第13話
トアという少年は、かつて本人が語った通りごくありふれた農家の三男坊だ。
生まれた時には既に祖父母はおらず、両親と兄二人との五人家族。彼の家は平均か、平均より少しだけ裕福な自作農ではあったが、決して生活に余裕があったわけではなく、物心ついた頃には朝から晩まで労働力として働かされていた。
トアは健康な身体を持ち、農家の子供としては過不足ない分別と頭の回転を備えていたが、家族内ではずっと“余り物”として扱われていた。理由は兄二人が分かりやすく優秀だったため。
六歳上の長男ザインは病気がちではあったが村一番の秀才と評判で、逆に二歳上の次男サクサは同年代では図抜けて体格が良く、槍を振るえば大人顔負けの実力を発揮した。
特に目立った取り柄のない三男坊は、失望とは言わないまでも家族からあまり関心を持たれないまま育つこととなる。
幼い頃は優秀な兄たちに張り合っていたが、才能は残酷だ。同じ分野、同じやり方で彼らに勝てないことはすぐに理解できてしまった。
それでも、長兄のように効率的に動くことが出来ないならと非効率でも黙々と働き続け、自警団では次兄のように槍を振るって豪快に敵を倒すことは諦め、守りを固めて誰かの壁になることを選んだ。
才に恵まれた者たちとは違う場所で、自分でもこなせる役割を探し、周囲に認められ必要とされる道を選ぶ──彼はずっと、そうやって生きてきた。
「一番安い中古で銀貨十五枚ってとこだな」
「…………」
雑貨屋の店主グスタフの言葉は、予想通りであったが故にトアを苦しませた。いっそもっと高ければ良かったのに、と感じたのは生まれて初めての経験だったかもしれない。買えない値段なら悩む必要もなく諦めがついた。
ベンをパーティーに加えて最初の狩りが失敗に終わった一行は、開拓村に引き返して体勢を立て直すことを選んだ。
その日の成果は暴走したベンが潰したホブゴブ含め、銀貨九枚。ここから三人の夕食代と明日の朝昼の食事代を差し引いて銀貨七枚の赤字。差し当たって自由に使える手持ちは銀貨二十一枚となった。
三人の一日の食費は銀貨十六枚。これでは数日どころか何か一つでもトラブルがあれば一日と持たず金が尽きてしまう。もはやダラダラ試行を繰り返している余裕はない。そう判断したトアたちは、一つの賭けに出ることにした。
「買うのはいいが使えるのか?」
「一応……故郷の自警団で基本的な扱いは習ったので」
そう言ってトアが手に取っているのは二メートルほどの長さの槍。樫の木の柄の先端に両刃の簡素な刀身を嵌めただけのシンプルな造りで、使われている鉄が少ない分、トアが持つ小剣より更に安い。
トアは周囲の邪魔にならないようその場で軽く槍を回し、重みやしなり具合を確認する。
「わ、わわ……っ」
「ワフゥ!」
槍を持ったのは久しぶりだが感触は悪くない。少なくとも素人のベンやポコを呆れさせない程度の動きはできたようだ。
「ふむぅ……まぁ、型は出来てるか。しかし一週間足らずで武器を替えることになるたぁな」
「……仕方ないじゃないですか。あの時はこんなことになるだなんて思ってなかったんですから」
暗に武器代を無駄にしたなと告げるグスタフにトアが力なく反論する。強いて言うなら仲間を見つけてからそれに合わせて装備を整えるべきだったのかもしれないが、それはそれで他人の都合や思惑を押し付けられることになるので必ずしも上手い手とは言えない。
──いやまぁ、結局他人の都合に振り回されてるんだけどね……
自分自身へのツッコミを胸中で噛み殺し、トアは力なく天井を見上げた。
トアたちが今検討しているのは、トアの武器の交換──タンクからアタッカーへの役割転換だ。
元々トアは五、六人でパーティーを組むことを想定し、自分は肉壁に徹し敵を仕留めるのは他の誰かに任せるつもりでいた。それは単純に、その方がニーズがあるだろうと考えてのことだったが、実際のメンバーはコボルトの斥候(擬き)とハーフオークの僧侶(ただし回復も戦闘もできない)だけ。この面子ではトアが積極的に敵を倒す役割を担うしかなかった。
だがそうなると小剣では明らかに攻撃力不足。手持ち資金で取り得る選択肢は槍に持ち替える位しか思いつかなかった。
──こいつを買ったら手持ちは銀貨六枚。一応、小剣を売れば一日ぐらいは食いつなげるだろうけど、槍はどこででも振るえるわけじゃないし、サブウェポンとして持っときたいんだよな……
拙いトアの演武に目をキラキラさせているベンに視線を向け、確認する。
「ベン。君が暴れて稼いだ金を使わせてもらうことになるんだけど、ホントにいいの?」
「あ、はい。ご迷惑かけてばかりなので、全然使ってください!」
迷惑をかけられているのは事実だが、それはそれとしてベンはもう少し金回りに執着した方がいい気がする。
「お金が足りなかったら、どうせ使わないし僕の大金棒も売っちゃえば──」
『それは止めとけ』
トアとグスタフが異口同音にベンを制止する。
「え、でも……どうせ誰も使えないし、暴れた時に持ってると危ないだけじゃ……」
「そのガタイで武器の一つも持ってねぇとか、周りの目を引いて余計絡まれることになるぞ。それに素手で魔物相手に暴れたら、いくらお前さんでも命がいくつあっても足りやしねぇ」
「そうそう。使わなくても持っとくだけでハッタリにはなるだろ」
「は、はい……」
口々に言われてベンは渋々引き下がる。まさか武器を売れば完全に戦わなくて済むなんて甘いことを考えてるんじゃあるまいな、とトアは怪しんだ。
──しかしまぁ、ホントにどうしようもなくなったら大金棒を売るって保険があるだけでも精神的には大分違うか。
ベンの稼ぎを食いつぶす形になり余計彼を見捨てられなくなったわけだが、トアは覚悟を決めグスタフに向き直った。
「うん。それじゃ、これ下さい」
「あいよ」
代金を支払うと、グスタフが引き渡しの前に槍の口金の部分を締め直してくれる。
「で、結局狩場はどうするつもりなんだ? 武器を変えるのはいいが、まともに戦えるのが坊主一人で、メンツも三人きりとなりゃ中々難しいだろ」
作業の傍らグスタフが話しかけてくる。元開拓者で狩りにも精通した人物なので、トアはこれ幸いと相談に乗ってもらうことにした。とは言え、一応自分たちなりの考えはある。
「いっそ正攻法で行こうと考えてます」
「正攻法だぁ?」
トアたちには似つかわしくない言葉に、グスタフが視線をあげて髭もじゃの口を歪めた。
「ええ。ほかの新人と同じように『半端者の森』に向かおうかなと」
『半端者の森』は猪などを中心とした中・大型の獣型魔物が多く出現する狩場。あまり群れで出現する魔物が多くないため新人にとっては比較的戦いやすい狩場とされているが、獣相手ではポコの索敵能力を十全に活かすことが難しい。また討伐部位だけで全額換金できるゴブリンなどと違い獣型は肉や皮など死体ごと提出せねば儲けにならず、運搬が大変だという事情があったため、当初トアたちはこの狩場を避けていた。
「俺一人で何度も戦闘を繰り返すのは現実的に難しいので、いっそ大物狙いでいってみようかな、って」
例えば猪などは、サイズにもよるが一匹提出するだけで銀貨三〇~四〇枚程度の稼ぎになると聞く。勿論その分狩るのは大変だろうが、ゴブリンの群れに囲まれながら一人で日に何度も大立ち回りを繰り返すよりは、まだ幾分マシな気がした。また今までのようにポコの索敵で一方的に敵を選んで先制攻撃を仕掛けるというのは難しくなるが、そこは最低限不意打ちさえ回避できればよいと割り切ることにする。
「ふむ……それ自体は別に間違った考えじゃねぇが、獲物の運搬はどうする──って、ああ」
グスタフは懸念を口に仕掛けたところでベンに気づき、自ら答えに辿り着く。
「そっちのデカいのに任せるわけか」
「は、はい! 僕にもそれぐらいならできると思うので……!」
身体の前で握り拳を二つ作り、張り切った様子のベン。獲物の運搬を彼に任せ、トアはその護衛、ポコは周囲の警戒と役割を分担すれば、多少獲物が大きくとも運搬自体は十分に可能だろう。
ついでにベンはただそこにいるだけで周囲への圧になる。狩場を変えることを決断した最大の理由はベンの存在だった。
──後の問題は俺だけだ。
役割を与えられ張り切るベンと、それを応援するポコを尻目に、トアは果たして自分が狙い通り獲物を狩ることができるのか。顔には出さないまま、胸中で不安とプレッシャーに苛まれていた。




