父が死んだ日、私はようやく自由になった
「お父様、お亡くなりになりました。」
そう聞いた時、私の胸に湧き上がったのは悲しみではなかった。
安堵。
ホッとした。
とにかくホッとした。
親の死に安堵してしまう。
正直に言うと喜びすら感じている。
そんな自分は人でなしとも思う。
それでも、全身から力が抜けていくのを止められなかった。
これが、私の本心。
私が望んでいたこと。
ずっとずっと父がいなくなれば良いと思っていた。
恨んでいた。
いっそ殺したいとすら思っていた。
それくらい激しく暴力を振るい暴言を浴びせてきた父だった。
誰も理解してくれなかったけど。
父は、外面は良かった。
父は商才はあったようで、会社を経営し、裕福な生活を送らせてくれた。
父、こだわりの豪邸。
父、こだわりのお嬢様っぽい習い事。
衣服もブランド物。
最新の玩具は必ずと言って良いほど与えられた。
教育も熱心。
幼稚園から私立のエスカレーター校に入れられた。
外から見れば、私は父に溺愛され大事にされた子供だったと思う。
あくまで人目がある所では大事にされていた。
父は、親切で、気さくで、誰にでも分け隔て無く接する自分を装っていた。
周囲の人と
「○○ちゃん。」
なんて親しげに呼び合い。
冗談を言って笑わせる。
気前よく人にご馳走して、困っている人の手助けも惜しまない。
人は、皆、私に
「良いお父さんだね。羨ましい。」
なんていう。
その言葉に私は曖昧に笑うことしか出来なかった。
だって、それは、父の一面だけなのだから。
父は外に良い顔をする度に、溜め込んだストレスを私達で発散していた。
飲んで帰ってきて、家では罵倒ばかり。
「ダメ!全部ダメ!ダメだ!」
まずダメだし。
全てを否定する。
「そんな下らん事いう口はいらんだろう!縫ってやる!こっちに来い!」
気に入らない事を言えば、罵倒。
「その目つきはなんだ!見てないだと?!見えてない目なんか用がないだろう。くりぬいてやる!こっちに来い。」
何を言っても罵倒。
何も言わなくても罵倒。
首根っこを引っ張られ、壁に向かって叩きつけられる。
痛さに呻いていると、
「なんだ!その情け無い声は!うるさい!」
なんて言ってきて、ゴミ箱を被せられた。
私の身体がすっぽり入る大きさのゴミ箱。
その上から重しを載せられたり、ゴミ箱事蹴り上げられたり。
ゴミを全身に浴びて、痛さと情けなさ、恐怖に涙が止まらなかった。
遠くで母親が父に懇願している声が聞こえる。
「クズはくずかごに入れだだけだ。お前もいれてやろうか!クズ製造機め!」
なんて声が聞こえてきて・・。
それが我が家の日常だった。
そんな父も、年老い、身体が弱り、寝たきりになった。
宴会にばかり行き、好きな食生活をしていたツケが回ってきたのもあると思う。
転んで骨折して入院。
思うように動けないストレスからか本性が出て、看護師さんやスタッフに暴言や暴力を振るうようになってしまって、手術はおろか治療も出来ないって事で系列の施設に入ることになった。
その頃には既に母は亡くなっていた。
心労がたたったんじゃないかと思う。
父一人、私一人の家族となっていた。
仕方なく私が色んな手続きをする事になった。だけど、父に会いたい訳じゃない。
施設には事情を話して会わないように取り計らってもらった。
本当は二度と来たくない。
世話もしたくない。
最低限でお願いしたけども、どうしても家族じゃないと無理な書類とかある。
父も、我が儘に
「○○を持ってこい。」
なんて言ってくる。
きっと、施設でもご迷惑をおかけしているんだろう。
申し訳ない気持ちが勝って、父の部屋の前まで行った。
ドア越しに暴言を吐いているのが聞こえる。
「死ね!お前なんて生きている価値が無い!殺してやる!包丁を持ってこい!こっちに来い!」
何かがドアにぶつかる音。
恐らく父が何かを投げたのだろう。
「クソが!死ね!死ね!しねぇぇぇぇぇぇえぇええええ!」
震えてくる。
あの時からもう何年も経った。
私は小さな子供じゃない。
だけど、すぐさまあの時に記憶は戻る。
頭がガンガンと痛んで。
心臓が激しく打ち付ける。
息がうまく吸えない。
足下が揺らいで見える。
脱力してその場にしゃがみ込む。
両手で身体を抱きしめる。
小さく。
小さく丸まって。
早く終わって。
ごめんなさい。
私が悪いの。
私が。
何が悪いかわからない。
わからないけど。
私が悪いの。
終わってくれるなら何でもいう。
頭だって床に擦り付けて。
擦り傷が出来て。
痛いけど。
「ごめんなさい・・ごめんんんぁさぁい・・・・。」
父の声はやまない。
誰かが私の手を取って、車椅子に乗せて、そこから連れだしてくれた。
施設の職員さんだって気づいて。
私は、その場でケアマネさんに電話した。
「もう、無理です。」
そう口にした途端、涙が次から次にあふれ出た。
碌に言葉も出なくて、ただ泣くだけになった私に、ケアマネさんは、身元保証会社を教えてくれた。
家族に変わって施設や病院でひつようになる手続きなどを引きうけてくれるのだという。
私は娘なのに、他人に丸投げして良いのかと躊躇する私に話だけでも聞いてみたらと進められた。
紹介された会社に電話すると担当者は私の話を静かに聞いてくれた。
「お辛かったですね。もう、無理しなくても良いのですよ。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが、緩んだ気がした。
私は、解放されても良いのだろうか。
良いんじゃないか。
私には私の人生がある。
そう思いつつも、すぐには手続きはできなかった。
急に父の状態が変わったからだ。
誤嚥をして、再入院。
それでも暴言、暴力。
治療拒否は続いていた。
病院から電話がかかってくる度に、怒りと恐怖。
悲しみがわき上がってくる。
もう嫌だ。
見捨てたい。
でも、無責任じゃないだろうか。
私は娘なのに。
そんな思いが捨てきれない。
考えるだけで苦しくなる。
何度も迷い、その度にケアマネさんや会社の担当者に相談した。
何度、面談を重ねても、やっぱり書類にサインが出来ない私に、
「簡単に割り切れないですよね。」
「大丈夫ですよ。何度でもご説明させて頂きます。」
誰も私を責めない。
どころか、
「ただ、無理はしなくて良いですよ。親は選べないのですから。」
労ってくれる。
相談を重ねる度に、少しずつ私の気持ちは固まっていった。
精神的にも、限界だった。
その日も病院から連絡が来た。
父が怒ってナースコールを引きちぎったらしい。
治療も出来ない、急変する可能性がある。
電話が終わって、改めて、限界だと悟った。
やっぱり、もう止めよう。
私は身元保証会社に電話した。
履歴の上位にある番号をタップして、決意した事を告げた。
「急変するかもなら、早い方が良いですね。我が社は、死亡時の対応もしてますからご安心下さい。」
そこまで言ってもらえた。
日程を調整して、いよいよ明日契約。
となった日。
病院から電話がかかってきたのだ。
万が一、亡くなっても、連絡は事後で良い。
死に目に会えなくても構わない。
そうお願いしていた通り、死亡後の連絡だった。
死因は誤嚥性肺炎。
あれほど、人を怒鳴り、傷つけ、恐怖で支配してきた人間が、あっさり簡単に死んでしまうなんて。
父は、自分が人に何をしてきたのか最後まで理解していなかったのではないだろうか。
私の苦しみも。
母の苦しみも。
その報いも受けないで。
安堵の次に湧き上がったのは、怒りだった。
病院の職員から、今後の事について、説明があった。
死亡確認の立ち会い、葬儀社の手配、などなど・・・。
私は、その説明を遮った。
「行きません!」
と。
電話の向こうで、困惑する空気を感じた。
私も父のように人に迷惑をかけていると思った。
けど、もう我慢する気は無かった。
遺体の引き取りを拒否するとハッキリと告げた。
今まで、あんなに悩んでいて、最後は先祖代々の墓に入れて・・。
一応、弔って。
とか考えていたのに。
もう、彼の為に、何かをすることは一切したくなくなった。
考えたくも無かった。
病院のスタッフは困ります。
と、言っていた。
それも当然だと思う。
だけど、私はもう、無理だった。
「身元保証会社と契約しますからそちらとお話して下さい。」
と言って、電話を切った。
そして、その足で会社に赴いて手続きをした。
書類にサインして、印鑑を押して。
その朱色がやけに目に鮮やかに見えた。
帰り道、私は、今まで感じたことの無いような気持ちになっていた。
まるで羽が生えたよう。
父じゃなくて私が空に旅立ってしまいそうだとすら思った。
家に帰って、父の荷物をゴミ袋に詰める。
大事にしていた物や、高価であろうものも全て。
全て。
全て。
捨てる度に気持ちが楽になる。
それでも物量が多すぎて、回収業者に依頼して一緒に作業してもらった。
業者のトラックが去って行くのを見て、ガランとした部屋を見て改めて実感した。
私、解放されたのだ。
あの父から。
あの男から。
あのクズから。
クズはくずかごに。
あの男は、良くそう言っていた。
ならば、その通りにあの男が誇りにしていた物、全て廃棄してやろう。
最後の最後の餞だ。
私は、初めて自分の意志で進んであの男のいう通りにしてやろうと思った。
手はスマホへ。
探すのは不動産会社。
父が何よりも誇りに思っていた、この屋敷を売却する。
条件は、更地にすること。
跡地に、建て売りでもマンションでも建ててもらって、あの男の記憶を、新たに住む幸せな家族達が住んで消し去ってくれたら・・・。
想像するだけでワクワクしてくる。
胸に湧き上がる興奮と喜びで手が震える。
胸がドキドキ高鳴る。
呼吸が浅くなる。
不思議だな。
全然違う感情なのに。
同じ反応が起きている。
そう感じた瞬間。
スマホの画面にぽたりと涙が一粒落ちた。




