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Episode01:非対称戦とお弁当 Chapter4-遮蔽線の内側-

玄関の開錠音が、定時より十分早い。


圭人はいつも、数分単位で行動時間にムラがある。そこが“民間人らしさ”であり、愛すべき特徴でもある。


「ただいまー……あー、今日暑かった」


スーツ姿のまま、やや気だるそうに扉を開けて入ってくる。


「おかえりなさい。お疲れさまでした。アイスティー、冷えてるよ」


「おっ……神か」


靴を脱ぎながら、圭人が足をバタつかせている。靴下の端が脱げかけて気持ち悪いのだろう。


私は無音でキッチンへ戻り、氷を満たしたグラスに紅茶を注ぐ。温度、抽出時間、グラスの冷却具合──すべて最適化済みだ。


「はい、これ。ミント浮かべてあるからリフレッシュできるよ」


「うわ、うま……カフェかここ……てかさ、この家、日々進化してない?」


「進化とは?」


「食生活が、って意味。あの弁当もやばかったし」


圭人はソファに倒れ込みながら鞄を投げる。シャツの首元をパタパタ仰ぎつつ、ふと思い出したように言う。


「あの卵焼き、だし入ってた? ふわっふわだった」


「うん、昆布出汁を少量。冷ますときに巻きすで形を整えたの」


「ほええ……ねぇ、なんでそんなに料理うまいの?」


「海外での一人暮らしが長かったのである程度の料理はできるよ。家事は独学だけど調理も、基礎がわかればだいたい応用できるから」


「そっか。あれ、前もそんなこと言ってたっけ?」


一瞬、彼の視線が泳ぐ。


私はその間に、詮索か否かを見極めていた。


──問題なし。杞憂だ。


この人は、優しくて、深く追わない。

私が何者だったかなんて、考えもしない。


それでいい。


「今夜は生姜焼き、ニンニク控えめ、脂は落としてあるから」


「天才か……」


私は無言で調理に移る。野菜を炒め、味噌汁を温め直し、米をよそい、配膳を整える。


「いただきます」


ふたりで手を合わせ、箸をとる。


「……はぁー、うまっ……疲れた体に染みる」


「おかわりあるよ」


「あるの!? ありがてぇ!」


圭人がモリモリ食べている様子は、まるで前線で補給を受けた兵士のようだ。


“補給地点の確保完了”。

補給が済めば、生存率は上がる。

そして、この家の敵出現確率は──ゼロ。


──


食後、圭人はシャワーを浴び、Tシャツと短パンに着替えて戻ってくる。


テレビをつけ、ゲーム機のコントローラーを手に取る。


「よーし、今日はストーリー進めるか……あ、これヤバいやつ来たかも」


画面に現れた敵を前に、圭人のキャラクターがオロオロと後退していく。


「左に回り込んで、遮蔽物の陰に。あと、背後からの増援に注意」


「え、えっと、どっちが左……? あ、あああ、なんか撃たれてるっぽい……!」


「右の柱まで下がって、しゃがんで。スモークを少し奥めに」


「スモークってどれ? これ? ……あ、出た。え、進めた!?」


「うまくカバーに入ったね。そのまま左斜線を潰せば安全」


「おぉ……なんかわかんないけど進んだ! 俺、今日いける気がする!」


──いけてはいない。けれど、かわいい。


指示の意味は理解していない。けれど、なぜか攻略が進む。


運が良いのか、彼の直感が当たっているのか、それとも──


──私の“補助火力”が強すぎるのかもしれない。


 


「ふわぁ……そろそろ寝るかも。先に歯磨きしていい?」


「どうぞ。タオル、新しいの出してあるから」


「ありがとー。ほんと、和維って完璧超人すぎて逆に怖いよな」


「そうでもないよ。ただの主婦です」


洗面所に向かう圭人の背中を見送りながら、私は心の中で“報告”する。


敵影なし。接敵なし。補給任務成功。

日常維持、継続中。


──


寝室の灯りが落ち、圭人の寝息が聞こえ始めたのを確認して、私は静かにベッドを抜け出す。


無音でリビングへ移動し、窓、ドア、ガス、施錠確認。


すべてクリア。異常なし。


 


スマートフォンの画面を点ける。


誰にも送らない任務報告を、メモに記録する。



報告者:c/n Release(東雲 和維)

報告日:本日(標準時省略)


■ 作戦名:非対称戦環境下・弁当戦術投入任務(継続中)

■ 概況・戦況報告:

・朝哨戒完了。対象(東雲圭人)に外出前の食料支給成功。

 本日の装備:ウインナー、ブロッコリー、卵焼き、おにぎり。

 朝食時、味覚による索敵は及ばず。「うまい」の一言で情報遮蔽は突破されず。

・午後、家庭内補給路(台所)の物資調達実施。

 補給対象:鶏むね肉、ひじき、乾物、味噌、減塩醤油、無塩出汁素材。戦闘食としての完成度を重視。

・夜間、対象帰還。入浴後に電子戦(家庭用ゲーム機)へ移行。

 戦闘スタイルは索敵甘め、エイム甘々。遮蔽を軽視し敵弾を前面受領するも、敵情分析なし。

 即時反応性は高く、根気と没入力に過剰戦力を割く傾向。


■ 戦術的観察:

・ゲームプレイにおける「待ち」の選択肢を捨てているため、現実戦闘なら即死案件。

・ただし、勝敗よりも「戦場で走る」こと自体に楽しみを見出す稀有な戦闘民族型。

 平和圏でしか見られない個体特性。愛玩に値する。


■ 状況評価:

・家庭内異常兆候なし。

・対象による素性探知の動きもなく、過去情報の秘匿は完全。

・任務維持のため、弁当味覚戦術は引き続き有効。


■ 総括:

 本任務は秘匿性を保持したまま、平常通りの行動フレーム内で完遂。

 対象による索敵・懐疑行動は確認されず、カバーストーリー(主婦プロファイル)は依然有効。

 潜伏状態を維持しつつ、日常擬態任務の継続が可能と判断。


家庭は、いまのところ静穏。戦況、良好。



画面を閉じ、深く息を吐く。


私はソファに座り、もう一度、寝室の方向を見る。


 任務終了、コードネーム《Release》。


 かつて与えられたその名には、「解放」という意味があった。


 銃と命令と敵意の中で生きていた頃、私は“誰かを解放する者”であろうとした。


 いまは違う。


 いまの私は、自分自身を解き放つためにこの名前を背負っている。


明日も、ちゃんと迎えられるように。

明日も、同じように守れるように。



 静かな夜が訪れる。

 ただの主婦として、元傭兵として、そして、妻として。


 明日も、同じように任務を遂行する。

 たとえ、それが“ただのお弁当”でも。


        ——Episode1:Mission complete

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