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アンフェミアの譲歩

 黄金の芝生が広がる整備された大きな広場に来た。大きなとちの木がそびえたっている。

 その下には大きな葉っぱと木の実が落ちている。

 久しぶりの太陽を見に子どもたちが遊んでいる。その近くで母親とみられる人が談笑しながらランチの準備をしていた。

「ここが公園?広いね」僕は素直な感想を口に出す。

「…うん」浮かない顔からそのままの声がした。

「おなかすいたからご飯食べていい?」

「あ、うん。私やるよ」

「ありがと」

 僕は裸の木の下にビニールシートを広げた。

 アンフェミアが手際よく準備を始める。バケットにはアルミホイルにくるまれたサンドイッチが入っていた。

「はい、どうぞ」

「おいしそう。いただきます」

「どう?」コップに次いだ紅茶を渡しながら聞いてきた

「おいしいよ」

「良かった」

「豪華だね」

「最近市場に食料が増え始めてきたから」

「たくさん食べられるね」

「民は食わねど高笑いなんて子供のころの話よ」

「料理うまいんだね」

「もうずっと私が作ってるから。誰もいないからね」

「そっか」

 戦時中だと思えないほどの平和。公園では子どもたちが遊び、母親たちがそれを見てほほ笑んでいる。ベンチに座った老夫婦は陽だまりで楽しくおしゃべりをしている。かたや数百キロ離れれば雪で湿った地面の上で仲間の血と弾丸を浴びながら敵と打ち合っている。銃声にかき消される命。鉄は肉塊を際限なく作る。極限状態が遠くとどこかで存在している。

「あれは?」僕は連なる木でできた人工物に指を差した。

「境よ」

「柵ってあんな貧相だった?」

「今はね。防衛線が上がったから簡単になったんだよ」

 国境はもっと厳重に管理され、有刺鉄線が上についた大きいフェンスや、レンガが積み上げられた壁で隔てていると思っていたが違った。芝生の上にお気持ち程度に木の柵があるだけ。さっきのジャンという少年でも簡単に越えられる。そして見張りの一人もいない。アサルトライフルを携行した軍人はいないし、装甲車の一つもない。簡単に脱国できる。

 あの向こう側には何があるんだろう。僕は簡単に乗り越えられる。その奥へと簡単に行ける。行く価値はあるか。その道中重要な何かを知ってしまえば僕はここに戻ってこられるのか。

 やめておこう。ここでの生活を続けたいのならば行くべきではない。僕は従順な国民になりつつある。

 休日がこんなにも幸せだなんて。学生時代よりも楽しい。いつもは友達と遊んでいたんだっけ?蜂の巣を燃やしたこともあったなぁ。

「おいしいね。サンドイッチ」僕は幸せをかみしめている。

「ありがとう」紅茶を飲むアンフェミア。どこか落ち着きのない。アツアツの紅茶を飲む手が止まらない。

「あのさ」アンフェミアが一呼吸置いた。

「うん」僕はサンドイッチを食べるのをやめない。

「さっきの話だけど」

「どの?」

「好きなところの話」

「それが?」

「無いとかそういうことじゃないの」

「言い訳なんて珍しい」嫌な聞き方をしてしまう。

「違うよ」嫌味に対して帰ってきたのはやさしい否定だった。子供の用にあしらわれた。

「じゃあ何さ」

「…口で言うのって難しいねって」

「言わないと伝わらないよ」

「わかってほしいとおもうのは傲慢?」

「夢物語さ」

 パンにはさまれたトマトの汁が地面に垂れる。

「言葉にするなら、私のために変わってくれたこと」

「代わったかな?」

「うん。とっても変わった」

「いろいろ。煙草を吸わないところとか」

「苦しくなってやめただけさ」

「でもありがとう」

「?どういたしまして」

「だから、ね」

「ん?」

「嘘つきも好き」

 アンフェミアの言葉に僕は止められた。この体の主がどんな言葉で返答するかを必死に考えているが答えが出ない。白状したほうがいいのか。それだとまた殺される。あれ?僕は殺されるのか。違う。またこの世界に戻る。何も失うことはない。なら別にいいんじゃないか?

 僕のまま彼女の言葉を返してもいいじゃないか。僕は僕なんだから。変わる必要もないんじゃないか。思った以上に速い彼女の意志表明に焦っている。彼女が言ったんだ、なら僕だって…

「あのさ」

「口にマヨネーズついてる」アンフェミアがポケットから出したきれいなハンカチをわたしてきた。

「きれいなハンカチ汚せないよ」そういってジャケットで拭いた。ジュリアの縫ったアップリケがと目が合った。僕は言葉を引っ込めた。

 危なかった。いいや。あぶなくなかったのか。そうだ。だめだ。今のはだめだった。大事な約束を反故にするところだった。あの場所をなくすところだった。恋人役に徹しなくては。

 もう少しだけ僕の言ったことを僕が守りたい。

「そういうところは昔のままなんだかから」ハンカチをポケットにしまう。

「そう?」

「そうよ。子どものころこうやってパンを食べてた時も袖で口拭いてた」

「忘れちゃったよ」

「私はとっても覚えてるのに」アンフェミアは紅茶の入った魔法瓶をコップに注いだ。

「思い出すからヒント頂戴」

「じゃあ、十年くらい前」

「場所は?」

「昔の私の家の前」

「天気は?」

「そうね…。白かった」

「」

「覚えてない?」

「うん」

「じゃあ教えてあげようか?」

「うん」

「でも駄目」

「なんで?」

「考えてほしいから」

「がんばってみるよ」

「これからの思い出は忘れないでね」

 アンフェミアは柔らかく微笑んだ。緊張の糸は思いのほか早く綻んだ。程よく冷えた紅茶を一気に飲んだ。サンドイッチも食べ終えたことだし、帰ろうと彼女にコップを返した。

 彼女は笑顔で差し出したコップにあちあちの紅茶をなみなみ注ぐ。

 言わないと伝わらない。さっき彼女に説教した言葉が早くも帰ってきた。

「ありがとう」

「うん。あ、何か言いかけた?」

「何でもない」

「言ったこと忘れないでね」

「うん」

 また静かになった。風が僕らを柔らかく包んだ。

 僕はアンフェミアを思うとそわそわして待ち合わせの三十分前に来てしまうし、好きなところがすぐに出ないと機嫌が悪くなる。でも好きを言葉にされるとぽかぽかした気持ちになる。そんなアンフェミアの優しさが素敵だと思う。

 殺し合って嘘を付き合う関係。文字だけ見れば険悪そのもののように感じる言葉。それが妙に性に合う。宙ぶらりんな距離が二人を孤独にしているようだ。

 彼女はチラチラ目に入る隙間だらけの木漏れ日を手で遮る。彼女は空を見ている。彼女から見た空はきっと青くて雲は遠い。殺し合った人間と同じ物を見ている。

 ようやく色眼鏡が取れた気がした。

 聖母は無関心を最大の罪だと言った。心の奥で燻っていた罪悪感たちが消えてゆく。

 殺したいほどの興味が彼女も、僕にもあったのだ。アンフェミアが僕に歩み寄ってくれた。僕も少しだけすり寄る。

「君は僕のことを殺したい?」

「私にはできないわよ」

「もし殺すとしたら?」

「約束を破ったときでしょ」

「」

 僕はまた考えてしまう。

「カズは?」

 彼女は僕の顔を覗き込んだ。

「僕もそうだよ」

「良かった」アンフェミアはそういって紅茶を飲む。

 あやふやな言葉だったと思う。色のない気持ちが僕の真ん中にある。彼女の同意でその気持ちに形ができる。

 もっと踏み込んだ質問はいくつもある。けれど僕は一つにとどめた。嘘で成り立つこの関係をアンフェミアが許しているのに僕から壊すことはできない。彼女の幸せを壊したくない。僕は嘘をつくことを心に決めた。彼女もそれを望んでいる。

ご覧いただきありがとうございました。

この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。

次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!

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