工場長の過去
外にある渡り廊下を歩く。色褪せたコンクリートが年季を物語る。錆びた鉄柱に乗る波状の鉄板に吹き付けられたアスベストは今にも落ちてきそうだ。張られたポスターは激しく揺れながら必死に掲示板にへばりつく。
吹き込む雪を竹箒で掃く工場長と目が合った。
「お帰りですか?」工場長が話しかけてきた。
「これ以上はお邪魔になりそうなので」
「出口まで案内します」箒を鉄柱に立てかけた。
斜め前をすたすたと歩いている。少し丸まった背中に年季を感じる。
長い廊下を前にしてここに来た目的を思い出す。僕は何しに来たんだろうか。肌寒さから気をそらすために、工場長に問う。
「一つ聞いても良いでしょうか」僕は止まった。
「答えられる範囲であれば」少し遅れて工場長も止まる。
「僕がここに来た理由があるのでしょうか」
「過剰生産の報告では?」顔半分を僕に向ける。
「その程度の連絡なら電話で充分なのではありませんか?」
「伝統ですから」
「最適化することは考えてはないのですか」
「新たな問題点が発生するリスクよりも現状維持のほうが簡単なんですよ」
「そういうものなのでしょうか」
「一つあなたに伝いたいことがあるのですが良いでしょうか」
「何か」
工場長は僕に体を向け細い目を少し開いた。
「余計なことはしないほうがいい。まだ死にたくはないでしょう」
「そうですね。肝に銘じておきます」
「ただ…」
「まだ何か?」
「いえ。私がよけいなお節介を焼きそうだったものですから」
コンクリートの上を折れた小枝が滑る。
「今日は特に冷えますし、焼いてみてはどうですか?」
「ふふっ。そうですね」白い息が大きく出た。
工場長はポケットから煙草とライターを出す。
「あなたの不格好な謝罪が懐かしく、心地よい物でしたから」
「首の皮一枚つながっていたようで」
「余計なことですよ」それに火をつけタバコの先端が赤くなる。
「」
釘を刺された。僕は調子に乗っていたようだ。
「わかっていましたか?」
「えぇ。あの反応を見れば伝わりますよ」
「ここには会話がありません。彼ら労働者の言葉はすべて報告でしかありません」
「なぜですか」
「必要最低限の言葉で動く人形が欲しい国家が求めた結果でしょうね」
「なぜあなたに言葉があるのですか?」
「もともと勝利省に勤務していましたからね」
「そうでしたか」
「もう何年も前の話ですよ。部署のエースなんて呼ばれていました。コンピューターの導入だって私が提案したんです。作業効率は跳ね上がり皆に褒められたものです」
「なぜここにいるのですか?」
「親友が国家反逆罪で捕まったのがきっかけです。おかげで私の昇進も安泰な生活も吹き飛びましたよ」工場長は笑いながら話した。
「笑い話になるのでしょうか」
「笑っていないと正気に戻ってしまいそうですからね」
「」
「冗談ですよ。もう彼の顔を声も思い出せません」肺に入った煙を吐きながら言った。
工場長は続ける。
「ただ国に不信感を持っていたのも事実です。むこうの弾薬庫の攻撃を提案したのにいつまでも却下されていました。友人は強攻して作戦準備中に捕まり、止めなかった私も同罪だと通達がありました」
「」
「何か」
「…生存しているのですね」
「生かされたのでしょうね。生きていることはよいことですよ。そう思いませんか」
「…余計なことを言ってもよろしいでしょうか」
「良いですよ」
「夢も希望もない生に意味があるのですか?」
「無駄な夢を持った人間はもう誰もいない。我の強さは身を亡ぼすだけだ。自前の身だけで済めばいいがね」
「」
「ここはよいところだよ。人形をこき使って悠々自適に暮らすのは楽しい。幸せになるよ」
「…」
「人の心がないだろう。これでいいんだよ。あいつらは人じゃない。区別は安全を、差別は安心を創る。彼らの知らない優越感をいつの間にか押し付けていればいい。夢も希望もなくていい。それでも彼らは今日を笑って過ごしているだろう」
「」
「君から見れば人形の飯事だろう。僕はそれで生きていけるんだ。いいや。僕らだ。僕らは君たちを羨ましいとも恨めしく思はない。下があるおかげで君は立っている。それをありがたがってはならない。さもなくば明日の君はここで鉄を打っているよ」
工場長はぎりぎりまで吸ったタバコを床に捨てた。
彼は僕にこの世界での生き方を懇切丁寧に教えている。夢や希望なんて持つな。言われたとおりに働け。生きているだけでいいんだと。生かされているのが良いことだと僕に命がけで伝えている。こうやって自分に向き合ってくれる人間がいる。それが本当にうれしい。腐っていた引きこもり時代にその言葉を くれたのなら今すぐ迎合して自堕落な生活をしていただろう。
けれど今は大切な約束が守れそうなんだ。この絶好の機会をやすやすと手放せない。
「僕は戦争が早く終わって平和になってほしい。それは願ってはならないのでしょうか」
「平和?それはいったいどのようなものなのですか」
「争いがない世界です。誰もが平等で安全に暮らせる社会です」
「?」
「それは素晴らしいことではありませんか?」
「君の絵空事を他人に押し付けるのか。意図的なそれならもうあるだろう。まだ足りないか?」
「…願うことすら許されないのでしょうか」
「人は争いをやめられない。勝った感覚を忘れられない。無駄だとはっきり申しておきます。彼らが笑う分を君が譲ってあげられるのかな?」
「平和のためなら」
「笑われる人間は君ではなく君の大切な人間でも?」
「それは…」
彼女の顔が出てきた。
僕は言葉が出なかった。
「…そうでしょう。あなたがその問いを濁す人で良かった」
「」まっすぐに言われた。
「あなたがここに来た目的は定期健診です。国政に仇なす人間の炙り出しです」
「それを私に話してよいのですか」
「秘密にしてください。でなければ死にます」
「一連托生ですか」
「」彼はだまってほほ笑んだ。
「あなたはなぜお節介を焼こうと?」
「本当に昔の私そっくりなんですよ」
「どんなところが?」
「?」
「まだ自分がいるところだ。理想や夢なのか。いいや。もう私では言葉にできない何かだ」
「…」
「私は捨ててよかったと思う。ここにいて幸せ。生きていることはこの上ない喜びだ」
「僕はあなたとは違う場所にいきます」
「若いな」
「今日が一番若いんですよ」引きこもりが棚にあげて言う言葉ではないことは解かっている。少し恰好をつけたくなった。
「…私は正しかったのか?君はどう思う」
「それを私に聞くのですか?」
「はは、ははははははっはは」
壁のない廊下では笑い声も工場長から出る白い湯気もとどまることなく冷たい風に流される。
「あれもこれも余計なことだった」
工場長は煙草に火をつけた。煙が一本スッと立ち上がる。
「君はどうだ?」
「いえ。どうも煙が体に合わなくて」
「この国はどこもそうだろう」
「明日は違うといいですね」
笑った。もう僕に対して愛想も話す言葉も無くなったのだろう。満足げな顔をしていた。
「貴方に会えてよかったです」
「私も君に会えてよかったよ。最後にいいか?」
「」
「君は私と同じ不良品だ。私のようになる可能性は誰よりも高い。君は工場に向いていないんだ。気をつけろ」
「余計なお世話ですよ」
「世辞のほうがよかったかな」
「いいえ。では、また」
「待て」
「?」
工場長は持っていた煙草とライターを僕に渡した。僕は驚いて彼の顔を見た。
「私にウィンストンはいなかった。お先に」
工場長はそういうとスッと来た道を戻っていった。背筋を伸ばし大股で廊下を歩く。ここで一番偉いのが誰か歩き方だけで解りそうだ。
「またどこかで」
工場長でも省庁でもない。肩書も何もなくなった平和になった世の中でまた会えることを僕は心から願ってる。
外は相も変わらず厚い雲から雪が落ちている。玄関を出ると同じ位置に車が止まっていた。時より吹き付ける風が僕の耳をちぎろうとしてくる。コンコンとボンネットを叩いた。席を後ろに下げて、顔に新聞を乗せて寝ていた運転手がゆっくりと起きた。
「エンジン掛かるまで少し待ってもらっていいですか」ドアを少し開けて僕に言った。若い男だ。寒空に似つかないような陽気さがあった。
そういわれると助手席に入りづらい。車のすぐ横で待つのも…。玄関に戻ろう。ポケットをあさって時間をつぶすアイテムを探す。四角い箱をコートから出した。
工場長のお土産があった。
カチャン。
ジュゥ。
すぅー。
渇いた匂いに唾液腺が刺激される。吐く白い息が少しだけ濁っていた。
「げほっ」
焼き過ぎた先っぽが異様に赤く燻る。
余計なことだと一蹴されるのは目に見えているだろうけれど、工場長のこれからがどうなっていくのか気になってしまう。僕の話をどう思ったのだろうか。それだけは最後に聞いておくべきだったなと反省している。
じりじりと口元に近づく火を見てぼんやりと思った。肺まで入れずにただ煙を口から出す作業。この反復作業を好んでやる人間の気持ちはわからなかった。
くるくる。寒い中必死で窓を開けた。運転手が手を招く。
『どん』
音が足元から伝わってきた。左を見た。さっき見た工場長の背中が地面ににあった。耳と顔の表から出る血液が玄関タイルの溝に伝う。僕の声にこたえたあの手はぴっちりとスラックスの縫い目に沿っていた。
さっきまでなかった黒い数字が背中につけられていた。枝肉につける印のようだ。
上を見た。十メートルくらいか。
男の背中が動いているのか?僕はその背中に手を伸ばす。
「豊作省の方ですか」小柄な男が声をかけてきた。
「えぇ。この人を早く…」救急車でいいのか?それとも別の呼び方なのか?
「何か問題でもありましたか?」僕だけを心配するように顔を覗いてくる。たださっきよりも顔の位置が近い。
「だから」
僕は目の前の現実が理解できなかった。いや、何も見たくなかった。閉じた瞼が開けたくない。しかし脳は見た現実が真であるかを知りたがった。
小柄な男は男の上に平然と立っていた。僕らから見た男は物だったのかもしれない。ただ本当にただのものになったんだと理解した。
靴底に押し込められていた雪が死体の熱で溶け、じんわりと服を侵食している。
「何でもない。これで失礼する」
「吸い殻こちらで片付けておきますね」
「ありがとう、ございます」
わざと火口を向けて男に渡した。男は煙草を挟むように受け取ると、死体の上に落とした。
視線を戻すと自然と目が合った。
「まだ何か?」
「いいや。何でもない。ごくろう」
車に向かった。ちらっと後ろのひどい光景を見た。人だった物に価値は無い。こんな形で出会うことを望んでいたわけじゃない。
僕は少し積もった雪に自分の足跡を強くつけながら車に戻る。自分が動揺していた理由を探しながら歩いた。
「どうでしたか?工場は良いところだったのですか」
「豊作省まで」
運転手はギアを入れ誰もいない道に出る。
かちゃん
じゅぽ、じゅぽ
がたがたと揺れる車のせいでライターの火が安定しない。大丈夫だ。サスペンションが固すぎるだけだ。震えているのは僕じゃない。
「ここに」
運転手はシガーソケットを押した。
僕は左手で助手席のウィンドウを開けながら右手で煙草を出した。
煙草を赤黒い中心に押し付ける。
「開けなくてもいいですよ」運転手が僕に気を利かせだ。
「いや。これがいいんだ」
「」アクセルを吹かした。
煙草を口につけ、煙が出るまで火を押し当てた。煙を吸っても喉が温かくなるだけで咳き込むことはない。少しだけ味わい深くなった気がする。
「」
僕への善意で人が死んだ。僕に良いことをすると彼らに悲しみが降る。特別な人間には贄が必要なんだ。
僕はそう思える人間ではなかった。揺れる煙を見ながら考えこんでしまう。
『余計なことだよ』
工場長の言葉が急に出てきた。
また会えないことを知らなかったのは僕だけだったのだ。その隠したやさしさを僕は汲み取る。うつむいた気分が少し前を向く。
「何かいいことでもあったんですか?」
「…なぜ」
「笑ってましたよ」
最近温かい気持ちをもらうことがある。今まで誰からももらえなかった。これ以上冷たくならないために暖かさを拒んでいた。
今は冷たさが気にならない。また誰かが温めてくれることを知ったからだろうか。
僕は火のついた煙草と煙草の箱を捨てた。こんな嗜好品僕には必要ない。
「いらないならくださいよ。僕らにとっては高級品なんですよ」運転手が欲しそうに言った。
「余計だ」僕に言い聞かせるように言った。
僕の言葉に陽気な運転手の表情が固まった。
「冗談だ」
気休め程度の言葉では凍った社内の空気は温まらなかった。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
来年も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




