14-4 愛する者へ
【21:32 都市エリア 東部 倉庫】
雅史とアーニャはローゼンクロイツが出した奇妙な装置に繋がれたまま並んで椅子に座らされていた。
装置の見た目はノートパソコンそのもので、そこからケーブルが何本も伸びており、その一つ一つが2人の手や足、首や頭に繋がれている。
何よりも奇妙なのはパソコンの左右に長く黒い棒が立てられていて、その先端にネズミの死骸が置かれていることだった。
「なぁ、いつまでこのままなんだ? もうかれこれ五時間以上このままなんだけど……」
「うるさい黙っとれ、集中できん」
パソコンの前でなにやら作業をしているローゼンクロイツは雅史に目もくれずキーボードをなにやら弄っている。
「ハァ、アーニャは辛くねぇのか?」
「別に、むしろローゼンクロイツの研究からあなたの能力の事も分かるかもしれないのよ?」
「そりゃまぁそうだな……」
「それにしても案外あなた平気そうね」
「何がだ?」
「リアンを殺した事よ、人を殺したのなんて初めてなんでしょ?」
「やっぱり変だよな? 俺も自分がこんなに冷静なのを不思議に思ってるよ……」
「そう、一応あなたにもこれ渡しておいた方がいいかもしれないわね」
そう言ってアーニャは懐からカプセル型の錠剤を取り出し雅史に渡した。
「これは?」
「あの変態に渡した能力の代償を抑える薬よ、あなたの能力は思ったよりも強力そうだし持っておいて損はないでしょ?」
「お、おう、ありがとよ」
「ま、まぁ、お礼だと思いなさい……」
「え?」
「な、なんでもないわよ」
アーニャは薬を手渡すとプイっとそっぽを向いた。
「そういや睦沢にもう一つ薬渡してたよな? あれってなんなんだ?」
「……」
「教えてくれよ、今更隠すことねぇだろ?」
「あれは能力の覚醒剤よ……」
「覚醒剤?」
雅史は一瞬有名な精神刺激薬を思い出したがそれは違うだろうとすぐに考え直した。
そして出た答えがこれだった。
「もしかして暴走ってやつか……?」
「察しがいいわね、そうよ、私が渡したのは自身の力を意図的に暴走させる薬よ」
「な、なんでそんなもの!」
雅史は思わずアーニャに叫んだ。
セオドアの暴走は、最終的に自分自身が能力に呑まれ死ぬ事によって収まったとアレックスから雅史は聞いていたからだ。
「だから言いたくなかったのよ」
ハァと溜息をつくアーニャ。
「暴走したらあのセオドアみたいに死んじまうのか……?」
「どうかしら、確かに暴走によって心身にかかる負担は計り知れないけれど死ぬと決まってるわけじゃないわ、それにあの変態の力ならそんな薬使うことも中々ないでしょう」
「かもしんねぇけどよ、もしも、もしも使うような事になれば……」
「使うような時がくるならどっちみちかなり危険な状況にいるってことよ」
「……」
「でもまぁ本当に危険なら信号弾を撃つでしょうし、上で見張りをしてるアレックスとマルコスが気付くでしょう、そんなに心配することじゃないわよ」
「そうだよな、あいつに限ってんなことあるわけねぇか……」
雅史と睦沢は出会ってからまだ1日と少ししか経っておらず、お互いを完全に知りきれたわけではなかった。
それでも雅史は睦沢を信頼していた。
確信があるわけではなかった、それでも睦沢を見ていて悪い人間だとは思えなかったし、仲間のために戦える心優しい人間だと認めていた。
それに何より強い奴だと雅史は思っていた。
自分なんかよりもずっと強い男、雅史は睦沢の無事を祈った。
きっと何事も無くオリビアと一緒に帰ってくると。
◇
睦沢に放たれたガラスの欠片が砕け散るのを見たバアルはすぐにそこから飛び退いた。
「おいおい、まだ能力使う体力が残ってるとはねぇ……」
ゆらりとおぼつかない足でその場に立ち上がる睦沢。
「今ので……全部使い切った……スよ……」
睦沢はポケットに手を入れると先ほどとは別の錠剤を取り出し、それを口に入れる。
能力覚醒剤、意図的に能力を暴走させるその薬は、飲めば瞬間的に能力の力を大幅に引き上げることが可能になる。
しかし能力を暴走させることによってその人間にかかる負荷は計り知れないもので、例えば爆発の能力を持っていれば自爆、酸の力を持っていれば最後は自分自身を溶かしてしまうように最終的に自分の能力に呑み込まれ死んでしまうことがほとんどである。
もちろんそのことは睦沢自身もよく知っていた。
それでも睦沢が能力覚醒剤を飲んだのは愛する者のため、世界で一番大事な者のためであった。
(こんなところで……こんなところで自分は死ぬわけにはいかないんスよ……)
「なんだよこりゃあ……」
バアルは思わず目の前の光景に息を飲んだ。
フラフラで今にも倒れてしまいそうだった睦沢が何か薬のような物を飲み込んだかと思うと、突然地面が地響きを立て、ビルがその振動で揺れ動き始めたからだ。
その中心にいる睦沢は真っ赤に充血させた目をカッと開き、首筋には今にも切れてしまいそうな血管が浮き出ている。
「オ……レハ……シヌワケニハ……イカナイ……ンダ……」
「これがお前の力ってわけか、ヒャヒャヒャ、こりゃすげぇぜ」
睦沢は血が流れ出す右肩を上げ、バアルに向かって手を向ける。
すると睦沢の目の前の地面に亀裂が入り、その亀裂は真っ直ぐバアルに向かっていった。
バアルはそれを横に避けると近くの車を念動力で持ち上げ睦沢に投げつけた。
しかしその車は睦沢にぶつかる前にベコベコと音を立て、空き缶が押しつぶされるように圧縮されていく。
「ちっ」
それを見てまともな攻撃は通じないと考えたバアルは後ろを振り返り一旦距離を取ろうと走りだそうとした。
そのバアルの足を止めたのは先に立つ高層ビルが先ほどバアルが避けた地面の亀裂によって崩壊する様を見たからである。
五十階はあろうそのビルには一階から縦に亀裂が入り、その影響によって下が押しつぶされるように崩れていった。
逃げ場の無くなったバアルはとっさに自分の能力で睦沢の力を調べ直す。
「おいおいなんだよこりゃ……ボレロ並の力じゃねぇかよ……」
バアルの額から嫌な汗が流れる。
睦沢の能力はさっき調べた時とは次元が違うものであった。
それは過去に一度だけ姿を見たS級ボレロ・カーティス並みの力。
「くそ、いくら俺様でも反映できねぇ」
睦沢は両腕を左右に広げるとその手の平を上に向け、何かを持ち上げるように徐々に腕を上げていく。
その腕の動きに合わせて先程よりも大きな音を立て地面が揺れ動く。
「……おいおいおいおい冗談じゃねぇぞ──」
その光景は思わず自分の目を疑ってしまうものだった。
睦沢の両腕が向けられた四十階建てほどの二百メートル近くある巨大なビル二つが浮かび上がったのだ。
「ダ……ダズゲル……レ……イナ……」
睦沢は目や鼻から血を流し、首や腕に浮かぶ血管は引き千切れ血が吹き出している。
しかしそれでも睦沢が止まることはない。
巨大なビルは地上から離れ、いつバアルに向かって落とされてもおかしくない状況。
しかしそんな状況でバアルは笑みを浮かべた。
「なるほどな……こうすりゃいいんだろ……?」
バアルに向かい巨大なビルを落とそうとした瞬間、睦沢はその動きを止めた。
「レ……イナ……」
血で霞む睦沢の目には世界で一番愛する者、玲奈の姿が映っていた。
睦沢には分かっていた、それが玲奈本人ではないと、バアルが自分の記憶を反映させて作った玲奈の偽物だと。
だがそれでも止まってしまった、躊躇してしまった、そしてその一瞬の迷いが致命的な結果へと繋がる。
「今だ! 殺れ!!!」
玲奈の姿でそう叫ぶバアル。
その声と同時に睦沢の胸から矢の先端が突き出した。
そして睦沢は糸が切れた人形のように突然力を無くし、地面へ膝をつく。
(あれ……変ッスね……体に力が入らないッス……)
睦沢の能力で浮かんでいた巨大なビルは睦沢の能力を失い他のビルの頭上へと落ちていく。
その音は都市エリア中に響き渡ったが、睦沢の耳には届いていなかった。
睦沢を刺した人物がその矢を乱暴に引き抜くと、睦沢の胸からは血が吹き出し、睦沢の足元に血の水たまりを作ってゆく、そして睦沢はその血の中へと倒れこんだ。
矢は確かにコーコのものであった、しかしコーコは今もデスクに足を潰され倒れたままである。
睦沢は眼球だけを動かし自分を見下ろすように立つ人物を確認した。
(ハハ……そりゃ無いッスよ……)
睦沢は昼間にアレックスに言われた事を思い出した。
アーニャと睦沢に別の作戦を頼みたいと言い、二人にアレックスが言った言葉。
『オリビア・メイスンには用心しろ』
睦沢の血で真っ赤に染まった矢を握り、倒れる睦沢をニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて見下ろすオリビア・メイスンは睦沢に囁くように言った。
「ほんと亮くんはお人好しだね」
(……やっぱ自分てどうしようもなく馬鹿だったみたいッスね……ごめん玲奈……俺……お前のこと──)
トドメを刺すようにオリビアは手に持つ矢を振り下ろした。
無慈悲なその一撃は睦沢の愛する者への最後の言葉をその意識ごと刈り取った。
◇
【23:56 都市エリア 東部 倉庫】
「いいか、1日の進行情報聞いたら俺は絶対にあいつらを探しに行くからな!」
「あぁ分かってる、報告を聞いたらすぐに探しに出かけよう」
日付が変わるまでに戻るようにと伝えてあったはずの睦沢とオリビアは、3日目が終わろうとしている今の段階で戻ってきていなかった。
雅史はすぐにでも探しに行くと言ったがアレックスがそれを制止し、3日目の報告が終わった後に捜索することとなった。
『やっほー! おまたせー!』
日付が変わると同時にミカエルの声が雅史の頭に響く。
『まーくんあたしと会えなくて寂しかったでしょー? あたしも──』
『んなこといいから早くしろ!』
『お、おぉ、まーくん反抗期なのかな? てっきりまた質問してくるものだとばかり思ってたんだけど?』
『今はそれどころじゃねぇんだよ! 早くよこせ!』
『はいはーい、つまんないのー』
ミカエルは不満そうにそう言うと通信を切り、雅史の元に3日目の進行状況のプリントを転送した。




