第9話
辺境生活七日目。トアとポコは前日まで活動していた開拓村近辺の狩場ではなく、村から徒歩一時間ほどの距離にある別の狩場へと向かっていた。
目的地は開拓者たちから『卑怯者のねぐら』と呼ばれゴブリンなど小型の人型魔物が多く棲みついているエリア。魔物一体一体の強さは開拓村近郊と大差ないが、群れで行動していことが多いため、新人にはあまり推奨されない狩場とされている。
新人が順当にステップアップしていくなら、向かうべきは猪など中型の魔獣がチラホラ出現する『半端者の森』で、情報収集した限り他の新人パーティーはそちらに向かっているようだった。
それでも敢えて難度が高いとされている狩場を選んだ理由は三つ。
一つ目はポコの索敵能力の優位性を活かすため。いくらポコが優れた嗅覚を持つコボルトとは言え、獣型の魔物が相手ではそれは索敵において絶対的な優位性とは言えない。であればゴブリンのような人型の魔物の方が自分たちにとっては主導権を握りやすく有利だろうと考えた。
二つ目は獲物の運搬の手間。獣型と人型の魔物を比較すると、獣型の方が食肉などで使える部位が多いため一体当たりの実入りは良い。だがそれは死体を丸々持ち帰った場合で、討伐部位だけを比較すれば人型の方が単価は高い傾向がある。これは素材としての価値が低い魔物の討伐が疎かにならないようにと公社が価格を調整した結果だが、仮に猪などを狩ってもそれを開拓村まで運搬することが困難なトアたちにとっては単純に運ぶ物が軽い方が都合がよかった。
最後の三つ目は他の新人のトラブルに巻き込まれないようにするためだ。慣れない人間が活動すれば大なり小なり必ず問題が起きる。そしてもしそれが魔物の暴走を引き起こす類のものだったら最悪だ。ただでさえトアとポコは戦闘力に欠けるのだから、不測の事態を引き起こしかねない要因は極力避けるべきだろう。
そんな風に考えてトアはポコに索敵を任せ慎重に新たな狩場へと向かっていたのだが──
「…………ワフ?」
「どうした、ポコ?」
『卑怯者のねぐら』を目前に先頭を歩いていたポコが突然立ち止まり、ピンと耳を立てて左前方の茂みに視線を向ける──敵だろうか?
尋ねるトアも緊張感を高め剣の柄に手をかけた。
ポコは問いかけに反応せずピコピコ耳を動かし物音を拾うような仕草をする。
「……チイサイアシオト……コッチクル」
「小さい……」
ポコの感覚は信用できる。この辺りで小さいというとゴブリンだろうか。数が多いようなら回避しなくてはならないが──
「数は分かる?」
「ワフゥ……ヒトツダケ。ハヤイ、ダイブチカイ」
「一つだけ? 後ろから別の何かが追いかけてきてるとかはない?」
「……ナイ!」
少しだけ考えて、ポコが自信満々に答えた。
その言葉でトアの覚悟が決まり、迎え撃とうと小剣を抜いて盾を構える。ポコは後ろに下がらせ、念のため周辺の警戒にあたらせた。
そして待ち構えること約一分──茂みがガサガサ揺れると、そこから勢いよく皺くちゃの醜い小人が飛び出してきた。
──ゴブリン!!
これまでにも何度か倒したことのある最弱の人型魔物だ。トアは予想が当たったことに胸中で喝采を上げると、突然の遭遇に混乱するゴブリンに駆け寄り、突進の勢いのまま胸に小剣を突き立てた。
『グギィィッ!!?』
甲高い悲鳴。確実に心臓を貫いたが、この手の魔物は致命傷を与えてもすぐには動きを止めない。トアはゴブリンを蹴り飛ばし小剣を抜くと、地面に仰向けに倒れたゴブリンにのしかかり、喉、肩、再び胸と小剣で素早く突き、冷静にとどめを刺した。
「…………ふぅ」
ゴブリンが完全に死亡し、動かなくなったことを確認してから残心を解き、討伐部位である左耳を切り取る。
そして立ち上がると心配そうにこちらを見つめていたポコを手招き──彼は嬉しそうに駆け寄ってくると、何も言われずとも討伐部位を入れるズタ袋の紐を開けて差し出してきた。
「サンキュ」
「ワフ!」
本当ならポコを撫でて褒めてやりたいところだが、手はゴブリンの返り血で真っ赤に染まっている。
トアはボロ布で剣と自分の身体に付着した血糊を拭いながらゴブリンの死体を見下ろし、首を傾げた。
「にしてもコイツ、どうしたんだろうね? 雰囲気的には何かから逃げてたっぽいけど……他に何か近づいてきてたりしない?」
「ワフ……?」
言われてポコはゴブリンがやってきた方に顔を向け、鼻をクンクン、耳をピクピク動かす。
「………………ヒト」
数十秒ほど経過した後、ポコがポツリと呟く。
「人? 他の開拓者がこの先で狩りをしてるってこと?」
「ワフ……?」
「ああ、ごめんごめん。そんなこと聞かれても分かんないよね」
困った風に首を傾げるポコに頭を軽く撫で、トアは少し考えこんだ。
──この先で他のパーティーが狩りをしてて、こいつはそこから逃げてきたってとこかな。
公社で情報が得られるような狩場なのだから、他のパーティーとバッティングすることもあるだろう。
──ポイントを変えるか?
開拓村の外での開拓者との接触はトラブルの元だ。相手の気性や力関係によってはいきなり攻撃されることもあると聞く。
「────! トア!!」
「早速かい」
ポコが左手でゴブリンがやってきた方角を指さし、警告の声を発した。左手は人間、右手は魔物と緊急時に細かく情報を伝える余裕がない場合に備えて取り決めていた合図だ。
──タイミング的に戦闘が終了して帰還に移った……いや。まだ早い時間なのに狩りを切り上げたってのは違和感があるな。考えられるとすれば既に十分な成果を得たか、味方が負傷するなりして撤退せざるを得ない状況になったか。ポコの反応からすると急いでるっぽいし、後者だろうな。最悪、魔物に追われてるって可能性もあるか。
考えられるパターンを大まかに予想すると、トアはポコを手招きし、ゴブリンの死体を引きずり近くの茂みに潜んだ。
そして二分ほど茂みの中でジッとしていると、複数の男たちの話し声とガチャガチャという鎧の擦れる音が聞こえてきた。
「くそっ! ヒデェ目に遭ったぜ……」
悪態をつきながら姿を見せたのは五人組の武装した男たち。その顔にはぼんやりとだが見覚えがある。新人ではないが同じ第六開拓村を拠点にしている開拓者の一団だ。
内一人は頭部から血を流し、仲間に肩を借りていた。
「おい、後ろは大丈夫か?」
「……ああ。追いかけてきてる気配はねぇ」
「ともかく移動しよう。治療は安全地帯についてからだ」
「分かってるっての! ああくそ……ブタ野郎が……!」
頭部から血を流している男は見た目ほどの重傷ではないらしい。出血こそ派手だが意識はハッキリしており忌々しそうに毒を吐き続けていた。
結局その五人組はトアたちに全く気付くことなく早歩きでその場を通り過ぎる。
彼らをやり過ごし、その姿が完全に見えなくなってから更に二〇ほど数を数え、ようやくトアは緊張を解く。
「……行ったみたいだね。連中、後ろを警戒してたけど何か気配はある?」
「…………」
「…………ポコ?」
しかしポコはトアが話しかけても全く反応を示さず、半立ちの姿勢で警戒を解くことなく男たちがやってきた方角を見つめていた。
ポコが自分を無視するなど今までになかったことだ。これは余程マズイ何かがあるのか、と再びトアが警戒感を高めている、と──
「…………ワフ!」
「へ? ちょ、ポコ──!?」
ポコは突然ピョンと立ち上がり一吠えすると、それ以上何も言わず男たちが逃げてきた方に向かって勢いよく駆け出した。
──そっちはまずいだろ!?
走りだしたポコをトアは慌てて追いかける。
ポコは勇敢ではあるが決して恐れ知らずではなく、これまで決して無意味に危険に身を晒したことはない。そんなポコの突然の奇行に、トアはただただ困惑していた。
茂みをかきわけしばし進むと、トアの耳にもソレが聞こえてきた。この辺境には似つかわしくない幼い人の声。
トアは困惑を更に深くし、ポコを見失わないよう必死に後を追う。そして──
「────」
辿り着いたそこは、ある意味では予想通りで──同時に全く予想外の光景が広がっていた。
予想通りだったのは戦いの跡──あたりに散らばる無数のゴブリンと思しき肉片。
予想外だったのはその中心で蹲る人影と──
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!! 怖いよぉぉぉぉ! 誰か、誰か助けてぇぇぇぇっ!!」
子供が泣いていた──しかしトアは駆け寄ることもできずその場に立ち尽くす。
理由は簡単。子供のように泣きじゃくるその人物が、身長二メートルはあろうかという巨漢で、そのすぐ傍の地面には彼が振るったと思しき真っ赤に染まった大金棒が転がっていたからだ。
アンバランスで危うい、冗談のような光景。
「嫌だよぉぉぉっ!! 一人にしないでぇぇぇぇっ!!!」
けれどその叫びには、切実な真実の響きが宿っていた。




