第15話
「ほれ、討伐報酬含めた獲物の買取代金だ」
『…………』
開拓公社の受付でアルドがドサッとカウンターに置いた布袋の重量感に、トアたちは一瞬呆気にとられ動きを止めた。
十数秒ほどのフリーズの後、最初に回復したポコが布袋の紐を解いて中身を覗き込む。
「ワフゥ!?」
「わわわ、こんなに……?」
「え……えぇ……?」
大量の銀貨に三者三様の驚きを示す一行に、アルドは温かみのある苦笑を漏らした。
「おいおい。これぐらいで一々驚いてんじゃねぇよ。生まれて初めて金を見たわけでもあるまいに」
「い、いやでも、こんなにたくさん……支度金と同じぐらいあるんじゃ」
「おお。全部で銀貨一一〇枚。大体そんなもんだな」
「…………」
支度金より多かった。
グリズリーを狩ることに成功した一行は、この日は早々に狩りを切り上げ──これ以上は狩っても運べない──開拓公社に死体を丸ごと持ち込んだ。そしてグリズリーの素材にどれほどの値が付くのか期待に胸を膨らませ、しかし査定が終わるまで二時間近く待たされて、待たされすぎて何か問題があっただろうかと不安になってきた頃合いで出された査定結果がこれ。トアにいたってはもう驚きと喜びを通り越して疑心暗鬼に陥っている。
「えと、間違いじゃないんですよね?」
「何だ、不満か?」
「ああいや、そういうわけじゃ……!」
アルドはトアをからかうように凄んだ後、ニィと笑って付け加えた。
「まあ実際、処理がしっかりしてりゃもう少し値がついてもおかしくはなかった。あとで血抜きのやり方教えてやるから覚えとけ」
「は、はぁ……」
もっと値がついたかもしれないと言われて一行は顔を見合わせる。その場できちんと処理が出来ていれば、果たして幾らになったのか──正直、それだけ損をしたと思えば怖くて聞きたくない。
からかいがいのある新人たちの反応に満足したのか、アルドは説明を補足する。
「熊は肉だけじゃなく毛皮も余すことなく使えるし、内臓は薬にもなる。猪あたりなら同じサイズでもこの半分の値がつくかどうかってとこだろうさ」
高額査定の根拠を聞いて、トアたちは騙されたりからかわれているわけではないと理解し、安堵した。
──冷静になってみれば、そんなすごくいい値段ってわけでもない……のかな? 開拓者は六人組が一番多いし、そいつらが人数割したら一人銀貨二〇枚足らず……多分、グリズリーはあの狩場で一番の大物だろうし、そもそも毎日安定して獲物が狩れるとは限らないもんな。
怪我をすれば傷薬代がかかるし、武器防具の損耗に備えた積立など含めて考えれば、大喜びするほどの成果ではないのかもしれない。いや、明日食べるパン代もない今朝の状況からすれば大成功なのだが、ここで浮かれてよいものなのか──
「ま、今日のところは美味いもんでも食って素直に喜んどけ。いつも締めてばっかじゃ持たねぇからな」
トアたちはその忠告に嬉々として従い、その日は普段の倍の値段を払って少しだけ豪華な夕食に舌鼓を打ち、泥のように眠った。
翌、辺境生活一〇日目。トアたちは昨日と同じ狩場へ向かい、狩りを行う。その日は公社での情報収集の成果を踏まえ、餌を使って獲物を誘き寄せようと試みたが餌をとられただけで上手くいかず、全くの成果無しに終わってしまった
十一日目。この日は前日の夜、狩人経験のある同期の開拓者に酒を奢って教わった獲物の探し方を試してみる。足跡をたどるコツや獲物に悟られにくい歩き方などあくまで心構え程度のもので、教えてくれた開拓者もすぐに実践できるとは考えていなかっただろう。だがそんな気休め程度の教えでも、ポコの鼻と組み合わせればそれなりに形にはなった。結局、この日は猪の親子を発見し、無事に仕留めて銀貨三十四枚の報酬を得る。
十二日目。散々狩場を歩き回ったおかげで移動の効率が上がり、またある程度獲物が潜んでいそうな場所に当たりをつけれるようになった。大型の鹿を発見し、草食動物だと思って油断したところをトアが角で殴り飛ばされ、死にかける。何とか持ち直し鹿は無事仕留めたものの、傷薬を使用する羽目になった。鹿に銀貨四十七枚と良い値がついたので、これを機に一人一本ずつ傷薬と毒消しを買い揃える。
十三日目。午前中は全くアタリ無し。午後から少し範囲を広げて捜索するもあと一歩獲物を追い込みきれず、今日は坊主かなと諦めかけたタイミングで熊と遭遇。ただし四日前に遭遇したグリズリーより一回り小さなツキノワグマが魔物化した個体だったため、比較的落ち着いて対処することができた。熊が自分より大きなベンに気を取られている隙に、横に回ったトアがわき腹を一突き。教わった血抜きもしっかり行い、銀貨九十三枚の成果。
十四日目、十五日目、十六日──その後もトアたちは順調に狩りを続け成果を挙げていく。
勿論、獲物が見つからず坊主の日もあったし、攻撃を受けてヒヤリとする場面もないわけではなかったが、少しずつ経験と資金を蓄積し、装備を整えていった。ポコは布鎧に投石機、逃走用の切り札に火炎弾、ベンは胸当てや籠手、膝当てを購入。ベンは見た目だけなら立派な戦士で、ポコも一人前の開拓者とは言えないまでも野良ではないと傍目にもハッキリ認知されるようになった。
本当に順調な日々。順風満帆で世は全てことも無し──とまでは言えないが、努力が目に見えて実を結ぶ日々にトアたちはこの上ない充足感を覚えていた。
──だから勘違いしてしまったのだ。
頑張れば当たり前に報われるような世界なら、人類はこの辺境の開拓を諦めずとも良かったのに。
こんな日々が当たり前に続いて行くのだと、この時彼らは疑いもせず信じ込んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──ゴリュ、メキメキ……バキッ
「…………ッ」
悲鳴を漏らしそうになる喉を震える両手で押さえこみ、その男は必死に息を殺し気配を殺しソレが立ち去ることを祈る。
──ピチャ、ズズズ……ガリッ
周囲に響き渡る生々しい音が、鼓膜を通じて毒のように脳へと浸透し、男に今そこで何が起きているのかを克明に想起させた。
男は辺境にやってきて四年目の開拓者だ。新人の九割が一年と経たず命を落とすこの業界においては、既にベテランと言って差し支えない立ち位置にある。実力的には同期の開拓者と比較して特別優れていたわけではないが、無理をせず堅実に仕事をこなし、今までなんとか生き延びてきた。
男は凡庸ではあったが、その凡庸さがこれまで男を生きながらえさせた、とも言える。これは明確に“そうだ”と証明されているわけではないが、辺境では外界と比べ肉体強度の成長が著しい。辺境での一か月の生存経験が、外界での一年間の戦闘訓練に相当すると言えばいいだろうか。新人の壁を超えた開拓者であれば皆、それが事実であると理屈ではなく実体験として理解している。
つまり凡庸な人間であろうと戦い生き延びることが出来れば、誰でも一廉の実力を手にすることができるのがこの辺境という土地。無論、才能があるに越したことはないし限界は存在するが、それでも辺境での日々は成長という一点において開拓者たちに多大なアドバンテージをもたらす。
曲がりなりにも三年以上辺境で戦い生き延びてきた男は、既に外界では一流と呼べる実力を手にしていた。
当然、実力のある開拓者は開拓公社からより強い魔物の対処を要請されるが、それも強制力があるわけではない。公社からの評価が下がって美味い仕事が回ってこなくなるというデメリットはあるものの、命には代えられないと要請を断る開拓者は少なくなかった。
危険度の低い狩場で、普通にメシが食える程度の仕事をこなしていけばいい。そんな考えを持ったメンバーが五人集まり、彼らはしぶとく生き延びてきた──つい数日前までは。
──どこだ? いったいどこでケチがついた……!?
彼らの歯車が狂ったのは、安い隊商の護衛依頼を引き受け、ついでに見つけたハーフオークの新人を仲間に誘ったあの日だろうか。
ハーフオークはその巨体に反して気が弱く扱いやすそうで、その時は男たちもいい駒を見つけたと喜んでいた。しかしいざ実戦に投入してみると、ハーフオークは想像を超えて臆病で気が弱く、全くもって役に立たない。それでもこれだけ立派な体格をしているのだからと期待を込め、何とか度胸をつけさせてやろうと段取りを組んでみれば、逆に自分たちに襲い掛かってくる始末だ。
結局その時は不意を突かれた仲間が負傷し、ハーフオークをその場に放置し撤退するはめになった──今思い返せばいっそ始末してやれば良かったと思う。
その後、仲間の治療のために安全地帯──魔素濃度が薄く魔物があまり寄り付かないとされているエリア──を訪れたタイミングで、男たちの不幸は具現化した。
安全地帯はあくまで目安であり、絶対のものではない。だがそれでも、本来こんな新人向けのエリアにいる筈のない魔物が現れるなど、男たちは想像もしていなかった。
オーガ──外界では騎士団一個小隊に相当するとされる巨人の末裔。だがそれでも真っ向からの戦いならば、生き延びるどころか十分に討伐も可能なだけの実力を男たちは備えていた。
致命的だったのは知性が低いとされるオーガによる、無数の石礫による奇襲。石礫一つ一つは小さく、致命傷には程遠かったが、全身あちこちに礫が食い込んだ一行は痛みと衝撃でその後飛び掛かってきたオーガに対しまともな抵抗ができなかった。
続く突進からの薙ぎ払いで五人の内二人が意識を奪われ、我先にと逃げ出そうとした一人はあっという間に追いつかれて最初の犠牲者になってしまう。
男ともう一人はオーガが食事に夢中になっていた隙をつきソロリと逃げ出したが、ボロボロの状態で闇雲に動いたのが失敗だった。すぐに気づかれ、血の匂いを辿ってきたオーガに追い詰められてしまう。
ただその時は不幸中の幸いと言うべきか──あるいは余計に苦しむ時間が長引いたと考えるべきか──二人は狭い岩地の窪みに逃げ込み、一旦は難を逃れた。
しかし不幸は続く。男たちはオーガがすぐに諦めて離れていくだろうと考えていたが、オーガは男たちに執着し、そこから一向に離れようとしなかった。そしてそのまま数日が経過し、これ以上は体力の限界と判断した男たちはオーガが見せたほんの僅かな隙を突いて逃亡を試み──アッサリと捕捉された。
足を潰された男は咄嗟に仲間をオーガの方に突き飛ばし、這ってその場を離れ茂みの中に身を隠す。そしてオーガが自分を見逃してくれることに一縷の望みを抱き息を潜めていた──が、本当は彼にも分かっていたのだ。そんな都合の良い話がある訳がないことぐらい、最初から。
──ガサガサッ
「────ひぅっ」
──グチュ
 




