Episode03:香辛料、シビル・ウォー Chapter4-終戦協定はラッシーと共に
昼食時、東雲家のダイニングには、賑やかな“食卓の戦場”が広がっていた。
「うん。うまい。うまいけど……っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ辛っ!!」
「ふふ、じわじわ来た?」
圭人が絶叫したのは、二口目の直後だった。
冷や汗をぬぐいながら、ラッシーを一気飲みする。その表情は、もはや戦闘後の兵士のよう。
テーブルには、二人分のスパイスカレー。
濃いめのトマトと玉ねぎベースに、ビンダルー風の強烈な辛味が潜む。
ナンは表面に香ばしい焼き色が入り、中はふっくらと膨らんだ見事な仕上がり。
和維の前には、プレーンヨーグルトにキュウリとスパイスを加えたライタ、そしてサブジも並ぶ。
サブジはじゃがいもとインゲンをクミンとターメリックで炒めた、素朴ながら滋味ある副菜。どれもいい出来栄えだと思う。
だが、それ以上に完成度が高かったのは、和維の穏やかな表情――
辛いはずなのに、どこか平然とした顔で、ナンをちぎってカレーをすくう。そして、静かにひと口。
「このナン、いい仕上がりじゃない?」
「や、焼き加減は最高なんだけど、俺の口内が戦場なんだよ……! 今たぶん、喉のあたりで火柱立ってる!」
「辛味って、ある種の火力だから。無理に飲み込むと内臓まで延焼するわよ」
「こええよ!!」
圭人は思わずテーブルに突っ伏しかけたが、すぐに顔を上げた。
スパイスの香りと汗のせいで、鼻のあたりがむずむずする。
「でも……このラッシーだけは、自信ある……! なんか、レシピ見てて“たぶんこうかな?”ってやったら、思いのほか上手くいって……」
「ふふ、それが一番の才能かもね。甘さと酸味のバランスがすごくいいもの。下手したら店のより美味しいわ」
「ま、まじで……?」
和維はグラスを軽く持ち上げて応える。
圭人は照れくさそうに目を逸らしながら、ナンを再びちぎった。
テーブルのカレーは、スプーンを入れるたびにとろりと滑らかに広がり、香辛料の複雑な層が鼻をくすぐる。
そのすぐ横には、涼やかな香りのライタ。ひんやりと冷たいきゅうりとヨーグルトが、圭人の味覚をかろうじて救ってくれる。
サブジはホクホクしたジャガイモに、インゲンがシャキッとした歯ごたえを添えている。
こちらも決して辛くはなく、むしろ箸休めとして理想的。
「……このサブジ?っていうのとライタだっけ。めっちゃ落ち着く……この感じ、たぶん味覚の“オアシス"だ」
「そうでしょ? 戦線を支えるには、緩急の差が大事なの。ずっと突撃ばかりじゃ続かないから」
「なんで食卓に“突撃”とか“戦線”って言葉が出てくるの……?」
和維は苦笑しながらも、またひと口。
圭人はふう、と息を吐いて口を拭きながらぽつりと漏らした。
「……ねえ、こんなに辛くてもさ、食べ続けられるって……なんか、不思議な感じだよね」
「それはね、舌が“慣れてきた”の。辛味って、ある意味“刺激への耐性訓練”だから」
「え……なにそれ、今の俺、訓練中だったの?」
「そう。しかも実地訓練よ。調理も味覚も、どっちも“経験”がモノを言うわ」
「……それって、良いことなの……?」
「構成によって“攻め”の方向が全然違うからね。味も、香りも、印象も」
「はい出た、“攻め”。その単語、俺の胃にダメージくるからやめて……!」
「ふふ、じゃあ“展開”って言い換えようか。
スパイスって、配合の順番でも香りが変わるし、使い方次第で印象も戦況も……いえ、雰囲気も一変するのよ」
「出てるよ? うっかり“戦況”って言ったよ今!?」
とはいえ、次第に舌も慣れてきた。ラッシーを挟みつつ、圭人はもう一口カレーに挑戦する。
「……うん、たしかに。じわじわ来るけど、なんかクセになる味かも。ちょっとだけ、楽しくなってきたかも……」
ツッコミを入れながらも、圭人の手は止まらない。
辛さに涙目になりながら、ナンをちぎって、またカレーを口に運ぶ。
「……うん、でもなんか、さっきより平気になってきた気がする」
「ラッシーの糖分が粘膜にバリアを張ってくれるのと、辛味って繰り返すと慣れるの。
ある意味、ゲリラ戦みたいなものね。敵がどこから来るかわからない。でも、動き方が分かれば対応できる」
「ねえ、食事の説明に“ゲリラ戦”って使うの普通じゃないからね!?」
笑いが混じりながら、二人の箸が進む。
辛味が後を引く、でもやめられない。まさにスパイスの魔力。
和維はふふっと笑いながら、最後のナンをちぎった。圭人も、やや怯えつつ、それでも止めずにカレーをすくう。
「……うん。うまい。うまいけど……やっぱり…っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ辛っ!!」
やがて一皿を平らげた圭人は、最後のラッシーでクールダウンしながら、ふうっとため息をついた。
「……それにしても、なんだかんだで楽しかったね、今日」
「うん。混乱もしたし、汗もかいたし、涙も出たけど……でも、こうして一緒に食べてると、なんか達成感あるかも」
和維は、テーブルの片隅で静かに揺れるスパイス瓶を見つめる。
「任務の後にご飯を食べられるって、やっぱり大事なことなのよ」
「任務って言った!」
外では蝉が鳴き、窓のカーテンがふわりと揺れていた。
グラスの氷がカラン、と鳴るたびに、昼食の時間がゆっくりと過ぎていく。
ふたりはしばし黙ってテーブル越しに向き合う。
さっきまでの調理の混沌が、静かな満足感に変わりつつある。
そして圭人は、スプーンを置いてふいに訊いた。
「……で、夕飯は何にする?」
和維は一瞬だけ目を見開き、それから小さく吹き出した。
「また戦場に戻る気? ふふ、悪くないわね、カウボーイ」
——Episode3:Mission complete




