16-5 醜悪な力とそれを知る者
雅史の悪魔の腕によって体を引き裂かれたバアルはかろうじて意識を保っていた。
いつ死んでもおかしくない傷、それにバアルは恐れを抱いてはいなかった。
むしろバアルが感じていたのは喜びである。
「こ、これだ……この力だ……」
バアルは初めて見た悪魔の力を思い出していた。
絶望的なまでの力、それを身をもって体験したバアルはその喜びから思わず笑顔になってしまう。
「さ、最高のき、気分……だぜ……なぁ……その力持つってよぉ……ど、どんな気分なんだ……」
バアルは雅史に問う。
悪魔の力を手にした気分はどうだと、自分では手に入らなかった力を持つ気分はどうなのかと。
「最低の気分だよ……」
醜悪に満ちた右腕を眺め雅史は答える。
「だけどアーニャを助けられたことには感謝してるよ」
「ハッ、悪魔の力を……誰かを守るために……使うなんてもったいねぇ……」
雅史はバアルの横を通り過ぎアーニャの元へと歩き出した。
右腕は役目を終えたかのように段々と元の右腕の姿へと戻っていく。
「おい……最後に……聞かせてくれ……」
バアルは最後の力を振り絞り、雅史に話しかけた。
「お前……その力で何するつもりなんだ……?」
「……どうするつもりもねぇよ、ただ俺は守りてぇもんを守るだけだ」
「ヒャヒャヒャ……やっぱり……もったいね……ぇ……」
バアルは息絶え、その体は心臓へと変わっていった。
「大丈夫かアーニャ?」
「バカじゃないの? あなたの目にはこれが大丈夫なように見えるのかしら?」
「……」
「冗談よ……えっと、ありがとうね」
「……おう」
雅史はアーニャの体を優しく起こすと、近くのビルの壁へ背中を預けるように座らせた。
アーニャの右手と太ももの辺りには大きな穴が空いており、そこからは血が止まること無く流れ出ている。
アーニャは自らの能力で救急キッドを取り出すと、そこから何か液体の入った注射器を取り出し、それを穴の空いた手足に打った。
すると開いた穴はみるみると塞がり、一瞬のうちに傷が治った。
「補肉剤って言ってね、失った肉体を再生してくれるの、まぁ見た目だけで中身はズタズタなんだけどこれで出血で死ぬことはないでしょ」
アーニャが無理をして元気そうに喋っているのは雅史にも分かった。
アーニャの顔は明らかに生気を失いかけており、声もいつもよりもか細い。
「なぁアーニャ、ジャンはどうしたんだ……?」
「……オリビアと一緒に死んだわ」
「そうか……」
暫しの沈黙。
「また私たちだけ生き残ったわね……」
「あぁ……」
雅史は思う、強大な力を持ちながら自分は死んでいった仲間のために何も出来ないのかと。
自分の能力をはっきり認識できたわけではない、分かったのはこれが悪魔の力だということだけでどうして自分がそんな力を持っているのかなど検討もつかない。
ただ今はそんな自分のことよりも、もうこれ以上誰にも死んでほしくないという思いだけが雅史の正直な気持ちだった。
「とりあえずここから離れてどこかに入ろう、ここは目立ち過ぎ──」
言いかけて雅史の目の前の視界がぐるぐると回り始めた。
視界の中にはアーニャが自分に向かって何かを言っている。
(あぁ……これって代償ってやつか……頭が働かね……ぇ……)
雅史はそのまま地面に倒れた。
その意識は底の見えない暗闇に吸い込まれるように消えていった。
◇
──天界──
ガブリエルとミカエルは同じモニターを見ていた。
それはミカエルの担当である雅史が映るモニター、雅史が意識を失うのを確認してガブリエルは口を開いた。
「彼の能力のことミカエルさんは知っていたんですか?」
「えー、そんなの知らなかったよー、あたしもちょーびっくりーって感じ?」
「ミカエルさん、正直に答えてください」
ガブリエルはいつもの優しめの口調ではなく、強めの口調でミカエルに問いかけた。
ミカエルもそんなガブリエルの様子に気付き、真面目な顔で喋り出す。
「仕方ないな、正直言えば確かにまーくんの能力のことはなんとなく知ってたわよ」
「でしょうね、それでどうして悪魔の力を持っていると知っていながら報告もせずゲームに参加させたんですか? これがどれだけ大変な事か分かってますよね?」
「そんな大した話じゃないじゃない、別に悪魔の力を持っている人間をゲームに参加させちゃいけないなんてルールないでしょ?」
「僕が言っているのは報告をしなかったことです、分かってますか? 悪魔は僕たち天使の敵なんですよ? それをここに招き込むなんて……」
「ちょっと待ってよ、別にまーくんは悪魔の力を持っているだけで悪魔そのものじゃないじゃない、流石にあたしだって本物の悪魔を連れ込むなんてしないわよ、いい? まーくんは悪魔の力を持っているただの能力者なの、これのどこに問題があるっているの?」
ミカエルはあくまでも雅史をただの人間の能力者だと言い張るがガブリエルにはとてもそうだとは思えず、納得するなどできるはずもなかった。
「ミカエルさんだって知ってますよね? 今までどれだけ僕ら天使と悪魔が争ってきたのかを、実際僕もあなたもその争いの中で活躍したから今の序列にいるんですよ? それでも4大天使の一人ですかあなたは?」
「ほんっとガブっちは真面目さんだなー、仮に悪魔が一匹ゲームに紛れ込んだくらいであたしたちには大して実害なんてないじゃない、いざとなればあたしたち天使が対処すればいいだけの話なんだしさ」
「そういう問題じゃありません! 敵の一人がこの天界にいる事自体が問題なんです!」
「ふーん、まぁ別にあたしはなーんにもルール違反なんてしてないしー、それが問題だっていうなら神様にでも天使長様にでも勝手に報告したらぁ?」
「言われなくてもそうさせてもらいます」
ガブリエルは天使長へと繋がる電話が置いてある場所まで歩いて行った。
その様子は明らかにミカエルに対し怒りを覚えている様子であった。
そんなガブリエルの後ろ姿をミカエルは普段からは想像もつかないような冷たい目で見つめる。
(んー、流石にここでまーくんが自分の能力をネタばらししちゃうなんて予想外だったなー)
ミカエルは傍に置いてあるお菓子の袋に手を伸ばし、中からお菓子を取り出してそれを口に頬張る。
後ろでは何やらガブリエルが天使長と揉めているようで、ガブリエルにしては珍しく天使長に向かって意見しているようだった。
(さてさて、こっからどうなるやら、最悪の場合ガブっちと戦う事も予想しといたほうがいいかもなー)
そんな事をミカエルが考えていると天使長との話を終えガブリエルが戻ってきた。
ガブリエルは明らかに納得していない様子でミカエルの隣に腰を降ろす。
「どうだったー?」
「どうもこうもありませんよ、天使長様はどうかしています」
「ってことはなーんも問題なかったって事かな?」
「そういうことみたいです」
「よかったー、下手したらあたし天使長様に殺されちゃうかと思ったよ、でもこれで分かったでしょ? まーくんの能力は別に気に留めることのほどでもないって」
「もう分かりましたよ、どうにも腑に落ちませんがね……」
「まぁまぁ、お菓子でも食べて気を落ち着けなさいって」
ミカエルはガブリエルに自分の持っているお菓子の袋を差し出す。
ガブリエルはその袋からお菓子を取り出すとボリボリと食べ始めた。
「……おいしいですね」
「でしょ?」
「まぁこれ元々僕のお菓子なんですけどね」
「そう言わずにさ、楽しくゲーム観戦しようって」
「ほんと僕だけがおかしいんじゃないかとさえ思えて来ましたよ……」
ガブリエルは今の出来事でもしかしたら自分が間違っているのではないとさえ思い始めていた。
自分がただ過剰に反応し過ぎているだけで実際は本当に大した問題ではないのかと。
(とりあえずは今は納得するしかないですね……しかし後半になればきっと何かが起こるはず……その時は──)




