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8/20

アンフェミアとデート ジュリア、デブリアとエンカウント

郊外の小さな公園で戦勝報告を聞いた。都会と郊外の間の公園。遮るものがないからか、山がとても広く大きく見える。汚い雪が積もる都会とは違い、真っ白な雪がそのまま溶けるのどかな場所。

ただ公園というにはあまりにも粗末な広場。二人掛けの簡易な木製の椅子のほかに何もない。生い茂っていたであろう芝生は黄ばみ、ところどころに地肌が見える。大きな穴が一つ、小さな穴が等間隔に四つ。大きな穴の横に一枚シーソー板が置いてある。さっき聞いた戦勝報告と相まって、戦時中であることをいやでも意識してしまう。

「今日はベンチで聞くんだね」

「今日は?一緒に聞いたことあった?」

「…てっきり膝でもつくと思っていたからさ」

「周りに人がいればね。今日は二人きりだから」

「…そうなんだ」

「カズは?」

「時と場合で」

「このままならいいのにね」

「」

 アンフェミアは何も言わずに僕の腕を自分の腕とを絡めた。遠慮がちに頭を僕に寄りかける。さっきよりも彼女の頭は軽い。

「お花咲いてないね」

「寂しいね」

「私がいれば寂しくないでしょ」

「そうだけそさ。彩がないんだ」

「馬鹿にしてる?」

「違う、違うよ。そういう意味じゃない」

「大丈夫、分かっているわ。からかっただけ」

「なんだか暗いからさ」

「そう?戦勝報告聞けば明るくならない?」

「でも戦いに勝ったわけじゃない。慢心するべきじゃないよ」

「現実的なのね」

「町はそんなことないだろうけどね」

「あなたは騒がないの?」

「戦場の真っただ中で泥臭く殺し合っている連中のことを考えたら酒なんて飲めない」

「考えなきゃいいのに。優しいのね」

「臆病なんだよ」

「私もよ」

「おそろいだね。あんまりうれしいことじゃないけれど」

「そんなことないわ。だから今まで生きてこられたんじゃない」

「君は十分前向きだよ」

「うん」

 彼女の腕を外して、彼女を引き寄せた。アンフェミアはこちらを向いて少し戸惑っていたが、僕の肩に頭を預けた。適度な重さにやさしさと距離を感じる。

「ずっと続けばいいのに」

 彼女は小さくつぶやいた。

冬の装いの木に生き物の気配はない。剥げた黄金色の芝生が精いっぱい身を立てて太陽を受け止めている。

戦時中とは思えない光景。教科書では語られない市民の日常がそこにあった。



 あれから公園で他愛もない話をして、町のレストランで食事をした。バックミュージックが生演奏の立派なレストランだ。ソムリエなんて初めて見た。

 食べた物はよくわからなかったがちゃんと味がした。

暗い部屋の汚い机で冷たいご飯を食べていて僕は、久々の誰かとの食事に感動した。おいしいものをおいしいと他人と共有することが楽しかった。ナイフとフォークの使う順番とか、テーブルマナーとかアンフェミアが丁寧に教えてくれた。からかわれたりもしたけれど楽しかった。

 僕たちはレストランで解散した。食事中に僕が働いている職場の話と、自分の家の場所を教えてもらった。とりあえずはどうにかなりそうだ。彼女から寄り道せずに帰れと念押しされた。治安が悪いのだろう。スリやひったくりが後を絶たないのだろうか。差別や暴力のオンパレードかもしれない。戦時中だから仕方がないのだろう。

 アンフェミアに聞いた通りの住所へと帰る。歩くたび増えたり減ったりする看板の数。目的の番号はまだまだ遠そうだ。

 電柱が古臭い木製に代わっていた。それと同時にポスターの数も増えている。男の顔の写真が何種も張られている。相変わらず文字はわからない。

 手配書だろうか。勧誘だろうか。共通しているのは不思議な手が顔の前にある。両手でピースを作って、両手の中指の先をくっつけている。人差し指と薬指の間に自分の目が久了にして、薬指で広角を持ち上げて親指で耳をふさいでいる。

 どんな意味があるのだろうか。僕も真似してやってみたが特に何もない。道行く人を見てもいいところは見えなかった。

 電柱についているお気持ち程度の電球に道路を照らす元気はない。手に持ったメモでさえギリギリだ。

すれ違う人はまばらで僕に帽子をみせながら下を向いてすれ違う。

 下を向いている人間が多いとあまのじゃくな僕は上を見上げてしまう。星が良く見える。どこにいようが北極星は僕を見ていてくれる。

 見たことのある星空。知らない体。現実と同じ個所を探してしまう。自分が理解しているものが少しでも欲しい。でないと自分が自分でいられなくなってしまう気がする。

 考え事をしていると太ももが何か柔らかいものにぶつかった。

 下を見ると小さな少女が持っていた買い物かごを抱きかかえるように座り込んでいた。

「ごめんなさい」少女が先に謝ってきた。

「こっちこそごめんなさい。前を見てなかったよ」

 尻もちをついた少女はかごを見て安堵した。

 僕は少女を不思議そうに見ている。いままで見てきた人とどこか違うような気がした。僕は思い出したかのように倒れている子に話しかける。

「大丈夫?」倒れた少女に手を差し伸べる。少女は僕の右手に見向きもせず、自力で立ち上がった。

「ありがとうございます」ぺこりと頭を下げた。

「暗いから気を付けてね」

「はい。さようなら」

 また頭を下げて弱弱しく光る街灯から離れていった。

 僕は立ち止まる。

 もう町のはずれ。街灯はほとんどなく道は凸凹している。脇に生えている街路樹は裸を晒し、元気のなさがうかがえる。車も人もまばら。今の時間帯が原因ではないだろう。壁にもたれかかっている生気のない人が増えた。町に清潔感はなく、紙くずや空き瓶が歩道のはじっこや壁の脇にぽつぽつとほったらかしてある。商店はどこも作業のように売買している。いいものを選ぼうとする消費者や、おいしい物を提供する商人はいない。道路の下を通る水路には人間のゴミが濃縮され、環境汚染が鼻につく。

 煌びやかな国の裏。切り捨てられた悲しい場所。助けを求める声がないのはきっと誰かの意志だ。捨てたほうか捨てられたほうか。必要な犠牲という言葉がしっくりときてしまう。

 この町を見て死にたくなるのは健康の証なのかもしれない。

 ようやく一日が終わる。

 僕史上一番長い日だった。謎の充実感がある。久しぶりの女の子との会話。手をつなぐ、キス、そしてデート。引きこもりには刺激的な初体験だった。

「」

 ポジティブな出来事で幸せなまま今日を締めたいが絞められ、引かれ、撃たれる。ネガティブなほうも負けず劣らず印象に残っている。

 中でも心臓が一番ドキドキするのは彼女と唇を重ねたことではない。彼女の首を絞めたときだ。掌で押し付けた頸動脈の熱さがずっと残っている。

 きっと現代では多くの人間が感じることのない優越感で心臓が高鳴る。

 とにかく寝たい。もうこれ以上はキャパオーバ―だ。

 ここまで来た道を振り返ると堂々とそびえたつ町がある。煌々としたきらびやかさがここからでもよくわかる。あのこぢんまりとしたビル群の中で一番高いビルが勝利省というらしい。一つだけ突出している。

 もし僕がエカチェリーナの軍師なら速攻でミサイルを打っていることだろう。

 戦時中は空襲をやり過ごすために夜でも暗くする学校で学んだけれど、都会は明るかった。贅沢は親友で、大砲のよりもバターらしい。戦時中だと思えないほど人々は元気に生きていた…あそこの人々だけは。こっちの町は僕が知っている戦争そっくりだ。

 離れていく少女が見えなくなったころ、柔らかい黄色の光と影の曖昧な境目にカーキー色の二つの布の塊が落ちている。手に取るとかわいらしい猫の刺繍が入っていた。きっとあの少女のかごから落ちた物だろう。指に感じるのは硬さと堅さ。その片方から冷たくなった香ばしさ。瓶づめと缶。

 僕は少女が歩いて行った方向に走り出した。七歳くらいの少女の足なら遠くまで行っていないだろう。明かりのない道をあてずっぽうに三回曲がったら、少女が歩いていた。距離はおよそ三十メートル。

「おーい」僕は小包を持ちながら手を振った。

 少女がちらっとこちらを見ると、速足で路地裏に消えていった。

 僕は追いかけた。聞こえなかったのだろうか?

 暗い道。壁が迫りくるほどの狭さが星と月の明かりを通さない。道路はアスファルトからから石で組まれた中世の裏路地へと変わり、タイムスリップでもしたかのようだ。二階へと上がる外階段の手すりは朽ち果て、凍てつく風は僕と窓をがたがたと震わせる。時代錯誤の窓から明かりと暖気が漏れているが、人間の生気は感じない。

 少女との距離は次第に詰まるものの、直角カーブを過ぎるごとに距離が遠くになっていく。かごを壁にガツガツと当てながら逃げる姿を見て、僕が悪いことをしている気分になる。僕以外の人間はそう見えていることだろう。だからなおのこと誤解を解いて、貴重なはずの食料を届けてあげないと。

 一つギアをあげたら簡単に少女に追いついてきた。

「き、君。落ちた」絶対に聞こえている範囲で少女に問いかけても。止まることも緩めることも、こちらを見ることさえなかった。

 少女の肩をつかもうと腕を伸ばす。少女はそれに気がつき、強引に曲がった。

『とんっ』

 少女は曲がり角の先の人とぶつかった。少女はぶつかった人を下敷きにして倒れていた。

『がちゃゃゃん』

 腕をつかみ損ねた僕は曲がり切れなかった。木箱たちに飛び込んだ。

 箱たちはひしゃげ、ばらばらになった。いくつか尖った木片が散らばっていた。とっさに背中からぶつかっていなければ顔が傷だらけだった。思いっきり刺さって死んでいたかもしれない。

どうせ理髪店に戻されるとわかってはいても、首の横に尖った木片があればこんなことだって思ってしまう。戻るだけであって忘れるわけじゃないんだ。

 服についた木片やら埃を払っていると少女たちが起き上がってきた。少女を見てとっさに大事に持っていた包みを確認した。どうやら無事なようだ。砂と木片を払って立ち上がる。スマートに倒れている人に声をかけた。

「大丈夫ですか」倒れていた人に手を差し出した。

「えぇ、大丈夫です」どうやら女性のようだ。僕の手を使って立ち上がった。

「ご、ごめんなさい」少女はぶつかってしまった人に謝った。

「デブリア⁉」

「お、お姉ちゃん…」

「お知合いですか?」

「ええ、そうですけど」女性は少女を自分の後ろに隠した。

 まずい。山中で子連れの熊に出会った気分だ。犯罪者として通報されるよりも、食ってかかられそうだ。急いで僕を説明する。

「怪しいものじゃないんです。落とし物を届けたかったんですよ」

 僕は大事に持っていた二つの包みを女性に渡した。

 真っ暗だけれど少しだけ顔が見えた。今まであった人間とは違うものを感じる。

「ご丁寧にありがとうございます」毅然とした格好で落とし物を受け取る女性。

「いえ。そんなないそうなことじゃないですよ」思わず知識としてしか知らない謙遜が出た。

「危険を顧みずに助けていただいて感謝しています。ほら」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。それでは」踵を返してきた道を戻る。

 ざわざわする。なぜだろう。大事なものに蓋をしているような気分。抑圧されているわけじゃない。我慢しているでもない。それとも背を向けて逃げることに抵抗感があるというのか。さっさと帰ろう。今日は疲れた。

 来た道を戻る?ばらばらになった破片を踏んだ音ではっとした。

 僕は彼女たちを見る。暗いのに視線もあの姿勢もはっきりと見える。僕は断られること承知で彼女に聞いた。

「道を教えていただけないでしょうか」


ご覧いただきありがとうございました。

この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。

次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!

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