第21話
ポコというコボルトには、本当に何もなかった。
年齢は約一歳。物心ついた時には王都のスラムで残飯を漁っていた彼は、両親の顔はおろか、自分が何故そこにいるかを疑問に思う土壌さえ持ち得なかった。
名前の由来は彼を蹴り飛ばして遊んでいた子供の言葉。
『ハハ、こいつ何してもポコポコ起き上がってくるぜ?』
自分を見て『ポコ』『ポコ』と囃し立てる子供たちの発言に、彼は自分の名前がポコなのだと思うようになった。
ただ食べられるものを探し、雨風を凌ぎ、痛みに耐えるだけの日々。
ポコはそれを辛いとは思わなかったが、時折どうして自分だけが独りなのだろうと疑問に思い、答えの出ない胸の空白に啼きたくなることがあった。
『お。もうコイツでいいだろ』
そんなある日、ポコは見知らぬ男に捕まり檻の中に入れられ辺境と呼ばれる場所に連れていかれる。そこで彼は『開拓者』になるのだと告げられたが、何のことだがサッパリ理解できなかった。
どうしたらいいのか分からず戸惑っていると二人組の親切な男たちが話しかけてきた。人から優しく話しかけられたのは生まれて初めてで、ポコは嬉しくなって言われるがまま貰った袋を渡し、男たちが去った後も言われるがままジッとそこで待っていた。
彼らはいい人だった──と、ポコは今でも信じている。
言われた通り待っていたおかげで彼はトアと出会えたのだから。
トアは自分に美味しいものを食べさせてくれて、撫でてくれて、話を聞いてくれて、一緒にいてくれて──色んな初めてを教えてくれた。
怖い魔物は苦手だったけど、トアの前では勇気が湧いて、何でもできる気がした。
ベンという仲間も出来た。
ベンは身体は大きかったけれど、いつも泣いていて、ポコは泣いたことなんてないのに、何故かトアと出会う前の自分を思い出させて放っておけなかった。
ベンは自分を臆病だと言うけれど、とても優しくて、色んなことを知っていて、よく一緒に遊んでくれた。
上手くいかないことも多くて、大変なことや怖い目にもいっぱい遭ったけれど、三人で過ごす時間が、ポコはとてもとても好きだった。
──ワ……フ?
ポコの意識が覚醒する。暗い森の中。少しだけ見覚えがある気がしたが、熱に浮かされた頭は何も思い出してはくれない。
『グル……?』
視界の端にあの黒いオーガの姿が映り、そこでようやくポコは自分が攫われ意識を失っていたことを思いだす。
黒いオーガはポコが意識を取り戻したことに気づき一瞬こちらに視線を向けたが、すぐに興味を失くしたように視線を逸らした。まるでポコが逃げ出すことなどできないと分かっているように。
「……ッフ」
ポコは身体を起こそうとしたが、手足は熱を帯びてほとんど感覚がなく、ピクリとも動かない──ポコ自身は自分の身体の状態を把握できていなかったが、その手足の骨はオーガによってバラバラに砕かれ、とても動ける状態ではなかったのだ。
わけも分からず、ポコの目から涙がこぼれる。
痛みより、恐怖より──ただトアとベンがここにいないことが悲しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おら、処置終わったぞ。とっとと出ていけ」
「……うす」
突き放すようなグスタフの声で目を覚ます。
雑貨屋の奥、診察台のような硬い板の上に上半身裸で横たわっていたトアは、身体を起こし調子を確かめるようにその場で何度か手をニギニギさせた。
「……試運転なら外でやれ」
「ですね。すいません」
グスタフの言葉に素直に謝罪し、服を着て店を出て行こうとする。そして入口のところで足を止め振り返り──
「ありがとう、ございました」
「…………」
グスタフは背を向け、こちらを見ることもしない。しかしそれも当然だろう、これから自分は受けた恩を使い潰しにいくのだから。
それ以上口にできる言葉を持たず、トアは雑貨屋を後にした。
「────っと」
「よう」
店を出て直ぐ、意外な顔に出くわしトアはほんの少しだけ目を見開く。
「少し話がしてぇんだが……今、いいかい?」
「…………」
そこにいたのはオイゲン。黒いオーガに襲われていた同期のパーティーで参謀的な役割を担っている男、とトアは認識していた。
たまに情報交換をする程度で特に親しくしているわけでもなかったが、彼がこれから話す内容にトアは何となく想像がついた。
オイゲンは返事を待つことなく踵を返し、人気のない方へと歩いて行く。正直時間が惜しかったが、残していくベンの今後を考えればあまり無碍な態度を取るべきではないかとトアはオイゲンについて行った。
歩いた距離はほんの二〇メートルほど。人目に付きにくい建物の影に入ると、オイゲンは徐に用件を切り出す。
「その……何だ。用件ってのは他でもねぇ。坊主、俺らのパーティーに入らねぇか?」
予想通りの言葉。トアは無言で反応を示さずにいたが、オイゲンは構うことなく続けた。
「俺らは前衛三枚、後衛二枚でやってたんだが、前衛の一人はエルフの血を引いてて少し壁としちゃ頼りねぇんだわ。んで、今回そいつが大怪我したこともあって、前衛を一人追加してそいつを後衛に回そうって話があってな」
オイゲンはニヘラと厭らしく笑った。
「お前さんにとっても悪い話じゃねぇだろ? どんなに上手く立ち回ったところで、戦えねぇ荷物運びと二人で狩りを続けるのは無理がある。勿論、お前さんが望むなら、あのハーフオークもウチに加えてやっても構わねぇ」
スカウトのていを取ってはいるがやけに上から目線の発言だ──ワザとらしい、との嘆息をトアは噛み殺す。
「俺らもそう稼げてるわけじゃねぇし、足手纏いを二人も入れるのは厳しいんだが、お前さんともう一人ぐらいなら何とかなる。今回のことは……その、なんつーか、いい機会なんじゃねぇかと思ってな」
「…………」
ポコがいなくなったことを喜ぶような発言に、怒りは湧いてこなかった。
「遠慮しときます。話はそれだけですか?」
素っ気ない返しに、オイゲンは少し焦った様子で言いつのる。
「まさかとは思うが、あの犬っころを助けに行こうなんて考えてるんじゃねぇだろうな? やめとけやめとけ。どうせもう喰われてるっての。飼ってた犬が死んで落ち込む気持ちはよく分かるが、自棄になるほどのこっちゃねぇだろ? どのみち辺境じゃ弱い奴は生きていけねぇ。遅かれ早かれあいつは死んでたんだ。いや、ここまで生きのびたことが奇跡みてぇなもんさ。巻き添えくわなくてむしろ良かったじゃねぇか、なぁ?」
挑発するようなその言葉に、トアは『隠れてるのは一人か二人か』とチラリ周囲に視線を走らせる。
「お前さんがあの犬っころのせいでパーティーも組めず苦労してきたのは俺も知ってるぜ。今は色々あって混乱してるのかもしれねぇが、落ち着けばすぐに良かったって──」
「もういいですよ」
トアの声は平坦で、何の感情も籠っていなかった。
「もういいです。あんたが俺を怒らせようとしてるのは分かってますから」
「────」
「俺が怒ってあんたに殴りかかったところを、そこに隠れてるお仲間が出てきて取り押さえるって段取りなんでしょう?」
「────っ」
言い当てられてオイゲンはグッと息を呑み、観念したように大きく息を吐いた。
それとほぼ同時、路地の奥から隠れていたオイゲンの仲間──クロトとロムが姿を現す。
「何で──いや、いつから気づいてた?」
「……確信したのは仲間に誘われた時ですかね。自分がわざわざ誘われるほどの駒じゃないってことぐらい自覚してます」
トアはそこで喉から空気を押し出すように息を吐き、続けた。
「別にポコが攫われたのはあんたらのせいじゃない。あんたらがあのオーガに襲われたのも、結果的にポコが狙われたのも運が悪かっただけです」
ポコが先陣を切って助けに入らなければオイゲンたちはオーガに殺されていて、そうして救われたことに彼らが少なからず罪悪感を抱いていたのだとしても、それは彼らの責任ではない。
「だからわざわざ、悪者になって俺を止めようとしなくてもいい」
『────』
オイゲンは最初からトアを怒らせ、自分を攻撃させることで彼を引き留めようとしていた。せめてこれ以上、自分たちのせいで犠牲が増えないように。またこのことでトアの立場が悪くならないように気遣って。
「もう一度言いますけど、あんたらにはこれっぽちも責任はない。恨んでもないし、怒ってもない。だから俺に、あんたらを憎ませないでください」
「…………」
ああ、これは止まらない。余計な気遣いだったと理解し、オイゲンは道を開ける。
トアがそこを通り過ぎた後、オイゲンは思わずその背に声をかけていた。
「──おい! 仲間にならねぇかって誘ったこと! あれは方便なんかじゃねぇからな!」
返事はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………」
「…………」
トアが最後の準備を整えるため拠点にしていた開拓公社裏の納屋に戻ると、今度は意外でもない顔と出くわす──ベンだ。
ポコのためにベンを置いていく──正直、そのことに罪悪感のようなものがなかったわけではない。
ただ、ベンはもう出会った頃とは違う。相変わらず臆病で戦うことはできないし、追い詰められたらいつ暴走して狂戦士になってしまうか分からない。だが狩りの後、重い獲物を軽々と運ぶその姿に、周囲が運び屋としてのベンの有用さに気づき興味を持っていたことも確かだ。例え自分がいなくなっても、どこかのパーティーがベンを拾ってくれるだろうとトアは確信していた。
だから例えどんなに引き留められても突き放すつもりでいたのだ、が──
「…………何やってんのさ?」
「み、見れば分かるでしょう!?」
分からないから聞いている──いや、嘘だ。その姿を見れば意図は理解できる。だが冗談としか思えずつい呆れた声が口をついて出た。
「ざあ、ポコさんをた、助けにいき、行きまちゅよ!」
ベンは普段狩りに出る時のように部分鎧を身に纏い、振るえもしない大金棒を手に持って、治療道具などが入った大きなリュックを背負っている。
「……無理すんなよ。膝震えてんぞ」
「ポコさんがピンチなんですよ!? 無理ぐらいするに決まってるじゃないですか!!」
恐らく出会ってから初めて、真っ向から言い返されて目を丸くする。
そんなトアの反応にベンは目尻に涙の粒を浮かべ悔しそうに顔を歪めた。
「大体、碌に相談もしてくれないで勝手に決めてふざけてるんですか!? 『俺らがいなくてもやっていける』って何なんですか!? 決めつけないでください! 僕はお二人がいなくなったら二日と持たず飢えて死ぬ自信があります!!」
「……いや、流石にその蓄えた脂肪があれば一週間は持つ──」
「黙らっしゃい!!」
とてつもなく情けないことを言いながら説教するベン。
呆気にとられ言葉が見つからない様子にトアに、彼は更に続けた。
「前から思ってましたけどトアさんて普通に馬鹿ですよね! 何が『最後まで面倒見てやれなくて』ですか!? 何が悪いか全然分かってません! 僕の方が若いのに、何で自分の方が長生きする前提なんですか!? ずるいでしょう!」
もう言っていることが支離滅裂だ。
「悪いと思ってるなら──謝るのはそこじゃないでしょう!? 言ってくださいよ! ポコさんを助けたいって! 一緒に助けに行こうって! 迷惑かけ通しの僕がこんなこと言えた義理じゃないのかもしれませんけど、それでも──僕ら仲間でしょう!?」
「────」
言いたいことを言ってハァハァと荒い息を吐き、自信なさそうに視線を逸らすベン。
トアはそんなベンの姿に自分が彼を見くびっていたことを理解し──槍の柄でコンと彼の頭を叩いた。
「痛っ!? え? 生意気なこと言って御免なさい!?」
「そこじゃねぇよ」
トアは腰に手を当て呆れたように嘆息する。
「自分だけ準備して俺の分はそのまま放置か? そうやって気が利かねぇとこが駄目なんだよ」
「え? あ、う……?」
想定外の叱られ方をして困惑するベンに、トアはニヤリと唇の端を吊り上げて宣言した。
「準備手伝え。ポコを助けに行くぞ」
「──っ! はいっ!」




