近辺での勤務を薦める両親を説き伏せ、関西一体でチェーン展開をしている大阪市内の美容室に見習いとして就職していた。
以前は休日になると、和歌山市内や大阪市内で落ち合いデートを重ねていたのだが、最近はLINEの交換すら順調にいかない。たまに電話をしても、「忙しいから・・・」「疲れているから」と一方的に話を打ち切られることも多く、電話越しで軽い口げんかになることも度々あった。
―どうしたんやろ・・・。
黒岩は薄目を開けて、窓のほうに目をやった。
すでに夜は明けていた。