第18話
「──何かいるぞ!!」
『────』
──ババババッ!!
リーダーで斥候役のジギが警告を発したのとほぼ同時、森の奥から無数の礫が壁のように広がりながら飛来した。
「ぬんっ!!」
タンク役のロムが咄嗟に前に出て盾を構える。散弾のように放たれた礫は数が多く全てを防ぐことは叶わなかったものの、一つ一つの威力はさほどでもなく、背後のメンバー含め各々咄嗟に急所を庇ったことでダメージは最小限に留められた。
仮にこの礫を無防備に受けていれば、ダメージと混乱により初撃でパーティーは総崩れとなっていたかもしれない。多少の幸運はあったにせよ間違いなくジギの警告はパーティーを救った。
「っ!? な、なんだ、敵か……!?」
「考える前に構えろ! 来るぞ!!」
混乱から立ち直れずにいたクロトにオイゲンの怒号が飛ぶのと同時、茂みをかき分けノソリとソレは現れた。
「黒い、オーガ……!?」
通常赤みがかった色をしている肌が黒く染まったオーガ。肌とは対照的に瞳だけは血の色に紅く染まり淡く輝いている。
右手には質の良さそうな鉄槍を握り、全身にサイズの合っていない鎧の残骸を繋ぎ合わせて無理くり纏っていた──あれは、開拓者から奪ったモノだろうか?
──ザッ
「……っ」
黒いオーガが一歩前に踏み出す、ただそれだけで巨体のロムが気圧され後ずさった。
元々オーガは油断すればベテランでも喰われることがある強力な魔物だ。基本的に対処はCランク以上の上級開拓者が行うものとされており、新人開拓者は出会った瞬間散開して逃げるのが正解と言われている。
身体能力に関しては攻撃力、耐久性、敏捷性、全てにおいて人類種を大きく上回っており、唯一の弱点は頭の悪さ。
だが気のせいだろうか? 目の前のオーガの立ち振る舞いからは確かな知性を感じる。そもそも話に聞くオーガが、武器を持ち、防具を身に纏い、しかも投石で奇襲を仕掛けてくるなどということがあり得るのだろうか?
──まさか、ハイ・オーガ……いいや、ありえねぇ!!
オイゲンはかぶりを振って胸に浮かんだ想像を振り払い、茫然としているリーダーのジギに呼びかける。
「ジギ! どうする!?」
「え、あ……どうする──」
「まとまって逃げても追いつかれて終わりだ! バラけて逃げるか、それとも戦って追っ払うか!!」
正解はバラけて逃げる一択だろうが、今のジギに仲間を見捨てる判断が出来るかは怪しい。幸いにも敵は一体だ。交戦してダメージを与えることが出来れば、諦めて撤退してくれるかもしれない。ジギがそこまで考えていたかどうかは分からないが──
「あ……た、戦うぞ! ロム、クロト、ワーズワースは前へ! 倒そうとせず間合いを取って身を守れ! 攻撃役は俺とオイゲンだ!」
『おうっ!!』
血気盛んなクロトでさえ、その指示を消極的とはとらなかった。ロムを中心に陣形を組み、黒いオーガを迎え撃──
『グォォォォォッ!!!』
『────!?』
精神を揺さぶり恐慌をもたらす魔力を伴った叫び。ジギたちが陣形を組もうとした機先を制して黒いオーガの咆哮が彼らの動きを止め、一跳びで距離を詰め鉄槍を振るう。
──ギィィンン!!!
その一撃をロムが盾、クロトが鉄杖、二人がかりで辛うじて受け止めた。
「ぬぅ……っ!!」
「ぐ……ぁぁっ!」
──何だ、これ!? 片手で軽く振ってる筈なのに、とんでもなく重い……!
体格の良いロムやクロトであっても黒いオーガと比べれば大人と子供ほどの違いがある。腰を落とし必死に踏みとどまるが、黒いオーガにはまだまだ余裕があった。
「お舐めでないよっ!!」
死角に回り込んだワーズワースが手に持った槍をオーガの脇腹目掛けて突き出す。人型生物であるオーガにとって脇腹は身を護る肉の薄い急所の一つだ。ここを突かれればいくら強靭な生命力を持つオーガであってもただでは済まない──
──ムンズ
「なっ!?」
黒いオーガはその攻撃を予期していたように空けていた左手で槍をあっさり掴みとる。
「う──わぁぁっ!?」
そして掴んだ槍を軽々振り回し、槍ごとワーズワースを投げ飛ばしてしまった。
「ワースっ!!」
「くそっ!!」
──ヒュン、ヒュン!!
前衛の体勢が崩れ射線が開いたタイミングを逃さず、ジギとオイゲンが矢を放つ。的が大きく、前衛の対処で動きの止まった黒いオーガに回避は困難──しかしその二方向からの射撃を、黒いオーガは一矢を肩にはめた鉄甲で弾き、頭部狙いの一矢を「ガチィ」と歯で噛みしめ受け止める。
『なっ!?』
その超人的な反射神経と対処に驚愕する後衛二人。しかし彼らの攻撃は、前衛が体勢を立て直し距離をとる時間はしっかりと稼いでいた。
『グルル……』
黒いオーガは即座に追撃を仕掛けてこようとはせず、慎重に──或いは面白がるように──その場でジギたちの様子を窺っている。
「クソッ! 何だありゃ……オーガってのはあそこまでの化け物なのか……?」
「いやいや、どう考えても普通じゃないのさ。ありゃなんだい? オーガは力は強いけどオツムが弱いって話はデタラメかい?」
「落ち着け」
口々に悲鳴を上げるクロトとワーズワースに、軍属時代外界でオーガを見たことのあるオイゲンが冷静を装って呼びかける。
「もう一度言うぞ、お前ら落ち着け」
「オッサン……だけど、そうは言ってもあのオーガ普通じゃねぇぜ? ひょっとしてあれ、噂に聞くハイ・オーガって奴じゃ……」
ハイ・オーガはオーガの上位種とも進化種とも呼ばれる貴種で、過去には群れを率いて一都市を滅ぼしたこともあると聞く。もはや精鋭どころか英雄が対処すべきレベルの魔物だ。
「それはねぇ」
しかしその可能性をオイゲンは力強く否定した。
「何で言い切れるんだよ? オッサンだってハイ・オーガなんて見たことねぇだろ?」
「見たことはねぇが、もしあれが噂に聞くハイ・オーガだったら俺らはとっくに全滅してるさ」
「そりゃ…………うん」
端的な理屈にクロトだけでなく同じ疑念を抱いていたメンバー全員が納得し、浮足立っていた気持ちが少しだけ落ち着く。
「俺の見たとこ、奴さんはちぃとばかりオツムが回るだけで、肉体的には普通のオーガだ。パワーもスピードも頑丈さも、普通の個体と大差ねぇ」
「……パワーとスピードはともかく、頑丈さもかい? 実際に殴ったわけでもないだろう?」
ワーズワースがつい揚げ足取りのような口を挟むが、オイゲンは軽く肩を竦めて冷静に応じる。
「もし奴が並より頑丈だったら、お前さんの貧弱な攻撃を警戒したりしねぇよ」
「あ~……」
あっさり受け止められた自分の攻撃を思い出し、ワーズワースが何とも言えない呻き声を漏らす。その間抜けなやり取りにメンバーの力みが少しだけとれた。
いや、ただ一人。仲間たちを落ち着かせようとしていたオイゲンだけは彼我の戦力差を正確に感じとり冷や汗をかいていた。
少し頭が回るだけの普通のオーガ──先ほどオイゲンは黒いオーガをそう評したが、何が普通なものか。人類種の最大の武器はその知恵だ。身体能力では魔物に劣る人類が魔物に抗することができるのは、知恵で魔物を上回り有利に立ち回ってきたからだ。その優位性を侵しうる魔物が普通な訳がない。
今も黒いオーガは強引に攻め立てることなく、隙を伺うようにジッとこちらを観察している。先ほどの接触で既に戦力差は明白。あちらはただ強引に暴れ回るだけでジギたちを蹴散らしうるだろうに、慎重すぎるほどに慎重──まるで戦術を練り考えることを楽しんでいるようにも見えた。しかしそういうことなら──
「ジギ。このまま堅く、徐々に下がってこうや」
「……下がる?」
「おお。奴さんは恐らく、頭が回る分無理攻めはしてこねぇ。堅く守りながら移動して他のパーティーを巻き込むんだ──っと、別に擦り付けようってんじゃねぇぜ。数が増えりゃ不利だと思って素直に引いてくれるかもしれんだろ」
「…………だな」
頭数が多くなれば意図して擦り付けようとしなくとも結果的にそうなってしまう可能性はあるわけだが──オイゲンの言葉の裏を正確に読み取り、ジギはリーダーとして決断した。
「皆聞こえたな!? ここから一番近いのはカーツのパーティーだ。俺とオイゲンで牽制すっから、ゆっくり後退すんぞ。ペースはワースがコントロールしてくれ」
「了解さ~」
熊に遭遇した旅人のごとく、ゆっくりと後ずさりを始める一行。それに対する黒いオーガの対処はセオリーを無視した──しかし的確なものだった。速度を上げて一行との距離を詰めながら、左手で地面の石を土ごと抉るように拾う。
「気をつけろ! 礫がくるぞ!」
面制圧、既に奇襲で見た攻撃パターンに、前衛は急所をカバーするよう守りを固める。無数の礫による攻撃は攻撃範囲こそ広いが、一つ一つの攻撃力はさほどでもない──はずだった。
──バババババッ!
「ぐぬっ!!」
「ロムっ!?」
黒いオーガは礫による攻撃を守りの要であるロムに集中させた。予想外の攻撃密度にロムは体勢が崩れ動きが止まる──黒いオーガはその隙を逃すことなく加速し、ロム目掛けて突進した。
カバーしようにもクロトもワーズワースも後退し距離を取ろうとしていたことが災いし、一歩遅れる。
──ドゴォォッ!!
「ぐあ……っ!!」
ロムは鉄槍の刺突こそ盾で辛うじて逸らしたものの、続く黒いオーガのタックルを受けて大柄な肉体が軽々と宙を舞った。
「ロム!? ちくしょうがぁぁっ!!」
「馬鹿っ! やめろ!!」
タンク役がやられ自棄になったクロトが鉄杖を振りかぶり黒いオーガを思い切り殴りつける──が、その一撃は左手であっさりと受け止められてしまった。
「く、くそっ! 放しやが──うわぁぁぁっ!?」
そして勢いよく振り回され、鉄杖を手放してしまったクロトは遠心力のままジギたちの方へ飛ばされてしまう。ダメージはさほどではなさそうだが、武器を失ってはもはや戦えまい。
一方、タックルを受けたロムは意識こそあったがダメージは大きく、傷薬を飲んでもすぐに戦線に戻ることは難しいだろう。
あっという間に前衛が二枚落ちた。元々ワーズワースは壁としては期待できないので、実質前衛は〇枚。もっとも強い要となる駒から潰すという力技で、彼らの思惑はあっさりと崩壊してしまった。
『────』
黒いオーガはもはやここまでくれば彼らを簡単に全滅させることができるだろうに『次はどうする?』と言いたげにその場で立ち止まり開拓者たちの次の手を待っている。
「う、あ……」
ジギがどうしていいか分からずその場で立ち尽くす。元々ちょっと狩人の経験があるというだけでリーダーを押し付けられただけの男だ。今も倒れたロムとクロトを囮に散開して逃げるという唯一の最適解を決断できずにいる──善良な男だった。
──ザッ!
「あ……オイゲン?」
予備の小剣を抜き放ち黒いオーガの方へと歩いて行くオイゲンに、ジギが戸惑いの声を上げる。
「ジギ、ワース。お前さんらは二人を連れて逃げろ」
「────!? 何を!」
「俺は足が悪いからどうせ走っても逃げ切れんでな」
事実、オイゲンは膝を壊して兵士を引退した過去があり、あまり走るのが得意ではない。
「俺を気遣って戦う判断をしてくれたんだろう? その尻拭いぐらいはさせてもらうさ」
「…………っ」
リーダーに感謝の言葉を伝え、オイゲンは黒いオーガに相対した。その覚悟を無駄にしてはならないと、ジギとワースはそれぞれ倒れたロムとクロトの元に向かい、肩を貸してその場から離れていく。
その様子を視界の端で確認し、
「……さて。しばらく付き合ってもらうおうかね」
死を覚悟し『ニィ』と笑って呼びかけるオイゲンに、黒いオーガの答えは──無視。
『……クヒャ』
「は──っ?」
手の届く距離にいるオイゲンを放置し、ワザと攻撃もせず迂回した黒いオーガは、全速力でワースとクロトの方へと駆け出した。
その場に取り残されたオイゲンは一瞬遅れて黒いオーガの目的を理解する。
──こいつ俺を無視して──一人も逃がす気がねぇってか!?
逃げるという決断が結果的にオーガに各個撃破の機会を与えてしまった。
「ワース! 狙いはオメェだ! クロトを置いて逃げろ!!」
「は──?」
オイゲンの叫びは、動きの鈍ったクロトは放置しても後回しにされ攻撃されることはないだろうという予測からくるものだった。しかしそれは言葉足らずで結果的にワーズワースを混乱させてしまう。
──ドッ!!
「────!」
追いつかれたワーズワースの身体が黒いオーガの剛腕に殴られ砕ける──否。よろめきながらクロトが彼の身体にしがみつき、ギリギリで直撃を逸らす。しかしそれでもオーガの拳はワーズワースの肩を砕き、二人を地面に転がしその行動力を奪った。
『────』
「──ジギ!」
黒いオーガがニヤリ笑って振り返るのと、オイゲンが警告を発したのはほぼ同時だった。
再び弾丸のように駆け出す黒いオーガ。しかしジギはロムに肩を貸したまま動かない──いや、動けない。責任感の強いジギは仲間たちが次々倒されていく恐怖とプレッシャーに押し潰され、完全に思考停止していた。
「ジギィィィィィッ!!!」
黒いオーガが鉄槍を振りかぶり、ジギの身体を叩き潰そうと振り下ろす──その刹那。
──ボヒュゥッ!!
『ガ……ッ!?』
意識の外から飛んできた握り拳大の飛来物が黒いオーガの顔面に命中──同時に弾丸は砕けて発火し、オーガの頭部を炎で包みこんだ。
『グガァァァァッ!?』
攻撃を中止し両手で炎を振り払うオーガ。その隙にジギとロムは慌てて距離をとる。
『……グルゥ』
炎が消え、痛む顔の皮膚を押さえながら黒いオーガが不遜な乱入者の方へと視線を向ける──
「ワッフ……!」
そこにいたのは投石機を構えた見覚えのある白いコボルト。
その瞬間、黒いオーガの口元がかつてない喜悦に歪んだ。




