ようこそ死者の裁判所へ
「やぁ」
そいつは、出会うなり馴れ馴れしい口調で声をかけてきた。私は面倒な奴が現れたと思って無視をした。だけど、そいつは諦めずに私の肩を叩いた。
「ねぇねぇ」
その呼びかけも私は無視をした。すると、そいつは少しムッとした顔をして先程よりも強く私の肩を叩いた。
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
「~っぁあ″!!もううるさい!!」
「なんだ聞こえてるじゃん。無視をするなんて酷いよ~」
頬を膨らませる姿は、私にはイライラしか感じれずそいつから体を背けた。しかし、そいつはフワリとその場から飛び上がって私の前に降り立った。
「おやおや、これは可愛らしいお嬢さんがやってきましたね」
私の手を掴むと手の平にキスを落とした。私は驚きのあまり頭が真っ白になったが、自分がされた事が現実として受け入れていくと顔を真っ赤にして手をあげた。
「なっ、何するの!」
「ぃ…痛いですね。意外とシャイなお嬢さんでしたかね?それは失礼なことをしました」
叩かれた頬を抑えるそいつを私は睨んだ。
「そんなことより、アンタ誰よ」
「おやおや、ミーとしたことが自己紹介がまだだったようだね」
そいつは手を大げさに広げると腹の前辺りで止めて軽く会釈をした。
「死後の魂を選定するお仕事を仕るウンネフェルと申します。以後お見知りおきを」
ウンネフェルと名乗ったそいつは、白くて長い髪を靡かせる。私はウンネフェルともう一度ゆっくりと呟いた。
「もしかして…、あの古代エジプトの死者の書にでてくる…」
「ピーンポン!いやー臨死体験した誰かが洩らしたんでしょうね。皆さん、そのことをよく聞いてくるんですよー」
死者の書とは、誰もが中学の教科書で見たことがある古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書であり、そこに書かれているウンネフェルとは永遠に朽ちないという意味があると歴史の教師の覚えていた。
私はそこでようやく、この真っ暗で何もない場所がどこか思い出した。
「そっか…私死んでるんだ」
「今更気付いたんですか!ソウデスヨー貴方は死んだんです。家のベランダから飛び降りて」
ウンネフェルが口角をあげて微笑んだ。私はベランダから飛び上がる光景を思い出した。ああ、どうやら自殺は成功したようだ。飛び降りだったら、鳥が空を飛ぶような気分になれるかなと思ったが、どっちかっていうと降下に近い気分でそんなに良くなかったと感想しかなかった。
「さて、それでどうします?」
「どうするって…何が…?」
「死んだ魂は、魂の歯車に戻って再び下界に産み落とされるのを待つように死者の世界のサイクルはできているんです」
「…天国と地獄にいくわけじゃないんだね」
「天国と地獄?なにそれウケますね」
ウンネフェルはププッと口に手をあてた。なんだか小馬鹿にされているようで、さらにムカついて顔を背けたが、背けた目線の方向に既に膝を折り立てて腰を落とした状態で両肘を膝の置いて、両手でブリッコポーズをしていた。
「…可愛さアピールしてるの?こちら側としては不快感しか感じ取れないんだけど…」
「失礼ですね!ミーは可愛いですよ!」
「そもそも男?女?それとも、オカマ?」
「ミーに性別はありません。それは、生き物のカテゴリーだよ」
私はその言葉に少々面食らったが、納得した。髪型は白くて長いが、女の私よりも随分身長が高い。しかし、顔の特徴は中性的でどちらか判別するのか難しく、良く言えば優男気味、悪く言えば特徴がない顔立ちだった。服装は、白い布を体全体に巻きつけている感じで、この真っ黒な空間ではとても目立つ。腰には黄色のスカーフを巻いていた。
私は自分の姿を改めて眺めた。白いセーラー服に、赤いスカーフと紺色のスカート、どうやら死んだときの服装と同じなようだ。周りは果てしなく真っ黒な世界が続いていた。いや、真っ黒なので奥行きがわからず実はもっと狭いのかもしれない。走ってみれば奥行きがわかるかも。
「此処…どこ?」
「貴方って本当に今更な質問しますね…此処は死者の魂の選定する場所。まぁ、裁判所だとでも思ってくださいよ」
「裁判所ね…それで、アンタが裁判官てわけ?私は何を裁かれるの?」
「簡単ですよ!転生したいか、したくないか、それだけです」
ウンネフェルは人差し指で私を指した。転生とは、つまりもう一度あの下界に生き返るわけか。生きていた頃を思い出すと頭痛が私を襲った。ケラケラと下品に笑う女達、その真ん中にいる自分の惨めな姿の映像が蘇った。ああ、嫌だ思い出したくない。死んだら楽になるなんて嘘だったのか…死んだからといって生きる呪縛からは逃れられないなんて酷い話だ。
「それって、もし転生したくないって言ったらどうなる?」
ウンネフェルは顎に手をあてると少し考える仕草をした。
「…恐らくですが、幽霊になるんじゃないんですかね?」
「幽霊ってお化けってこと?」
「あー…人間が想像する幽霊と左程認識は変わりはせんが、要は魂が現世を漂うってことですよ!」
簡潔に説明されたが、あんまりしっくりこないで私は首を傾げた。
「それはつまり、具体的にどうゆう…?」
「転生を選択しなかった魂は、現世に引き戻されて当てもなく永遠と彷徨い続けるのです。大概の人間は、そんなこと嫌がりますので滅多にないケースですが、ごくたまーに生前生きていた頃を離れれなくて幽霊になってしまうケースがありますね」
ウンネフェルは指を鳴らすとプロジェクターが現れ、お墓の前で手を合わせている男性とその男性の後ろ姿を眺める綺麗な女性の姿があった。
「この女性の方は、交通事故で死んでしまってね。いやー結婚式前夜とは運がない。魂となってこの場所に来ましたが、彼の事が忘れられないと現世に戻っていきました。幽霊になったって、何が変わるわけでもないのですのにね…」
手を合わせている男性の目から涙がこぼれると、男性はお墓の前で泣き崩れた。何か叫んでいるようで、その姿を見ているこちらまで胸が痛くなる。近くにいる女性は私よりも苦しそうで顔を俯かせていた。
ウンネフェルが再び指を鳴らすとプロジェクターは消えてしまった。
「幽霊は現世に戻っても基本、何もできません。涙を流すことも、想いを告げることも、触れることも。それは生きている人間にしか許されない特権ですからね。彼女は永遠に彼の後ろ姿だけを見詰め続けるのでしょう。彼が死んだ後でも…」
艶のある黒い髪型に目がぱっちりの肌の白い綺麗な女性だった。決して、男性の方も美形とはいえずどっちかっていうと地味な印象であったが、それほど愛していたのだろう。彼女は考えなかったのだろうか…?いずれ彼が自分以外の女と結婚して家庭を築いていく姿を見詰めるしかないことを。彼が老いて死んでも自分は現世に留まり続け、彼のいない世界を永遠に彷徨い続けることを考えなかったのだろうか―…?
いや、考えたのだろう。彼女は考えて、考えぬいて、その答えに辿り着いたのだとしたらそれは―…
「馬鹿らしい」
きっぱりと言い切る私に、ウンネフェルは面白そうな顔をして口元を歪めた。
「どうして?」
「見てればわかるでしょ。自分が苦しいとわかりきっている選択を自ら選ぶなんて愚かよ。馬鹿と表現する以外思いつかないわ」
「いやーこれは新しい!大概の皆さんは同情するんですけどね。可哀そう、可哀そうと…」
ウンネフェルは、人差し指で私を指した。
「やはり、自殺する人の考えは一風変わっていますね」
「…どうゆう意味よ。あと、指ささないで頂戴」
「痛ったたたった!!!指、折れる!折れる!」
指を反対方向に曲げてやっただけでウンネフェルは、大げさに暴れまわる。死後の世界なのに痛みがあるのはおかしい気がしたが、興味がないのでツッコまなかった。痛い、痛いと叫びながらあんまり辛そうな顔をしないウンネフェルは首を傾げた。
「もしかして、自分と思い重ねてしまうのですか?」
掴む力を緩めてしまった隙に、ウンネフェルは指を引っ込め赤くなった部分を擦りながら「暴力反対です!」と涙目で訴えてきた。私はそれを無視して、膝の上で拳を強く握った。思い返したくない映像が脳を廻る。ああ、此処に来たら楽になると思っていたのに嫌な事ばかり思い出す―…
きっかけは些細な事だった。
私は母親の離婚で引っ越して、遠くの中学に入学した。周りは知らない子供達ばかりでのスタートだったので、友達もできなくて私は必死に席の近い子とコミュニケーションをとって仲のいい子ができた。グループからあぶれるのが恐かったのだ。
五人グループで、中心核である女子は私を快く引き入れてくれた。周りの子も最初は優しかった。…最初だけだ。
その女共は地元では有名の悪名だかい五人であった。盗み、援交、タバコ、薬は当たり前。私はそうとも知らずに近寄ってしまった。友達の欲しさで…。
最初に頼まれたのは、お金を貸してほしいだった。友達だからしょうがない、と引き受けてしまゅた。――それがいけなかった。
金銭のやり取りはエスカレートして、等々自分のお金だけじゃあ厳しくなって貸せないとはっきり断った所、なら盗んでこいと命令された。嫌だと断るとイジメに発展した。周りにいた子達はそんな人間とは関わりあいたくないので、知らないフリだ。私は毎日、学校に通うのはあいつらにイジメられにいっているようなもんだった。
学園生活で思い出すのは、生臭い床のタイルの味と黄ばんだモップで顔を叩かれる痛みと下品な笑い声しか発せない女共。私はその中心で惨めに這いつくばっていた。誰かが、トイレに入ってきても関わりあうのは御免だと言わんばかりに去って行く。教師は見て見ぬフリ、イジメなんかいつか終わるだろうと楽観的に考えている奴らばかりだ。
その日も、トイレのタイルの上で私は蹲っていた。バケツ一杯の水の浴びせられているのに、私は全身から汗が噴き出てセーラー服は透けて下着が見えてしまっていた。両目からは涙の痕でヒリヒリと痛んだ。頭痛の痛みが激しく、吐き気もあって横になって休みたかったが目の前にいる女共はそんなこと許してくれなかった。
「おら、ブスが息なんかしてんじゃねーよ」
モップで頭を叩かれた。床を磨いていただろうモップの汚れた水が顔に飛び散る。私は顔を俯せてひたすら頭を下げた。
「お願い…やめて…痛いよ」
「はぁ?!聞こえねーよ!!」
「″いつも″みたいに言えよ!」
女共の怒鳴り声で、私は身体を震わせながら正座をしてトイレの床に頭をつけた。
「…生きていてすいませんでした」
掠れそうな声で言った言葉を聞くと、女共はふっと口元を曲げ、お腹を抱えて再び笑い出した。
「本当っだよ!!生きてても人に迷惑しかかけないんだからさっさと死んだらいいのに~」
「ちょっ、まさにその通りだけどいくらなんでも可哀そうだよ~。私達悪いことしてるみたいじゃん」
可哀そうと単語を使いながらも、その女の目は私を可哀そうだと思ってないのは目に見えていた。中心核の金髪の女が足をあげて、私の頭を踏みつける。
「申し訳ないとかすいませんってさ、自分が悪いことしたって意味じゃん?そう思ってるなら、次はやらないようわざわざ教えてあげているあたし達に、アンタはありがとうと言うべきじゃないの?」
「いえてる~」
周りにいた女共は歪みきった口元を抑えながらクスクスと笑う。踏みつけられながらも私は必死に顔をあげて、金髪の女を見上げた。金髪の女は不機嫌そうな声で「なに?」と睨む。
「なんだその目、なんか文句あるのかよ」
「…どうしてこんなことするの。私達友達だったのに…」
私は唇を噛みしめる。こんなイジメ、このグループから抜ければ終わる話だ。それでも、この金髪の女――ミサに縋るのは転校してきて不安だった私に最初に話しかけてくれたのがミサだった。社交的で話が面白かったミサに連れられて、今のグループにはいれた。楽しかった、本当に楽しかった。
「悪い所があるなら直すから!お願い!許してよぉ!!」
――ただ、私はあの頃の関係に戻りたかったのだ。
私はミサの足に縋った。ミサが私を数秒見詰めると、腰を屈めて私の髪に手を伸ばした。私は嬉しくて、顔を綻ばせた。
「ミサ…私を許して―…」
「汚い手であたしに触ってんじゃねーよ」
髪の毛を握りつぶされ、私は顔が強張った。ミサは顎で、後ろにいた女共に指示をだした。
「連れてけ」
それは絶望に等しい言葉だった。私は両腕を拘束されて、無理矢理トイレから連れ出されて学校の門まで歩かされた。門の前で立っていたのは見知らぬ中年男性と車だった。私は必死に抵抗した。
「お願い!やめて!お願いミサ!!」
「あたし達と友達でいたかったら体で示しな」
女共に車の座席に押し込められてドアを閉められた。私は泣き叫んだが、ミサは助けてくれなかった。むしろ、笑顔で手を振って見送くられた。中年男性が気味の悪い声で話しかけてきたが、内容が頭にはいってこなかった。その後の事は、あまりよく覚えていない。
ただ、日付の変わる手前に家に帰ってきて待っていたのは怒りに狂った母親の姿ではなく。電気の灯り一つついていない静かな家だった。私がボロボロとなった状態でお風呂をすませた頃にやっと母親が帰ってきた。
「ただいま~」
酷く疲れた様子だった。髪はボサボサで、スーツには皺が寄っていた。いつものように残業をしてきたのが目に見えていた。私はパジャマ姿で、その姿を見詰めた。
「お風呂はいったの?」
「うん…」
「ご飯食べた?」
「うん……」
「そう、ならいいわ。お母さん、疲れたからお風呂入って寝るね。オヤスミ」
「ねぇお母さん」
「なに?」
母親は結んでいた髪を解いて、背を向けたまま答えた。私は下唇を舐め、勇気を振り絞って言った。
「転校したい」
「はっ?急に何?無理よ」
「お願い!転校したいの!!」
手を合わせて私は切実に頼んだ。母親はスーツを脱ぐ手を止めて暫し考え込んだが、脱いだスーツをハンガーにかけた。
「ダメよ。引っ越するのにお金がない。そんなことより、成績が落ち気味じゃない?勉強し―…」
「私、イジメられてるの!」
その言葉でやっと、母親が私を見た。緊張のあまり奥歯がガタガタと鳴り響きそうだったが、なんとか堪えて少しずつ口を開いた。
「…仲…のよかった友達にイジメられてて……誰も助けて…くれなくて、…先生にも気付いてくれなくて……だから私…」
本当はこんなこと話して、心配などさせたくなかったが…と気持ちがあったが私は首を振ってしょうがないと思った。理由を言わなきゃお母さんは納得してくれない。
話を最後まで聞いた母親は「そう」と低く答えた。私はわかってくれた喜びで顔を輝かせたが、母親の口から出た言葉は私が予想と反した物だった。
「それ、自分にも非があるんじゃないの?」
「……えっ?」
「そもそも、イジメられたくらいで学校辞めてたら社会にでてからどうするの。社会はもっと厳しいのよ!」
「でも、お母さん…」
「でもじゃない!!お母さん、疲れてるのよ!!貴方の養育費や生活面で毎日遅くまで働いてるの!なのに、貴方は家事の一つもしないで遊んでばかりで…。自分ばっかり辛いわけじゃないのよ!?」
母親はハンガーにかけていたスーツを机に叩きつけた。それと同時に、体温が急激に冷えて視界が狭くなっていった。母親が何かを喋っているが耳にはいってこなくて、ただ、ああ伝わらなかったと事実だけが心にストンと落ちてきた。
クラスメイトは助けてくれない、教師も気付かない、母親は私のせいだと叱る。イジメはとまらない。むしろ、このイジメを乗り越えたとしてもまた辛い現実が私に襲い掛かる。生きていくというのは、それの繰り返しだ。生きるために辛いことを経験する。――いや、苦しい思いをするために生きている。じゃあ、いつになったら楽になれるの?
「――馬鹿らしい」
母親が「えっ?」と言って振り返ったが遅かった。私は一目散にリビングをでて、ベランダにでた。夜の風は生ぬるく、マンションであるため高さは充分あった。
例え世界から私がいなくなっても、社会が崩れるわけではないし、株価は下がらないし、天変地異が起こるわけではないし、今生きている人達に影響がでるわけではない。
世界から私がいなくなっても誰も困りはしない。
だって、そうでしょう?私は総理大臣でもないし、芸能人でもない。私がいなくなっても世界はそのことすら気づかないだろう。私がいなくなっても、朝日は昇り、サラリーマンは会社に出勤し、学生は学校に行き、どこかの病院で赤ちゃんが生まれる。私がいなくなったとしても世界の総人口すら変わることはない。そんな事に気づいてしまえば、人生とはなんだったのか。何のために必死に生きていたんだ私は―…。
私は迷いなく、手摺を乗り越えた。母親が後ろで何か叫んでいたが、風の音に掻き消されて落ちていく私の耳には届かなかった。
「…アンタって嫌な奴ね」
思い返したくもない記憶を無理矢理振り払ってからウンネフェルを睨んだ。ウンネフェルは、頭の後ろに手をまわして「よく言われます」と照れた。それに対して「褒めてない」と苛立たしげに舌打ちした。
「それで、転生するか、幽霊になるか決めていただけましたか?」
「ここにいる」
「そんなの困りますよ~」
そんなこと知るもんか、と私は吐き捨て体操座りをした。転生してあのクソみたいな世界をまた生きなきゃいけないのと、幽霊となってあのクソみたいな世界で漂わなきゃいけないなんて地獄に行くよりも最悪だ。そんなんなら、ずっと此処でうっとおしい存在が一名いるが、閉じこもっていた方がマシだ。
動こうとしない私に見兼ねて、ウンネフェルは溜息を吐いた。
「困りますよー。此処にいると、貴方の魂は悪魔に狙われてしまいますよ?」
「悪魔…?」
「ええ、悪魔は人間の魂を食べることでお腹を満たしますからね。たまーに、ミー達の仕事に割り込んで魂をかっさらうんですよ!ホント、大迷惑ですよ!ミー怒られちゃいますし」
ウンネフェルは顔を真っ赤にして、頬を膨らませた。私は悪魔…と単語を復唱して考え込んだ。
「それ、いいかもねぇ…。だって、魂を食べてくれるってことは……私と存在がいなくなるんだよね?だったら、私はそれがいい!悪魔ってどこにいるの?教えて!」
「貴方ねぇ…」
「嫌なの!あんな世界に縛られるの!もう、たくさん!…戻りたくないのよ」
膝の上で握った拳に、涙が落ちる。思い出すだけで吐き気こみあげてくる気分だ。トンカチでずっと頭を殴られた痛みも襲う。あんな世界に戻るくらいなら悪魔に魂売ったって安いもんだ!!
ウンネフェルは、額に手をあてると長い溜息を吐いた。
「……こうゆうのは、あまりお見せするべきではないのですが…今回はミーの特権で特別に見せることにしましょう」
そう言って、ウンネフェルは指を鳴らすとプロジェクターが現れ映像が流れる。次はどんな物を見せるつもりだと、目線をやると制服を着た女子が二人トイレを覗いていた。
『行くよ』
『待って……心の準備が…』
『何言ってるの!こんなの見過ごせないよ!!』
『じゃあ、アヤカが先に言ってよ~』
『いや…それは……っもう!一緒に行こう!私も怖いもん!!』
『私もミサ達怖いよぉ~』
トイレの前で押し問答をしていた二人は、トイレからでてくる人影に気付くと身を翻して柱に隠れた。トイレからでてきたのは私とミサ達だった。暴れまわる私を見送った二人は、顔を青褪め職員室の方へ走っていった。
「…なにこれ」
「彼女達は貴方のクラスメイトの綾香さんと沙紀さんです。貴方がイジメられているのを知っていて、助けようとしましたが恐らく金髪の女子の海砂さんが怖くてでるにでれなかったのでしょう。彼女達は、かれこれ一瞬間位このやり取りを繰り返して行動に移せない自分達を悔やんでいました」
映像が切り替わって、狭いアパートに切り替わる。そこには、離婚した父親と赤子を抱きしめる若い母親がいた。
『俺が育てる。だから、親権を寄こせ』
『嫌よ!貴方みたいな金使いの荒い男に大事な娘は渡せないわ』
『養育費なんか俺は払わんぞ!』
『結構よ!!…この子は私が育てます』
母親は赤子を強く抱きしめた。赤子は、両親のやり取りなど気にもせず呑気に笑っていた。父親は鼻息をたてて『勝手にしろ』とアパートをでていった。若い母親は、赤子の顔にかかる髪の毛を払った。
『貴方は私が立派に育てるから安心してね』
若い母親の目からは涙がこぼれていた。赤子はニコリと微笑んでいた。
「…これは、両親の様子ですねぇ。今時、養育費なしで女性で一人の子供を育てるのは苦労するといいますがよっぽど、肝がすわった―…」
「だから、なんなのよ!!」
私の怒鳴り声でプロジェクターが消えた。私は立ち上がって、ウンネフェルに詰め寄った。
「実は皆、私のことを心配していて、自殺する必要なんかなかったのに自殺した私を嘲笑いたいの!?それとも、心配している人の気持ちに気付かなかった私に説教でもするつもり!?生憎様、私は根性曲がって怒りっぽいからアンタの言葉なんか―…」
「怒りっぽいって自覚あったんですね」
「そんなこと今はどうでもいいでしょう!」
金切り声をあげると、ウンネフェルは軽口を叩くのをやめた。声を張り上げすぎて頭痛がして、私は頭を抑えた。
(もう、たくさん…!疲れた……人の気持ちを考えるのも、このままだと自分自身さえ嫌になる!!)
私とウンネフェル以外誰一人いないので黙ってしまうと場は静寂に包まれた。目に映る光景は、黒ばかりだ。物体の黒は、理想としては光の反射率が0ですべての波長の光を吸収する色であると聞いたことがあるが、その意味よくわかる気がした。上、右、左、下、全ての黒が今にも私を飲み込んでしまいそうな錯覚に襲われるのだ。美術の授業で、いくらほかの色を足しても黒は黒にしかならなかった。きっと私を飲み込んだとしても、飲み込んだ私ごと黒く染まるのだろう。
ウンネフェルが私の手首を引っ張った。私は顔をあげた。そこにあったのは、怒りでも、同情でもない、慎み深い微笑みがあった。
「ミーは、貴方を軽蔑も、叱咤も、憐れむこともしません。死者の番人は、ただ魂を導くだけの仕事ですから」
「………興味がないってわけね。それで、面倒だからさっさと行先決めろって?わかったよ、そうそうに悪魔を見つけて此処から消えて―…」
「それもありますが……ミーは貴方が羨ましいのです」
発せられた言葉を疑って、私は目をパチクリさせた。ウンネフェルは私の顔にかかっていた髪の毛を払った。
「素直じゃないですねぇ……―本当は嬉しかったのでしょう?自分を想ってくれる人達の存在が」
触れた指先は、人間のように温かった。
死者の番人と言うクセに体温があって、嫌味なことを吐くクセに、やけに人間臭い一面を見せるからだ。――だから、涙が流れるのだ。
「ぅっ…うぁうううっ………お、かぁさんごめ、ごめんなさぃ…!!!」
親不幸なことをしたと今になって後悔した。私のために母親は、毎日夜遅くまで仕事をして家事までしてくれた。学校ではミサ達の目をかいくぐって、声をかけてくれるクラスメイトはいた。でも、それに私は心を閉ざしていた。世界には私は一人ぼっちだと信じ込んで、自分以外の存在が憎くて、皆死ねばいいと呪っていた。いつも自分のことしか見えてなかった。助けてくれる人達の手を自分から振り払っていた。
――私をいらないと一番強く思っていたのは、私自身だった。
ウンネフェルはそのまま、私の腕を引っ張って抱きしめてくれた。この時、私が感じたのは恋愛感情のドキドキとは違う、何とも口では形容しがたく不思議な感覚であったが、まるで母体の中で羊水に包まれて安心しきって眠っている赤子のような気分であった。
「いくら周りの人間が貴方を必要としていないと言っても、貴方は命として生み出されました。命を作ることは簡単かもしれませんが、生み出すことは大変です。生み出されたということは、貴方がこの世界に必要だからです。其の事を忘れないで下さい。――貴方が思っているほど、世界は貴方に優しいですよ」
ポンポンと背中を擦られ、温かい湯水がジワリと胸の中に浸透していくように言葉が私の中に自然とはいってくる。私はこれから進む道を決めた。
「ウンネフェルさん、私、どうすればいいか決めることができました」
「はい、どうされますか?」
「幽霊になります」
ウンネフェルは一瞬、顔を曇らせた。
「本当にそれでよろしいのですか?映像でうつした女性のように、現世を永遠に彷徨い続けるのですよ」
「いいです。私、気付いたんです。私を大事に思ってくれた人を最後まで見守りたい。それが私の今、一番したいことです」
彼女も私と同じように思ったに違いない。確かに転生して別の人生を歩む方が利口だと思うが、そうすればもう二度と自分が大切に思った人とは会えない。転生といっても、元の人格は消えてしまうわけだ。なら、それは私自身が死んだと同じだ。だったら、同じ死ぬでも大切な人の傍でいたい。それが一番の幸福ではないのだろうか―?
覚悟を決めた私の瞳を見詰め、ウンネフェルは頷くと私の耳では聞き取れない言語を発した。並べられる単語は、まるで呪文の様で私の体はフワリとその場で浮き始めた。腕を持ち上げると、手が透けて身体が光の粒で包まれていた。
「ありがとう、ウンネフェル」
「いいえ、ミーは所詮死者の番人。道案内しかできない者です。貴方の選んだ道が正しかったのか、正しくなかったのかわかる神とは違う、…役にたたない存在です」
初めて聞いた弱気な声に、私は思わず笑ってしまった。ウンネフェルはムクれた様子で眉を顰めてみせた。
「…何が面白いんですか?」
「いいや、なんだか、らしくなくて…思わず。でも、そうだなぁ~アンタは嫌な奴の方が似合ってるから最後の見送り方は最高にムカつくやり方がいいな!」
片目を瞑ってウインクすると、ウンネフェルは目をパチパチとさせ瞬きをしてからニヤリと口角をあげた。
「それは申し訳ございませんでした、お嬢さん。では、これにてお別れとしましょう。see you again.Have a niceday!!」
手を大げさに広げると腹の前辺りで止めて軽く会釈をした。私はその後ろ姿に「ムカツク」と最後に笑って言い放ってやった。
ピッピピ、と規則的に流れる音がゆっくりと速度が落ちていき、ピーーと長い音が続いた所で重たい瞼を持ち上げると視界にはいったのは白い天井であった。傍で、啜り泣く人の声がする。そちらの方へ顔を向けると母親であった。ハンカチで顔を抑えている横にいるのは、白衣を着た医者とナナースだった。どうやら、私の願いは聞き入られて幽霊となって現世に戻ってこれたようだ。母親は、消え入りそうな声で「私のせいだ…」と自分を責めていた。そんな母親の姿を見ていられなくて、そんなことないよ!と言いたかったが声がでなかった。…忘れていた、自分は幽霊になっていたのだ。母親が自分を責めるのを慰める言葉をかけてやれなければ、泣くことも、触れることも許されない。
(お母さん…ごめん…)
せめて、涙をとめたい一心で手を伸ばした。どうせ、触れられなくてもこんな惨めな母親の姿を見たくなかった。
「…真由佳?」
母親が驚いた声をあげた。隣にいた医師がナースに早口で指示をだした、静かだった病室で再びピッピピと規則的な音が流れ出す。――触れた母親の涙は生温かった。
「お……かぁ…さん…?」
「真由佳!よかった…!」
母親は思いっきり私を抱きしめるので、息がしずらくて苦しかった。苦しいと痛みを感じたのは久しぶりなような気がして、変な気分だった。私は腕を持ち上げて、手の平を眺めた。透けてはいなかった、そこには私の意志に従って動く私の体があった。それで幽霊じゃないとわかると、とある奴の顔が思い浮かんで泣きそうな顔を堪えて、口元を歪めた。
「ホント…嫌な奴…」
これから先、世界から再び私がいなくなっても、――きっと何も変わりはしないだろう。実際、世界から私がいなくなっても、社会は崩れなかったし、株価は下がらなかったし、天変地異は起こらなかった。今生きている人達に私の存在で影響がでることは永久にこないだろう。
世界から私がいなくなっても誰も困りはしない。でも、私がいなくなることで……どうやら一人だけは困るようだ。
顔をぐしゃぐしゃにして泣く母親の背中に手をまわした。たった一人の困る人のために、私は生まれたのだと今なら胸を張って答えられる。
生きててよかった…、昔眺めていた後ろ姿より一回り小さくなった母親の背中を抱きしめて私はそう思った。




