第12話
「す、すいませんでしたぁ……」
「…………ワフ」
「…………」
もはやお決まりのポーズ、地面にベンが正座して申し訳なさそうに謝罪する。
昨日と違うのはポコもトアも疲れ果てて地面にへたり込んでおり、反応する余裕がないことだろうか。
辺境生活八日目。ベンをパーティーに加えた一行は昨日と同じ『卑怯者のねぐら』に向かい、狩りに挑んだ。
狩場について早々、ポコがホブゴブリン一体とゴブリン二体を発見。トアは自分より体格の良いホブゴブリンと戦うことに若干の不安があったものの、これ以上都合の良い相手はそうそう見つかるものでもないと判断し、新パーティーとして最初の戦いに挑んだ。
まずこちらに気づいていなかったゴブリンたちにトアが突撃して急襲。不意を打ってゴブリン一体を仕留めることに成功する。
残る敵は二体。自分がホブゴブリンを足止めしている間にベンがゴブリンを倒せばケリがつく──そう考えていたトアだが、何とベンは自分の背丈の半分ほどしかないゴブリン一体にビビりまくり、その場に蹲ってしまった。
やむを得ず一人でホブゴブリンとゴブリンを相手にしたトアは、一対二ということもあり徐々に追い詰められ傷を負ってしまう。
そして戦いのプレッシャーに当てられトアの出血を目の当たりにしたベンが狂戦士症候群を発症して暴走。圧倒的な膂力でゴブリン、ホブゴブリンを肉塊に変えたまでは良かったが、その後もベンの暴走は収まることなく、近くにいたトアとポコに襲い掛かってしまった。
永遠にも思える命懸けの鬼ごっこ──実際には数分程だが──の末、ベンは正気を取り戻し、トアとポコは何とか生き延び今に至る、というわけだ。
「すいませんすいませんすいません!」
ひたすら頭を下げ、謝罪を繰り返すベン。反省しているというのもあるだろうが、それ以上にトアとポコから反応が返ってこないため、見捨てられると思い焦っているのかもしれない。
実際ポコはともかく、トアは文句の一ダースもくれてやろうと思っていた──が、単純に疲れてその気力も残っていない。そうこうしている内に怒りも萎えて妙に冷静になってしまった。
「…………はぁ。もういいよ。俺もゴブリン一匹ぐらいなら大丈夫だろうって甘い見積もりしてたのが良くなかったわけだし」
「す、すいません……」
「だからもういいって」
責める気持ちがないわけではないが、実際恐怖心というのは本人が自由にコントロールできるものではない。安全だと理性では分かっていても、傍から見ればなんてことのないモノを怖がり身体が動かなくなる人間は多いのだ。トアがしたことは子供の苦手を理屈で説き伏せ克服させようとしたようなものだろう。
「……そういや、ベンって何歳?」
「へ? え、えと……この間十一歳になりました」
「ホントに子供じゃん……」
雰囲気からしてまだ若いのだろうと思ってはいたが、まさか自分より三つも年下とは。混血は年齢が分かりにくいとはいえここまで幼いのは流石に予想外だ。余計責める気になれず天を仰ぐと、ポコがくいくいと袖を引っ張り、上目遣いに尋ねてきた。
「ポコハ? ポコ、ナンサイ?」
「……はは。何歳だろうね~、うりうり」
「ワフゥ~」
適当にポコの身体をモフり、互いに満足したところで気持ちを切り替え立ち上がる。
いつまでもこうしていても仕方がない。まずはベンが潰したゴブリンの討伐部位を回収して、それから──
「──と、そういやベン。ケガとは大丈夫?」
「…………へ?」
予想外の心配をされ、ベンが目を丸くする。
トアとポコは良い。ポコは見る限り無傷だし、トアは多少ホブゴブリンにやられたものの傷はどれも軽傷だ。一方、ベンは一方的に敵を倒していたように見えるが、暴走してあちこちぶつかっていた上、返り血で傷の有無が分かりにくい。恐らく問題無いとは思うが、もし興奮で気づかず大きな傷を放置して感染症にでもなれば厄介だ。
指摘されてベンはワタワタと自分の身体を動かし、観察する。
「えと……どうだろ……つっ!?」
「どれ、見せてみな……あ~。暴れた時にどっかぶつけたのかな、二の腕の裏のとこ結構大きく擦りむいてるぞ」
左腕の一部が体毛ごとズルリと皮が剥けていた。見た目は派手だが傷そのものはそれほど深くなさそうだ。傷薬を使うほどではないにせよ、念のため患部を洗っておいた方が良いだろう。近くに水場もなさそうだし、飲み水でいいかとトアが水袋を取り出そうとする。
「あ、大丈夫です。これぐらいなら自分で治せるので」
「……は? 治せる?」
「はい……『いと猛々しき闇の恩寵 偉大なる御身の加護を矮小なるこの身に──【自己回復】』」
ベンが目を閉じ些か物騒な詠唱を捧げると、その右手が淡く発光し傷口はみるみる間に塞がっていった。
「神聖魔法!!?」
「うわっ!?」
「ワフッ!?」
その光景にトアが驚愕し、その反応の大きさに更にベンとポコが驚く。二人は目を白黒させていたが、トアはそれどころではなかった。
「ちょっと待て!! おま、ベン! それ神聖魔法か!?」
「あ……はい。言ってませんでしたっけ? 僕、一応僧侶なので」
「────」
聞いてねぇよ、と怒鳴りつけることも忘れて、トアは絶句した。
この世界において呪文遣いは大きく三つ──いや、四つに分類される。
一つ目は魔術師に代表される秘術系呪文遣いで、学問として呪文を学び、知識を以って世界を作り変える一派。世間一般の人間がイメージする呪文遣いと言えばこれだ。
二つ目は秘術系呪文から派生したもので、魔術式を直接使用者の脳に刻む『魔導』。刻める呪文は低位のモノに限られ数も最大三つまでと制限は多いが、特別な訓練を積まずとも誰でも呪文を使うことが出来るため、戦士職や斥候職が習得しているケースが多い。
三つ目は精霊や妖霊、悪魔などと契約してその力を借り受ける巫術系。感覚や血統に依存する部分が大きく、エルフや一部の蛮族を除けば、習得している者はあまり多くない。
そして四つ目が僧侶が使う神の奇跡──神聖魔法。神殿で修行した僧侶が習得している呪文というイメージが強いが、実際に神聖魔法が使えるのは僧職全体の一割程度。修行を積んでも使えるようになるとは限らず、まるで信仰心とは無縁の人間が突如神の声を聞き、奇跡に目覚めることもあるのだとか。ある意味で最も才能とセンスに依存した呪文系統と言えるだろう。
「お前、何でそれを言わなかったんだ!? それが分かってりゃ、一々こんな危険な真似してなくても食ってけただろうが!!」
「え、えぇ……?」
トアはついベンの肩を掴み、乱暴な口調で問い詰めてしまう。だが彼がこうした反応を示すのもやむを得ないことだった。
神聖魔法が使えるということは、単に傷薬を節約できるとかそんな小さな話ではない。そもそも外付けの『魔導』を除けば呪文遣いは稀少で、特に回復呪文を得意とする神聖魔法の使い手はどこにいっても重宝される。彼らのような呪文遣いが使い捨てを前提とした辺境に投入されることはほとんどなく、回復呪文が使えるならわざわざ狩りになど出かけなくとも開拓村で治療を請け負うだけで安定した生活を送ることができただろう。
いやもっと言えば、例えハーフオークであろうと神聖魔法が使えるという事実が認知されていたのであれば、辺境に送り込まれること自体を避けられたのではないか、とトアは考えていた。
「あ、いえ……多分、これはトアさんが考えてるような都合の良いものじゃなくて、ですね……」
トアの言葉の裏をどこまで理解したのか、ベンが少し言いづらそうな表情で自分が宿した奇跡について説明する。
「えと、僕がお仕えしてるのは“一つ目様”っていう神様なんですけど──」
「一つ目様? 聞いたことがない神だな」
「あ、はい。僕も突然声が聞こえて使えるようになっただけなので詳しくは知らないんですけど、オークの神様らしいんです」
なるほど。オークが信仰する神なら聞き覚えがなくてもおかしくない。
──というか、オークが信仰する神って俺たちの基準で言えば邪神じゃね?
「……あんまり人前で呪文使っちゃまずい神様とか?」
「あ、いえいえ。そんなことはないんですけど……」
「けど?」
「その……“一つ目様”は所謂、破壊と闘争の神様らしくて、僕が授かった奇跡は自分の傷しか癒せないんです」
「あ~……」
そういうパターンもあるのか、とトアは胸中で呻く。
神聖魔法は宗派によって習得できる呪文が異なると聞くが、回復呪文に関してはどの宗派でも使えるものだと思い込んでいた。だが確かに宗派によっては他人を癒すこと自体を是としないものも存在し得るわけだし、そうした宗派の僧侶が他人を癒せなくてもおかしくはない。
──自分だけ癒せるのは、信者を戦わせ続けるためかな?
「他人の傷を癒せないってのは分かったけど、癒し以外にも授かった奇跡があるんじゃないのか?」
その奇跡次第ではまだやりようがあるかもしれない、と一縷の望みをかけて尋ねる。
「えっと……自分を癒す以外に、二つ奇跡を授かってるんですけど、どちらもあまり使えないというか……」
「いや、使いづらい奇跡はあるかもしれないけど、使えない奇跡なんてないだろ。そこは使い方次第じゃないか?」
トアがそう言ってもベンはしばし言い難そうに口ごもっていたが、やがて観念したように口を開く。
「一つは【不調】の奇跡で、対象の体調を崩したり病気にしたりするものらしいんですけど──」
「すごいじゃん」
「いえ、即効性があまりなくて、効いてくるまでに結構時間がかかるんです」
「…………」
──なるほど。風邪とかを引いても、症状が出て動きとかに支障がでるまでは結構タイムラグがあるもんな。
確かに使いどころが難しいというか、ベンが使えないと言うのもよく分かる。
「もう一つの奇跡は?」
トアの希望の籠った問いかけに、ベンは非常に言いづらそうな表情で答えた。
「えっと、もう一つの奇跡は常時発動型のもので──」
「常時発動型? 呪文でそれは珍しい…………ん? 常時発動?」
口にして、ある可能性に思い至る。
「はい。もう一つは【狂乱】の奇跡で……その、例の時に暴走度合いがより激しくなる……もので……はい。一応自発的に使うこともできますが、知り合いの神父様からは絶対使うなと厳命されてまして……」
「…………なるほど」
「…………ワフゥ」
それ以上、何も言えない。
詳らかになったベンの無駄スペック。ハーフオークで体格に恵まれ、神の声を聞き奇跡まで授かって、恐らく才能的には天才少年と言っても差し支えないものを持っているのだが、とにかく使えない。
言葉を失う三人の間を何とも生温い風が吹き抜けていった。




