第5話. 無明の木
渾沌の衰弱は、誰の目にも明らかであった。かつて、大地に深く根を張った大樹のような揺るぎない存在感は、見る影もなかった。彼の体は日に日に痩せ、その肌は潤いを失い、まるで乾いた土のようであった。七つの竅だけが、まるで彼の生命を吸い取るかのように、不気味なほど、くっきりとその顔に浮かび上がっていた。
彼は、もはや宮殿からほとんど動かなくなった。ただ玉座に座り、虚空を見つめて過ごす時間が長くなった。彼の目には、もはや、国を改革しようとする意志の光はなかった。ただ深い悲しみと、諦念の色が、淀んだ水のように、たたずんでいるだけであった。
その様子を見て、さすがの儵と忽もようやく事の異常さに気づき始めた。
「渾沌殿はどうされたというのだ。国はこれほどまでに見事に治まったというのに。なぜあれほどまでに心が晴れぬご様子なのか」
儵は焦りの色を隠せなかった。
「あるいは、我々の改革が、急進的に過ぎたのかもしれぬ。長年の習慣を変えるには、時が必要だ。今は、少し、休息をお勧めするべきであろうか」
忽は知性をもって原因を分析しようとしたが、彼の心にもこれまで感じたことのない冷たい不安が広がっていた。彼らが信じてきた「正しさ」が音を立てて崩れ始めていた。
彼らは自国から最高の医者を呼び寄せ、考えうる限りのあらゆる薬を渾沌に勧めた。しかし渾沌は、ただ静かに首を振るだけであった。
「もう、よいのだ」
彼の声は、枯れ葉が風に触れ合うように、か細かった。
「薬では治せぬ。身体の病ではないのだから」
その言葉の意味を、儵と忽は、すぐには理解できなかった。
ある朝、渾沌は、最後の力を振り絞るように、玉座から立ち上がった。
彼は呟いた。
「国を見て回りたい」
供の者が止めようとするのを、彼は静かに手で制した。彼は一人で、ゆっくりと歩き始めた。彼が築き上げた、秩序正しい国を、その目に焼き付けるかのように。
彼は、真っ直ぐに伸びた道を見た。しかし、その道には楽しげに行き交う人々の姿はなかった。誰もがうつむき加減に、忙しげに歩いていくだけであった。
彼は整然と並んだ家々を見た。どの家も、しっかりと戸を閉ざし、隣家との間に見えない壁を築いているようであった。
彼は豊かに実った田畑を見た。しかしそこには、かつて草原にあったような、生命の多様性はなかった。ただ同じ稲が、どこまでも、無機質に並んでいるだけであった。
彼は、すべてが死んでいるように感じた。いや、正確に言えば生きているのだが、その魂を抜き取られて、ただ形だけが残された抜け殻のように見えた。
そして彼は、それが自分自身の姿の写し絵であることに気づいた。
彼もまた、渾沌という魂を抜き取られ、七つの竅を持つただの抜け殻となってしまったのだ。
彼は、かつて老婆と出会った川のほとりにたどり着いた。川は、相変わらず濁っていた。
彼は、その場にゆっくりと膝をついた。そして濁った水面にその手を浸した。
彼は、かつての自分に戻りたいと心の底から願った。あの、何も見えず、何も聞こえず、しかし、世界のすべてと一つであった、あの静寂と調和の中へ。
彼は自らの手で、その目を、耳を、鼻を、口を、塞ごうとした。
しかし、それは、無駄なことであった。一度開かれてしまった竅は、二度と閉じることはなかった。それは、彼の体の一部となり、彼自身となっていた。外界からの情報の奔流は、彼が生きている限り止まることはないのだ。
絶望が彼の心を完全に満たした。
彼は、天を仰いだ。空は相変わらず、ただのっぺりとした灰色であった。
その時であった。
彼の記憶の中にふと、遠い、遠い、懐かしい感覚が蘇った。それは、竅が開かれる以前の、彼の内なる世界にあった、あの温かく区別のない光の感覚であった。
それは言葉になる以前の沈黙であった。それは形になる以前の存在そのものであった。
(ああ、そうか。私は失ったのではなかった。ただ忘れていただけなのだ。あれは、私の外にあったのではない。私の内にこそあったのだ)
彼の口元に、本当に久しぶりに、微かな笑みが浮かんだ。それは安らぎの笑みであった。彼はようやく還るべき場所を見つけたのだ。
彼は、ゆっくりとその場に横たわった。まるで疲れた旅人が母なる大地にその身を委ねるように。彼は静かに、目を閉じた。
それは、最後の竅が穿たれてから、ちょうど七週目の七日目の朝のことであった。
渾沌が、静かに息を引き取った、その瞬間。不思議なことが起こった。
彼の顔にあった七つの竅から、最後の光がまるで七色の虹のように、すうっと天に向かって放たれた。そして、その光が消えると彼の体は、まるで長い年月を経た砂岩のように、さらさらと音もなく崩れ始めた。そして最後には、一握りの温かい土くれだけがそこに残った。
帝の死を知り、人々は、そして儵と忽はその場所に駆けつけた。しかし、そこには帝の亡骸はなく、ただ小さな土の盛り上がりがあるだけであった。
儵と忽は、その場に崩れるように膝をつき声を上げて泣いた。
「我々は……我々は、何ということをしてしまったのだ……」
彼らは自分たちの善意が、自分たちの信じる「正しさ」が一つの偉大な魂を、そして一つの豊かな世界を殺してしまったことを、その身の芯からようやく理解したのである。彼らの涙は、後悔と贖罪の念に満ちて、乾いた大地へと吸い込まれていった。
人々はただ呆然と立ち尽くしていた。彼らを支配していた法も、時間も、その意味を失ってしまった。これからどう生きていけばよいのか誰にも分からなかった。
数日が過ぎた。
人々が、悲しみの中で途方に暮れていた、ある朝のこと。一人の子供が、指をさして叫んだ。
「見て!」
人々が見ると、渾沌が死んだ土くれの中から、一本の小さな緑の若芽が、力強く顔を出しているではないか。
その若芽は日ごとにぐんぐんと成長し、やがて天に向かって伸びる一本の若木となった。その木はこれまで誰も見たことのない不思議な木であった。春には白い花が咲き、それは甘い香りを放った。夏には深い緑の葉が涼しい木陰を作った。秋には黄金色の実がなり、それは素朴で滋味深い味がした。そして冬には葉を落とした枝々が、まるで天に祈りを捧げるかのように静かに空を指していた。
いつしか人々はその木の下に、自然と集まるようになった。
彼らはそこで、昔のようにただぼんやりと空を眺めたり、風の音に耳を澄ませたりした。悲しいことがあれば、その木に寄り添って涙を流し、嬉しいことがあれば、その木の下で静かに微笑み合った。
彼らはもう昔のように無邪気に歌い、踊ることはなかったかもしれない。一度知ってしまった悲しみや苦しみを完全に忘れることはできなかったからだ。
しかし彼らの顔には、かつての渾沌の国にあった、あの穏やかな安らぎの色が少しずつ戻り始めていた。
彼らは秩序を捨てたわけではなかった。しかし、その秩序に魂まで支配されることはもうなかった。彼らは混沌を恐れなかった。しかし、その混沌にただ流されるだけでもなかった。
彼らは、その不思議な木を、誰もが、いつしか「渾沌の木」と呼ぶようになった。
それは完全な秩序でもなく、完全な混沌でもない、その間で静かに呼吸をし、ただありのままにそこに在り続けることの尊さを、人々に、静かに、語りかけているかのようであった。
儵と忽は、やがて自分たちの国へと帰っていった。彼らの顔には深い思索の色が刻まれていた。彼らがその後、自分たちの国をどのように治めたのか、それを知る者は誰もいない。
ただ、渾沌の国では、今日も「渾沌の木」の下で、人々が静かに、そして豊かにその時を生きているということだけが、風の便りに、伝えられるばかりであった。




