ジュリアへの恋心
ジュリアがキャビネットから裁縫箱を出して椅子に座った。裁縫箱からピンクッションを出して待ち針を刺す。裁縫箱から使えそうな布を探していた。
「まず何から知りたい?」
「」僕はラジオに指をさす。
「嘘よ。故障中のガラクタ。もし聞こえていたら今頃黒い軍隊が来るわ」
「ここはどこなの?」
「ここはプロイス。もう何十年も戦争をしている国。本当に何も知らないのね」
「そうなんだ。そしてウィンストンって何?」
「カズ。法律は解かる?」
「まぁ。規律とか守るべきものとかでしょ」
「国民すべてが守るべき義務とか秩序のための制限とかね」
「うん。それがウィンストンという名前なの?」
「全然違うと私は思ってる」
「?」
「でもきっとそんな感じなんだと思う」
「つまりは?」
「よくわかんない。でも輪を乱さないことよ」
「ふんわりしているね」
「ウィンストンはもう一人の自分だってさ」
「え?」
「ここで育った人はみんな言うのよ」
「ここに来た時に説明されたの?」
「そんなのないわよ。捕まってここに放たれただけ。住みかと仕事は配られたようなものよ」
「ここにいるのかな?」
「かもね。私には見えないけど」
「僕にも見えないよ」
ジュリアはキャビネットからアイロンのようなものを出して鍋のようにストーブに乗せた。
「ジュリアはどう思っているの?」
「何も。意識していないわ」
「それでもいいの?」
「生きているからいいの」
「へー」気にするほどのことではないのか。気にするほうが危険なのか。
現代社会と極端に違わないのかもしれない。僕は少し緩んだ。
「ウィンストンは多分神様なんだと思う。心を見て罰を与えるのかもね」
「神様?宗教なの?」
「あなたよく知ってるわね。やっぱり向こうにいたの?」椅子に座って僕のジャケットを高く掲げて穴の個所と状態を見ていた。すれているが穴は小さい。素人目に見れば軽傷だ。
「もしかしたらエカチェリーナに近い国だったかも」
「え⁉記憶戻った?」ジュリアはジャケットを急降下させて僕を真ん丸の目で見てきた。
「あ、いや。少しだけね。断片的に…それくらいだよ」
「…そう」
またジャケットに光を当てて状態を見ている。
「でも神様も宗教もこの国にはないの」
「?」
「言葉が存在しないのよ」
「神様という言葉は通じないの?」
「通じない。というか馬鹿にする言葉に分類されるわ。それで痛い目を見ている」
「」スラングのようなものか。もしかしたら急に撃たれた理由もそれなのか?何か禁句を話していた?
「だから博識さは披露しちゃいけないよ。何されるかわからないんだから」
ジュリアは穴の開いた箇所に布を当て温めておいたアイロンを当てた。アイロン特有のあの香ばしいような、湿っているような説明のできない匂いがする。
「何されるの?」
「この町からいなくなるわ」
「変な存在だね」
「幸せを与えているのよ」
「本当に全員が幸せになれるの?」
僕には何も害がないはずなのに僕の考え方を彼女に押し付けたくなる。もう言葉が勝手に出ていた。
「神様嫌い?」ジャケットに集中してアイロンをかけていたジュリアが僕を見た。その目は子供を諭す母親のように見えた。
「見えないものを信じられるほど無垢じゃない」
「だから平和なのよ」彼女はさも当たり前のように話した。僕はすかさず言葉を挟む。
「戦争してるのに平和なわけがないだろ」
「…そうね。おかしなことを言ったわ。忘れて頂戴」彼女が僕の考えに同調してくれたようだ。なぜかほっとした。
アイロンをストーブに戻した。
ジュリアは針山からまちばりをジャケットに刺し、布を固定する。ジュリアは自分の髪の毛を一本抜いた。
「え?なんで?」
「?あ、これ?こう使うの」
ジュリアは髪の毛を針の穴に通した。その髪を穴の反対側から通し。輪っかを作った。
「で、このまま引っ張るの」
髪の輪っかに糸を通してシュルシュルと髪の毛を引っ張った。
「すごいね」
「お母さんから教わったの」
「上手だったの?」
「丁寧でとっても早かったの。私が穴をあけた服も次の日にはもう穴がふさがってたわ」
「やんちゃだったんだ」
「こう見えても私強かったの。腕っぷしじゃ男子にだって負けなかったわ」
ジュリアは裁縫をしながら楽しそうに話した。
「そんな気がするよ」
「『そんなことないよ』は出てこないの?」
「僕はどうすれば生き残れる?」
「さっきまで生きていたい人とは思えなかったけど」
「痛いのは嫌いだから」
「なら約束は守ることね」
「それだけでいいの?」
「それさえできないからあなたは撃たれたんでしょ」
「」
「それも忘れちゃった?」
「うん。忘れてた」
「そう。ここで会ったことは秘密にしてね」
「ばれると殺される?」
「そうよ。私との約束を破るんだから」
「ありがとう。助かったよ」
「よかった」
「裁縫上手なんだね」
「たくさん練習したの。新しい服なんてほとんど買えないから自分の手で修理するしかないの」
「ずっとこの生活?」
「ほとんどね。でも少しマシになったよ。もっと良くなると思う」
明日の不安を常に感じながら生きている感覚。僕が体験した数百倍のストレスがかかっているのに彼女はどうでもいい人にやさしくできる。素直にすごいと思う。でもどこか妬ましい。
僕もこういう環境があればもっともっと強くたくましく成れるのに。そう環境のせいにしてしまいそうになる。
「早く戦争が終わるといいね」
ジュリアは何も言わずに手際良く裁縫を続けている。玉止めができなくて成績が低かったことと、裁縫セットの柄がダサかったことを思い出した。本返し縫いがうまくできない人はエプロンがすぐ壊れたっけ。
「明日はどうするの?」
「仕事に行くんじゃないかな」
「そうよね。何してるのか思い出した?」
「豊作省だって」
「」ジュリアは驚いた顔で止まった。
「もしかして危険な職場なの?」
「すごいいいところじゃない」彼女は手放しで称賛してくれた。
「そうなのかな」
「そうよ。特別な人しか入れない聖域よ」
「」
僕はやっぱり特別だった。バランスを取るために現実世界では不幸気味に設定されていたんだろう。ちょうどいいハンデだ。僕は優秀な人間。選ばれたんだ。自信をもって言える。けれどこの両手を見るとそれだけじゃないような気がしてくる。『お前だけが優秀じゃない』とそんな風に聞こえる。きっとこの体も特別なんだ。貰ったチャンスは絶対に失敗しちゃいけない。でも大丈夫。僕は優秀だから余裕でできる。朝飯前だろう。
「けど」
「?」
「今のあなたには難しい」
「そうかな」
いやいや。何を言っているんだと大きな声で叫びそうになったけれども、特別で能力のある僕は声を荒げることはしない。けれど長々と僕のすごいことを延々とあげてもいいけれど、アイロンがけの最中だ。ジャケットにぽっかりと穴を作ってほしくない。聞き入って作業なんてできないからね。でも少しくらいなら僕が特別なわけを話してもいいかな」
「何ぶつぶつ言っているのよ」
「ごめん、もう一回言って」
「特別だから」
「え?」
「記憶喪失でしょ。忘れたの」
「え?どういうこと」
「中枢の仕事よ。国の根幹にかかわる仕事だもの、楚々をしたら何されるか」
「…」
少し舞い上がっていたようだ。特別な仕事だからこそ気を引き締めていかないと。
「だから気を付けてね」
「…ありがとう。うぬぼれてたよ」
「それくらいやる気に満ち溢れていれば大丈夫」
「ありがとう」
「空回りしないようにね」
「肝に銘じておくよ」
「今日は帰りなさい。明日に備えないと」
「服はどうしよう」
「また今度来て。がんばって直しておくわ」アイロンを置きながらジュリアは僕に言った。
「明日とかでもいいの?」
「駄目。用事があるから」
「…」
「気になるの?」
僕の表情が僕の心を僕以上に描写していたのだというのか。
「不思議とね」
「妹の家庭訪問なの。先生が来るから裁縫する時間ないの」
「そうなんだ」
「ねぇ。好き?」
柔らかい声に驚きと下心が隠せない。
「急に何さ」
「どんなのが好き?」
「信念がある人かな」
「馬鹿じゃないの?食べ物よ」
「このご時世ならおなか一杯食べられるだけで幸せさ」
「わかった。今度会った時は私の得意料理をふるまうわ」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
「私はカズと関わった。これでカズが楚々をしたら私も危ないからさ。この国の勉強を教えてあげるよ」
「ありがとう。楽しみにしてる」
「地図書いといたから」彼女は髪を僕に渡した。
「ありがとう。お邪魔しました。妹さんによろしく」僕は席を立ちあがる。僕は玄関に向かった。
「…あなたはこれからどうするの?」
「どうって?」彼女が僕を止める。
「したいことよ。何もないの?」
「ないよ」
「そんなのつまらないじゃない」
「じゃあジュリアは?」
「カズが先よ」
逃げる時に強く願った気持ちを思い出した。
「一人になりたかった。誰もいないところに戻りたかった」
「そうなの?」
「でも今は幸せになりたい」
「どうやって?」
「国でも作ろうかな。ここではないどこかでさ。僕が支配者になって幸せを謳歌するよ」
「私も国民の一人にしてくれる?」
「いいよ。名誉市民さ。真ん中に銅像を建ててもいい」
「期待しないで待ってる」
「自己紹介で言わなかったっけ?」
「?」
「僕は嘘をついたことがないんだ」
「ふふふふ。面白い人ね。また今度」彼女が小さく右手を揺らして微笑んで僕を見送る。
歴史を感じる扉が乱暴な音をたてないように優しくドアを戻した。扉が閉まる瞬間までジュリアは僕を優しく見つめていた。
優しく扉を閉めたのはジュリアを少しでも長い間見つめていたかったからだ。
「」
もっと正直になろう。彼女がもくもくと針で服を繕う姿が、健康的な体のラインが、ふと見つめているとさりげなくこちらに目を合わせからかうような仕草をずっとそばで見ていたい。特別だと言われたその一言で僕は彼女から目が離せない。
初めて僕の内面を見てくれたんだ。
外と内側の性格のギャップがどうしようもなくたまらない。共感と好感度が天井知らず。脳内ホルモンはストップ高。初めての感覚に襲われている。そして身を任せてもいいと。
ただ同時に怖くもある。嫌われるのがとても怖い。
僕は何であんなことを言ってしまったんだろう。国を作るなんて適当な嘘を言ってしまった。別に作る気なんてさらさら。でもジュリアとなら作れそうな気がする。というか作りたい。ジュリアといろんなものを…。陰部が熱くなってきている。その熱さが心にも火をつけたようだ。そのためなら何でもできる。仕事にだって行って見せる。つけられなくなったネクタイだってつけて見せる。もう一度人だって殺せるかもしれない。それくらい彼女のためになら僕はできる。
ジュリアのしたいことは聞いていない。また会う時の会話のストックだ。
僕とジュリアを隔てる扉が憎いと感じた。しかし扉は何も語らず動かず僕の前に立っている。僕が丁寧に閉めたことや今強く握っていることを情熱的なアプローチだと思はないでほしい。ドアにその気はないと叩くのはごめんだ。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




