演劇『1023』
質素な扉を開けた。簡素な通路に入る。バックヤードだろうか。同じ服を着た軍人が慌ただしく動いている。
アンフェミアはそれを気にせずに突っ切る。軍人たちが左右に割れた。
だんだんと明かりの位置が低くなり、音が少なくなる。かび臭いにおいが強くなる。
「行くよカズ」
そういって階段を上がるアンフェミア。僕も階段を上る。
アンフェミアが暗幕を割って光の中に入る。
明るい場所。僕の足音だけがコツコツと響いた。アンフェミアは静かに歩いている。やさしく床に靴の裏をつけた。
眩しいほどの光が僕らを照らしている。
予想通りの場所に僕は驚かない。ステージだ。暗幕は下がっている。
ステージには中央に演台がある。こんなところで何をするんだろう。思っていたものとの違いにさすがに戸惑ってしまう。やっと不安が出てきた。
「カズ」アンフェミアの声が縦に響く。分厚い暗幕と暗幕の間で反響する。
立ち止まっていた僕。真ん中の演台から声をかけてきた。自然と歩き出す。
カーテンとカーテンの間が狭く感じる。舞台から見ればこんなものなのだろうか。
「カズ」彼女の声で僕は止まった。
僕はジュリアの顔を見る。その間、演台に二つのボタンがある。
「ここで何をするんだい?」
「カズがしたいことをすればいいわ」
「?」
「ここにいて」
『 』
ブザーが鳴った。カーテンがゆっくり上がる。
「カズ」やわらかいアンフェミアの声が聞こえる。
「なんだい?」僕は冷たく答えてしまった。
「ううん。何でもない」もうやわらかさはなかった。
カーテンが僕の腰まで上がる。奥には同じ床があった。この暗幕は舞台と舞台の仕切りなのだろう。
カーテンの先。等間隔二人。手錠をつけられ麻袋をかぶる人間が座っている。
カツカツと両裾から軍人がそれらに向かっている。
カーテンが僕を見下ろす。
上から二本ロープが垂れている。ロープの先の輪っかが不自然に揺れていた。
袋をかぶった人を立たせ、その輪に首をくくった。片方は落ち着いている。もう片方は抵抗していた。鎮圧するために強引に頭を地面に近づける。たわんだロープがぴんと張る。暴力で落ち着かせた人から袋をとる。
「 」
よく見知った顔だった。
ジュリアとデブリアだ。
僕はすぐにアンフェミアを見た。自然と目が合う。
「カズ」
「なんで?」僕は二人を見ながらアンフェミアに問うた。
「カズが決めて。カズが責任を負うの」
くくられた彼女たちに目を移す。
彼女たちの淡白な反応。状況の把握で手いっぱいの模様。彼女たちと目はあっている。セーブを忘れて電源を落としたようだ。この結果は僕が原因。彼女たちにかける言葉が見つからない。伝わることもないだろうに。
解り合えた僕らはここにはいなかった。秘密を知っている他人がここにいるだけだった。
『ちょん、、ちょん、ちょんちょんちょん』拍子木が舞台裾から聞こえる。緞帳が左右に割れる。
表情の薄い上流のお召し物を纏った男女が観客席埋めていた。薄暗い客席からでも張り付いた表情。その表情は僕の不安を煽る。ただ考えるのを止めた。やめないと心が持ちそうにない。
「何が始まるんだ」
アンフェミアは冷たい顔をして観客席を見下ろす。
小さい胸が大きく膨らむ。
『深愛ある帝国国民の皆様君。お初にお目にかかります。1032部隊監督を務めます。アンフェミアと申します。本日はよろしくお願いいたします』
満開の拍手がホールに響く。
『本日ヒロインを務めますのはこの二人。上手側。名をジュリア。エカチェリーナからの移民。工場で厨房の職に従事』観客全員がジュリアを見る。暗い客席から光る白目にジュリアは床に逃げる。
『下手側。名をデブリア。同じくエカチェリーナ移民。そして彼女たちは姉妹。国民学校初等部。特別任務隊員であるのにも関わらずにウィンストンに反抗している少女であります』観客全員がデブリアを見ていた。
観客の顔の動きがぴったりとそろう。首の動きだけ見ればテニスのグランドスラムだ。
拍手がホールから起こる。アンフェミアの声だけ聴いていれば舞台女優の紹介のよう。今から始まるのがただの演劇なら喜んで協力できる。けれど頭に浮かぶものが最悪の想定しか出てこない。彼は僕の思考を超えてくる。もう考えるのをやめないといけないのに、止めることができない。何かをしていないとまともに立っていられない。
立ち去れば楽になるのだろうか?
ここから退場することはできない。アンフェミアの話では女たちの運命を選べる立場にいる。逃げることなんてできない。逃げてしまえばもう関われない。
「おい。さっさと殺してしまえ」ボルドーカラーのスーツを纏う小太りの男が座席の後ろで叫んでいる。
「さっさと殺してしまえ」立ち上がってまた小太りの男が叫ぶ。
観客の目がそちらを向く。ジュリアやアンフェミアを見るよりも期待を込めた視線を送っていた。きらきらした視線がとても気にかかる。そわそわした客席に僕は不安を覚える。
『カチャん』
アンフェミアから高い音がした。キラリと光るものを右手に持った。
『シュッ』
大胆な投球フォームから風を切る音がした。右手から何かが飛び出した。アンフェミアの帽子がとれ、髪が流れる。右足のしなやかな面への設置。美しいフォームだった。
小太りの男の額に刺さる。男はのけぞる。
どこから出たかわからないその鉄製の円盤に僕は観客と同じようにそわそわしてしまう。
「あぁぁなぁぁぁ」小さな言葉をけいれんしながら通路に倒れる。
この距離でも中年が息絶えたことがわかる。それ以外の音が全くしないのだ。
いつの間にか観客が真顔でこちらを見ていた。観客の定期的な瞬きはまるでカメラのシャッターのよう。ただどこか嬉しそうな顔に見える。
人の死が喜ばれる空間なのか。それとも集団から異物が排除され単一化することを良しとしているのか。
男は軍人に引きずられ後ろに処理された。
そのことに誰も言及はない。進行が遅れた開催者の事務的な謝罪も、観客のヤジもなかった。
『彼女たちは移民である。そしてウィンストンは彼女たちを受け入れた。歴史も環境も違う敵国での生活への順応は時間がかかる。しかし彼女たちに改善の予兆は見えない。それでもウィンストンは彼女たちに最後の機会を与えてくださった』
『彼女たちは家族という形に縛られている。敵国に洗脳されているのです。その輪からの解放のために皆様のお力をお借りしたいのです。家族はいらない。一人でいい。ウィンストンに選ばれた私たちが決めましょう』
拍手が聞こえる。僕は鼓膜を破りたくなる。僕は考える。どう救えばいいのか。二人を守る方法を考えている。ただ僕の頭には片方の心の傷の慰め方しか出てこない。白旗をあげた後のことを勝手に考えている。それではだめだ。心はそう思っている。ただ頭はそれしか弾き出さない。
『あなたたちのことを私に聞かせてください。どんな人間ですか?』
「こいつは最低の人間だ」デブリアがこの静寂に切り込む。僕が思ってもいない言葉だった。
「」うつむいたままのジュリアの顔が強張る。
「私は姉のために実の父親を告発しました。母も私も姉も父親に殴られる毎日。それを変えようとして私はエカチェリーナで告発をしたのになぜか私が悪者扱い」
「」
「私が下手に出て謝っても許す素振りすらない。姉のふりをしたひどく傲慢な人間なんです。こんな姉助ける価値もなかった」
デブリアの憎しみがホールに響いた。
遅れて大きな拍手がなる。僕はデブリアから出た言葉に耳を疑ってしまう。僕はジュリアを見てしまう。
「そうね…私は最低の人間だわ」ジュリアは怒りに任せたデブリアの言葉を正面から受け止めた。
「私はあの国で幸せだった。あの国が好きだ」
だめだ。これ以上はいけない。僕は口から息を吸う。
撃鉄を起こす音が上手、下手の両方から聞こえる。銃口が横目で見えた。狙っているのは僕ではない。彼女たちだ。僕は止まってしまった。口頭ではだめだ。ほかの手段を考えないと。すべての可能性が収束してしまう。どこかにあってほしい。二人とも幸せになる道は必ずあるはずだ。
「ここでそれを言って何になるのよ」ジュリアが遮るように大声を出す。
「私の幸せを壊したお前が死ね。私はこの国でたくさん人を殺してあの国に帰る」
「ウィンストンなんて
デブリア」
デブリアが出かけた言葉をジュリアが止める。普通の声だった。あの家で聞くような、食卓で聞こえてくるような。感嘆符もない。怒声でもない。ただ振り返るように促す声を聞いた。
肩の荷が下りた。姉としてのジュリアが顔を出した。これで終わる。観客はつまらなそうにするだろう。僕はとても幸せになる。最悪の最悪ではなくなった。僕は彼女たちを幸せにできない。片方は死んでしまう。せめて分かり合えてほしい。不器用な姉妹。家族であることに負い目を感じている。そしてお互いの幸せを願っている。その思いがようやく繋がろうとしている。
「お前みたいな家族に馴れなかった出来損ないが妹をやめてくれて正々する」
「」デブリアが止まる。
僕は静止した。息が止まる。妹に吐き捨てる強い口調。耳を疑うことすら忘れている。
不意の一撃にたじろぐ僕ら。どすのきいた声が耳にへばりつく。僕らの狼狽は増すばかり。抱える頭に幸せを考え出す力はもうない。
「私たち家族の善意でお前は生きていた。父が仕事をなくしたのは馬鹿なお前のせい」ジュリアが血走った目でデブリアに詰め寄る。
「」殺意と驚愕。お互いが家族に向ける目をしていない。
「お前のせいでお父さんは片腕が動かなくなった。アルコール依存になって私たちに暴力をふるったのも全部お前のせいだ。そのせいで母もおかしくなった。全部お前のせいだ!疫病神!」ジュリアの首にかかる張り詰めたロープが肉に挟まる。それでもデブリアに向かって罵詈讒謗を浴びせる。
やめてくれ。これ以上そんな姿を見せないでくれ。
「誰か。誰でもいい。お願い。あいつを殺して」観客に叫んだ。
さっきよりも大きな拍手がする。
デブリアはうつむいた。赤くはれた目が見える。それでも涙は流れない。流さなかった。
僕は理解した。デブリアは姉のために自分を殺そうとしている。姉を守ろうとしている。
このホールで僕しか気が付いていない事実。
じゃあジュリアは?妹を守ろうとしているのか?
あの形相ではもう確認のしようがない。妹に懺悔している彼女はどこに行ったんだ。
「ここにきて何年だ。お前はいつになっても適応できない。こんなにも幸せなこの国でお前はあの国を憂いている。さっさと殺されろ。今すぐ舌を嚙み千切れ!」ジュリアは止まらない。
もう。やめてくれ。デブリアが泣きそうじゃないか。もう何も見たくない。わからないのか?あれほど大切にしてきた妹じゃないのか?最後の家族じゃないのか?そんな言葉を送らないでくれ。
劈く拍手が僕を襲う。
「さぁ。私が私でいるためにさっさとこいつを始末して!」ジュリアが叫んだ。
僕と目があった。希望も思考もそこについた。
拍手する観客。醜い争いに劇場のボルテージが上がる。
それに惑わされることはない。僕は息を深く吸う。解りきっていたことだ。
拍手する観客。アンフェミアが肺に空気を溜める。もう決着をつける気だ。
そんなことはさせない。焦らない。
拍手する観客。ののしるジュリア。大げさな身振り手振りは劇場でよく映える。
これを娯楽として消費させてはならない。世俗にまみれた見世物は終わりだ。
拍手する観客。こらえるデブリア。涙を溜めた目で逆転の芽を探している。
照準を合わせる。引き金の冷たさと抵抗が脳に伝わる。
僕はつぶやいた。
「ウィンストンは知っている」
『パン』
ジュリアの脳天を撃った。耳元での爆音が周りの音をどこかへ飛ばした。ジュリアが踊り狂って倒れる。照準を合わせる。
デブリアの顔はジュリアを見ている。その顔は止まっていた。
終わらない耳鳴り。彼女の声は耳には届かない。ただしっかりと伝わる。レバーを押してか空薬きょうを落とす。
『どうしてなの?』
デブリアの口が動く。僕は何も言わない。
レバーを引く手が重い。動かないわけではない。ただ重いだけだった。
『カズ?』
「仲良く死んでくれ」
「嘘つき」
デブリアは目を閉じ死を受け入れた。
『バン』
デブリアは静かに倒れた。二つの死体が出来上がる。
耳なりは終わらない。けれど目から拍手の音が聞こえてくる。端から端まで立ち上がって手をたたいている。まるでロボットのようだった。労働者と変わらない。身なりがいいだけだ。嘲笑した。何も知らない愚かな人間。血を見て興奮するピラニアだ。
銃口の覗く。シリンダーに弾を込める。
ウィンストンよ、これでいいのか?きちんと答えてくれ。
引き金を引いた。
弾は出なかった。
心の底から喜びがあふれ出る。脳が揺れる。毛穴からこぼれ出る感覚。
そして気が付いた。体が痛くない。心も痛くない。本当に何もない。何でもない。慢性的な体の痛みも心残りも何もない。社会に押しつぶされる感覚。明日への不安。見えない未来。その苦しさがない。
新しい感覚。世俗から解き放たれたのか。これが解脱というのか。
ウィンストンは私を肯定した。この社会を制する王からの肯定に心からの喜びがあふれてくる。自然と口角が上がる。空っぽの心が埋まってゆく。透明な気分に色が乗る。
劇場が明るくなる。群衆に手を振る。拍手が大きくなる。
死体が二つ転がっている。
私は幸せだ。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




