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Episode01:非対称戦とお弁当 Chapter2-味噌汁そしてリアリティ・バイアス-

 0605時。

私はキッチンの端へ身を移し、即座に朝食作戦へと移行する。任務が完了したからといって、そこで撤収できるわけではない。むしろ、ここからが非対称戦の第2段階──生活圏内戦闘(Homefront Engagement)の本番だ。


主食は前夜に炊いた炊き込みご飯の残り。具材は椎茸と油揚げ。味噌汁は即席だが、出汁粉をブレンドし、具は豆腐とワカメ。タンパク質、ミネラル、食感のバランス、すべて計算済み。焼き鮭は皮目を炙って香ばしさを強調し、冷蔵庫から取り出した浅漬けが塩分補給を担う。プレート上のそれぞれが、家庭という名の戦域での補給装備(Ration Asset)である。


「よし……」

音もなく準備を終えたその瞬間、階段から足音が聞こえた。


「……あれ? もう朝ごはんできてるの?」


東雲圭人、三十六歳。会社員、趣味はゲーム、とくにFPS系。戦闘力は皆無だが、情報処理能力はそれなり。彼の寝癖は今朝もやや斜め上方向に健在だった。


「おはよう。ちょうど起きる頃かなって思って」


「いやー……相変わらず静かに動くよな、和維って。猫みたいというか……いや、あれだ。なんか、“忍者”?」


「昔ね、砂利を踏んだ音で怒られたことがあって。歩き方はその名残かも」


「え、それ本気?」


「……冗談だよ」


微笑んで流す。こういう“本気にされると困る過去”は、笑ってごまかすのが一番。


圭人は訝しげに眉をひそめつつも椅子に腰を下ろし、味噌汁をひと口すする。


「……ん、やさしい味だね。昨日より……なんか、角がない?」


「出汁、少し変えたの。鰹節と煮干しの比率を調整してみた」


「へえ〜。そういうのって、体調とか考えて?」


「……そうだね。夏は香りを抑えて、塩分と水分が摂れるように」


圭人は納得したように頷いて、鮭を箸で割る。そして、ふと思い出したようにこちらを見た。


「そういえばさ、昼のお弁当。最近さ、なんか……こう、すごい整ってるなって思って」


「整ってる?」


「うん。キレイっていうか……うーん、なんか“隙がない”って感じ?」


——その言葉に、私は背筋をわずかに伸ばす。


「悪い意味じゃないよ? ただ……なんとなく、“やたら考えられてるな”って。色とか並びとか、弁当箱の中での配置……ほら、たとえば、ウインナーの向きとか」


「そうかな。たまたまじゃない?」


「たまたまにしては毎回すごくバランス取れてる気がするけどなあ……」


曖昧な違和感。だが、真実には触れない。この“気のせいかも”の状態こそ、リアリティ・バイアスが働いている証拠。


──人は、自分の世界観に合わない事象に直面したとき、無意識に「きっと自分の勘違いだ」と処理してくれる。過去に、砂利の音で射撃警戒した経験がある元PMCの妻が、いま台所でお弁当を作っているとは思わないから。


「まあ……考えすぎか。でも、おいしいから問題なし、かな」


圭人は鮭をぱくりと食べ、味噌汁で流し込んだ。


「今日のおにぎり、梅干し入ってる? 」


「うん。塩分補給も兼ねてるよ。塩加減も少し調整しておいた」


「和維って、ほんとにそういうの……なんていうか、完璧だよね」


私は言葉を返さず、笑顔だけを浮かべた。

——本当は、行軍時の補給カロリー計算表と、ナトリウム分解値の一覧が頭に浮かんでいた。だが、そんなものを朝の食卓に持ち込むわけにはいかない。


「そろそろ、準備いい? 忘れ物ない?」


「うん、大丈夫。弁当もばっちりカバンに入れた」


「いってらっしゃい。水筒も持ってね」


「はい、了解、隊……長!」


彼は冗談めかして敬礼のポーズをとって、玄関に向かった。


「……和維?」


「うん、大丈夫。行ってらっしゃい」


背中がドアの向こうへ消える。

私はふうっと、ひとつ息を吐いた。


「“隊長”……」


懐かしい響き。でも、それはもう戦場に置いてきたはずの言葉。

私は静かにエプロンの端を直し、片付け作業に取りかかる。


次の任務は、洗濯と買い出し。

でも、それだって私にとっては立派な戦場。

かつてのような銃声はないけれど、“生きる”ことに対して、今も私は全力で向き合っている。


      ――主戦場は、いまやこの台所。

      Status: Operation ongoing→Chapter3


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