第10話
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「ワフ!」
「あっ、ちょっと待て──」
ポコが泣き叫び地面に蹲っている巨漢に駆け寄る。『安全が確認できていない』『危険だ』とトアが引き留める間もなかった。
「ダイジョブ?」
「…………ふぇ?」
ポコの呼びかけに巨漢がキョトンとした表情で顔を上げる。
その顔は巨躯に似合わずやけに幼く見えた。いや実際幼いのかもしれないが、それより──
──ヒューマンじゃない。オーク……いや、ハーフオーク……か?
耳や鼻に豚の特徴があることを見て取り、トアはその正体に気づく。
そしてそのハーフオークは近づいてきたポコの姿を見るなり──
「よ、良かったぁっ! 助けてくださぁぁいっ!!」
「──ムギュゥッ!?」
目を輝かせてポコに飛びつき──押し潰した。
「ポコ!?」
「僕、独りきりで怖くて怖くて──うわぁぁぁんっ、良かったよぉぉぉっ!!」
「キュゥ~……」
「離れろ馬鹿!! 死ぬ! 殺す気かっ!」
オークは豚の特徴を持つ獣人で、この大陸においては極めて微妙な立ち位置の種族だ。
生物学的にはコボルトなどと同じ獣人種で、ゴブリンのような魔物とは全くの別物。
だがオークはコボルトのように人類の一員と見做されることはほとんどなく、世間一般には魔物と同一視されている。
同じ獣人でありながら何故ここまで扱いが異なるのか。それは偏にオークが人類より強靭な肉体を持つ戦士であり狂暴な略奪種族だからだ。
コントロール可能な獣はペットにも家族にもなり得るが、そうでなければただの害獣。故にオークは人類の敵対種族として扱われていた。
そしてハーフオークとは文字通りオークとヒューマンの混血だ。
オークは基本的に残忍で気性が荒く、しばしば人類と衝突し、性欲のはけ口として女性を攫う。
そんな不幸な事故の結果、稀に誕生するのがハーフオークだ。
オークの血が混じっているとはいえ、ヒューマンの腹から生まれた彼らはオーク社会では居場所がない。
人類社会における立場はさらに複雑で、建前上は人類の一員として認められているものの、そのほとんどは生まれてすぐに間引かれ、しかもそのことを罪に問われることもなかった。
人の血を引いているため母親が育てたいと望めばそれを禁止する法はないが、基本的には殺処分が望まれる異物──それが人類社会におけるハーフオークという存在だ。
「す、すいませんでした……っ」
「ワッフ!」
「…………」
ゴブリンと思しき無数の死体が散乱する森の一角で、ハーフオークが地面に頭を擦りつけて土下座する。
抱き着かれて潰されそうになったポコは気にするなと元気よく手を挙げるが、トアはそんな彼を腕に抱えて警戒するようにハーフオークから距離をとっていた。
色々と気になることはあるし、文句の一つや二つ言いたいところではあったが、もしこのハーフオークが襲い掛かってきたら体格的に勝ち目は薄い。トアは不満をグッと飲み込み、溜め息を吐いた。
「……はぁ。こっちも気が立ってるところに無防備に近づいたのは良くなかった。次からはこんなことがないよう、お互い気を付けよう」
ハーフオークが頭を上げパァッと表情を輝かせる。
「──じゃ、そういうことで」
「待って待って置いてかないで話を聞いてぇぇぇぇっ!?」
ポコを抱きかかえたままスッとその場から離れようとすると、ハーフオークが泣きながら縋りついてくる。
「止めろ馬鹿ッ!! その体格で掴まれたら──うぎゃぁぁっ!?」
「ワフッ! トア!?」
「見捨てないでお願いします話を聞いて下さいぃぃぃっ!!」
「俺の腰がぁ!? 手を、手を放せぇぇぇぇっ!」
「放しませぇぇぇぇんっ!!」
ギシギシと悲鳴を上げる己の腰骨を救うため、トアはハーフオークの脅迫に屈した。
数分後。なんとか再びハーフオークを落ち着かせ、地面に正座させながら、トアは不機嫌そうに口を開く。
「…………で? 何の話を聞いてほしいって?」
「あの……それよりその姿勢って苦しくないですか?」
地面にうつ伏せになり首だけ起こした姿勢のトアにハーフオークがツッコミを入れる、が──
「誰のせいだと思ってやがる!!?」
「うひっ! すいませんすいません!!」
そのハーフオークのベアハッグで腰に深刻なダメージを負っていたトアは当然のごとくブチ切れた。横ではポコがトアの腰を心配そうにさすっている。
「だ、大丈夫ですか……?」
「大丈夫に見えるならその役に立たない目を本物の節穴に変えてやる。今すぐだ」
「すいませんすいませんすいませんっ!!!」
再びバッタのように謝罪を繰り返すハーフオークに、トアは警戒していたのが別の意味で馬鹿馬鹿しくなり、溜め息を吐いた。
「……はぁ。もういいから話があるならさっさとしてくれ。いつ魔物が襲ってくるかも分からないこんな場所に留まっていたくないんだ」
「あ、はい! えっと、あの……」
しかしハーフオークは、いざ話すとなると何から説明したらいいのか分からない様子であたふたするばかり。
トアはプレッシャーを与えまいとグッと溜め息を堪え、しかしこのままでは埒が明かないと水を向けた。
「……俺はトア。君がさっき押し潰したのがポコ。この間第六開拓村に派遣されたばかりの新人開拓者だ」
「ワッフ!」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「…………で?」
「へ?」
「こっちは名乗ったけど君は?」
そう言われて、ハーフオークは自分がまだ名乗りもせず一方的に泣き喚いていたことに気づく。
「あ! す、すいません! えと、ぼ、僕はベンって言います! そのお二人と同じ第六開拓村所属のし、新人ですっ!!」
そう名乗られてトアは少しだけ目を丸くした。
ハーフオーク──ベンが新人開拓者だということは予想していた。この辺境に野良のハーフオークが迷い込むことはない。辺境には開拓者か開拓村の運営のために一時的に滞在している官吏や商売目的の者しかいないのだから、ハーフオークであれば前者以外にあり得ない。新人というのも粗末な身なりやオドオドした仕草からある程度想像がついていた。
意外だったのは自分たちと拠点を同じくしているという部分。
「新人ってことは俺たちと同じタイミングで? 君みたいなデカいのがいたら流石に見覚えがあると思うんだけどなぁ」
「あ、僕は身体が大きくて馬車に乗ると邪魔になるからって、他の人とは別に食料を運搬してきた隊商と一緒に歩いて辺境にきたんです。それで、その隊商を護衛してた先輩方にそのまま仲間に誘っていただいて……」
「ああ~」
──こんなガタイの良い新人がいたら、そりゃスカウトして囲い込むわな。ちょっとオドオドして頼りないけど、そういうのがむしろ逆らわなくて良いって考える奴もいるだろうし。
辺境で生きる開拓者は徹底した実力主義で、ハーフオークに対する差別意識や嫌悪感のようなものはほとんどないと聞く。何せ開拓者として送り込まれた人間には犯罪者も珍しくなく、日常的に人間より遥かに厄介な魔物と向き合っているのだから、その程度のことを気にしていてはやっていけないというのが正確だろう。そういう意味では、ひょっとしたらハーフオークにとって辺境は外界より生きやすい環境なのかもしれない。
──いや、待て。仲間って言ったな……
「それでその先輩ってのはどこにいるの? まさか一人でここまで来たわけじゃないでしょ?」
「あ、えっと……」
両手の人差し指を遊ばせながら、ベンが口ごもる。
「さっきここに来る途中、五人組とすれ違ったんだけど……それ?」
「は、はい……多分、そうだと思います」
トアとポコの視線を浴びて、ベンは大きく息を吐き、観念したように説明を始めた。
「その……せっかく仲間にしていただいたんですけど、僕は臆病でドンくさくて全然役に立たなくて、先輩方にはずっと怒鳴られてばかりいたんです。それで昨日、大きなミスをしちゃって完全に怒らせちゃって……」
「怒らせちゃって?」
「……ちゃんと戦えって。戦えないならお前とはここまでだって、ゴブリンの群れの前に連れてこられたんです」
「なるほど?」
荒療治だがその先輩の判断は理解できる。どのみち辺境では戦わなければ生きていけないのだから遅いか早いかの違いだ。それに体格差を考えればゴブリン程度束になってもベンにはかすり傷程度しかつけられない。その先輩もベンに自信をつけさせようと弱い相手を選んでいたのではあるまいか。
理解できないのはその顛末だ。
「それが何をどう間違ったら君がゴブリンの死体の中でワンワン泣いてて、その先輩が討伐部位も回収せず撤退するなんてことになるわけ?」
ベンが戦ってゴブリンを倒した──なら、先輩が彼を放置していなくなる理由がない。
ベンが戦えず先輩がゴブリンを倒した──で、あればあんな風に焦って撤退する必要がない。
ベンが見捨てられたことは想像がつくが、この惨状とそこにいたる経緯が上手く繋がらない。
「えっと……」
ベンは両手の人差し指をツンツンと突き合わせ言いづらそうにしていたが、やがてトアとポコの視線に観念した様子でおずおずと話し始めた。
「正直その、僕もあまり良く覚えてなくて……何があったかハッキリ断言できるわけじゃないんですけど……」
「それはハッキリ断言できるけど責任逃れしようとしてる奴の口ぶりだね」
「ワフゥ」
「うぅ……その、ゴブリンの前に連れてこられても結局僕は戦えなくて、囲まれてぶたれてしまって……」
「そこはせめて殴られたって言ってやれよ」
ゴブリンの攻撃などベンには実際その程度の害のないものだったのかもしれないが。
「先輩方が見かねて助けに入ってくれようとしたんですけど」
「けど?」
「僕……パニックになって意識が飛んじゃって」
「気絶してたってこと?」
「いえ、その……意識がないだけで気絶はしてなくて……」
意味が分からない。トアとポコが訝し気に顔を見合わせると、ベンはこちらの反応を窺いながら恐る恐るその事実を告白した。
「多分、このゴブリンは僕が倒したんだと、思います。僕、狂戦士症候群なので」
その一言でトアはここで起きた出来事を概ね理解した。
狂戦士症候群──これは何らかのトリガーにより突如理性を失い、伝説にある狂戦士のごとく暴走してしまう精神疾患の総称だ。一口に疾患といっても戦争で心を病んだ兵士が発症することもあれば、怒りの精霊に取り付かれたり、特定の神の祝福を受け狂気に魅入られたりと原因は様々。トアも話に聞いたことがある程度だが、発症した者は理性と引き換えに肉体のリミッターがはずれ、周囲の者を気が収まるまで無差別に攻撃してしまうそうだ。
ハーフオークのこの巨躯が暴走したらどうなるか。そしてここで何が起きたのか。もはや敢えて語るまでもあるまい。
「なるほど……話は大体わかった」
トアはそう言いながら、這いつくばる様な姿勢のまま背負い袋から虎の子の傷薬を取り出し一気飲みする。銀貨一〇枚しただけあって、ダメージを受けていた腰からあっという間に痛みが引いた。
立ち上がり、軽くその場で腰や足を回し動くのに問題がないことを確認。そして荷物を持ち、ポコの手を引き、さりげなさを装ってそろそろと後ずさりする。
「あ、あの~……?」
「ワフ?」
「大変だったな。同情するよ」
ベンとポコはそんなトアの動きの違和感に気づくが、トアは止まることなくシュタっと手を挙げると、キリッとした表情で告げた。
「俺には君を応援することしか出来ないが、挫けることなく頑張ってくれ──じゃ!」
そう言ってトアはポコの身体を抱え上げ、踵を返して走ってその場から逃走した。
ベンは置いて行かれまいと慌てて立ち上がろうとする、が──
「あぁ! ま、待って下さいぃぃ──うわっ!? あ、足が……!?」
正座させられていたせいで足が痺れ、上手く立ち上がることもできず地面に突っ伏してしまう。
「待って! 待ってください! 置いてかないで!!」
ベンは必死に叫び呼び止めようとするが、トアの足は止まらない。狂戦士症候群なんて爆弾持ちでベテラン開拓者と揉め事を起こしたハーフオークなんてどう考えても厄ネタだ。ただでさえ自分たちには余裕がないのに、これ以上厄介事に関わっていられるか。
「そ、そうだ! 討伐部位!! このゴブリンの討伐部位を全部上げますから、だから──」
そんなはした金に釣られるものか。ベンのせいで使わざるを得なかった傷薬代分ぐらいは請求したいところだが、下手に金のやり取りが発生すれば結局ずるずる面倒を見るはめになるのは目に見えている。
「うあぁぁぁっ! お願い、お願いしますっ!! 見捨てないで!」
「────」
泣き叫ぶベンの声に一瞬足が止まりそうになるが、トアは振り返らない。
泣かれてもどうしようもない。同情して手を差し伸べても共倒れになるのは目に見えている。ましてやここは辺境。弱い者から当然に命を落としていく世界だ。
「お願い、します! 助けて下さい!」
……だから、何を言われたところで、どうしようも──
「ひとりにしないでっ! ひとりは怖いです! 寂しいのはもうやだ……やだよぉぉぉぉっ!!!」
「────」
足が、止まっていた。
「……ワフゥ。トア?」
腕の中でポコが眉根を下げ、訴えかけるような目で自分を見上げている。
「~~~~っ!」
奥歯を噛みしめ、頭を掻きむしる。
そして深く、長い溜め息を吐き、トアは泣き声の方へと踵を返した。




