第4話
ユベルたちに襲われたその夜。トアは結局、開拓公社近くの建物の隙間に身を潜め、一睡もせず震えながら夜を明かした。
「…………」
眠気などすっかり吹き飛んでおり、今さら開拓公社裏の納屋に向かう気にもなれない──万一多人数でコトに及んでいたらどうしようという怖い想像がトアの脳裏を巡って離れなかった。
とにかく今は誰とも顔を合わせたくない。膝を抱えジッと恐怖に耐えること数時間、次第に東の空が色づき鳥の鳴き声が聞こえてきた。その朝日の温かさに、暗闇からユベルたちが追いかけてくるのではとの恐怖から解放されたトアは、膝に顔をうずめて深々と安堵の息を吐く。
「はぁ…………」
太陽の光にようやく心の平静を取り戻したトアは、改めて持ち出した自分の荷物が揃っているかを確認する。
「剣と盾……鎧と……薬。金も……うん、一応全部あるな」
あの場所に荷物を取りに戻るという最悪にして地獄の事態こそ免れたものの、手持ちが銀貨三枚だけという差し迫った現実を思い出し、トアは頭を抱えたくなった。
「ああもう、最悪だぁ……」
昨日までは仮とは言え仲間がいて、稼げるアテがあったからまだ精神的に余裕があった。だがあんなことがあった以上は改めて仲間を探すところから始めなくてはならない。しかも、だ。
「ここじゃ誰かと組むのに尻の心配までしなきゃなんねぇのか?」
女に飢えて見境がなくなっている可能性があるベテランとはもう組む気になれない。
新人なら比較的夜のリスクは低いかもしれないが、昨日のコビーの様子を思い出すと今度は昼間の仕事に不安がある。
「いっそソロで──いやいや、あり得ないよな。昨日の調子じゃ雑魚相手でもニ、三体に囲まれたらアウトだし、パーティーを組むのは必須だ。最低限、ヤバい敵や不意打ちを回避してくれる斥候役と突破力のある前衛がいないと……」
まさにそれがあのユベルとミロだったわけで、口にしながらトアの表情に暗い影が差す。気持ちが再び落ち込みそうになり、いかんいかんと頭を振って気持ちを切り替えた。
「……取り敢えず、どっかで朝飯食って公社に相談に行くか」
トアが立ち上がろうと地面に手をつく──
「────ワ……フ?」
手のひらから伝わってきたのは地面のゴツゴツした硬さではなく、毛玉のようなフサフサモフモフとした感触。
「────」
ふと気づく。
昨夜は暗くて──というより襲われかけた動揺で気づけなかったけれど、背中から伝わってくる温度は壁にしては暖かく、感触もクッションのように柔らかい。トアが慌ててバッとその場から飛び起き、自分が一晩中背もたれにしていた場所を見る、と──
「……オナカ……スイ、タ……」
薄汚れた服を着た白い犬が、目を回してその場に潰れていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当にごめん!」
「…………ゥ?」
トアが改めて頭を下げて謝罪すると、クッションになっていた白い二足歩行の犬──コボルトは、薄いベーコンを挟んだパンを口いっぱいに頬張りながら、キョトンと首を傾げた。
場所は朝一から営業している食堂のオープンテラス。下敷きにしてしまっていたコボルトは怪我こそなかったものの空腹を訴えぐったりしていた。慌てたトアはコボルトを抱えて食事のできる場所を探し、見つけたこの食堂に飛び込む。そして注文した一番安いサンドイッチをコボルトの口元に差し出してみたところ、パチリと目を開けてサンドイッチに食いつき、今に至る。
コボルトはモグモグと口の中の物を咀嚼して呑みこむと、
「アリガト! ゴハン、オイシイ!」
と目を輝かせて逆にお礼を言った。どうやら一晩中下敷きにしてしまったことは怒っていないらしい。
トアはホッと胸を撫でおろすと、注文した自分の分のサンドイッチを口にし、一緒にモソモソと空腹を満たす。農家育ちで雑な食事には慣れていたつもりだが、水でふやかしても小石のような何かが喉に引っかかるパンは初めての経験だった。
「それで、俺が言うこっちゃないかもしれないけど、何であんな場所で寝てたの?」
食事を終えて腹を満たすと──本当にトアが言えたことではないが──気になっていたことをコボルトに尋ねる。当然のことだが、コボルトであってもあんな屋外で寝転がっているのは普通ではない。
コボルトは魔物ではなく人類の一員だ。
大陸南部諸国の一部では魔物と同列視され駆除の対象だが、それ以外の地域ではヒューマンとほぼ同等の権利が認められている。ただ現実には、ヒューマンと比較して小柄で力が弱く、知能も決して高いとは言えないコボルトは、奴隷として酷使されていることが多かった。
このコボルトもそうした奴隷の一人かと思ったが、奴隷であることを示す首輪はなく、身分としてはトアと同じ自由民のようだ。この辺境で誰の庇護も受けていないコボルトが生きていけるとは思えないが……
「ワフ?」
トアの質問に、コボルトは意味が分からないといった様子で首を傾げる。
「えっと……家はどこかな? ご主人様とか雇い主がいるんじゃないの?」
「???」
質問内容を変えてみるが、コボルトは目をパチクリさせるばかりで要領を得ない。トアは溜息を吐いて別の方向から切り込むことにした。
「君の名前は? 普段は何してるの?」
ようやく答えられる質問がきたと思い、コボルトが耳をピンと立たせる。
「ポコ、ナマエ、ポコ!」
「そっか~、ポコっていうのか~」
「ワフゥ! ポコ!」
嬉しそうに尻尾を振るポコだが、しかし肝心の『普段は何してるの?』という質問は少し彼には難しかったらしく、答えが返ってくる気配がない。仕方なくトアは続け様に他の質問をぶつけた。
「家族はいるのかな?」
「ワフ?」
「じゃあ仲間は?」
「???」
「ん~……働いてるところとか仕事──って言っても分かんないよなぁ~」
諦め気味に発したトアの『仕事』という言葉に、しかしポコは目を輝かせて反応した。
「シゴト! ポコ、シゴトアル!」
「働いてるの?」
「ワフゥ! ポコ、カイタクシャ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──と、本人はこう言ってるんですけど……」
勘違いですよね、と言外に続くトアの言葉に開拓公社の職員アルドはあっさりと頷いた。
「ああ。そいつはお前と同じ、昨日到着した新人開拓者だよ」
「は!? え、でも……」
トアは横に行儀よく座るポコをチラリと見て、口から出そうになった言葉を飲み込む。アルドは嘆息して、顎髭を撫でながら再び頷いた。
「まあ、お前の言いたいことは分かる。開拓者の役割は魔物と戦うことだ。ろくに戦えもしないコボルトが開拓者として送り込まれてくることは普通はない」
「なら──」
「だが別にコボルトが開拓者になれないって決まりがあるわけじゃないんだ」
アルドはほんの少しだけポコに憐憫の籠った眼差しを向け、続けた。
「恐らく人事担当者がノルマをこなすための数合わせに混ぜ込んできたんだろうよ」
「…………」
不思議そうに首を傾げこちらを見上げるポコの様子を見る限り、彼にこのやり取りの意味や『カイタクシャ』が何なのかを理解できているとは思えない。
つまりポコは騙されて死地に送られてきたということなのだろう。トアは思わずアルドを非難の籠った目で睨んだ。
「……そんな目で見るんじゃねぇ。どんな事情があろうと、辺境に来た以上は皆平等に開拓者として扱うしかねぇんだ。そもそも本人の意思に反して送られてくることなんざ、辺境じゃ当たり前のことだろうが」
「…………」
それはその通りだ。トア自身、家族に売られて止むを得ずここにいるわけで、立場としてはポコと大した違いはない。
「ん? というかお前、昨日渡した支度金はどうした?」
「……ワフ?」
ふと気づいたようにアルドがポコに話しかける。
「支度金──あ~……昨日袋を渡しただろ?」
「フクロ! ワカル!」
「おお、そうだ。袋はどうした?」
「ワタシタ!」
その答えにアルドはトアと顔を見合わせ、トアは知らないと首を横に振る。
「渡したって……誰にだ?」
「ク~ン? ワカンナイ」
「分からんって……」
「ダイジナモノ、アズカル! イイヒト!」
『…………』
再びアルドとトアは顔を見合わせる。ポコの発言と一人で何も持たず行き倒れていた状況から察するに、どうやらポコは支度金を騙し取られてしまったらしい。しかもポコ本人は騙されたことに気づいていないときた。
「……だからそんな目で俺を見るんじゃねぇ」
「いや、そうは言っても、最低限のフォローもなしに送り出すのはどうなんですか? マジで」
アルドもポコの現状に若干の罪悪感を覚えているのか、先ほどより言葉に勢いがない。どこか言い訳染みた声音で弁解を重ねる。
「公社の職員が特定の開拓者に肩入れするような真似ができるわけねぇだろ。俺が目を配るにも限界があるんだ。どのみち最低限の自衛もできねぇようじゃ、この辺境じゃやってけねぇよ」
「その言い分は分からなくもないですけど……」
それにしたって、これではただ無駄に死体の数を増やすだけではないか。それならいっそ、とトアは思い付きを口にした。
「例えば開拓村の他の仕事に回すとかはできないんですか? 店とか公社の下働きとか、仕事は他にもあるでしょ」
「駄目だ」
トアの言葉をアルドは即座に否定した。
「それを認めたら、他の連中にも同じように安全な村内での仕事を与えなけりゃならなくなる」
それは確かに、とトアは頷かざるを得なかった。開拓者は魔物と戦うために送り込まれている。トアの提案はその大前提を無視していた。
「確かに負傷やなんかで開拓者を辞めて他の仕事につくケースもあるが、それは開拓者として相応の功績を積んだ者にだけ認められる報奨だ。弱い、使えないで認められるもんじゃねぇんだよ」
「そう、ですか……」
「同情する気持ちは分からんでもないが、誰であれ開拓者としてここに来た以上、その義務からは逃れられん。お前にしたって、コイツの面倒を最後までみてやれるわけじゃねぇだろうが」
「…………」
それも全くその通り。トア自身も他人の心配ができるほど余裕がある訳ではないのだ。
「コイツのことはともかくとして、お前さんの方はどうだったんだ? 顔色見る限り飯は食えてるようだが、狩りは上手くいったのか?」
アルドの言葉に、トアは自分が元々昨日の一件を相談するために開拓公社を訪れたことを思いだす。
「……ああ、実は──」
トアの説明を、アルドは表情一つ変えず黙って聞いていた。男に襲われかけたことを話すときは若干の気恥ずかしさがあったが、アルド──そしてポコも特段反応を示すことはなかった。
「……なるほどな」
アルドは与えられた情報を反芻するように瞑目し、十数秒ほど顎髭をなぞった後、再びトアに視線を向けて口を開く。
「まず結論から言えば、そのユベルやミロってのを取り締まることはできん」
それは一般的な常識からすればあんまりな言葉だったが、トアは反論することなく『そうだろうな』と頷いて見せた。
「辺境じゃお前ら開拓者に人権はない。開拓者が公社や一般の人間に危害を加えるのはご法度だが、開拓者同士のいざこざなんざ、よほど悪質でない限りは殺人だろうと罪に問われることはない。高々掘られそうになった程度、訴えたところで笑い話にもならんさ」
そこでアルドはチラリとポコを見て、
「そいつが支度金を騙し取られても、泣き寝入りするしかないのと同様にな」
「それは分かってます。俺が聞きたいのはやり返す方法じゃなくて、どうにかトラブルを避ける手がないかってことでして……その、昨日の連中にしたって、これから同じ場所で仕事して顔を合わせることもあるかと思うと……」
「ふむ……」
トアの訴えにアルドはカウンターの下から何かの冊子を取り出し、ある頁を指で上から下まで確認した。
「…………無いな」
「無いって、何がですか?」
「そのユベルとミロって名前だよ」
意味が分からず目を瞬かせるトアに、アルドは説明を続けた。
「そいつらはこの第六開拓村所属の開拓者じゃない。他の開拓村のリストは手元にないからどこの所属かまでは分からんが、新人狙いであちこち渡り歩いてるんだろうよ。勿論、偽名の可能性はあるが、所属内でそんなことしてたらすぐにアシがつく。他所の所属ってのはまず間違いないだろう」
「渡り歩くって……いいんですか?」
「良くはないな。だが仕事や狩場の都合で所属とは別の開拓村に一時的に滞在することはままある。そいつらと区別する方法があるわけじゃなし、事実上黙認状態だ」
もう今日だけで何度聞いたか分からない辺境の残念な実態にトアは頭が痛くなる。そんなトアの心情を気にする様子もなくアルドは肩を竦めて続けた。
「そういう小者はトラブルを起こした村に長居することはない。今頃はもうここから逃げ出してるだろうよ」
「そう、ですか……」
確実ではないが、もうあの二人に怯える必要はないと告げられ、トアは安堵の息を吐く。そして一日限りのパーティーメンバーだったコビーの行く末に、そっと黙祷を捧げた。
「だがその連中のことを抜きにしても、その手のトラブルを完全に避けることは辺境じゃ難しいぞ。今その気のない人間を見つけてパーティーを組んだとしても、こう女っ気のない環境にいたんじゃ、そっちに目覚める奴はどうしたって出てくる。娼館に通えるほど稼げる開拓者なんざほんの一握りだしな」
「だからって何で男に……」
「くくっ。まあ、お前みたいな小僧にゃ少し早いかもな」
アルドは意地悪く表情を歪めて続けた。
「生き死にがかかった状況じゃ、男は自分の胤を残したいって願望が強く働く。女がいなけりゃ男で代替しようって発想は特別珍しいもんじゃないさ。お前さんだっていつそんな境地に至るか分からんぞ?」
「……男を覚えて一人前って言われるぐらいなら、俺は一生小僧でいいですよ」
力なくカウンターに突っ伏したトアを、アルドはカラカラと笑い、話についてこれていないポコは「トア、コドモ?」と首を傾げていた。
「……かといって、ソロは拙いですよね?」
「当然だ」
伺うようなトアの言葉に、アルドは即答した。
「よほど索敵と隠密に長けた本職の狩人でもない限り、新人がソロで活動するなんざ自殺行為だ」
「……はぁ。命を守るか、尻を守るかってことか」
「いや、そいつは違うな」
アルドの言葉にトアは顔を上げ、
「お前みたいなヒョロイのがソロで活動してりゃ、そっちの気がある連中に襲ってくれって言ってるようなもんだ。命も尻も散らされることになるだろうよ」
絶望に叩き落された。
「どいつもこいつも……」
二者択一にさえならない悲惨な未来に絶望するトアに、流石に気の毒だと思ったのかアルドが慰めめいた言葉をかける。
「まあ、あれだ。俺は経験がないから知らんが、意外とやってみれば新しい世界が拓けるって聞くぞ?」
「何でも新しけりゃ許されると思うな!」
結局、相談しても何の意味もなかった──いや、ユベルとミロに襲われる不安が解消したのは一応収穫か。トアはアルドに「ソウダンニノッテイタダキアリガトウゴザイマシタ」と形ばかりの礼を言って席を立つ。
「結局どうするんだ?」
「……まあ、極力その気の無さそうな人を探してみますよ」
アルドの問いかけに、振り返ることなく立ち止まって応える。
「こう言っちゃなんだが、お前さんはヒョロイしあまり選り好みができる立場じゃない。優先順位を間違えるなよ」
「…………」
──そこは正直死んだ方がマシかもしれない。
喉元から出そうになった本音を呑みこみ、トアはヒラヒラと手を振って歩き出した。
──トコトコトコ
「…………」
──トコトコトコ
「………………」
──トコトコトコ
「……………………」
背後から聞こえる可愛らしい足音に、トアは嫌な予感を覚えて立ち止まる。
「ワフ?」
「えっと……何でついてきてるの?」
「???」
「いや、そこで首を傾げられても……」
トアは当然のように自分についてきているポコに嫌な予感を覚えながら、彼に教え諭すように告げる。
「悪いんだけど、俺はこれから仕事なんだ。だからもう君とはここでお別れ──」
「シゴト! ポコ、ガンバル!」
キラキラした目でトアを見上げパタパタと尻尾を振る小柄なコボルトの姿に、トアはそれ以上言葉を続けることができなかった。
──そうだ!
助けを求めるようにアルドに視線を向けるが、アルドの姿は既にカウンターから消えている。
──逃げやがったな……
「ワフゥ! ポコ、ヤクニタツ!」
「うん、えと、あのね……?」
眩しい笑顔から目を逸らし、トアは『自分の尻も守れそうにない状況で犬の世話なんざできるわけねぇだろ!?』と胸中で呻き、この場をどう切り抜けるか必死に思考を巡らせた。