アンフェミアとピクニックデート
珍しい。青空に太陽がある。見慣れた分厚い雲はない。僕を真上から見下ろしている。
久しぶりの太陽光でビタミンを補給するべきだと思うが、まぶしい光に負けた僕は道路沿いに植林された裸の木に寄りかかって彼女を待っていた。
「 」
変に緊張している。なんで電話なんかしてしまったんだろう。今でもよくわからない。
朝ごはんを食べていないのに満腹感がある。胃袋に何が入っているというのだろうか。知らぬ間に開腹されて石でも詰められたのだろうか。ありえない空想を腹を触って確認していた。
ジュリアとの約束の手前、恋人役に徹さなくてはいけないのにアンフェミアに妙な不安を持ってしまう。それだけではない。気にかかることがあるはずなのにそれを形にできない。
同じ日に急に休みになったことが引っかかる。アンフェミアが糸を引いている可能性は高い。手綱はすでに握られているのか。それとも天蚕糸が僕から出ているのか。ただもっと違う何かからその筋道に誘導されている気がする。
本音を言えば今回のデートに行きたくない。嫌過ぎて現実逃避している。就職活動に似ている気がする。あの緊張感だ。会社の看板商品褒めたら入社できた思い出が出てきた。結果はどうだった?受かったんだよな?
顔に風が当たる。埃っぽい。
もう春だと吹聴されれば騙されてしまうほど温かい。おかげでジャケットが重りになった。
今日の僕の服装はジーパンに白のロングティーシャツ。
天気予報がないのがここまで不便だなんて考えもしなかった。まして当方引きこもりの身。失ってから気が付くもんだなと感傷的になる。
妙に子供が多い。そうだ。だからアンフェミアも休みなのか。
「待った?」アンフェミアの声がした。
「いいや。これっぽっちも」
アンフェミアは淡いグリーンのトレーナーに青いオーバーオール。最初にあった時の腕章はなかった。 白い帽子を深くかぶる。ピクニックバックを持っていた。
「久しぶり」柔らかい笑顔で僕に話しかけてくる。
「うん。久しぶり」僕はぎこちない笑顔でしか返せていない。
「ねぇ。カズ?」
「なんだい?」
「また同じ日に休み取れっちゃったね」
「急だったけどね」
「大丈夫だった?」
「もちろん。暇してたところだよ」
「私はもともと休み。カズは?」
「電気工事だって。上司が連絡するの忘れてたって。出社する前でよかったよ」
「そうだね。カズから電話なんて初めてだよね」
「なんだかアンフェミアも休みな気がしたからさ」
「すごいね。勘ってやつ?」
「違うよ。愛だね」
「へぇ~」ニヒルな顔で僕を覗き込むアンフェミア。
「何さ?」
「ううん。何でもない」
「きっと、ウィンストンのおかげじゃないか」
「うん。そうかもね」反応が薄い。もっと喜ぶと思った。
「今日はどこに行くの?」
「公園でピクニックでもと思ってさ。お弁当作った来たから」
「ありがとう。大変だったでしょ?」
「そんなことないよ。全然余裕だよ」アンフェミアが手を振って否定している。その指に巻いてある絆創膏を見て僕は微笑ましく思う。ただそれを聞くのは野暮だろう。心の中にとどめておこう。
「あの時の公園で食べるの?」
「今日は線の近くの公園だよ」
「うん?わかった。行こう」良くわからなかったけれど僕は聞き返さなかった。
「持つよ」
「ありがとう」
「仕事どう?」アンフェミアから急に質問が飛んできた。
「大変でつらいね」
「何か嫌なの?」
「アンフェミアに会えないからさ」
「ふふっ。」楽しそうに笑うアンフェミア。帽子をかぶっているので表情はよく見えない。
「君は?」
「私?特に変わらないかな。ただ生徒の数が増えたから大変だよ」
「先生、だっけ?」
「まだひよっこ」
「クラス持つのはまだ先?」
「ようやく担任になったの」
「良かった」
「でもね」
「何かあるの?」
「不思議な子がいるの」
「子どもはみんな宇宙じ…不思議なものじゃない?」
「そうなんだけどさ。新しい環境に慣れていないだけだといいけど」
「別のところから移ってきたの?」
「うん。」
「多分戸惑っているんだよ。知らないことがたくさんあってさ」
「そうだよね。生活環境が違うんだからさ」
「ウィンストンを信じていな」
『ぺチっ』彼女は僕の口を両手でふさぐ。
「違う。そうじゃない」一瞬殺されるかと思ったけれど、僕の反射神経では追い付かなかった。
「」アンフェミアの両手を優しく剥がした。
「…ごめんなさい。でも誤解だから」自分の行動を理解できていないアンフェミアが戸惑ったように言った。
意地の悪い質問をしてしまった。こんなにも大きな反応が返ってくるとは思わなかった。そして僕が思ったアンフェミアの反応ではない。僕はまた彼女のことをわからなくなる。けれど朝の緊張感は和らいだ。
「わかった。別の国から来たんだから慣れるのに時間がかかるんだよね。子どもだからなおさらだよ」
「そうだといいんだけどね」
アンフェミアは晴れた声で曇った顔をする。
「いつか晴れるよ」
「え?」
「昨日まで曇りだったけど、今日は晴れたんだから」
「でもさ…」アンフェミアが途中で言葉と足を止める。
「え?」僕は少し遅れて止まった。そしてアンフェミアの顔を見る。
「何でもない。行こうよ」僕の顔を見ないアンフェミア。そのまま歩き始めた。
「この近くに公園なんてあった?」彼女の触ってほしくない会話を飛ばした。
「知らないの?新しい住宅群ができたから急いで作ったらしいよ」
「知らなかった」
「そっか。私がそういう仕事をしてるから知ってるだけかもね」
「子どもたち連れて遊びに行くの?」
「私はしないよ。歴史学と数学。ずっと椅子に座らせているわ」
「僕なら嫌になって教科書のはじっこに絵を描くよ」
「そんな不良は私のクラスにはいないわ。みんな真面目な子よ」
アンフェミアが自分が担当している子どもたちの名前と特徴を話し始めた。アンフェミアはとても楽しそうだ。好きな科目や嫌いな食べ物。ふとした瞬間に出る癖まで教えてくれた。生徒一人一人の家庭環境や交流、行動範囲までも網羅している。すさまじい熱量だ。それだけ一生懸命に仕事をしているんだろう。
彼女が列挙していると、僕も学生時代を思い出した。甘酸っぱい青春の思い出からエロ本を秘密基地に隠していたことや学校の裏山で野良猫を飼っていたこと。コンビニで友達と買い食いしたこと。
こうやって思い出にふけると、自分がまだ自分なんだと思える。知らない他人の体でも僕がしてきたことは間違いなく僕の物だと思える。いつもは開けない、開ける必要さえない引き出しから出てきた出来事に安心した。
「聞いてる?」
「もちろん」
「じゃあさっき私はなんて言ってたでしょう」
「…」
「私の話を聞かないで考え事してた?」
「今日のお弁当の具が気になって」
「楽しみにしていてね」
くるりと回って彼女が可愛らしく言った。
町は都会的な様子からのんびりした住宅街に変わる。同じ形の家が四方に広がっている。絵にかいたような分譲住宅地。それでも庭やカーテンの色で個性を表している。
「アン先生―」離れたところから声がした。
「ジャン君。そんなとこ登って危ないよ」アンフェミアが声をあげる。
「全然平気だよ」少年は木の上から大きな声で僕らにアピールしている。
「駄目よ」アンフェミアが僕を置いて木の元まで走っていった。
「パンプスで走るのは危ないよ」僕がそういってもアンフェミアは走っている。
僕はお昼御飯が崩れないようにアンフェミアを追いかける。
「早く降りなさい!」
「はーい」けだるそうな声で少年は答えた。
少年は僕と同じくらいの高さから飛び降りる。
「うっ」受け身も取らず地面に降りた少年はしゃがんだまま。逃げなかったエネルギーが足からの脳天までかける。
「何やってるの⁉」驚きと怒りが混ざったアンフェミア。
「早く降りたほうがいいんでしょ?」
「もう。そんな屁理屈言わないの。怪我した危ないでしょ」
「怪我なんてしてないよ。ほら、元気でしょ」少年はその場で足踏みをした。
「もうやめなさいね」
「うん。」どこか上の空の空返事。
少年が僕をじっと見ている。
「あ、噂の彼氏?」
「ちょっ、あ、」ガラッと変わって焦った声がした。
「そうだよ。アン先生の彼氏だよ」僕は自身満々に答えた。
「やっぱり!ヒューヒュー」
「大人をからかわないの」
「先生のどんなところが好きなの?」
「え?答えなくていいからね!」
「こうやって赤くなって恥ずかしがるところとか」
「もう!」
「ヒューヒュー。先生は?」
「え?」
「どんなとこが好きなの?」
「 」感情豊かな彼女の顔が止まる。照れもしない。はぐらかすこともない。聞かれてもおかしくない質問なのにアンフェミアは石膏のように固まる。それでも何か言わないといけない使命感からか、義務感からか、彼女の口は少しずつ開く。
アンフェミアは僕を見ない。僕から見られていることは多分だけど、理解している。
遠くから少年を呼ぶ声がした。
「お母さんだ。じゃあね先生たち」
「うん。さようなら」いつもの声がした。ただ小さい声だった。
「さようなら」僕の声はいつもより小さかった。
少年は買い物袋を持った母親のもとに走り出した。
「元気な子だね」かけてゆく少年の背中を見ていた。
「…うん」アンフェミアもきっとそうだろう。
「公園はすぐそこ?」
「うん」
「行こうか」
公園まで会話はない。特に彼女も伝えないし、訴えることはない。同じ歩幅で歩いている。
僕たちはお互いを思いやっている。だが付き合っていたのだろうか。国の政策で一緒にいるだけなんじゃないだろうか。一緒に取れた休日がその予想を濃く浮かび上がらせる。
ちらっと横を見た。
アンフェミアはただ俯いて歩道を見ている。
この国の女性は好きな男性以外には好きになった個所を言えない慣習があるのかと思ったが、この様子じゃないだろうな。
多分。多分だけれど、彼女は僕が僕でないことに気が付いている。
そうではなくとも違和感がある。前の僕とは違うことを感じ取っている。必死で演じてはいるけれど僕は本物じゃない。ただ彼女がこの話を持ち出さないということは、全部が全部無駄ではないんだろう。逆に模倣が上手で確信を疑念に留めてしまっている。今の状況はアンフェミアにとって都合がよいのだろうか。
偽物は本物よりも価値がある。本物になろうとしているからだと、どこかの本で読んだ。
それは本物にいたる過程があるから。紛い物を理解しているから。なろうとしているかららしい。けれど所詮飯事、茶番だ。本物ではない。大事にならないように隠しているだけ。
彼女も状況を整理している。気になることを気にしないように暗示をかけ、お小言で自分を納得させているんだろう。僕だけが抱え込んでいる問題ではなかった。
僕らは互いが嘘をついていることを知っている。
彼女も僕のことを考えているのだと思うと陽気な風をそのままに受け止めることができる。胸のつっかえがとれた。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




