第20話
「なるほどな。よりにもよって知恵持ちか……」
ポコを攫われた後、開拓公社に帰還した新人開拓者一行。彼らから一通りの事情説明を受けたアルドは、苦虫を噛み潰したような表情で呻いた。
その聞き慣れない単語にジギが首を傾げる。
「知恵持ちって、あの黒いオーガのことっすよね?」
「ああ。辺境じゃあ、時々そういう異常な進化を遂げた個体が出てくるんだよ。はっきりとした仕組みは分かってねぇが、喰ったもんの特性を受け継いでることが多い。お前ら開拓者の死因で一番多いのがこういう異常個体だ。直近だと、脳みそ潰されても死なねぇスライムみてぇな再生力を持ったバジリスクなんてのもいたな」
「……そんなのどうやって倒したんすか?」
「対石化の予防薬飲んだ連中で囲んで、串刺しにして動き止めてから燃やした」
その説明に横からクロトが噛みつく。
「何でそんなヤベーのがいるなら先に教えといてくれなかったんだ!?」
「やめろ、クロト──」
「放せよオッサン! そのせいで俺らは死にかけて、ワースは今も意識が戻らなねぇんだぞ!?」
殴りかからんばかりの様子で詰め寄るクロトに、アルドの反応は淡白なものだった。
「ハッ。テメェの弱さの責任を他人に擦りつけてんじゃねぇよ」
「あぁん!?」
「異常個体がいるって話を聞いたところでテメェらに何の対策ができた? 異常つっても、どんな方向性かも分からねぇんだ。どうせ行き当たりばったりで対処するしかねぇだろうが」
「そ、それは……でも、心の準備ってもんがあんだろうが」
「クハッ。戦場に出ようって奴が、今さら心の準備だぁ? んなもんは敵がどうだろうと関係なく当たり前に済ませとくもんだろうが。テメェらみてぇなのに余計な情報与えたところで、ビビッて咄嗟の判断が鈍るのが関の山だっつーの」
「…………」
言い負かされてクロトが悔しそうに黙り込み、仲間たちが無言で彼を慰める。
代わってアルドに質問したのは、今回の一件で唯一パーティーに目立った被害のないカーツだ。
「それで旦那。知恵持ちってのは具体的に何なんだ? ああいや、人の知恵を持った魔物だってのは聞かなくても分かるんだが──つまり、さっきの説明からすると、あの黒いオーガは人を喰ってその知恵を手に入れたって理解すればいいのかい?」
『────!』
半ば分かっていたことではあるが、改めて言葉にされて新人たちの間に動揺がはしる。アルドはそれを真っ直ぐ見返して頷いた。
「ああ、その通りだ。これまでにも数年に一度の周期で人を喰って知恵を手に入れた魔物が確認されてて、俺らはそれを知恵持ちと呼んでる」
「……これは念のために聞くんだが、喰われた奴らの記憶や自我を受け継いでるなんてことは?」
「安心しろ。ねぇ──いや、人の言葉を喋るってことは情報としていくらか受け継いじゃいるのかもしれんが、少なくとも自分を人間だと名乗ったりした個体は確認されてねぇよ」
「なるほどな──いや、悪ぃ。つまんねぇことを聞いた」
カーツが納得した様子で引き下がる。倒すことに一切の遠慮はいらないし、倒すことを躊躇う理由もないという確認がしたかったのだろう。
アルドは新人たちを見渡し、改めて知恵持ちの魔物について説明した。
「知恵持ちってのは、単純に戦闘力で見れば元になった個体と大差ねぇ。知恵が回るって言っても所詮猿知恵レベルだ。複雑な作戦やら罠を使いこなせるほどじゃねぇ」
「その口ぶりだと、他に厄介なところがあるってことっすか?」
「ああ。知恵持ちには戦闘力以外で二つ、厄介な点がある」
ジギの相槌にアルドは二本指を立てて続けた。
「一つは獲物としての狩りにくさだな。普通の個体より警戒心が強いから中々見つけるのが難しいし、見つけても相手の方が強いと思ったら躊躇なく逃げる──まぁ、元々の個体の気質もあるから、これはあくまで程度問題だがな」
そこは改めて説明されなくとも何となく想像がついた。問題はもう一つ。
「もう一つは、知恵持ちは特に人間を好んで喰う──いや、執着する傾向があるってことだ」
「執着?」
「ああ。人間を喰って知恵を手に入れた連中は、人間を喰えばもっと賢くなれるとでも考えてるのか知らんが、とにかく人間を執拗に狙う。強力な魔物が魔素の薄い環境を嫌ってこの辺りには滅多に出現しないって話はお前らも知ってるだろ? 一般的なオーガの生息域は村から徒歩で丸一日以上離れた奥地なんだが、知恵持ちに関しちゃこの法則が当てはまらねぇんだ。実際過去には、開拓村にまで攻め込んできた個体もいるらしい──その時は結界が仕事して事なきを得たみたいだがな」
その説明を聞いてカーツやオイゲンなど頭の回る者は、それがどれだけ開拓公社にとっての脅威かを察した。
辺境──開拓村に住んでいるのは開拓者だけではない。アルドらのように相応の功績を挙げて引退が認められた元開拓者も存在するが、住民の過半数は出稼ぎなどの目的で一時滞在しているだけの一般人。彼らの存在なくして開拓村の運営は不可能だ。
そして一般人である彼らが危険な辺境に滞在してくれているのは、稼げるということ以上に開拓村内が安全だという実績があるからだ。その実績を脅かしかねない知恵持ちの魔物は、開拓公社にとって単純な戦闘力以上に看過できない存在だった。
「正式な通知は上の決裁が下りてからになるが、その黒いオーガが狩られるまでこの第六開拓村は厳戒態勢に入る。テメェらは全員俺の指揮下に入るからそのつもりでいろ」
「指揮下? まさか俺らにあの黒いのを狩れなんて言い出したりしねぇだろうな?」
オイゲンの確認に、アルドは苦笑してかぶりを横に振った。
「安心しろ。そっちは腕っこきに任せる。ただ連中はあちこち遠征してて戻ってくるまで時間がかかるからな。お前らは解決するまでの間、外周に突っ立って村の連中を宥めるのが仕事だ」
納得して引き下がるオイゲンに、続いてカーツが口を開いた。
「タダ働きは御免だぜ?」
「テメェらの食い扶持ぐらいは保障してやっから安心しろ。村の中でほぼノーリスクで飯が食えるんだから文句ねぇだろ」
アルドの説明にその場にいた新人開拓者たちの間で納得と安堵の空気が流れる。生活するためにはリスクをとっても狩りに出かけなければならないが、しかしあんな化け物がうろついていると分かっていて狩りになど行きたくない。ほとんどの開拓者にとってアルドの提案は渡りに船だった。
だが──
「俺は不参加で」
ただ一人、黙って話の成り行きを聞いていたトアは宣言する。その場にいた者たちの視線が集まる中、彼は淡々と続けた。
「メンバーが欠けて仕事を受けれるような状態じゃないんで、辞退します。どうせ強制力はないんでしょ?」
感情の読み取れない、冷えた声音と視線だった。
トアは一方的に告げると、アルドの返事を待つことなく踵を返しその場を離れる。
「ちょ、待て坊主!」
「ト、トアさん……!?」
アルドが呼び止めるがトアは無視して止まらず建物を出て行き、慌ててベンが彼の後を追った。
「ま、待ってくださいトアさん! どこに行くんですか!?」
「…………」
「ポコさんを助けに行くんですよね? 気持ちは分かりますけど、僕らだけじゃ無理ですよ!」
「…………」
「少し待てば高ランクの人たちが戻ってくるし、その人たちに任せましょ、ねっ!?」
トアが足を止め、ベンを睨む。
「その時までポコが無事だと思うか?」
「それは……」
何の目的かは分からないが、ポコは人を喰らうオーガに攫われたのだ。無事だなんて言える筈がない。そもそも今この瞬間ポコが生かされている可能性の方が低いわけだが、ベンはそれを口にすることができなかった。
口ごもるベンに、トアは淡々とした声音で続ける。
「おかしいと思わなかったか。どうしてあのオーガはポコを攫った? あの時、奴は攫おうと思えばポコ以外の人間を攫うこともできた。さっきの説明じゃ、あいつら知恵持ちは人間の脳を喰うことに執着してるんだろ? だとしたらポコはどうみてもその好みから外れてるじゃないか」
それはベンも不思議に思っていた。しかも黒いオーガはすぐにはポコを喰らおうとせず、こちらに見せつけるよう「ヒトジチ」だと言った。
だがだとしたらそれは誰に対する──
「あのオーガの狙いは多分、俺だ」
「……何で、そう思うんですか?」
ベンに声音に驚きはない。ポコを人質にとり誘き出す相手がいるとすれば、それはトア以外にあり得なかった。だが彼にはその理由が分からない。
「……俺とポコは君と組む前、オーガに遭遇して逃げ出したことがある。この村のすぐ近くでだ。肌の色は違ったけど、この辺りにオーガが何匹もうろついてるとは思えない。多分、同じ個体だろ」
「えと、その時何か手傷でも負わせた……とか?」
「いや。本当にただ逃げ出しただけ。何なら戦ってもないよ」
たったそれだけの理由で、とベンは困惑した。
「えと……考え過ぎじゃ……?」
「分かってる。でも他にポコが狙われる理由が思いつかない」
駄目だ。傍目には落ち着いているように見えるが、トアは完全に冷静さを失っていた。
頭に血が上ったトアをどう説得すればいいのか分からず、それでも何とかベンは言葉を絞り出す。
「も、もし……もし本当にそうだとしても、ですよ? だからといってトアさんが探しに行く必要ないでしょう。すぐにベテランの強い人たちが戻ってくるんだし、その人たちに任せれば──」
「──もし、俺に対する人質だとしたら!」
ベンの言葉を遮り、トアの激情が溢れ出る。
「俺が行かなかったらオーガはポコをどうすると思う? 腕の立つ開拓者が辺りをうろついて、これ以上その場に留まれない。いつまでも俺を狙っちゃいられないだろ。その時、ポコを生かしておく理由があると思うか?」
「────」
その泣きそうな表情を見て、ようやくベンは自分が勘違いしていたことを理解する。
トアはオーガの狙いが自分だと確信しているわけではない。そうであって欲しい──そうであればきっとポコはまだ生きていると自分に言い聞かせているのだ。
「……悪いな、ベン。最後まで面倒見てやれなくて」
彼はベンの肩にポンと手を置き、ほろ苦く笑って告げた。
「でも今のお前なら、きっと俺らがいなくてもやっていける」




