この国の真実
豊作省の端っこの駐車場に車は一台もない。誰も使っていないせいか、雪が残っている。
特別な仕事だというのに相変わらずの曇り空。晴天とは言わずとも青い空が恋しくなる。恋しいだけで安らぎがあるのはこういった曇り空でもある。他愛ないよしなしごとを浮かべていないと重圧につぶされそうになる。
課長が言うには危険な仕事だと。その上軍服まで着せられた。いつも以上に身が引き閉まる。あれほど着てみたかった緑の軍服。着たいと思った理由なんて忘れてしまった。
頑丈な軍服は見かけ以上に重い。勝手に猫背になっていく。寒さか緊張か。わからない身震い。ノイアーがこっちに来た。
「おはよう」ノイアーも同じような軍服をきている。違いは勲章の数くらいだろう。
「おはよう。調子はどうだ?」
「緊張しているよ」
「ははっ。気負い過ぎるなよ」
「わかってるよ。父親は?あれからどうだ…?」
僕は細心を払って聞いた。ただ変な気の配り方かもしれない。
「…あの後すぐに袋の中さ。仕方がないよ」
「そうか…」
「まぁ。しょうがないよ」
「 」
予想以上の淡白な回答に驚いた。大の大人が泣きわめいていも困り者だが、こうもあっけらかんとされると気の回し方がわからなくなる。
「今日は俺が先輩だから言われたとおりにしてくれ」彼の胸についた勲章が揺れていた。
「わかった」
「あれに乗ってくれ。説明は現地でする」
燃費が悪そうな音と黒い煙をけたたましく上げながらキャブオーバ―トラックは道を走る。変速の度に僕の頭が固いヘッドレストにバスケットボールのように反発する。僕は助手席で流れる景色をただ眺めているだけだ。舗装された道路から未舗装の砂利道に変わった。景色も追随して都会から郊外を経て峠道に差し掛かる。運転手は僕よりも若い。高校生くらいの好青年だった。
「何かございましたか?」青年が僕に尋ねてきた。彼も軍服を着ているが着られている風には見えない。きちんと着こなしている。
「運転が上手だね」ハンドルを握る手に傷一つなく帽子についたエンブレムはピカピカだった。
「ありがとうございます。褒められるのは初めてです」喜ぶ姿がまだ青年な部分が垣間見えた。
「もう長いの?」
「いいえ。まだ始めたばかりです」
「今日はよろしく頼むよ」
「はい」元気な返事が返ってきた。
ゲレンデの林間コースのような道中。ノイアーが乗った車の轍をなぞるように走る。たわんだ木から雪が落ちる。ワイパーを動かした。そわそわしている運転手が口を開く。
「ご質問良いでしょうか」
「いいよ」
「将来豊作省に入社したいのですがどうすればなれますか?」
「どうして入りたいんだ」
「両親の願いなのです」
「なら、約束は守ることだ。それくらいだよ」
「?」
「おかしなことだろう」
「えぇ。そんなこと当り前じゃないですか」
「そうだよな。当たり前だよな」半笑いで僕は話した。
腑に落ちない顔で運転をする青年。必要な答えではないことは明白だった。
彼が僕の吐露を理解する日は来ないとわかっているけれど、私の余計な感情がにじみ出てしまった。年下にはおせっかいでも焼きたくなるんだなぁ。窓に反射する青年の顔を見る。
「親身に対応してくれた方は初めてですよ」不満さが態度に出たことをごまかすために彼は僕にやさしくした。
「余計なお世話じゃなければいいけれど」
「とんでもないです。貴重な体験ありがとうございます」
「後どれくらいで着くんだ?」
「後一時間くらいですね」
「すまないが少し寝る。着いたら起こしてくれ」
「わかりました」
青年を見て少し疲れた。羨ましい本心がやましい感情を生産していた。キラキラとした目をいつまでできるのだろう。そういえばこの体も彼のように希望に満ち溢れて入社したのだろうか。僕はそうだった。初めての給料で親に何かあげた。何をあげたんだっけ。
少し昔のことを簡単に忘れてしまった。僕の記憶はどこにあるんだろう。どこから思い出していたんだっけ?もう探し方すらわからない。
「つきましたよ」
僕はいつの間にか本当に寝ていた。
「あぁ、ありがとう」
「お疲れだったでしょう。昨日あんなことがありましたから」
「君は大丈夫だったのか?」
「えぇ。私はそこの地域ではありません」
「久しぶりだったな」
「そうですね。戦況が劣勢に変わったからって無差別攻撃は許せません」
「そうだな」
僕はトラックを降りた。足跡をつけると雪が茶色く濁る。雪はうっすらと積もっている。
風が吹きつけるたびに粉雪が舞う。山の中。裸の木が茂る森の中。ぼやけた太陽光が真っ白の世界を明るく照らしている。少し間眩しい。
車が通れる幅はない。駐車スペースが確保されているだけだ。
「疲れたか?」ノイヤーが気を使って僕に話しかけてくれる。
「少しな。ここは?」手袋だけではしのげない寒さに自然とポケットに手が入る。
「我々以外は来られない場所さ」
「柵の向こうなのか」
「そうだな」
運転手二人はトラックから荷物を出している。
「きれいなところだな」
「そうでもないさ」
「ここなのか?」
「いいや。少し歩く。準備は?」
「準備終わりました」彼らは大きいそりを連れていた。
「カズはこれだ」
ノイアーはブリーフケースを渡してきた。
「これは?」
「重要書類だ。頼んだ」
「わかった」僕はしっかり鞄をつかんだ。
「目的地は湖。大回りで行く」ノイアーの低い僕の知らない声に驚いた。
「「了解」」
運転手二人が元気のいい返事をした。
もう僕らの足跡は濁らない。四人の足跡は軽い風に舞う粉雪が消しにかかる。僕らの痕跡もすぐに消えるだろう。
少し歩くと大きい湖があった。遠くに対岸があるが一周するのに一日はかからないだろう。波紋が風の強さと向きを示していた。
ただほとりを歩いているだけのトレッキング。キャンプ場まで歩いている団体だと言っても差し支えない。が楽しそうな雰囲気はどこにもない。
「現着。時間は?」止まったノイアーが二人に聞いた。
「予定の三分と二十五秒前です」
「目標地点到着。待機する」
「周囲の確認に行きます」
「了解」
運転手二人は湖と山のほうで周囲を確認していた。
「ライターは」煙草を咥えながら話しかけてきた。
「ないよ」
「煙草は?」驚いた声で僕を見た。
「やめたよ」
「珍しいな。ヘビースモーカーだったのに」ノイアーは自分のライターで火をつける。
「そうか?」
「昔はことあるごとに吸っていたじゃないか」
「必要無くなったんだ」
「俺は前よりも増えたよ」
湖のほうから声はした。
「なんだ」煙草を口から離した。
「北側にサイン確認しました」
「送り返せ」
運転手たちは鏡を使って合図を送る。
「今日は何をするんだ」
「課長から聞いていないのか?」煙を吐きながらあきれた声で話した。
「重要な任務ということしか聞いてない」
「情報の交換だ」
「極秘なのか」
「そうだな。ただ失敗をしても死ぬことはない」
「そうなのか?」
「あの町にいるのが一番危険だよ」
半分だけすった煙草を雪の上に捨てた。
「緊張しなくていい。俺の言う通りでいいんだ」僕の肩に手を置いた。
「わかっているよ」
「集合だ。襟を正せ」運転手と話す声でノイアーは我々に良い姿勢を促した。
湖のほとりから黒いコートの羽織った男三人がこちらに歩いてきた。コートの内側に見えるのは白い軍服。あの恰幅は本物で間違いない。
「遅れて申し訳ない」
帽章をとって詫びる男。寒空に似合わない明るい声がした。真っ白な軍帽からブロンドの髪が見える。
「いえ。予定通りです。我々が早いだけです」
「早速ですがこれを」向こうがそりで運んできた荷物をノイアーの前に置く。
「こちらも」ノイアーがアイコンタクトを僕に送る。
僕はノイアーに預かっていた荷物を男に渡した。
男は僕からの荷物を受け取る。
「新人ですか」僕の場慣れしていない対応が気になったのだろうか。ただ嫌味な言い方ではなかった。
「いいや。それの使用者です」ノイヤーは淡々と答える。
「もうそんな時期になったんですね」
「えぇ。あなたと会うのも最後かもしれない」
「ははは、その言葉毎回聞いていますよ」
「そうでしたな」
「今回は通告通り緻密な兵器がございます。これを」男がブリーフケースを僕に渡した。
「これが例の」ブリーフケースを横目で見るノイアー。
「はい。毒ガス兵器です。建物を破壊せずに殺傷を行えます」
「ようやく完成したんですね」
「いいえ。もっと早くできていました。あなた方がマスクの生産に手間取らなければとっくに納品していました」嫌味を言う男。
「あははは。新型飛行機の安定飛行が実現できていればこんなところに来る必要はなかったんですけどね」ノイアーも負けじと応戦する。
「そう来ましたか」
「こんな会話をあとどれだけできるやら」
「えぇ。数少ない楽しみですから」
「ほんとに…そうですね」
「では。また会いましょう」
「はい。また」
彼らは固く握手をした。男たちはすぐに来た道を引き返していった。
「諸君らご苦労。我々も帰ろう」
「「はい」」
「なぁ。彼らは誰なんだ」僕はノイアーに聞いた。
「物資の運搬に注意して帰投せよ」低い声でノイアーが運転手たちに伝えた。
「「了解」」運転手たちは足早に引き返した。
ノイアーは運転手たちが離れるのを確認して煙草に火をつける。
「誰だと思う」煙を吐いた口からは低い声で僕に問いかける。口の中が乾く。
「わからないから聞いているんだ。それとも聞かないほうがいいか」僕は無意識に貰ったブリーフケースを強く握った。
「聞いてどうする。余計なことだ」
「ならいいよ。彼らは知らないんだな」
雲の切れ間から光が差す。白銀の世界がさらに白くなる。僕は目を細めた。
目をつぶったノイアーが大きく煙を吐いた。
「あれはエカチェリーナの軍人だ」
「…え?どういうことだ。内通者なのか」
「いいや。模範的な軍人だ」
「我々が内通者なのか?」
「いいや。我々も模範的だよ」
「あ、、あぁ?」じゃあ。一体どういうことなんだ?僕はわけがわからない。
「これが俺の仕事だ」
「あのさ」
「なんだ」
「戦争中なんだよな」
「そうだ」
「そんな国と関わっていていいのか?」
「かかわらなければ計画の修正ができないだろう」
「計画?修正?」
「我々は戦争をしているんだ。必要だろう」
「なぜ?どう必要なんだ」
「戦争の優劣を修正しないと戦争が終わってしまうじゃないか」
「」
「どうした。顔。怖いぞ」
「戦争は終わらしたほうがいいだろう」
「なぜだ?戦争が終わっても戦争が起きるだけだろう」
「それはだめだ。戦争はだめなんだ!」僕は何故熱くなっている。
『何がどうだめなんだ』自分の中から声が聞こえた。
「何がどうだめなんだ」俺の思考とノイアーの言動が重なる。
「それは、、人が殺しあっていいことがない。そんなのやめたほうがいい」
「それは無責任じゃないか?」
「何が!」俺は熱くさせる。
「終戦して何になる?行き場のない憎しみは爆発のように強い力がある。束の間の休息を享受できるのは短い間だけさ。また戦争が。より残虐で大きな戦争が始まるだけだろう」「…でも。でもさ…」必死で返答を探している。彼の考えを否定しないといけない。なん
でそんなこと考えているんだ?
「もういいか?」根元まで吸い切った煙草を捨てたノイアーはやさしく問いかけてきた。「あの毒ガスはなんだ。あれでエカチェリーナを攻撃する武器を渡すなんてあいつらは阿保なのか?」
「エカチェリーナ?なんでさ」
「?」
「あれはプロイスで使う。そのために開発してもらったんだ」
「 」
「増えすぎた労働者を減らす。そして国家の反逆者を消す。カズも手伝ったろう」
「僕がいつ加担したんだ?そんなことした覚えはない!」
「病院だよ」
「あ、あの爆撃なのか?」
「爆撃?違うぞ。爆破だ。俺が爆破してきた」
「お、お前が?父親はどうなんだよ」
「巻き込まれたな」
「死んだんだぞ」
「そうだな。戦争なんだからしょうがないだろう」
ノイアーが新しい煙草に火をつける。
「これは特別な仕事だ。カズに命令が来たんだ。お前が選ばれたんだ」
「…」僕はブリーフケースに目を落とす。
「明日の夜だ」ノイアーは淡々と話す。
「…」
「変なことは考えるなよ」
「」
「お前が処分するのは反乱分子の人形だ。ここで処分しなければお前とお前の大事にしている人間が死ぬぞ。お前のせいでな。」ノイアーは僕の両肩をつかんで優しく話した。
「…そうか」
「俺の目を見ろ」
「」僕は視線を避けるようにうつむいた。
それをノイアーはさせてくれない。視線を支配される。
「明日の日没後。場所はカズがよく行く商店街。移民の街さ」
「 」僕はノイアーに視線を戻す。僕の状況が筒抜けになっている。
「誰にも口外はするなよ。その場で死刑だ」肩に置かれた手に力が入れられた。
「押さなかった人間がいたのか?」
「いいや。誰もいないよ。全員、俺を含めて押した」
「口外したところで解らないだろう」
「いいや」
「」
「ウィンストンは知っている。知らないことなんて一つもない」
「痛いよ」
「そうだな」ノイアーが僕の肩から手を放す。
「どれくらいガスは広がるんだ?」
「余計なことだ」
「いいや、必要なことだ」
「さぁ。死亡人数は先の爆撃の比じゃない」
「どうして怪我をした人間を助けていたんだ?」
「あれは人形だ。戦争継続の労働力と憎悪の保管の役割しかない。我々にはできない仕事だ」
「僕の役割はなんだ」
「ウィンストンの社会を維持すること。忘れたわけじゃないだろう」僕に銃口を向けた。
白い世界に濃く浮き出る真っ黒の銃を見た。
「そうだな。そうだった。昨日のことで疲れていた」
「」
銃をしまうノイアー。
同情の言葉も銃弾も出ることはなかった。僕の冗談で終わったようだ。
「カズ。これが終わったら栄転だそうだ」
「どこに飛ばされるんだ?」僕は不安そうな声で聞いた。
「さぁ。きっとここよりもいいところだよ」
「知らないのか」
「教えてもらえなかった」
「左遷じゃないよな」
「それはない。戻れるとかそう言っていたかな。俺にはわからなかった。意味わかるか?」
「…いいや」
「もっと喜べよ」
「そうだな」
「そんなに俺と仕事ができないのが寂しいのか?」
「かもな」
「これの設置はしておく。カズはこれで上がりだ」
「ここで解散か?凍え死んでしまうよ」
「はは、そうだな」
ノイアーが不思議な顔をする。
「なんだよ?」
「なんであんなに取り乱したんだ?」
「それが僕の役割だったと思う」
「…よくわからないんだが」三本目のたばこに火をつけたノイアー。
「俺もだよ」
運転手たちの足跡を目印に湖畔を歩き始める。森林に日が照りつけ影が減る。
与えられた仕事。正直に言うと心が躍っている。自分が選ばれた存在なんだと自信を持って言える。
それはひどい仕事だ。人がたくさん死ぬ。ジュリアが死ぬ。ただ死ぬのではない。僕が殺す。僕はすでに人殺し。そしていろんな人間の死を見てきた。抵抗感は前よりも薄い。それでもたくさんの人間を殺すんだ。あの爆撃よりも多くの人間が傷つく。病院に僕が送るんだ。
アンフェミアは殺してきたから俺が殺した。ジュリアは僕から殺す。はじめの一歩は僕からだ。あんなにも僕を助けてくれた人間を僕から殺す。僕のために殺す。
今度はスイッチを押すだけだ。前回よりも心は痛まないだろう。
『そこまでしてなりたいものなのか?』
ここまでの人生。すべてそこにあこがれていた。僕が特別だと証明したかった。多大な犠牲を払ってもその席に座りたかった。
「余計なことですよ」工場長の言葉が僕に跳ね返る。
僕にとっての余計なものはどっちだ。
恋焦がれている特別への執着か初めてもらった温かさか。
ウィンストンの指令に従えば現実に戻れる可能性もある。
けれどジュリアとの約束を反故にしていいのか。教えてもらった温かさを僕から破棄していいのか。僕はジュリアから逃げていいのか。後悔しないのか。
この犠牲を糧に得た証明に本当に意味があるのか。
そんな余計な考えが止まらない。おぼれそうになる。
ここにきて幸せの方程式をウィンストンは提示してきた。
どちらにせよここが僕の正念場。人生の岐路なのだ。
「 」
僕は理解した。
選択肢はそんなにない。
家族に捨てられた現代か。理髪店の前か。彼女を殺してまた一人になるのか。
提示された片道切符に帰路など初めからないのだ。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




