南の島で魔王と踊ろう
お気楽平和なお話です。
踊れと言われて何を踊れる?
流行りのダンスとか無理筋でも。フォークダンスとか、あるいは盆踊り? それすら無理なら、リズムに合わせてただ手足を揺らすだけでいい。一人でなくとも誰かがいれば、そこに一体感が生まれるから。
今、私は魔王と手を取って、炎の前でくるくると踊っている。
ある朝、目覚めてから海岸に降りると、おそろしく場にそぐわないものが浜辺に打ち上げられていた。
ここは南国。テッロ諸島にある名もなき無人島だ。私が住んでいるので元無人島というべきか。本島からもそれなりに距離があり、行き来することは皆無。更に言えばテッロ諸島と大陸との間には難しい海流があって、そちらから人が来ることもない。
つまり打ち上げられていたのは不審者。どこからどうやって来たのか、何者なのかが分からないという意味で。
全体的に黒くて大きい。ざっと見た感じでは人のようだが、この世界、人に化けられる魔物もいたりするんで暫定。それがうつ伏せで倒れている状態だ。
つま先で身体を突いてみたらかすかに声が漏れたので生きてはいるようだ。だがまったく自力で動く気配はない。日の出前には起きて活動を始める私だが、そうこうするうちに太陽が昇って来る。浜辺には遮るものがなく、間もなく太陽に焙られる事だろう。
私は少し考えて、不審者をそのままに、予定通り海に入って目的の物を入手しに行った。浜辺に戻った後、太陽を浴びても溶けた様子もないのを確認。魔物の中には太陽光で溶けるものもいるらしいので、ちょっとした用心だ。
あまり触れたくはないが仕方ないと、身体強化して片手で担ぎ上げて家へと戻った。
私の家は島の中腹の岩場にある。一部をくりぬいて住居等にし、入口に広々としたウッドデッキを設けたお手製の城だ。デッキから海を見晴らせるのが自慢のオーシャンビュー。
家に入る前に自分と拾得物(不審者を含む)にクリーンをかけ、更に着ているものを下着以外ひん剥いて、デッキチェアに寝かせた。
ぐったりした人物の上半身を起こさせて、鼻を摘まむと口を開けたので、そこに湿らすくらいの水を流すと意識が戻ったようだ。
「水。飲んで」
口元に押し付けたコップをゆっくり傾けてやると、貪るように空にする。相当、喉が渇いていたようだ。浜辺に辿り着いたのがいつかは知らないが、衣類の様子から潮水を浴びているようだし、うっかり口にしていたら乾くのも当然だろう。
「あ、ありがと……」
かすれた声で礼を述べられて、多少評価が上がる。水差しひとつ分の水を飲み切るまでは手伝ったが、自力でコップを持てるくらいに力は戻ったようだった。
「水差しとコップは横に置いておくから、後は自力で飲んで。このまましばらく安静にしてること」
もう一度、かすかに礼が聞こえた気がしたが、それは放置してテラスの横に設けた台所へと向かった。
岩の窪みに設置した竈と流し台、調理用の台を置いただけで壁もないが、私が台所と言えば台所なのである。
一晩水につけて戻した乾燥小魚入りの鍋を取り出し、小魚を取り除いて竈にかける。先ほど捕ったばかりの魚の頭を落として、内臓と骨を避けて切り身だけを沸騰した鍋に落としていく。香草と魚醤を加えて煮立たせると、よい香りが漂い出して空腹を呼んだ。だが鳴ったのは私の腹ではなく、デッキチェアに寝かせた人物からのようだった。
「朝ごはん、食べる?」
「お、おねがいします……」
回復がずいぶん早いな、と思いつつも、弱弱しい声のしたデッキチェアの横のテーブルへと鍋を移動させ、果物とパンもどきも器の横に並べる。
なんとか起き上がったらしい人物に魚のスープの入った椀とスプーンを渡した。
「熱いから気を付けて。じゃあ、いただきます」
料理と言えるか疑問なほどの簡単なスープだが、刺身でも食べられる魚なので問題はない。パンもどきを浸けて食べる。まあまあな出来かな。
「お、おいしい、です」
「それは良かった。魔族も同じもの食べられるのね」
彼の持つスプーンが手から滑り落ちた。
「な、なんでそれをっ!?」
「角。立派なの隠しそびれてるから。あと耳、尖ってるし。尻尾は最初からないの?」
「尻尾は生えてません!」
抗議する彼の口には鋭い犬歯が見えた。だがそれよりも両のこめかみのあたりから、にょっきり生えてる二本の角の主張が激しい。アルプスアイベックスみたいな割と攻撃的かつ威圧的なのが後頭部方面へと長くにょいんと伸びている。きっと寝る時には邪魔だろう。寝返りうったら枕に刺さりそうだし。
クリーンを掛けてすっきりしたせいか、彼の容姿はよく分かった。真っ黒の髪が少しうねって肩より長い。瞳はアイスブルー。肌は青白いを通り越して実際に青みがかっている。見た目は二十歳前後のようだが、魔族だからもっと上かもしれない。全体的に細長く、厚みはあまりない身体だ。顔は美形の範疇だが、身体は観賞用にもならなそう。
「話に聞く魔族の特徴、まんまだったし。まあ? 本島に魔族が来たのは何百年も前のことらしいから口伝でしか聞いたことないけど。人や動物の生き血が主食かと思ったら、調理したもの食べられるんだね」
「たしかに、この身は魔族のものです。でも俺は生き血とか無理ですから! ちゃんと火を通して調理したものじゃないと!」
身振りで落ち着けと伝えると、すぐに通じたようだったので、さらっと流して食事を続ける。つられるように彼もまたスプーンを手にした。
「そうなんだ。だいぶ元気になったみたいね? 魔族って回復が早いのね」
「おかげさまで。あの、ここはどこでしょう?」
「知らずに来たの? ここはテッロ諸島にある小島のひとつよ。ところでどうやってここに来たの? そもそもあなた、どこの誰? 私はテッロ諸島の本島出身、リグコ族のシーナよ」
思わず畳み掛けるように質問してしまったが、それは許して欲しい。何せこちらは一人暮らしの十七歳の乙女なんである。不審者の性別が男だというだけで警戒指数も上がるというものだ。この際、身体強化魔法が得意なのは関係ない。
「あ、すみません。自己紹介もせずに。色々お世話になったのに。俺……私は、魔族ジイメ族のヴェルネリと言います。ここへは移動用の魔法陣で南の島とだけ指定して跳んできました」
「じゃあ、特にこの島が目的地だったわけじゃないのね?」
「違います。正直、南の島ならどこでも良かったので」
「あなた、相当、運が良いわ。この近くは無人島が多いし、そんな所に着いてたら干からびるか海に流されてたと思う」
「くっ、お世話になりっぱなしですみません……」
口伝で聞いた傲慢な魔族と違って、あまりにも腰が低いのが逆に気になるくらいな彼だった。
食事が終わって、改めて向かい合う。
「それで? 一体、何の目的があって南の島へ? 魔族ってうんと北に住んでいたと思うんだけど」
「ああ、はい。仰る通り、魔族は大陸の最北端に居城を構えて住んでいます。周囲は常に吹雪いて凍り付くような寒さで。薄暗く気の滅入る場所です」
「でもそれって、種族的な特性で北に住んでるわけでしょう? 何故、わざわざ南の島へ?」
彼の目が遠く、見下ろす海へと向かう。エメラルドグリーンの海がそこにある。
「……憧れていたんです。青い海。燦燦と照らす太陽。白い砂浜に」
「干からびるほど満喫できて良かったわね?」
「夜間に移動したので大丈夫だと思ったのですが……」
「南国は夜も暑いに決まってるでしょ? まあそれでも昼間よりかはマシなんだけど。北の端と気温差がどれだけあるか考えなさいよ。とりあえず、南に来る服装じゃなかったわね」
その時になってようやく、ヴェルネリは自分が下着姿――パンツ一枚であることに気が付いたようだった。
「なっ、淑女の前でなんと失礼な恰好を!」
「あ、脱がせたの私だから気にしない。毛皮の裏打ちしたマントとか、分厚い毛織物の服とか、この気候で着たまんまだと死ぬよ? それもご丁寧に熱を吸収する黒ずくめだもの」
ブーツの中にまで毛皮が貼ってあった。防寒仕様が極まっているだけに、この島に向かない格好すぎる。今はクリーンを掛けて全部陰干し中。
「いつも着ている服のままでこちらに跳んだせいでして!」
「つまり、無計画に衝動的に移動したってこと?」
「……そうです。もうあの場所にいるのが耐えきれなくて」
「でも、魔族にとっては北の端も快適な環境なんでしょう?」
口伝によると、魔族は光に弱い。特に目がやられるそうだ。肌も直接日光を浴びると火傷したようになるとか。その代わり、寒さに強い。夜目もきくらしい。
「身体は適応してました。でも心が耐えられなかったんです。あと、周囲の魔族の誰もが残忍で暴力的なのも」
「つまり、魔族としては落ちこぼれってこと?」
「記憶が戻るまでは普通に暮らしていたんですが、記憶が戻ったらもう全部、無理で」
「記憶って?」
「前世の……」
私は思わず大きくため息をついた。かなり呆れてしまったからだ。
「あなた、迂闊って言われない? 初対面の相手にぺろっとそんなこと言っていいの?」
「け、決して頭がおかしいわけではっ! そ、それに、あなたは初対面でも命の恩人ですから!」
「本当にあなた運が良いわ。私で良かったわよ、言ったの。普通なら頭おかしいって相手にされないところよ?」
「あなたは、相手にしてくださると?」
「お仲間みたいだしね」
「お仲間……」
「転生者同士ってこと。で、前世はやっぱりこの世界の出身?」
「いえ、その、地球という星の日本という……」
「あら、同郷」
それから話を突き合わせてみれば、どうやら同時代の日本出身ということで、一挙に距離が縮まり、話が盛り上がった。
「なるほど。ブラック企業に勤めていた社畜系転生者なんだ」
彼はようやく奇跡的に有給消化が認められ、南の島へ旅行が決まったところで死んでしまったと。それで記憶が戻ってすぐに南の島への憧れに突き動かされたらしい。
「私、死んだ前後のことはあまり覚えてないのよ。でもごく幼い頃に記憶が蘇ってね。最初は平和な南の島だったから、これは神様がくれたご褒美だと思ったんだけど。前世でがんばって真面目に生きたから、今世ではゆったり過ごしていいよ、っていう。でもねえ。私も前世記憶のせいではみだしちゃったのよ」
「ゆったり暮らせなかったんですか?」
「ううん。享楽的で太く短くな生き方が合わなくて」
南国への彼の憧れには、現地美女とのロマンスもあわよくば、とかあったんだろう。それのどこが悪いのか? という疑問が顔に出ていた。
「人種的なものもあるんだろうけど、十歳でほぼ大人な身体に成長して。奔放な恋の果てに最初の出産が十二、三歳くらい。子育ては主に現役退いた母らに任せて、十代の間に次々と色んな相手と恋して出産を繰り返す。二十代で一挙に老け始めて三十代は老境。大抵、四十前に寿命が来るわ。ねえ、それ、元日本人が耐えられると思う?」
「それは……結構、キツイ、かも?」
「私、酋長の十番目の娘なの。家の父みたいに複数名の妻を抱えてたら自分の子って分かるけど、そうでないと纏めて島の子扱い。寿命が短いのは血が濃いせいってのもあると思う。他所から漂着した人間とか大歓迎されるわね」
彼の顔が一瞬期待に輝くのを見たけれど、容赦なく切り捨てる。
「でもあなたは無理かも。肌が青白くて不健康だし、ヒョロくて筋肉ないし」
「ぐわぁっ!」
「体力自慢、筋肉自慢で陽気な男がモテるのよ。暑苦しくてうるさいだけだと私は思うけど」
「つまり、俺はシーナさんのお眼鏡に適うと!?」
「調子に乗るんじゃない」
指先だけ身体強化してデコピンしてやったらあっさり椅子ごと後に倒れた。何これ。魔族って弱い?
「まあそんなわけで不特定多数との爛れた関係とか嫌なんで、十歳になって出奔したの。もっと働けとか、道徳だの倫理だの幼少時から訴えてる子供だったから、周囲から腫れ物扱いで居心地も悪かったし。
魔法のある世界で良かったわ。生活魔法と身体強化くらいしか使えなくても、こうやって自分の城を作って悠々自適に暮らせるんだから」
「あ、憧れのスローライフ! せっかくの南の島だけど、話聞くだけで本島で暮らすのは俺にも無理そうだし、どうかここに置いてください、師匠!」
「誰が師匠じゃ」
もう一回デコピンかましたらまた倒れた。魔族、弱い。
「ここに住まわせて下僕にするかどうかはともかく」
起き上がった彼を横目に会話を続ける。自覚はなかったが、会話に飢えていたらしい。そりゃそうか。七年も一人だったんだから。
「下僕……非道すぎる!」
「七年かけてそれなりに苦労して整えた環境よ? 美味しい所取りとか簡単に許せるわけないでしょ」
「うっ、たしかにそれは」
「で、それ以前の話として。わざわざ北の果てに住んでる魔族のあなたの身体は、この環境に向かない。服を着せても熱中症。素肌でいさせたら日焼けどころか大火傷。この気温と湿度では確実に体力も消耗するはずだし、ただこうして何もしなくても弱っていくわね」
「体力、というか、魔力は豊富なんで! それで何とかなりませんかね!?」
目の前のヴェルネリを観察する。魔族か。普通の人間より成功率は低いと思われるが、策はある。
「ここに永住するっていうのならば、方法はないではないのよ?」
「本当ですか!? 永住します! 教えてください!」
被験者の意欲と同意もある。このまま進めてもいいだろうが、懸念を晴らしておくのが先だろう。
「その前に。あなた家族とか仕事とかはどうなってるの? いきなり飛び出してきたみたいだけれど?」
「家族はいません。仕事は……特別やることもなくて」
「無能だから?」
「ぐはぁっ! 俺のライフはもうゼロです!」
「安らかに」
「殺さないで!? なんというか、名誉職みたいなものなんです」
「じゃあ引き継ぎはいらないの?」
「多分。俺も前任者から引き継ぎとかなかったんで」
「それならそれで、まずは一旦戻って、出奔を許して貰ってきてね」
後になって、相続やら後継やら、色々問題が出て来ても迷惑だし。
「ご慈悲を! あんな所にもう二度と戻りたくないんです!」
「面倒なの拾っちゃったなあ。やっぱ捨ててこようか」
「拾ったら最後まで面倒みましょうよ! 捨てないで!」
ひんひん泣く姿が、前世の実家で飼っていた犬を思い出させた。人懐こ過ぎて番犬にもならず、家族の姿が見えなくなると、情けない声で鳴く甘ったれ。かつての愛犬の姿がダブって見えて、どうにも見捨てられない気分だ。
「じゃあせめて、ちゃんと連絡しなさい。もう戻りませんので後はよろしくお願いしますとか」
そんなアドバイスをしている最中、家の前の空間に閃光が走り、暑苦しい三人の男がそこから現れた。
暑苦しいのはまず服装。私がはぎ取ったヴェルネリの着ていたものと同じような、毛皮を裏打ちしたマントを裾まで引きずり、その下にもがっつり着込んでいるからだ。更には見上げるような大男揃い。魔族らしいこめかみから生える角も健在だ。もう存在自体が暑苦しい。
「陛下! お探ししましたぞ!」
「魔力を辿ってようやく見つけましたわい」
「げっ! モーリにナーガにルブボンまで!」
わたわたとヴェルネリが叫ぶ。いや、陛下って聞こえたんだけど?
「一対一では厳しくとも。こちらが三人がかりならば、我らとて陛下を連れ戻すくらいはできますからな!」
「しかし、なんという地獄のような暑さだ!」
「わざわざ、こんな炎熱地獄に自ら赴かれるとは酔狂に過ぎますぞ。さあ、すぐにお戻りを!」
「嫌だ! 戻りたくないし、魔族と暮らすのも嫌だし、何より魔王とか向いてないんだーっ!」
誰が魔王? このヘタレなヴェルネリが!?
私の驚愕をよそに、魔族たちはヒートアップしていく。
「立派な角をお持ちの陛下以上に魔王に相応しい方はおられません!」
「中身! 中身が向いてないのっ!」
「象徴として玉座にいてくださるだけで良いのです!」
「人形でも代わりに置いておいて!」
「もういい。ナーガ、ルブボン、力ずくでお戻りいただくぞ!」
「よしきた!」
「嫌だっていってるだろっ! やめろよっ!」
魔族四人の魔力が暴風のように吹き荒れ、ささやかな私の城のデッキの屋根に吹いていた葉が次々と飛ばされていく。三対一でほぼ互角らしく、彼らの足元で魔法陣が明滅している。光が安定したら、魔法陣は発動して転移するだろう。ヴェルネリの力がそれに対抗しているらしい。
一瞬、攻防の最中にこちらを見たヴェルネリの視線は、明確に助けを求めていた。
私、普通の人族なんですよ。魔族みたいなたっぷりの魔力なんて持ち合わせていない、か弱い乙女なんですよ。
心で思っても口には出さない。多分、ヴェルネリを迎えに来た三人にとって、私の存在すら蟻のようなものに違いない。密林の蟻は大きいけどね! 噛まれると洒落にならないぞ? それを証明してさしあげよう。
「いい加減にしなさい! 人の家の前で迷惑!」
存分に吸い込んだ空気を全部吐き出す勢いで大声を上げ、私はおもむろにスキルを発動した。私を中心に周囲が白く染まる。もっと、もっと強く! 念じて自分の力をありったけスキルに注ぎ込んだ。
結果、大男三人は泡を吹いて白目を剥き、意識を失ったようだった。
私はそれほど魔力を持たない。せいぜいが生活魔法と身体強化を使えるくらい。一人小島で暮らすために能力は研ぎ澄まされ、器用に使えるようにはなってはいるが、所詮は凡人レベルだ。人間よりも魔力の多い魔族には、相手が一人であっても魔法では対抗しようがない。
そう。魔族が優れているのは魔力。
私が彼らに注ぎ込んだのは、魔力とは正反対の聖力とでもいうもの。ある意味、魔族にとっては致命傷になりかねないものだ。
「ヴェルネリ!?」
ただし、一人だけ除外して力を振るうことはできないから、当然巻き添えになったヴェルネリも倒れているものだと思って探すが、知った姿はそこになかった。
代わりにいたのは、一頭の巨大な白い狼。
「フェンリル?」
時により場所により、聖獣とも魔獣とも呼ばれる存在だ。しかし今そこにいる個体は白く輝き、私の発動した聖力を受けてどこまでも清らかだった。
フェンリルは私を見て、豊かな尻尾をふぁさふぁさと揺らし、それから徐に、三人の魔族の角を順番に全部、前足と牙でもって折り取っていく。そうして、軽く前足で地面を叩くと、そこに新たな魔法陣が現れ、ぞんざいに三人を吸い込むと同時に消えて行った。フェンリルはそれを見送ると一声、遠吠えをし、そして私の足元に蹲って、目をきらきらさせて見上げて来た。思わず手を伸ばしたら、ぺろりと舐められる。
「も……もふもふだあっ!」
自給自足の暮らしに足りなかったもの。それはアニマルセラピー。一応、密林には毛の生えた動物も魔獣もいるけれど。正直、この暑い島で戯れたいものではなかった。あと、可愛いのがいなかったというのもある。オウム系の極彩色の鳥はちょっと魅力的だったけれど、やはり側にいたら暑いので断念したのだが。
でも、このフェンリルの周りには冷気が舞って、思わずたっぷりした毛皮に差し込んだ私の手をひんやりと包み込んだ。夢中になって抱き着いて、その柔らかさと冷たさを存分に堪能する。
「さいっこう!」
「シーナさんてば、なんて大胆な」
「へっ!?」
いつのまにかフェンリルは消えて、私は半裸のヴェルネリにがっつり抱き着いて押し倒していた。
めちゃくちゃ気まずくなって、とっさに身体強化して腹にエルボーをかました。ヴェルネリは腹を抱えて蹲る。魔王、弱い。
そして、お説教タイムが始まる。
南の島では昼間の暑さが尋常ではないので、人はたいてい木陰などで昼寝をしてやり過ごす。環境に適応している現地の人間ですらそうなのだ。当然、ヴェルネリも見事にへばってきている。
仕方なしに彼の手を引いて、家の居住部分に向かった。これから本格的に気温が上がるからだ。
岩をくり抜いただけではあるので、それだけでは圧迫感が強そうだが、何せ空間は広々しているのでそう感じさせない。高い天井に近い部分に明り取りの窓があって、グリーンカーテン越しに部屋に注ぐ日差しは柔らかだ。床よりも高い位置に板を貼って、前世のフローリング状態にしてある。もちろん、土足厳禁。
目隠し用の衝立はあるが、基本ワンルームである。片隅にはクッションの山があり、そこに横たわるように伝えた。向かい合って私も身体をクッションに埋める。床に近い位置にいると、適度な涼風が吹く仕様なのだ。
「あ、涼しい」
「でしょう? 色々、工夫したんだからね」
毎日、ほぼ決まった時間にスコールが来る。その勢いは、小娘ひとりで建てた家では心許ない。だからこそ、頑強な岩場を住処に選んだのだ。敷地内は徹底的なクリーンと除湿、虫除け獣避け結界で守られている。だからこそ、先程の魔族三人も、敷地内には入れなかった。ヴェルネリが入っていられるのは家主である私が認めたためだ。
「で? 魔王って何?」
「やっぱ、そこですよねえ。転生したって気が付いたら、この身体、もう魔王やってたんです。魔王って言っても、魔族の王の意味しか今はないです。で、魔族は魔力の大きさで王を決めるんですが、その判断材料がこれです」
ヴェルネリは自分の頭部に生えている角を指さす。
「魔族の魔力は角に宿ります。生まれた時は瘤程度のものですが、成長と共に角も大きくなります。当人の素養で形も色々ですが、最たるは大きくて長いのが尊ばれます。成長の余地があるということで」
巻き角は見た目は良いけれど、これ以上は成長しないという証明でもある、とか笑う。そうか、羊みたいなのは駄目なんだ。
「昔は人族の土地に攻め入ったりもしたらしいですが、日の射す住めない土地はいらないし、奴隷として連れて来ても、すぐに寒さで死んでしまうので、今はほとんど人族とは不干渉です。一部で交易はしてますが。食料と魔獣の魔石を交換したり。時々、自称勇者とかが攻めてきますが、返り討ちにすればいいだけなんで、わりと平和です。ただ、魔族そのものが戦うことが好きで、北の地は瘴気の影響も強くて強大な魔獣も多いので、競うように魔獣を倒します。だからって、魔獣の剥製が城のあちこちに飾られて、頭骸骨を積み上げるセンスはどうかと思うんですよ……」
寒くはないはずだが、ヴェルネリは身体を震わせた。
「食事と言えば、魔獣の肉を焼いて塩を振っただけ。あとは酒造りが趣味の魔族が作る度数が強いばかりの酒があるくらい。豊富な魔力があるのに、ひたすら蛮族みたいなもので、文化的な楽しみもない。記憶が蘇る前はそういうものだと受け入れていましたが、前世記憶の豊かさと比べたら、もう一瞬たりともいたくないと思いました。元々、退屈してたんですよ。記憶が戻る前から、もっと文化的な生活をと推し進めようとしても、いくら魔王のいう事でも、それは受け入れられないと誰も付いて来ない。じゃあ、魔王やっている意味なんかないと厭世的になってました。そこで前世を思い出したら、もう無理だなってなって。だから発作的に転移したんです」
「まあ、分からないでもないわね、気持ちは。それはともかく、さっきの三人に限らず、追っ手が来るんじゃないの?」
「あの三人は魔族の中では魔王に次ぐ魔力がありましたが、角を折ったのでほとんど何もできません。他はわりと有象無象な感じなので、俺の魔力を辿ってくるのは不可能でしょう。魔王は前王の死と共に一番強い魔力持ちに自動で継承されますから、俺が死なない限りそれもないので、安全かと。
あの、これで、色々大丈夫なんで、俺、このままここにいてもいいでしょうか?」
途端に、捨てられた犬のような目で見て来るのはやめろ。うっかり絆されそうになるじゃないか。
「あなたが魔族である限り、この地で生きていくのは難しいっていうのは言ったわよね?」
「はい。方法もあるとか」
「人体改造になるけど、いいかな?」
「ふえっ!?」
マッドなサイエンティストを見るような目はやめて欲しい。こっちは提案しているだけなんだから。
「一応、私という結果があるんで、成功率は高いから」
「あの、それはどういう?」
「えーと、元の私の一族の姿を見られれば早いんだけど」
それならと、彼は魔力を鳥の形にして本島の方角を聞いて飛ばした。岩壁にスクリーンのように鳥の視界が写る。
「これ、便利ね」
「魔法のドローンみたいなものですね。俺の意思で動くし、拡大も縮小もできます」
鳥はかなりの速さで飛んで、あっという間に本島に。集落の位置を教えると、すぐにその上空に至った。
「あれが、私の元々の一族よ」
「えっ、でも、シーナさんとは全然似てませんよ!?」
スクリーンに写るのは、褐色の肌に黒い癖毛に黒い瞳。この南国で生きるためにメラニン色素ががんばった結果の色合いの人々。顔立ちはくっきりはっきり。
対して現在の私は、黄色人種程度の色白肌となり、髪は黒いままだが縮れは伸びてさら艶ストレート。もはや人種が違うレベルである。メラニン色素様には、髪と瞳のみに働いていただいている。
「顔立ちはいじってないわよ。結構、美人だと思ったから。ほら、あの右側に写ってるの、多分、姉妹の誰かだと思うけど。色を変えたらそっくりなの、分かる?」
「あ、たしかに?」
スクリーンの女性から必死に目を反らそうとしながら、つい、ちらちらと見ている姿に笑いそうになる。見てるの顔じゃないだろ。
「目のやり場に困るでしょ。老若男女、上半身、全員が裸なのよね、暑いから。つるぺたの子供時代から隠そうとした私がどれほど奇異の目で見られたか」
男女ともに裸の胸に羞恥心はないのだ。ちなみに衣装が腰に布を巻くだけの理由は、暮らしていれば分かる。あまりに暑いから、すぐに水浴びできるようにだ。年頃になれば、他に理由もできるけれど。
テッロ諸島はこの世界の南にある地上の楽園。
木々には豊富に果物が実り、海には獲り切れないほど魚が泳ぎ、集落の背後にある密林には鳥や獣も多く、肉だって容易に手に入る。
人々は早朝に収穫や漁を済ませると、後は木陰で昼寝や恋愛を楽しみ、夜には火を囲んで歌い踊っての宴会となる。自然の恵みに満ち溢れ、海流が大陸からの干渉からも守って、大きな争いもない。世界は島々だけで完結して、ゆるやかに世代を重ねていく。自然災害が度々襲って、人や家を攫うけれど、やり過ごし生き延びた者たちがまた同じような暮らしに戻るだけ。
「あ、無理だわ」
素直にそう思ったのは早かった。おそらく五歳かそこらだったろう。海岸で拾った貝殻で遊んでいた幼女が、醒めた目で周囲を見る。環境に適応して、あるがままを受け入れて生きる人々。自分はその中に入れないと。
極彩色の原色の布を身体に纏い、密林に遊ぶ鳥や蝶のように恋から恋へと舞う姉たち。華やかに生き急ぐ彼女たちと同じにはなれない。前世の感覚が邪魔をする。
父や兄にしても、時に密林での狩りに出かける程度。身体を鍛え、戦士としての誉をうたうけれど、脳筋が極まっている彼らに、魅力を感じることもない。
学生の頃は勉学に邁進せよという親や教師の意向に従い、就職してからは得た職務に忠実に向き合って。恋も結婚も知らぬ間に素通りしていた。けれど。
自然の恵みが豊富だから、あくせく働く必要もなく、ただ短い生を謳歌しろと言わんばかりの今世。前世での在り方を否定された気しかしなかった。
そういったことをつらつらと、懐かしい面影のある人々を眺めながらヴェルネリに話して聞かせた。元日本人同士、そのあたりは通じるところがあると信じて。
「俺がこっちに転生してたら、身体鍛えて陽キャにならないといけなかったと。でないとモテないと。……無理筋では?」
どうやら自分に置き換えたらしく、表情が暗くなっているヴェルネリに、もう少し奥にいる人物を写して欲しいと頼んだ。
「そこにいる人たちが二十代。一応、集落の中心になる年代ね。で、更に奥にいるのが長老格。ねえ、これで三十代だって信じられる?」
現代日本人であれば、八十代と言っても通用する。むしろもっと老けて見える人々。
「うちの祖父ちゃんたちよりヨボヨボだ」
彼の前世の祖父の年齢とかは知らないが、その気持ちは分かる。うちの祖父母だってもっと若かった。
「前世の記憶があるのも善し悪しね。無ければ無いで、それなりに受け入れて一生を送ったでしょう、そういうものだからって。でも記憶があったから。寿命が前世の半分とか、幼心に絶望したわ。だけどそれよりも」
私はおそらく自分の祖母かその同年代の女性を指さした。
「肌が黒いから分かりにくいかもしれないけれど。見て、この、シミ・皺・雀斑を! 激怒したわ。この邪知暴虐を除かねばならぬと決意したの!」
「メロスかいっ」
「いい? 私、前世は日本人女性だったの。しかも化粧品の開発チームに所属していたわ。肌の美白は至上の命題だったの! 敵は紫外線にあり!」
「今度は信長かっ」
「敦盛より十年も短い寿命! それはともかく、もうね、服を着たとかちょっと肌のケアをするとかじゃ避けられないのよ、この南国の強烈な日差しは! だから、ここでの暮らしに目途がついてから、遺伝子レベルで自分をいじくったのよ」
「仰天の事実!」
「いちいちうるさい。でも、自分が白くないのも肌トラブルもとにかく許せなくて。自分を実験台にするのは誰も文句言わないし」
スクリーンから目を離して、ヴェルネリが私の顔をじっと眺め始めた。
「でもどうやってそこまで白くできたんです?」
「だから遺伝子レベルで」
「そんなの魔法でも無理でしょう?」
「さっき、魔族三人倒したでしょう? あれ、聖力よ。私の生まれ持ったスキルは『聖女』。並外れた異常な治癒力よ」
「ああ、だから。でもそれでどうやって遺伝子レベルまで?」
「究極の治癒って、身体の改造と同じだと結論したの。身体の欠損まで治すってありえないじゃない」
「でもそれは再生? みたいな?」
「再生できるなら、改造もできる。病を駆逐できるならば細胞にだって働きかけられる。ならば、できる。その一念で成し遂げたのよ」
「なんか、怖い」
「あのね? 至上の命題が美白って言ったけれど、それが目指す究極の目標は、全女性のいつまでも若く美しくありたいという、総美魔女化なの! 女の執念、なめんな!」
身内の女性たちが、花のような十代を過ぎると一挙に老け込んでいく姿を見て育った。あれは恐怖でしかない。ああはなりたくない。だから抵抗した。この異世界だから、このスキルを持って生まれたから、ならば自分に使って何が悪い?
息をついて、傍に置いていた果汁水のグラスを呷った。少し興奮しすぎたようだ。今まで受け止める人がいなかった分、爆発してしまったことを反省する。
「というわけで、私には遺伝子レベルでの人種改良の実績があります。受けますか? 受け入れますね?」
「え、ちょっと、考えさせて」
ずりずりと壁際へと逃げようとするヴェルネリの腕を掴んでにっこり微笑む。
「遅い」
「あ、いやっ、やめてーっ」
「大丈夫、怖くない怖くない」
「嘘だーーーーっ!」
石壁にヴェルネリの悲鳴が木霊したが、丁度やってきたスコールがすべての物音をかき消していった。
「もうお婿にいけない」
しくしく泣くヴェルネリを置き去りに、さっさと台所へと移動する。そろそろ夕飯の支度をして良い頃合いなのだ。新しい住人を迎えたお祝いに、地下で熟成させておいた肉を焼いても良いだろう。
泣いていたくせに、放っておかれるのも嫌だったのか、すごすごと付いて来たヴェルネリがデッキから顔を出す。そういうところが、かつての愛犬を余計に思い出させて顔が緩む。
その姿はビフォーアフター。なんということでしょう。すっかり魔族とはかけ離れているではありませんか!
青に近い青白い肌は、少し浅黒い程度に。目の色も紫外線に負けない黒に。ただ、光の加減で青にも見える。何より、特徴的な二本の大角が消えていた。寝返り打ち放題だ。
「なんか頭が軽い」
それはそうだろう。あの立派な角は相当重量もあったのだから。きっと肩凝りからも解放されるよ!
彼の角に込められていた世界征服どころか大陸改造まで可能なほどのとんでも魔力は失われてはいない。凝縮して魔石として体内に収めた。魔族とはいえ人の一種ではあるので、魔獣と違って本来は魔石など持たないものだが、彼には例外になって貰った。なので、彼本来の魔力は自由に使えるようになっている。とりあえず、近くにいると角が刺さりそうと感じることはもうない。なかなか良い改造ではないかと自画自賛。
自分の時は要領が分からないのもあって数年かけてじっくり改造したが、そのノウハウがあるので短時間で成し遂げることができた。新しい身体に馴染むまではしばらく安静にしているべきなのだが、本来魔族であったヴェルネリは異様に回復が早く、また順応性に優れていた。まったく平気そうに見える。
「こっち来たんなら食事の支度、手伝ってよね」
「あ、はい」
台所の横まで引いてある水路で野菜を洗わせる。改造したのは自分だけではない。密林で見つけた植物にも、あれやこれやしている。日本の野菜が恋しかったので。
素直に洗った野菜を千切っては木のボウルに入れていくヴェルネリの様子も見ながら、スープと肉用のソースの準備をしていく。乾燥させて保存していた香辛料を身体強化で潰すと、辺りに芳香が広がった。
「え、それ、胡椒?」
「その近似種ぽいのを改良したの。いやあ、南国様様。結構、色々見つけたんで、わりと食卓は豪華よ?」
日本ではお馴染みの小瓶に入って売られていたスパイスたちだって、その大半は元を辿れば南国産が多い。ならば探せばあるんじゃないかと、探索した結果だ。使うのはこれまで自分だけだったので、大量には必要なかったことも大きい。裏の改良品種を集めた畑で細々と育てている。ほぼ植えただけでも育つ南国、すごい。たまに貝殻とかの灰を撒いたりもしているせいか、巨大化もするが。
やがて黄金色に空と海が染まる頃、デッキのテーブルの上にご馳走が並ぶ。
口にする度に歓声を上げるヴェルネリの反応が嬉しい。これまでの努力がむくわれた気がする。
「まさか、コンソメスープが飲めるなんて!」
「材料はこちらで取れるものばかりだけど、試行錯誤の末の自慢の逸品です」
海と密林で材料になりそうなものは色々あった。魚や獣の骨髄からブイヨンもどきを作って、屑野菜や肉片をひたすら煮込むのだ。時間だけはいくらでもあるから、手間だってかけ放題だ。美味しいは正義。
問題なのは保存のための温度管理だったが、地下に人工氷室を作ったので何とかなっている。生活魔法で「温める」があったので、じゃあ逆に「冷やす」もできるよね? とやってみたらできた。その隣の小部屋では肉の熟成と野菜類の保管もしている。日々のスコールの他に台風も来るので、食料の備蓄もしておきたかった。
生家の集落では、工夫しなくとも食べ物に不自由しない環境だったせいか、魔力はあって誰でも使えるはずの生活魔法ですら、あまり使用されない。もったいない。皆、もっと生活魔法を活用しろよ。
じっくり熟成させて、とろけるような肉に、肉汁と香辛料を混ぜたグレービーソースが絡む。この世界の王侯貴族でも口にできない確信がある。いやあ、バターの確保には苦労したよ。なにせこの気温、色々腐りやすいから。
ヴェルネリは肉を口にしてからずっと泣いている。だが、食べる手は止まらない。私も、テーブルを囲む相手がいるせいか、いつもより食が進んだ。芳醇な果実酒にほろ酔いになる。魔族としての特徴は残しているからアルコールには強いはずのヴェルネリの肌さえ少し赤みが差していた。デザートに出したマンゴーもどきまで美味しく完食。ご馳走様。
「海で泳ぐのは明日以降に好きなだけどうぞ。夜の海は暗いし、海獣も色々出るからお勧めしないけど。あとは、南の島でしたいことある?」
すっかり食事に満足して、喉さえ鳴らしそうなヴェルネリに、他にやりたいことはないかと聞いてみた。
「えっと。海の見える場所で」
「ここからも見えるね」
「ええ、ここでも十分で。でもって、キャンプファイヤーみたいな焚火を囲んで踊ってみたいな、と」
「まあ、乾燥させた薪とかもあるから、組んで焚火台はできるわね」
「本当ですか!?」
「やってみる?」
「はいっ!」
良いお返事を貰ったので、薪はほとんど運んでもらった。魔族は力持ちだし、もちろん身体強化だってお手の物らしい。私は運ばれた薪を記憶に従って家の前で組んでいく。一晩くらいならばこれで十分、となって火をつけた頃には、周囲はとっぷりと暮れて、赤々と燃える火が周囲を揺れながら照らす。
一人の時には食事用以外で火を使うことはなかった。なにせ南国。夜でも気温はさして下がらない。そこに燃え盛る火とか、暑いに熱いを足して何が嬉しいのかと。かつての生家のあった集落では、その焚火で肉や魚を焼いていたから、周囲に人が集まるのも道理だったけれど。
けれどこうして、分かりあえる誰かと眺める火は。明かりのためでも食事のためでも、ましてや防寒など不要な南国にいるというのに、本能的なものなのか気分が高揚していくのが分かった。
「なんか、見てるだけでじっとしてられません! シーナさん、踊りましょう!」
手を取られて焚火の側に立つ。
「ねえ、ヴェルネリ。あなた、踊れる?」
「えっと? 学校のキャンプや後夜祭で踊らされたマイムマイムとかオクラホマミキサーとか?」
「ふたりだけで?」
「いいじゃないですか!」
これまでになく強引なヴェルネリに引きずられるように手を取って、音楽は聞きなれたものを口ずさんで。ところがいざ踊り始めれば、双方ステップが怪しい。
「ああ、もういいや!」
両手をそれぞれ繋いで、ぐるぐる回る。たったそれだけで、もう踊りというかも怪しいけれど。笑ってしまう。楽しくてしかたなくなって。
疲れ果てて足が止まるまで、そんな夜を過ごした。
その日から我が家の前には焚火台が常設されることとなった。ただし、毎日スコールが去った後に。記憶にある限りの歌と踊りで。どれほど拙くとも。毎夜、火は焚かれ、私たちは踊る。笑いながら回りながら。
南の島で手を取り合って聖女と魔王が踊る。
「これこそファンタジーよね?」
踊るごとに二人の距離は近づいて。いつか盛りが上がってそういうことになる予感もあるけれど。
もうしばらくは健全に。どちらが上かしっかり教え込んだ後にね?
そうしたらきっと、炎を囲むのが二人だけじゃなくなる日が来るんじゃないかな。
気が付いたら五千字ほど、「私の考えた最強のスローライフ」を延々と書いていたので軌道修正が必要でした。食べ物の豊富な南の島ならば、スローライフもかなりイージーモードでできそうです。ただし魔法があるのを前提とする。
アルプスアイベックスは『アルプスの少女ハイジ』に出て来た「大角の旦那」のこと。三次元移動が得意。
作中一日だけの話ですが、実はヴェルネリ、ずっとパンいちのままなんです。追手と戦っている時も。ビジュアルを想像すると、とっても情けない。
シーナさんが聖力を放った際、ヴェルネリがフェンリル化したのは、シーナさんが受け入れた人物であり、またヴェルネリがシーナさんの聖力を拒絶せず受け入れた結果です。ひんやりもふもふが恋しくなると、たまに聖力を注いでフェンリル化させます。抱き着いてもらえるのでヴェルネリも歓迎。
じつは前世での没年齢も、今世での肉体年齢もヴェルネリの方が上です。でもシーナさんの方が偉そう。姉目線? ヴェルネリは優柔不断というか流されやすい性格なので、しっかり者の女性がタイプ。しかもシーナさん、グラマー美女だから。めっちゃ好みど真ん中でした。シーナさんは、恋愛スルーしすぎて感覚鈍ってますが、おばかわんこに弱いのでいつか絆される。
せっかく環境適応している肌を白くしたら、紫外線に普通なら負けますが、シーナさんは自分の身体を結界でコーティングしているので平気。
シーナさんは、倫理とか社会が許せば、前世からマッドなサイエンティストの素養がありました。今世で自分をいじくりすぎて、最早寿命がどのくらいあるのかも分かりません。というか、長命で何百年と生きる魔族でかつ魔王のヴェルネリと長く添い遂げる模様。究極の美魔女、誕生。
前世記憶があってチートもあったら、わりと世の為人の為に使ったり、自分の為のはずが周囲に喜んで受け入れられたりするお話は多いですが。この二人は魔王の強大な魔力も、聖女の癒しに治癒等の聖力も、自分たちのためにしか使いません。わざわざ楽園を出てまで他人の為に力を使う意識がない。一種、無駄遣いですが、貰ったチートは自分のものですから使い方を選ぶのも本人次第。
スローライフ話とか、使えなかったネタは、活動報告かおまけで後程。