プロローグ:精霊使いはまだいない
――今夜はハズレの日だ。
たった一つの灯りも見えない廃墟地帯のただ中で、俺は諦念と共にため息をこぼした。夜闇に紛れるような黒いぼろ布の張られた馬車が、耳障りな音を奏で、ひた走る。その荷台から見える後方には、一体の異形。
「刀理のボス、四足獣型だ。足がはえーッス。……追い付かれるッスね」
傍らで二十を少し越えたばかりのひょろりとした男が怯えた声を出した。俺よりも五つ以上は年上のくせに、下手くそな敬語を止めやしない。それにボスって呼ぶな。ただの傭兵仲間であって、決してボスではない。次いで五十がらみの大男が、やれやれとばかりに首を振りながらこぼした。
「数は一。三人がかりなら安全に撃退できるな」
概ね同意。イレギュラーさえなければ、殺れる。現在進行形で俺たちを追う全人類、不倶戴天の敵――悪魔を。
東京の貧民街に軒を連ねる商人に、俺たち三人が護衛として雇われ出発したのが本日早朝。悪魔の蔓延る死と隣り合わせの危険地帯まで商品という名のガラクタの仕入れに同行、ようやく帰途についたやさきのことだった。ヤツに出くわすことさえなければ、今夜は穏やかな夜であったのに。ツイてない。おかげさまで今夜はただの荷物ではなく、傭兵に成らざるをえない。
馬車の後方五十メートル、四足で力強く疾駆する姿は小さい。ぼろ馬車を牽くじいさん馬よりも遥かに小さく、精々が大型犬程度。実際、その姿は狼に近かった。しかし通常の狼とは明らかに異なる。獲物を求めてギラギラと血走った両の瞳は、人ならざる黄金。額に浮かぶは幾何学的な紋様。
金瞳と額の紋様――全悪魔共通の印だ。
あれに意味があるのかは知らない。興味もない。ただ、あのわんころを始末さえできれば、報酬と安らかな眠りが俺を待っている 。 重要なのは、それだけ。
それなのに――。
「……う、そだろ……。もう一匹とか、ねえよ」
左後方、かつて地下鉄の出入口だった階段から新手が参上。蜥蜴チックな悪魔が鬼ごっこに合流。ふざけてやがる。三対二。考えるまでもない。無理だ。ただの魔術師では歯が立たない。悪魔を相手取るにはどうしても必要だ――精霊使いが。
――ここに、精霊使いはまだいない。
必然、「ゴルド、あのトカゲ相手に何秒もたせられる?」