第14話
辺境生活九日目。目的の狩場である『半端者の森』に到着したトアたちは、実際に狩りに取り掛かる前段階で予想外にもたついていた。
「おい。こっちは俺らが使ってんだ。割り込んでくんじゃねぇ」
「あ……すいません」
理由は先にこの狩場に入っていた同期の開拓者たち。三、四日の遅れとはいえ、トアたちがこの日初めて狩場にやってきた時には、すっかり縄張りのようなものが出来上がってしまっていた。彼らが勝手に言っているだけなので別に従わなくとも良いのだが、こんなことで揉め事を起こすのはうまくない。それに場所によっては彼らが仕掛けた罠があるかもしれないので、トアたちは空きエリアを探して少し歩くはめになった。
ようやく見つけた狩場は森の少し奥まったポイント。
「うぅ……暗くてどこから魔物が飛び出してくるか分からないですぅ」
「そこは贅沢言っても仕方ないさ。……悪いけどポコ、この視界が悪い森の中じゃ君の鼻と耳だけが頼りだ。昨日までとは違って相手に気づかれず一方的に僕らが優位を取るのは難しいだろうけど、近づいてくる奴がいたらすぐに教えて欲しい。昨日説明した方針は覚えてる?」
「ワッフ! アシオト、ヒトツ、タタカウ。タクサン、ニゲル」
「よっし! よく覚えてたね偉いぞ~!」
「ワッフゥ~」
トアはわしゃわしゃとポコを撫でまわして褒めると、少し羨ましそうにしているベンに視線を向けて続けた。
「ベンは戦わなくていいから、獲物を見つけたら大金棒を構えて立っててくれ。君のガタイならおかしな真似さえしなけりゃ向こうからいきなり襲い掛かってくるようなことはない……はずだ。逆に君が怯えて自分より弱いと思えば獣は襲い掛かってくる。怖くてもしゃがみ込むのだけはやめろよ」
「は、はい! 頑張ります」
若干不安は残るが、トアはチラリとポコに視線をやって付け加える。
「……それと、ポコのことを頼む。一応、言い聞かせてはあるけど、戦闘中こっちに突っ込んでこないように見張っててほしい。……あと、逃げる時はポコを抱えて一緒に逃げてやってくれ(ボソ)」
「わ、わかりました……!」
これは単純にポコが危なっかしいというのもあるし、ポコに意識を向けていればベンもパニくって暴走する可能性が多少なりと低くなるのではという期待を込めてのものだ。
トアは無言でスッと拳を突き出すと、まずベンがそれに拳を合わせ、ポコが真似して肉球を差し出す。
「よしっ! 安全第一でいこう!」
「ワフゥ!」
「は、はいっ!」
そうして探索を始めた一行は、その後一時間ほど、全く魔物と遭遇することなく森の中を歩き回ることとなる。
昨日までの『卑怯者のねぐら』では嫌というほどゴブリンに遭遇していたため、この初めてのシチュエーションに彼らは困惑した。
全く魔物の気配がないわけではないが、ポコの五感を以ってしても捕捉するところまで近づけない印象。大きな糞が転がっていたり足跡などは見つかるので、もしここに狩人のノウハウを持った者がいれば、それを辿って獲物に辿り着くこともできたのかもしれない。だがポコは五感が鋭いだけでそうした経験はなく、トアも故郷で狩人に指示されるまま獲物の追い立て役をしたことがある程度で役には立たなかった。
「見つかりませんねぇ……」
「ワフゥ」
「あ! 別にポコさんを責めてるわけじゃないですからね!?」
小休止中。慌ててポコをフォローするベンを尻目にトアは少し考え込む。
──ベンの言葉じゃないけど確かに見つからない。偶々なのか、普通に歩き回ってるだけじゃこれが普通なのか……マズったな。その辺り事情をもう少し詳しく聞いとけば良かった。
自分が戦わなければというプレッシャーで頭がいっぱいになり、そうした狩場の情報収集が疎かになっていたと、表情には出さず自省する。
──大型の獣ならそれぞれ縄張りみたいなのもあるだろうし、遭遇頻度が低くても不思議じゃあない。他のパーティーはどうしてるのかね?
これは後に判明することだが、この狩場の魔物は比較的警戒心が強く、ただ歩き回っているだけは丸一日全く魔物に出くわさないことも珍しくはないそうだ。
実際、同じ狩場で活動している他三つの新人パーティーの内、二つは狩人の経験を持つ者が在籍していて、残る一つは餌を使って獲物をおびき寄せていた。とは言え前者はトアたちには採りようのない手段だったし、後者もトア達の懐具合では実際に決断するのは難しい。餌自体はギリギリ買えなくもないが、空振りの可能性もあるしトア一人で対処できない魔物が寄ってきた時には餌代が丸々無駄になってしまう。
──まぁ、まだ昼前だし……昼時になったら他のパーティーの様子を探りに行ってみるか。
もう少しだけ粘ってみようかと腰を上げたタイミングのことだった。
「──ワフ?」
突然ポコが耳をピンと立て、周囲をキョロキョロ見回し始める。
「ど、どうしたんで──」
ポコの邪魔をするべきではないとトアは不安そうなベンを制止し、ジッとポコを見守った。ほどなくポコの視線は茂みの奥の一点へと収束する。
「……いた?」
「ワフ。コッチクル」
「数は?」
「ヒトツ」
どうやら先に魔物に自分たちの位置を捕捉されてしまったらしい。魔物は自分たちを獲物と見做しこちらに向かっていると考えるべきだ。
トアは立ち上がって槍を構えると、ポコが指し示す方に向き直り、二人を後ろに下がらせた。
──気づいた上でこっちに向かってきてるってことはそれなりに大物かな? 先に獲物の姿を確認できないことに不安はあるけど、どうせ俺らにはこれ以上安全策を採る余裕なんてない。
静かに覚悟を決める。
その姿勢のまま一分、二分が経過。トアとベンの耳にも大型の獣が茂みをかき分ける音が聞こえてきた。そして──
──ガサガサッ
「ひっ……!」
茂みから姿を現したその獣に思わずベンが悲鳴を漏らす。トアも悲鳴を上げたい気持ちだったが、戦いの緊張感がそれを踏みとどまらせた。
──グリズリー! 初っ端から大物が来やがった……!
現れたのは灰色の毛並みを持つ魔物化したヒグマ。この『半端者の森』に出現するとされている魔物の中では最大最強の種である。
茂みを抜けたところでこちらを品定めするように一旦立ち止まるグリズリーに対し、トアの決断は迅速だった──即ち先手必勝。
勢いよく突進し、槍の穂先をグリズリーの額目掛けて突き出す。グリズリーに対して恐怖が無かったわけではない。だがこの状況で一番怖いのは、逆にグリズリーの体重と速度で突進してこられることだ。その最悪の攻撃を防ぐために、震える足を叱咤してまず距離を潰す。
──ビュッ!
トアの渾身の一撃は、しかしヒョイと首を逸らしたグリズリーによって急所を外され、肩の毛を軽く抉るだけに留まる。
『グルゥ……ッ!』
グリズリーの目が怒りに染まり、四つん這いのまま僅かに体勢を低くする。それを突進の予兆だと感じたトアは半ば恐怖に押されて槍を振り下ろし、グリズリーの動きを止めようとした──が。
──バァンッ!!
「な……っ!?」
グリズリーはその攻撃を前脚を振るってアッサリ弾き返し、逆にトアは敵の前でバンザイするように隙だらけの姿を晒してしまう。
『グォォォッ!!!』
──ドオォォンッ!!
「トア!?」
「ひぃっ!?」
グリズリーの一撃がトアのいた場所を通過し、地面を叩き土煙を上げる。ポコとベンが悲鳴を上げるが、トアは寸でのところで横に飛び、その攻撃を回避していた。
「つぅ……っ」
しかしその代償にトアは地面に倒れ込み、隙だらけ。グリズリーはそれを見逃すほど温くない。
『グルォォォツ!』
トアに圧し掛かるように飛びつく。
「バゥッ!!!」
「だ、駄目ですぅ!」
咄嗟に飛び出そうとするポコをベンが押さえている姿が視界の端に映った。
「くぅ……っ!?」
トアは地面に転がり攻撃を回避しながら闇雲に槍を振るう──
『ギャンッ!?』
振るわれた槍の石突が偶然鼻っ面に当たり、グリズリーが悲鳴を上げて後ろに飛び退いた。その隙にトアも立ち上がり仕切りなおす。
実質的なダメージは無いとはいえ、先ほどのようなラッキーパンチを嫌ったグリズリーは少し間を空ける。そして警戒──あるいは威嚇──するようにその場に二本の足で立ち上がった。
──デカッ……!?
目算でざっと二メートル超。体長はともかく体重で言えばハーフオークであるベンを大きく上回っているだろう。
──ビビんな! 今が好機だぞ……!
トアは体格差に怯む身体にそう言い聞かせる。グリズリーが立ち上がって威嚇の姿勢をとったことで突撃のリスクは減り、かつ急所を狙いやすくなっていた。
グリズリーの急所は眉間と心臓。その内、眉間は先ほども狙ったが的が小さく、よほど正確に命中させなくては固い頭蓋に阻まれ脳に届かない。一方、四つん這いになっていた時は隠れて狙うことができなかった心臓が、今は的が剥き出しになっている。
──問題は、真っ向から突っ込んでもさっきの反応速度を考えれば、払いのけられるリスクがあるってことなんだけど……カウンターしかないか。
攻撃の瞬間ならグリズリーも咄嗟に反応することは難しいだろう。
だがそれは自分が的確にグリズリーの攻撃に対処できることが前提。
本当はもう一手、グリズリーの意識を逸らしてくれるような何かがあれば良いのだが──
──ゴンッ!
『グルゥ……ッ?』
そんなトアの思いに応えるように、側面から投げられた石がグリズリーにぶつかる──ポコだ。
だがグリズリーは一瞬鬱陶しそうに目を細めたものの、トアから意識を逸らすことはなかった。矮小なコボルトなど最初から脅威とは考えていないのだ、が──
「こ、こっちを見ろ……っ!」
──ドォォォンッ!!
次いで聞こえてきたベンの頼りない声と地面を叩く大金棒の衝撃は、流石にグリズリーと言えど無視はできなかったらしい。距離を測るように視線が一瞬そちらを向く。
──今!!
考えるより先に身体が動いていた。まだまだ未熟で無駄の多い、けれど渾身の力を込めた刺突。
『────ッ!』
グリズリーがトアの動きに反応し、咄嗟に右腕で槍を払いのけようとする。驚異的な野生の反応速度。
防がれる──そう直感した刹那、トアの脳裏に浮かんだのは故郷で木槍を振るい大人たちを打ち倒す次兄の姿だった。
「────」
咄嗟に肩を入れて両手突きから片手突きへと切り替え、刺突を加速させる。そしてその変化はグリズリー反応を狂わせ、槍はその右腕をすり抜けた。
『────!?』
──ズシュゥ!!
『グルォォォッ!!?』
トアの刺突は誤ることなくグリズリーの肋骨の隙間を貫き、穂先が心臓に到達する。
「う──おぉっ!?」
殺った──そう確信して気を緩めた瞬間、心臓を破壊されたはずのグリズリーの身体が激しく暴れ、トアは思わず槍から手を放してしまう。
仕留め損なったかと一瞬頭がパニックになり、逃げるか、それとも小剣を抜いて殿を務めるかトアの頭の中で選択肢が駆け巡った。
身を固くして反撃に備える──が、いつまで経っても予想された攻撃は飛んでこない。
「…………?」
グリズリーは胸に槍を突き刺したまま、その場でトアたちを威嚇するように唸りをあげて睥睨。
『────』
己の運命を受け入れるように、その場でジッと立ち尽くし──
「…………死んでる?」
トアたちがグリズリーの死を受け入れ、緊張を解くまでにそれから更にしばらくの時を必要とした。




