自殺リング 完璧な道徳
残虐な表現あり。
ざわざわをした空間から光が消えた。ライブ前の空間のように観客が今か今かと声援をため込んでいる。
「レディース&ジェントルマン」リングが照らされ黒のスーツに蝶ネクタイの男が建っている。観客は拍手で出迎えた。
「お待たせしました。第四試合」
ここには紳士的な人間しかいないのかというほど声援がなかった。もっと怒鳴り声や、ヤジが飛んでくるものだと思っていたが、演奏が終わったオーケストラに感謝を伝えるような拍手だけがここにあった。 戦争報告での異様さは感じない。紳士なスポーツでも始まるのだろう。
「最終オッズは黒板をご覧ください」
スポットライトが壁に掛かった黒板を照らす。それを見て喜んだり残念がったりするがあまり気にしていない客がほとんどだ。みな期待感を高めている。
皆、金のためというよりも戦いを観戦しに来たように見える。
ノイアーはオッズと券を交互に見てにやにやしている。僕らのオッズは高い。我々は少数派なようだ。
「選手入場です」司会はスポットライトで照らされた通路を指さした。
部屋の角から大きな箱が三つ、四人の男によって運ばれてきた。一つがリングに運びこまれた。ほかはリングのそばに置いていた。
『パンっ』
リング上の箱のふたが飛んだ。観客は大きな拍手をした。僕らも手を叩いた。過激な演出に僕はわくわくした。
箱から出てきた選手は予想外だった。百キロ越えの巨漢たちがリングに上がると思っていたが、ガリガリだった。最低限の食事をしている体だ。胸筋も腹筋も出ていない。あばら骨が浮き出ている。この選手たちが戦って何が面白いんだろう。鍛え上げられた選手たちが自分の技や経験をフルに出して戦う様が見る者の心熱くするものだというのに、まったく期待外れだ。観客のこの熱量は一体どこから来るんだろうか。
司会がリングに上がった戦士に一本のナイフを渡した。
「第四試合はナイフスピード戦、持ち時間は一人七分。さぁ、存分に戦ってもらいましょう」
観客の拍手がより大きくなった。もうじき始まるのだろう。
というよりいったい何と戦うのだろうか。別の箱はまだリングに入っていないし、中世のコロシアムのように凶暴な動物なんてどこにもいない。
ゴングが鳴って壁に掛けられた大きな砂時計がひっくり返された。
ナイフを持った男はそのナイフをじっと見ている。それを投げて大道芸を披露することも、ナイフの切れ味を周囲に伝えるような通信販売をするわけでも、ましてや飲み込んで消してしまうマジックをするわけでもない。男はただ震わせていた。ナイフも歯も。
「おい。早くしろ。はやく」
「もっと遅くていいぞ。早まるなよ」
せかす声となだめる声がぽつぽつと出始めた。なだめる声のほうが多い。
男は上を見た。まるで大草原で空でも眺めているような柔らかい顔から涙を落とした。
『ぐぁぁぁぁぁぁ』
男は叫んだ。刹那。男は自分の首にナイフを当て力いっぱい引いた。
血が舞う。男が引っ張ったナイフとともに。
男は踊る。男に掛けたであろう人間とともに。
赤い液体が広いリングからぽつぽつと滴る。男がリングに倒れこむことで起きた風はとても弱く温かい。むせかえるような血の匂いにだんだんと観客は正気を失う。
違う。本当の自分が出てきているのだ。血の匂いを嗅いだピラニアのように押さえつけていた本性がぽつぽつと出始める。
「がんばれ。耐えてくれ」
「がんばるな。絶えろ」
二極化した声が会場を席巻する。大の大人が本気で声を出していた。ただ、誰一人として男を心配することはない。男の心臓があと何秒動くのかにしか興味はない。
リングで波打ち際の魚のように動いていた男はだんだんと動かなくなる。
「「「「おい、脈を測れ」」」」
僕意外が一斉に叫んだ。
ここに人間はいないのだ。司会も隣のノイアーも下で肩を組んで笑っている青年も。そしてリングの上の戦士も。
ゴングが鳴り響いた。これがおりんの変わりだというのか。
隣を見た。さっきまでとてもいい同僚だと思っていた人間が別の何かに見える。叫びすぎて出た唾液をハンカチで拭いて僕にこういった。
「おし、幸先がいいぞ。見立て通りのタイムだ」奴はそう言って満足げに笑っていた。
僕はそれを黙って見ていた。
男の数分はどんなものだっただろう。結果にしか興味のない大衆に向けて男は何を思っただろう。怒り、悲しみ、恐怖。もっといろんな感情が出たに違いない。
彼と同じように死んだ経験がある僕にはわかる。もっとしたいことがある。なんで死ななくてはいけない。どうしてこうなった。なぜだ、と。自分の人生を悔いた。嘆いた。喚いた。無力な自分といかれた観客を憎んだ。
男の顔はリングに伏せている。右目の眼球が僕を見ていた。この世全てを憎んだその顔を僕意外誰も見ない。みな自分の引換券を見て当たりそう、はずれそうだを連呼するばかり。
男が棺桶に入れられた。新しい棺桶が運ばれた。
僕は席を立とうと思った。血の匂いももちろん嫌だった。それ以上にここの空気を吸いたくない。ここに品性がないのだ。周りの空気を吸ったらもう人間としていられなくなるんじゃないかと思ってしまう。
だが僕は周りと変わらない。同じ引換券を持っている。立派な共犯者。ここで帰っても何にもならない。
せめて僕だけは彼らを見ていようと思う。彼らへの気休めにはならないのはわかっている。だから僕の精神衛生を守るためだ。こいつらとは違うと自己暗示をかけるために僕は最後までここにいる。
自己満足であり自己防衛。僕が行けない世界に行く彼らを見ていよう。
二人目が出てきた。
いいや引っ張り出された。二人目は大衆の声と持っているナイフにひどくおびえていた。早く死ねとせかされる声を断ち切るために渡されたナイフを落として耳をふさいだ。十秒前から大衆がカウントダウンを始める。おびえた男は頭をつぶさんばかりの力で聞こえないように、聞こえないように抑えていた。司会者に撃たれて死んだ。七分経ったのを銃声で知った。顔は床が隠した。
三人目は僕たちに訴えていた。『君たちは洗脳されている』そう演説を始めた。飼い犬が吠えているそれくらいの感覚で誰もがほくそえんで聞き流していた。訴えている男は『ウィンストンは僕らを助けてくれているんじゃない、僕らを貶めているんだ』会場が静まり返る。誰も何も言わない。誰かの拍手が聞こえた。それは波のように広がりスタンディングオベーションを巻き起こした。それから訴える男の声は会場に届かない。たった一メートル先の人間にも届かない。銃声で七分が過ぎたことが分かった。死に顔はすべてを悟って、あきらめていた。
時計を見た。一時間もたっていない。それでも三人死んだ。僕は隣の奴にこれで上がることを伝えて換 金所に行った。掛けた金が四倍に増えた。もらった金をそのままポケットに突っ込んだ。
僕は歩いた。通行人とぶつからないように歩いた。僕とぶつかった人に謝罪をして気さくな挨拶をした。歩いた。買い物中の夫人の鞄が落ちた音がした。それを拾って渡した。歩いた。僕が思う理想的な人間の振る舞いをしている。
戦争のガス抜きにはちょうどいいのだろう。あれが無ければ戦争なんて続けられない。死んだのは精神異常者と政治犯。命の上手な使い方だ。
冷静に分析できるほど僕は淡々としている。
僕も同じような経験をしたせいだろう。『僕はもっと悲惨な最後だった。もっと痛かった』と言葉が出てしまいそうになる。死を自分の尺度で測っている。あの経験が僕を立派な老害にしたのだ。
そして羨ましい。ここにいる目的がわからないのにこんなところにいないといけない。彼らは別の世界へ旅立ったのだろうか。ぜひ僕に教えてほしいものだ。
非常識な正義が僕の心の隅にいる。『もっと悲しんだほうがいい、不謹慎だ』と。現代で社会になじめていないニートに語る正義なんてないだろう。語っていいことなんて風呂に入らない記録と減る毛量だけ。
気づけばビルの影が長く伸びる。ビルを縫う風が冷たい。冬の光は緩やかな入射角で街を淡白に照らす。仕事帰りの人々はみな寒そうに歩いて帰っている。手袋を会社に忘れた僕はポケットに手を入れる。
ポケットに入っている知らない感触に驚いて手を抜いた。賭博で勝った金がぬるっと出て、風に流された。地面をかさかさと風に引きずられる。
降ってわいた小銭。あぶく銭を取りに行くのも面倒だ。
寒そうな格好の少年の足元で止まった。少年はすぐに膝をついて拾った。少年はキョロキョロしながら ポケットに金を入れようとした。首を右に、左に、右に、少し上に。僕と目が合った。
少年は僕が落としたことに気が付いただろう。僕は少年より先に目をそらした。気にせずに拾うといい。温かい物でも買ってほしいという期待を込めた。
しかし少年は僕に向かって走る。
すぐ近くまで来た少年が金を握りしめ、僕の前に突き出した。その手は細く、あかぎれが無数にある。袖の裾も破れ、ズボンのアップリケも取れている。足の指は靴の破れた場所から見えている。
そんな少年が落とした僕にお金を返しに来ている。
「 」
僕は声が出なかった。
僕は感動していた。素晴らしき道徳心。葛藤の後に持ち主に返すという心に僕は感銘を受けている。僕が少年に向けた優しさが同じ位、いいやその倍だろうか。等身大以上に帰ってきたことに僕は感動をした。
僕は彼の手からお金を受け取った。
その善行を僕は評価しよう。謝礼は二割と聞いたことがあるが僕が受けた感動はそんなものではない。拾った金と財布に入っているお金も上げよう。増えた金は未来への投資だと思って受け取ってほしい。
もらったお金をポケットに入れ財布と交換する。
『パン』僕の感謝の言葉より早く大きな音が響く。
少年の手が大きく飛び跳ねた。少年の手から血がダラダラと地面に滴る。
「今盗もうとしたよね」ハンドガンを構えた青い軍服の若い軍人
が少年の横に立った。
「」座り込んだ少年は血が出た手を必死で抑えている。痛さに返答はできそうにない。
「駄目だよね。盗もうとしたら」
「少年は私に返そうとしたではないのですか?」高圧的な軍人に僕は優しく問いかけた。少年から優しさを分けてもらっていたからだ。
「見てなかったんですか?お金を落としたのに?」小ばかにした態度が見て取れる。正義感に酔って心が大きくなっているのだろう。ひどく不愉快だ。
僕はコートのポケットからハンカチを出して少年の手首を縛る。これで少しはましになるだろう。
「お前…」
「何か?」
「豊作省の方ですか?」
「何か関係が有るのか」ハンカチを出す時に首から下げていた名札が出ていた。
「失礼しました。この少年があなたの落としたお金を盗もうとしていたのです」
「今こうして僕の手元に帰ってきているが?」
「ですから少年が盗もうとしていたのです」
「盗んでいないじゃないか」
「だから、盗もうとしていたのですよ」
「」
「」
このオウム返しな会話で理解をした。
盗もうとしたことがいけないのか。少年の心の葛藤は評価されない。盗むそぶりを見せたことが、魔が差したことがいけないというのか。ただいくら何でも過剰だろう。
「…撃たねばならなかったのか?」
「はい。規則ですから」若い軍人は機械のように話した。
別の軍人が来た。その軍人は子供を雑に抱えトラックの荷台に投げた。ぐっしゃっと子どもから聞こえたが、軍人は気にするそぶりもなく車を走らせた。まるでゴミ収集車だ。
「あの~」ごまをするような声が聞こえた。
「まだ、何か?」
「謝礼のほうは」恐る恐る聞いてきた若い軍人。僕は冷たく見ている。
「いくらほしいのかね」
「半分くらいは」
「そうか」僕は持っていたお金をすべて握って軍人の前に差し出す。
「い、いいんですか?」
「いろいろ教えてくれたからね」
「あ、ありがとうございます」
「あぁ。」
「あ、あの」
「」僕は金を固く握ったままだった。
「あの横柄な態度はなんだったんだね?」
「あ、いや」露骨に目をそらす。
「酷い対応だと私は思うが君はどう思う?」
「え、ああ」
「上司に報告してもいいかね?」
「すみませんでした。謝礼は結構です」そう言い残し彼は僕の前から去っていった。
少年の血の跡がひび割れたアスファルトに残る。
行き過ぎた道徳心が僕の呼吸を妨げる。この町の空気が嫌いだ。リングの会場よりも息がしにくい。したくない。あの少年の善意はこの国で評価されない。
だからと言ってあの軍人に奴当たるのも大人げなかった。彼はこの国の規則で行動している。あれを見過ごせば撃たれるのは彼だ。仕方がないだろう。
少年の気持ちは温かいものだった。この国はその温かさよりも完璧さを優先している。温かさに殺されかけた国なのだろうか。
また冷たい風が吹く。この風が無ければ少年は日常から出されなかった。あの少年の前に金が来なければ撃たれなくて済んだのだ。
僕が落とさなければ彼は乱暴なことをされずに済んだ。僕のせいなのだ。僕が蒔いてしまった希望という罠。少年に夢をみせた。ポケットに入れるまで彼はどんなものを夢見ていたのだろうか。敗れていない服。大量の食事。温かいご飯。貧困を忘れさせるほどの希望を僕が見せてしまった。
ここにきて一番心にきている。昔使っていたぬいぐるみをごみ袋に入れた時の苦しさのよう。
僕はほかに希望を振りまいてはいなかっただろうか。叶わない夢を語ってはいないだろうか。自分の行動を振り返る。慣れない脳みそを回転させた。
「」
ジュリアだ。僕はジュリアに目標を話した。『僕の国を創る』といった。彼女はあれを冗談だと思っているのか?会話が不得手な僕に信用がない。
もし彼女がそれを本気にしていたら?それのために何らかの活動を始めていたら?
僕は駆け出した。
彼女は僕の夢を本気にはしていないはず。けれど僕の記憶ではどこか希望に満ちていたように映っている。そのせいで何かあったらどうする。僕は耐えられるのか?その時僕は僕を許せるのか?
僕がまた別の希望を蒔く前に消えるべきじゃないか。僕は僕が始めた物を終わらせる。
何回も曲がるところを間違えたが僕はジュリアの家についた。
僕は固く握った拳で玄関ドアを叩いていいのか。
彼女にどうやって伝えよう。何も考えずに来てしまった。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




