20-3 最後の一撃
ヴァラヴォルフの左肩の少し下から流れる血が氷の大地を赤く濡らす。
これが痛み。
常に一瞬しか味わうことのないそれはヴァラヴォルフにとってある意味初めてとも言えることだった。
圧倒的な力の前に自身の回復能力を封じられ、絶望の淵に立たされるヴァラヴォルフ。
だが、ヴァラヴォルフはそんな状況でも恐怖を感じていなかった。
(痛み……そうだな……これはまだ俺が生きてるって証拠だ……)
自分はまだ生きている。
目の前の死がどれだけ近かろうとまだ生きている。
次元の違う力を持つ者が相手だろうと、自身の能力を封じられようと関係ない。
「生きてる限りは……戦える……」
そんなヴァラヴォルフを見てボレロが興味深そうに首を傾げた。
「あら? まだ全然諦めてる感じじゃないわね。どうして? あたしの力も見せた、片腕も無くした、能力も封じられた。なのにどうしてまだ戦う気力があるのかしら?」
「さぁな……俺にもよくわかんねぇよ……」
その返事を聞きボレロは少し考えこむとヴァラヴォルフに訊ねた。
「……ねぇ、あなたって何のために生きてるの?」
「何の……ために……?」
「色々あるじゃない、自分のためだったりお金のためだったり愛する人のためだったり」
「そうだな……」
生きる理由。
ヴァラヴォルフの生きてきた人生はそんな事は考える余裕もなかった。
これまで自分の人生に自分の意思などなく、ただ言われるがまま従ってきただけだ。
死にたいと思うことはあっても生きたいなどと思ったことはなかった。
だが今は生きたいと思う。
その理由をヴァラヴォルフはもう知っている。
「大切な……ものを守るため……」
「ふーん。それってあのお姫様のことかしら?」
「どうだろうな……」
その返事を聞き、ボレロは少し遠い目をして語り始めた。
「あたしね、ずっと何のために生きてるのか考えてきたの。あたしのこの能力は全てを凍らす。それはあたし自身も同じ。あたしの時間はこの能力が完全に目覚めてからずっと止まったまま。そうね、良いように言えば不老不死とでも言うのかしら。でもね、ある時思ったのよ。終わりのない人生に意味はあるのかってね」
自分以外の全ては終わりに向かって進んでいく。
その中でただ唯一同じ場所から動かない。
それはまるで自分だけが世界に取り残されていくような感覚だとボレロは言う。
「だからあたしはその意味を探すために色々やってきたわ。でもね、結局そんなものは見つからなかった。あなたは大切なものを守るためって言ったわよね。それってあれよね、自分よりも大事で決して失いたくないものの事よね? あたしも言葉の意味ではわかってるのよ。でもそれってどうやったら手に入るのかしら。普通に生きていれば手に入るものなの? それともやっぱり特別な事をしないと手に入らないの? ねぇ、教えて」
その質問にヴァラヴォルフは答える。
「なぁ、あんた今まで生きてきて本当に大切なものってのは1つも無かったのか?」
「無かったわよ」
「そうかい。そんじゃもう一つ質問だ。あんた自分の事をまだ人間だと思ってるか?」
「人間……そうねぇ、普通に生きて恋をして子孫を残すのが人間だって言うなら別に思ってないわよ。まぁなりたいとも思わないけど」
「そうか……だったらあんたには一生手に入らねぇよ」
ヴァラヴォルフはメルルという大切なものを手に入れた理由を分かっていた。
それは自分が心のどこかで人間でありたいと願っていたこと。
化物と言われ続け、自分もそうだと思っていたし実際そうであったと思う。
しかし、そんな自分をメルルは人間に戻してくれた。
誰かを思い、その人のために命を投げ出せる人間に。
「ふーん、なんだかあなたの言ってる事よく分からないわ」
「だろうよ」
「まぁいっか。あなたの頭でも食べれば少しは理解できるでしょ」
その言葉を皮切りに再び戦闘は始まった。
先程と同様に無数の氷の柱がヴァラヴォルフを襲う。
そしてそれを避ける間にできた隙に、ボレロは自身の刀を確実に当てていった。
徐々に切り裂かれるヴァラヴォルフの体からは血が流れ、動きも段々と鈍っていく。
ヴァラヴォルフの血が氷の大地を赤く染め上げ、血の水溜りを作る。
「フフ、楽しいわ、この瞬間だけは生きてるって実感できる!」
ヴァラヴォルフの返り血を浴びながらボレロはひたすらヴァラヴォルフの体を刻んでいった。
体を刻まれ、出血により朦朧とする意識の中、ヴァラヴォルフはまだ諦めてはいなかった。
(まだだ……まだ……)
ボレロによる猛攻に必死に耐えるヴァラヴォルフ。
だがそれも長くは続かなかった。
ボレロから距離をとるために後ろに飛び退き地面に足をつけた直後、突如膝が折れ、地面に正座するように動かなくなったのだ。
「あ、あれ……」
「あら、流石に限界みたいね」
どんなに力を込めても動かない足。
(力が……消えていく……)
血とともに力が流れ出ていくような感覚。
ヴァラヴォルフの体は人間の姿へと戻っていった。
そんなヴァラヴォルフを見てボレロは先程の表情とは打って変わり、まるで玩具に興味を失った子供のようなつまらなそうな表情をし、氷の柱も氷の刀も消して、ヴァラヴォルフへと近づいていく。
「残念だけどお別れね。さようなら、狼男さん」
「くそ……こんな……こんなところで死んでたまるかよおおおおお!!!」
まだ終われない。
こんなところで自分は死ぬわけにはいかない。
そんな思いを込めたヴァラヴォルフの絶叫。
そして、まるでその絶叫に呼応するように、2人から遠く離れた城の城門付近から突如巨大な火柱が立ち上がった。
ゴウッという燃焼音が2人の耳に届き、それにボレロがいち早く反応した。
「ク、クロ──」
戦いの最中、終始微笑んでいたボレロの顔に焦りが見える。
そんなボレロに対し、ヴァラヴォルフは動いた。
ヴァラヴォルフには分かっていた。
自分の全ての力を持ってしても目の前の化物の力には遠く及ばない事を。
(だが関係ねぇ!!! ここで動けなきゃ俺は何のために──)
この時のヴァラヴォルフを突き動かしたのはメルルとの約束を果たすためというたった1つの思い。
ヴァラヴォルフは自身に残された力を全て使い果たし、四肢を変化させる。
そして自分から意識を逸し、火柱に気を取られているボレロに襲い掛かった。
ボレロにできたほんの僅かな隙。
普通ならば触れることすら叶わないボレロの能力ではあったが、この場合においては違った。
能力とはその時その時の心身が強く影響するもの。
それはS級能力者も同様である。
動揺と焦り、さらにそこに意識外からの強力な攻撃。
無論それでも自分の攻撃が届くかはヴァラヴォルフには分からなかった。
もしかすると圧倒的な力の前に、その体に触れた瞬間、瞬時に凍ってしまうかもしれない。
しかしヴァラヴォルフは迷わない。
(相討ちでもいい!!! たった一撃、たった一撃だけ──)
その攻撃は確実にボレロの能力の速度を上回っていた。
ヴァラヴォルフの全ての想いを乗せた一撃は最強の能力者の力をこの瞬間だけ超えたのだ。
だが──
それでもその攻撃はボレロに届くことはなかった。
「おしかったわね」
ヴァラヴォルフの突き出した腕は、ボレロの体の僅か数ミリ手前で止まり、氷に覆われていた。
「なん……で……俺はまだあんたに触れても……」
ここでヴァラヴォルフは気付く。
自身の足から首元まで氷に覆われていることに。
「あなた忘れてたみたいだけど、この氷の世界は全てあたしが作ったものなのよ。あなたが立っている場所も含めてね」
ヴァラヴォルフを凍らせたのはボレロ自身ではなく、2人が立っている氷の大地だった。
(こいつ……最初から……)
「少し時間を掛けて遊び過ぎたわね。楽しい時間をありがとう狼男さん」
最初から自分を殺そうと思えばいつでもできた。
それをしなかったのはただ遊びたかっただけ。
それに気が付いたヴァラヴォルフは自身の敗北を受け入れた。
(すまねぇメルル……約束……守れ──)
為すすべ無くヴァラヴォルフの体はやがて氷に覆われた。
そして上空から降り注いでいた氷の結晶はヴァラヴォルフの意識が途絶えると同時に消えていった。




