第17話
──ピチャ……ズズ、クチャクチャ……
新たに狩った獲物の脳髄をすすりながら、オーガはようやく己に知性と呼ばれるものが馴染んできたことを実感する。
そのオーガはほんの少し前まで辺境の奥で暴れ回るしかできない只の魔物だった。それが偶然、仲間とはぐれて瀕死となっていた開拓者を見つけ、その脳を喰らったことが切っ掛けでオーガという種の枠をほんの少しだけ逸脱した。魔素の濃い辺境では稀に起こる現象だ。
普通どんな生き物でも鳥を食べたからと言って空を飛べるようになったりしないし、竜を食べても強くはなれない。当然、人間を食べたからといって賢くなったり弱くなったりもしない。
だがその当たり前の常識を侵すのが魔素という物質だ。ある学者はそれを『高次の霊的記録媒体』と評し、経験を蓄積し濃縮する性質があるのではないかと予想した。
いつも、必ずそうなるというわけではない。だが稀に、他の生物の魔素を取り込むことで異常な成長を遂げる魔物は存在する。種の枠を超えて成長したり、肉体そのものが変形して翼が生えたり、その変化は実に多種多様。
この辺境において人を食べて知性を得る魔物の存在は、珍しくはあっても決して特別なものではなかった。
──ペチャ……ゴリュ、ゴキ……ゴクン……
『ヴゥ……モット、ホシイ……』
人を食べれば食べるほど意識が明晰となっていく自分自身にオーガは喜び興奮していた。
もっと知りたい、考えたい、理解したい──その全ての欲求が人を食べるという行為に収束する。オーガは自分に更なる“知”をもたらしてくれる存在を求めて、再び辺境を徘徊し始めた。
──ソウイエバ……ニガシタ……
ふと、自分が知性を手にして以降、一度だけ取り逃がしてしまった人間がいたことを思いだす。あの時の自分は今よりずっと愚かだったにせよ、まるで強そうではなかったし、足が速かったわけでもないのに、近づくこともできずアッサリ逃げられてしまった──もっと頭が良くなれば自分にも同じことができるだろうか?
──アレ……ホシイ……
オーガは彼を見かけた方へと足を向ける。
熱に浮かされたその瞳は、まるで恋をしているようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この開拓村からそう離れていない場所で、最近連絡が取れなくなってた開拓者の喰い残しが見つかった」
雑貨屋に現れるなり緊急依頼だと告げる開拓公社職員アルド。
淡々と行われる事情説明に三人は顔を見合わせ、代表してトアが言葉の意味を確認する。
「それは……開拓者は“喰い残し”の主語か目的語、どっちです?」
「……わりぃ、目的語の方だ」
つまり行方不明になっていた開拓者が魔物に喰われて死んでいた──
「……それの何が問題なんでしょう?」
トアは本気で意味が分からず首を傾げた。彼だけでなくベンもポコも、横で聞いていたグスタフも訝し気な表情だ。
推定死亡者の死亡が確定しただけ。開拓公社にその程度のことを一々問題視する善性や繊細さがあるとは思えない。
「問題なのはその喰い残しが見つかったのがこの村の目と鼻の先で、かつそいつが三年目のDランク開拓者だったってこった」
「ワフゥ? ディーランク?」
聞き慣れない言葉にポコが首を傾げる。普段ならアルドは無視して話を進めていただろうが、これから依頼を受けてもらう相手である以上はあまり無碍にも扱えない。しかしこのコボルト相手にどう説明したものか。困るアルドに代わってトアがポコの疑問に答えた。
「Dランクっていうのは僕ら開拓者に公社が付けてる等級だよ。全部で六段階あって、Dは上から四番目──一人前、って意味だね」
「ポコハ?」
「僕らは一番下のF──まだ新人だからね」
「エフ!」
意味が分かっているのかいないのか、ポコが嬉しそうに相槌を打つ。
正確には正しく『新人』と認識されるのはEランクで、Fランクはまだ『足手まとい』の員数外。まあ、このランクに関してはギルドの一方的な査定で決まる上、上がっても難度の高い仕事を割り振られやすくなるだけでメリットがほとんどないため、気にしている開拓者はあまりいない。一応、Bランクになれば騎士となって辺境を出る権利が与えられるらしいが、大抵の開拓者はCかD止まりだ。
トアとポコが呑気なやり取りをしている間、代わってベンがアルドとの話を進める。
「えと……Dランクの開拓者ってことはすごく強いんですよね? そんな人が開拓村の近くで死んでたって……その、おかしくないですか?」
「おお、その通りだ。死体が見つかったそいつは、四日ほど前にもう一人相棒の弓使いと生態調査の依頼を受けてたんだが、どっちも調査区域に出現する程度の魔物ならソロでも余裕で倒せる程度の腕があった」
「もう一人の方は?」
「……まだ見つかってねぇ」
その状況で見つかってないということは、つまりそういうことなのだろうと察してベンは黙り込む。
その上で、アルドはベンに伝えておかなければならないことがあった。
「そいつら以外にも半月ぐらい前から連絡が取れなくなってるDランクパーティーが一つあってな。ひょっとしたら同じ魔物にヤられたんじゃねぇかって話が出てる──で、それが坊主、お前さんが前に組んでたマリクたちだ」
「え…………」
ベンが口に手を当て息を呑み、顔面を蒼白にした。
そのやり取りを聞いていたトアたちには『マリク』という名前に聞き覚えはなかったが、話の流れからして以前ベンを捨てたあのベテランパーティーのことだろうと思い至る。
複雑な関係性にベンに気遣うような視線を向けるトアとポコを無視して、アルドは説明を続けた。
「開拓者が死ぬこと自体は珍しくねぇが、それがこの開拓村の目と鼻の先って部分を上は問題視してる。平たく言えば、その魔物が開拓村を襲撃するかもしれねぇって怯えてんだ。実際は村には結界もあるし、まずそんなことにはならねぇって説明したんだが聞きゃぁしねぇ」
「仕方ねぇさ。上の連中は儂らと違って本物の素人だからな」
「……素人ならせめて弁えて欲しいんですけどねぇ」
ヤレヤレとかぶりを振るアルドをグスタフが宥め、続けて尋ねる。
「で、坊主たちに緊急依頼ってことは、その魔物から村を守らせようってことか?」
『────!?』
グスタフの言葉にトアたちが『冗談だろ!?』と言いたげに目を剥いて彼を睨みつけた。
しかしアルドはそれに苦笑し、すぐさま手を横に振って否定する。
「いやいや、流石にコイツらをお偉方の前に並べたところで、宥めるどころか余計不安を煽ってヒスを起こすのが関の山ですよ」
失礼な──とは思わず、三人して『そーだそーだ、もっと言え』と力強く頷く。
そんな覇気のないトアたちに苦笑を濃くし、アルドは説明を続けた。
「最終的には人を募ってこの辺りをローラーさせるつもりですが、腕っこきは遠出してて集めるのに時間がかかりそうなんでね。一先ず今近くにいる連中で村の守りだけでも固めようって話になったんすわ。坊主たちには取り急ぎ、そいつらを呼び戻してもらいたいと思いまして」
思ったより穏当な内容にトアたちはホッと胸をなでおろす。
まあ勿論、そんな話を聞いた後ではあまり村から出ること自体したくないのが、流石にそこまで我儘は言えない──いや、言うのはタダだが、それをしてしまうと今後が怖かった。
「う~ん……呼びに行くのはいいんですけど、俺らまだそんなに地理に詳しくないし、今から何か所も狩場を回るのは難しいですよ? それに俺らの言葉に相手が素直に従ってくれるかどうか……」
「分かってる。行くのは『半端者の森』だけでいい。新人共は大体そこにいるだろうし、『既定の日当は出す』って言やぁ、新人なら喜んで戻ってくるだろ。取り急ぎの人手としちゃあ、それで十分だ」
いつもの狩場まで往復するだけなら慣れてるしリスクもほとんどないかとトアは納得し、一応ポコとベンにも確認のため視線を送る。二人はトアに従うとすぐに頷きを返してきた。
「分かりました。すぐに準備して向かいます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ~クソッ! また空振りかよ」
所変わってトアたちが開拓者を呼び戻しに向かうよう指示を受けた『半端者の森』で、一人の年若い少年が苛立たし気に地面を蹴った。
「一々腐んなよ。仕方ねぇじゃねぇか。魔物だって馬鹿じゃねぇんだ。こっちのが数が多くて強ぇと分かれば逃げもすんだろ」
宥めたのはパーティーリーダーのジギ。
彼らはトアたちと同期の新人開拓者パーティーで、リーダーで狩りの経験があるジギ、最年少でメインアタッカーのクロト、クォーターエルフを自称するサブアタッカー兼交渉担当ワーズワース、無口でマッチョなタンク役ロム、膝を壊した元兵士のオイゲンからなる五人組だ。
今はリーダーのジギが熊らしき足跡を見つけ追いかけていたが、あと少しのところでこちらに気づかれ逃げられてしまったところ。
それ自体はやむを得ないことではあったが、今日はまだ何の成果もなく、更に出かける前に知ったある事実が余計に血気盛んなクロトを苛立たせていた。
「そうは言ってもさっきから空振りばっかじゃねぇか。あの犬と豚のとこはたった三人でガッツリ稼いで、今日は優雅に休養日だって聞くぜ? あんな連中に負けるってなどういうことだよ。こりゃリーダーのやり方がおかしいんじゃねぇか、あぁ?」
「……好き勝手言ってくれるじゃねぇか」
クロトにメンチを切られ、ジギがムッとした様子で表情を歪める。
クロトが口にした“犬と豚のとこ”とは言うまでもなくトアたち一行のことだ。同期の中でも、役立たずのコボルトと見るからに貧弱な子供、他のパーティーから見限られた臆病なハーフオークの三人組は悪い意味で目立っており、当初周囲からは一月どころか半月と持たず全滅するだろうと思われていた。
だが彼らはしぶとく生き残り、他の新人開拓者が日々の食事と消耗品の購入で手一杯になっている中、順調に稼ぎを挙げ、少しずつだが装備の購入や更新まで行っている。
見下していた連中にいつの間にか先を行かれたと感じ、クロトは完全に焦っていた。
「落ち着けやクロボン」
「だからクロボンって言うのやめろ!」
最年長のオイゲンがニヤニヤ笑いながら割って入る。クロトの怒りの矛先が今度はオイゲンに向かった。
「俺は別におかしなことは言ってねぇだろ! あんな連中に負けんのは何かやり方が間違ってんじゃねぇのかって、もんだいてーきしてやってんだよ!」
「問題提起って言い方じゃねぇだろうが。一々喧嘩売るんじゃねぇっての」
オイゲンはクロトに凄まれても気にした様子もなく肩をすくめた。
「大体負けてるつっても、パーティー全体の稼ぎじゃ大差ねぇだろ。単純にこっちの頭数が多いから一人頭の実入りが少ねぇってだけじゃねぇか」
嘘だ。本当はパーティー全体の収入でも負けているが、クロトはそのことに気づかず、他のメンバーも敢えて指摘しない
「……俺らの方が人数多いのに、同じ稼ぎじゃ駄目じゃんかよ」
「頭数が多けりゃ稼げるってなもんじゃねぇさ。結局獲物が見つからなきゃ意味ねぇわけだし。それに連中の方が弱っちく見えるから、俺らと違って探さなくても獲物の方が寄ってきてくれる。つーか、慣れねぇ環境でバラバラのメンバーまとめて、ジギは良くやってくれてると思うぜ……なぁ?」
他のメンバーに水を向けると、ワーズワースとロムは同意して頷き、持ち上げられたジギは機嫌を直し照れ臭そうに頬をかいた。
だがクロトは納得できない。言い負かされそうになり難しい顔をしていたが、何か思いついたように突然パッと表情を輝かせた。
「そうだ! なら俺らも人数半分に分けようぜ!? あいつらに出来るなら俺らなら二人ででも──」
「アホたれ」
「──痛ッ!」
──ゴキン!
オイゲンの拳骨が振り下ろされ、クロトは言葉を途切れさせた。
「~~っ! 何すんだよ!?」
「馬鹿な事言うからだ。開拓者は最低四人、理想は六人以上でパーティー組むのが基本だって知ってるだろ。舐めたこと言ってっと死ぬぞ」
「でもあいつらは──」
「あの連中は組んでくれる奴がいねぇから仕方なく三人でやってんだ。生き残ってるのは運がいいだけとまでは言わねえが、ギャンブルみてぇなもんなんだよ。戦力の整った俺らが真似するこっちゃねぇ」
「…………」
クロトは他のメンバーに視線を向けるが、皆オイゲンと同意見で焦る必要はないと頷く──あるいはそう自分に言い聞かせていた。
皆から諭され、子供じみた苛立ちをぶつけてしまったことを自覚したクロトは気恥ずかしさを誤魔化すようにボソリと言い返す。
「……けっ。ギャンブルで身を持ち崩したオッサンの言うこっちゃねぇだろ」
「カハッ! 言うじゃねぇか」
オイゲンは大笑いしてクロトの髪をわしわしとかき回す。
「うわっ! 何しやがる!?」
「そう思うなら駄目なオッサンと同じことすんのは賢くねぇわな」
「…………ふん」
そっぽ向いて鼻を鳴らすクロトに、周囲から「仕方ない奴」といった視線が刺さり、和やかな空気がその場に流れる──いや。
「……リーダー? どうかしたのかい?」
ワーズワースがいつの間にか何かを警戒するように森の奥を睨んでいたジギに気づいて声をかける。
ジギは視線を一点に向けたまま──
「いや……何か今、人影みたいなものが……」
──カサリと森の影に何かが蠢いた。




